日常捜査

大隅 スミヲ

日常捜査

 私はため息をついた。なぜなら、期待通りの結果が得られなかったからだ。


「残念ながら指紋の一致はありませんでした」

「そうですか」

 ため息を吐きながら返却された封筒を受け取る。

 中には現場から採取された数点の指紋が記録されたフィルムが入っていたのだが、どれも犯人に結び付くものではなかったようだ。


 煙草が吸いたい。

 そんな思いがあったが、禁煙中であることを思い出し、ぐっと我慢をした。


 ちょうど昼時だったこともあり、昼食を取ってから帰ることにした。

 新宿中央署に戻れば、書類仕事の山が待っている。

 一度、席に座ってしまえば、昼食など取る余裕はなくなってしまうだろう。


 どこで食事を取ろうか。私は皇居に背を向けながら歩きはじめた。

 本庁へ足を運ぶのは年に数回程度であり、あまりこの辺の土地勘はなかった。

 地下鉄の霞が関駅方面へ向かうよりも、JR有楽町駅方面へ行ったほうが飲食店は多いかもしれない。

 そう考えて、有楽町の駅を目指して歩きはじめた。


 予想は当たり、有楽町の駅が近くなるとあちらこちらに飲食店が姿を現した。

 なにを食べようか。

 そう考えたが、別に食道楽というわけではなかった。

 なにか腹が満たせれば、それでいい。そのぐらいにしか考えていなかった。


 チェーン店の居酒屋がやっているランチでもいいか。

 そう思いはじめていたところで、どこかから香ばしい良い匂いが漂ってきて、鼻腔をくすぐった。


 その方向に目をやると黄色い看板で「カレー」の文字が書かれていた。

 たまにはカレーもいいか。そう思い、匂いに誘われるがまま、その店に入った。


 店内は、人と人がすれ違うのがやっとの広さだった。

 席はカウンター席のみ。

 カレーはインド式のものではなく、ジャガイモやニンジンがゴロゴロと入った欧風のものだった。


 辛さの選択ができるということだったが、あまり辛いものは得意ではない私は、普通の辛さと表示されていた中辛を注文した。


 客はほとんどが男性だった。

 どの男性もスーツ姿であることから近くにある会社に勤めているのだろうということが、想像できた。

 こういったことをすぐに考えてしまうのも、刑事の悪い癖なのかもしれない。


 カレーはすぐに出て来た。

 中辛を頼んで正解だった。辛すぎず、甘すぎない。私にとってちょうどいい辛さだった。

 カレーはあっという間に無くなってしまった。これなら大盛りで頼んでも食べきれたかもしれない。


 食事を終えると、支払いを済ませて、店を出た。

 カレーで体内が活性化したのか、額から汗が噴き出してきた。



※ ※ ※ ※



 新宿中央署の刑事課の部屋に戻ると、部下である高橋佐智子が待っていた。


「どうでした、織田係長」

 その高橋の言葉に私は首を横に振る。


 それだけで意味は伝わったらしく、高橋の表情は曇っていった。


 新宿中央公園のベンチでひとりの男が刺殺された状態で発見されたのは、昨日の早朝のことだった。

 被害者はスーツ姿のサラリーマン風の男で、年齢は30代半ばから40代前半に思えた。

 財布やスマートフォンは身に着けておらず、ポケットの口が破れていることから、強盗殺人事件の可能性が高いと考えられていた。


 刺された場所は腹であり、犯行に使われたと思われる刃渡りの大きなナイフは宿に捨てられていたのが発見された。

 そのナイフには指紋が残されていなかったが、被害者の着ていたシャツの胸元に血で汚れた指紋がいくつか残されていた。


 今回は本庁の鑑識課に協力してもらい、過去の犯罪者データベースに該当する指紋が無いか調べてもらったのだが、ヒットするものは一つもなかったとの回答だった。


「さて、午後も仕事をするぞ。高橋は富永と一緒に被害者の身元を引き続き洗ってくれ」

 デスクの上に積まれた書類に目を落とし、そう高橋に私は声をかけた。

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