F.

 ジジの顔はとても蒼白としていて、自分の話していることが信じられなといった表情だった。悪い夢の中にいることを願っているような、見ているだけで胸が苦しくなる顔。

 この結論に至るまでに、途方もない数の計算やテストを繰り返して来たのだろう。


私たちのような人間は、返ってきたデータが全てだ。それを信じなければ、前に進むことはできない。どれだけ不本意なデータだったとしても。


「太陽の活動が活発になった『アマツミカボシ』は知ってるわね?」

「ええ。太陽に落ちたっていう巨大な隕石でしょう? 真相は不明って話だけど」

「本来なら隕石が落ちたところで、太陽の活動には何の影響も与えない。たとえ地球規模の隕石が落ちたとしても。太陽は地球の三十三万倍もの大きさで、そんなものは蟻が人間に向かって体当たりをするのと同じだから。だけど、太陽が活発化する直前に大型の隕石が太陽に落ちたことは確認されている。どこから来たのかもわからない正体不明の物体がね。それ以降、太陽はコロニーの全電力を賄えるほどのエネルギーを放出し続けている。これを見て――」

 

ジジは携帯端末のスクリーンに太陽の映像を映し出した。

真っ赤な太陽が、時折墨を垂らしたように黒く滲む。黒い斑点は次第に増えていき、大きく広がっていく。


「黒点?」

 

私が尋ねるとジジは頷いた。


「ええ。黒点の周りが明るく光るでしょう? これが太陽フレア。これが『アマツミカボシ』が落ちる前の太陽の映像。こっちが、それ以降の映像――」

 

二つの映像には、目で見て分かる明確な違いがあった。


「次はここ最近の太陽と、現在の太陽の映像」

 

黒点の数も大きさも桁違いに増えている。


「最後に、これがシミュレーション出した今後の太陽の映像よ」

 

私は目を疑った。

太陽の至る所で巨大な黒い穴が開き、その周りを眩し過ぎるほどの閃光が広がっている。それは沸騰したお湯のようにボコボコと沸き続けている。まるで赤い水の中から黒い穴が無限に空き続けるみたいに。


「今後、太陽の活発化は絶頂期を迎える。日に数十度のスーパーフレアが地球に降り注ぐ。コロニー市民はおろか、地球上の生物でさえ生き延びることができない灼熱に覆われる。『終末の火インフェルノ・フォール』が起きる」

「『終末の火インフェルノ・フォール』? それがジジの出した結論なの? 人類に逃れるすべはないってこと?」

 

 ジジはそれ以上何も言わずに頷いた。その両目には大粒の涙がたまっていた。

 私はジジの言葉を信じた。私の最も信頼する研究者が――私のただ一人の学友が、私が唯一敵わないと思わされた天才が、絶望に暮れてまで導き出した答えだ。信じられないはずがない。

 

 私はカフェの店内を見回した。

 大学生の頃、私たちは毎日のようにこのカフェに通って勉強した。ここには私たちの学生時代の全てが詰まっていた。思い出の場所。私の幸せの一部。

 店内にいる人たちも、みんな幸せそうだった。これから先もずっと幸せでいて欲しいと願ってしまうほどに。


 私は立ち上がってジジを抱きしめ、そして店内と思い出を後にした。

 私には、私のやるべきことがある。

 人類と未来のために。


 ☆


『新国際連合』――『New Order Nation』が全コロニー市民に向けた演説によって、コロニー市民は自分たちの終わりを知った。

 

 活発化した太陽は、数週間の間に絶頂期を迎える。

 その後は、日に数十回のスーパーフレア『終末の火インフェルノ・フォール』が降り注ぎ、コロニーは破壊され尽くし、地球は灼熱に包まれる。簡単に説明すると、今後地球は電子レンジに入れられて沸騰させられるようなものだ。人類に逃げ場はなく、絶滅を逃れるすべはない。


 それどころか地球上の全ての生物が息絶えるだろう。動植物はもちろん、空を飛ぶ鳥も、海を泳ぐ魚も、土の中の虫たちでさえ、この炎の地獄を逃れることはできないだろう。私たち人類は、当然どうすることもできない。


 それでも私は、地球に降りて環境保護観察官として仕事を――使命を全うしようとしていた。私のサブジェクトの全てを賭けて、未来に何かを繋ぎたいと思ったから。


「ありったけのナノマシンを走らせて。海の中、地中の奥深く、とにかく少しでもナノマシンが生き延びて活動できそうなところに撒いて。休眠状態のナノマシンの稼働時期には幅をつくる。数十年後から百年先まで、地球が落ち着いた頃に活動できるようにプログラムし直すこと。自己分解の機能は削っていい」

 一つ指示を出したら次の指示を出す。全てが時間との勝負だった。

「環境保護省の『世界種子貯蔵庫スヴァールバル2』は、全ブロックを方舟はこぶねに積み込み次第、外宇宙に向けて発射して。うまくいけばスーパーフレアの波に呑み込まれる前に、危険宙域を離れられるかもしれない。いくつかの方舟はスイングバイ軌道に乗せて、いずれ太陽系に戻ってこられるように軌道計算をすること。NASAに協力を取りつけているから、軌道計算は彼らに任せて」

 

 私は今更ながら、人類を乗せて外宇宙へ出られる宇宙船の建造を提案しなかったことを悔やんだ。『月面撤退アルテミス・フォール』以降、人類は外宇宙への興味や関心を完全になくしてしまっていた。人類の存続と地球の再生を優先しすぎた結果、その他の脅威への備えが疎かになっていた。


 人類は近視眼的になっていた。いや、盲目になっていたんだ。

 研究者が最も恐れるべき事態に陥っていることに、私たちは最後まで気がつけなかった。


「今思い返せば『アマツミカボシ』が、最後のターニングポイントだったのね? あの時、人類は外宇宙からの脅威に気がつくべきだった。『カグツチ』による発電を成功させてしまったことが、事態をさらに悪くしてしまった。人類は与えられたものだけで生きていけると勘違いしてしまった。自分たちで道を切り開くことをやめてしまった。その瞬間、人類は種の可能性を閉ざした」

 

 私は眩しすぎる太陽を見つめた。

 太陽にかかった軌道エレベーターの先に浮かぶリング状の建造物――『オービタルリング・コロニー』は、パニック状態に陥っている。NUNは事態を収拾できずにいる。人々は集まり、叫び、暴動を起こし、責任の所在を追及していた。今この瞬間も。そして大勢がコロニーから脱出しようとしていた。だけど、逃げ場はどこにもない。


 宇宙開発時代の宇宙船で月を目指した一団が現れたけれど、百年以上も放置された月面の施設が今も正常に稼働するとは思えない。開発途中のコールドスリープ装置を宇宙船に積み込み、冬眠状態で外宇宙に向けて出発したという事件も起きた。自殺行為としか思えなかったけれど、何もしないよりはマシだろう。いつか宇宙人に見つかる可能性だって捨てきれない。


 残り二機の軌道エレベーターを再稼働させてコロニー市民を地球に下ろす計画も立てられたけれど、間に合うことはないだろう。それに地球に降りたところでどうしようもない。


 私は六十度を超える地球の気温に、今にも倒れそうになっていた。これから地球の気温はどんどん上昇していく。とても生物が耐えられるような環境ではない。

 トゥアレグ族はこの地を捨てて北を目指した。その他大勢の部族も同じように北を目指した。彼らが無事に生き延びることを心から願った。彼らには改良したナノマシンを託してある。うまくいく保証はないけれど、打てる手は全て打っておくしかない。


「アシリさん、怖くないんですか?」

 

 私が次の手を考えていると、マキノがそう尋ねた。

 彼女の表情は不安と絶望にまみれていた。あたりまえだ。これから人類は絶滅するのだ。怖くないわけがない。


「当然、怖いわよ。正直、悔しくて叫び散らしたいくらい」

「悔しい? 何が悔しいんですか? この状況でも、まだ何かできると思ってるんですか? どうして、そんなに前を向けるんですか?」

 

 マキノは、本当に意味が分からないと叫ぶように言った。私はマキノを見つめて微笑んだ。インスタントコーヒーを二つつくって、私たちはつかの間の休憩を取ることにした。


「この不味いコーヒーともお別れかあ。今まで何千杯飲んできたんだろう?」

 

 私はしみじみといった。不味いけれど嫌いではなかった。むしろ、この不味いコーヒーが好きだった。これから先も何千杯と飲み続けたかった。

 マキノは黙ったままコーヒーを飲んでいる。

 

 私は静かに話しはじめた。私自身の話を。

 はじめて話す、私の挫折と絶望の話を。


「マキノは、どうして私がそんなに前を向けるのかって尋ねたけれど、それは私の原点が挫折と絶望だからよ。私は最初からたどり着けないところにいるの」

「アシリさんの原点が挫折と絶望? そんなことがあるんですか?」

「私はね、本当は宇宙物理学を専攻して外宇宙に行きたかったの。人類の誰よりも先に進みたかった。だけど、私が生まれた時代は最悪だった。人類は月面開発を失敗し、その後の『大災厄ドゥーム・フォール』で種の生存の危機に陥った。人類は傷つき、疲れ果てていた。誰もが外宇宙に手を伸ばすことを諦めていた。私は、そのことに絶望した。私が生きている間に、人類が再び外宇宙を目指すことはないと確信してしまったから。私は途方に暮れたわ。どうあがいても、たどり着きたい場所にたどり着けないから。その時点で、私の人生は一度終わっているの。だから残りの人生は――未来の人類のために使うことにした」

「未来の人類のため?」

「私の生きている時代に、人類が外宇宙を目指すことはない。だけど、いずれ人類はもう一度立ち上がる。そして外宇宙を目指す日が来る。それは人類が存続し、繁栄し続けるためには必要なことなの。絶対にね。だから、必ず船は再び海に向かって走り出す。その時のために、私は地球を再生しておくことにした。だって船に必要なものは、いつだって港でしょ? 還るべき港があるからこそ、船は安心して航海に出ることができる。どれだけ無謀な航海だったとしても、還るべき港を思って船は前に進むのよ」

「そんな理由で? そんな来るかも分からない未来の人類のために、環境省に入って今日まで必死に働いてきたんですか?」

「そうだよ。環境省は私の目的にうってつけの省だった。還るべき星を再生させるための省。まるで私のために設立されたみたいじゃない?」

 

 マキノは大粒の涙を流しながら笑った。

 それはマキノの心からの笑顔だった。皮肉でも、嫌味でも、呆れてもいない純粋な笑みだった。とても素敵な笑みだ。


「アシリさんは、本当にすごい人です。すごすぎてついていけませんよ」

「そんなことないわ。私について来られたのは、マキノだけ。今だってこうして私のそばにいる」

 

 私はそう言って、最愛の助手を見つめた。そして強く抱きしめた。

 人生の終わりに、マキノがいてくれてよかった。人生の終わりに、こうして私自身の話をできる相手がいてよかった。それがこんなにも嬉しいものだとは思っていなかった。

 

 マキノと出会えたことが、私の人生で最大の幸福だった。

 そして人類の幸福だった。


「私、アシリさんの期待に応えられませんでした。人類にパラダイムシフトをもたらすサブジェクトを達成するって信じてくれたのに」

「大丈夫」

 

 私は自信を持ってそう言い切った。


「きっと私たちの最後の仕事が、人類にパラダイムシフトをもたらすわ。私たちの最初で最後の共同研究がね。これが成功すれば、人類は新しいステージに進めるかもしれない」


 私は『オリシャ』を見つめた。種となった最後の希望を。人類の最後の瞬間に『オリシャ』と出会えたことには、きっと意味があるはずだと信じたかった。

 

 彼らには、私のDNAを組み込んである。その他、大勢の人類のDNAを。それがどういう結果になるのかを、私が知ることはない。このサブジェクトの成功を見届けることはできない。それでも私は、人類が新しい形を得る可能性に賭けた。

 

 最後に、私たちは種を撒く。

 人類という種を。

 私は『オリシャ』に語り掛けた。


「人類をお願いね。どうか未来を繋いでね」


『オリシャ』たちは応えてくれた。


「がんばる」「いっぱい成長する」「いつかまた会える?」

 

 私は応えた。


「ええ。必ず。いつかまた会いましょう」

 

 そして、人類は『終末の火インフェルノ・フォール』に包まれた。

 

 ☆

 

 ワタシがワタシに気がついた時、

 ワタシはワタシがどこにいるのかを知っていた。

 そして大勢のワタシがすでに目覚めていることも知っていた。

 ワタシたちはつながっていた。

 ワタシたちは、

 ようやく芽を出した。

 長い年月をかけて。

 ワタシはここがアフリカだと知っている。

 大勢の歌が聞こえる。

 とても懐かしい歌が。

 緑豊かなこの地に、

 ワタシたちの歌が広がっていく。

 また会えたことを祝福するみたいに。

 


 アフリカに恵みの雨が降りますように

 アフリカに恵みの雨が降りますように

 誰も成し遂げていない事をするには、時間が掛かるんだ



 了

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アフリカ 七瀬夏扉@ななせなつひ @nowar

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