sing a song 武蔵野 🦜

上月くるを

sing a song 武蔵野 🦜





 あのころ、長女は東京の大学へ進んで武蔵野住まい、さびしいわが家では、仕事で遅くなりがちなヨウコを高校生の次女と黒い中型雑種犬がいつもいつも待っていた。


 きわめて食欲旺盛な犬(笑)と逆に食が細い次女は、相変わらず食べ物には興味を示さなかったが、文学と音楽が大好き、ピアノとギターとドラムスを好んで弾いた。


 夕方の時間帯に再放送があったのだろう、自ら用意してくれた手料理を囲みながら人気ドラマ『高校教師』の一話分の全登場人物の全台詞を淀みなく諳んじてみせた。


 好きなものは一回で覚えるのがこの子の特技で、「先生、わたしが守ってあげる」弱っちいダメンズ教師・真田広之さんに囁く桜井幸子さんにそっくりで……。(笑)


 主題歌『ぼくたちの失敗』も好きで「ぼくがひとりになった部屋に/きみの好きな/チャーリー・パーカー見つけたヨ……」小首を傾げる犬によく歌って聴かせていた。


 それから急速に森田童子さんに惹かれたようだが、「玉川上水沿いに歩くと/君の小さな……」に不穏な歌詞がつづく『まぶしい夏』をヨウコは歓迎しなかった。💦




      📀



 

 忌野清志郎さんの『多摩蘭坂』の現場に立ったのは、長女につづいて東京の大学へ進んだ次女が、国立と国分寺の境の屋敷林に囲まれたアパートに入ったときだった。


 特徴ある裏声で「多摩蘭坂を登りきる/手前の坂の/途中の家を……」と歌うロックスターに、そのころは Mr.Children のファンになっていた娘は関心を示さなかった。

 

 河越城・千代田城(江戸城)を築いた太田道灌が後土御門ごつちみかど天皇に捧げた「露置かぬ方もありけり夕立の空よりひろきむさし野の原」の青空が母と子の頭上にあった。


 さらに歳月が進んで、仕事で二度目の多摩蘭坂を訪れたとき、清志郎さんはすでに異界の住人、娘たちは武蔵野にそれぞれの家庭を持ち、犬は犬の神に召されていた。




      🏙️




 あらためて振り返ってみれば、人並みに有為転変を乗り越えて来た、まるで湘南のサーファーみたいに大波小波をかいくぐり、ときに大岩のような荒波と闘って……。


 いろいろな出来事が過ぎ去ったいまなお、武蔵野と聞いただけで、ヨウコの耳には甘く切なくうれしいような酸っぱいような、つまりはアオハルのメロディが流れる。


 アオハルと言ってもむろん自身のではない、ふたりの娘たちとその周囲の人たち、伝説となって久しいミュージシャン、さらに言えば、日本がたどった半世紀の……。




      🏡




 初秋のある朝、行きつけのカフェで数年前発行のムックを開いたら「蛇窪のバス停が浅間町せんげんちょうに変わっていた」という記述がいきなり目に飛びこんで来て呆然とした。


 ヨウコが中学のころまで故郷は浅間町あさままちだったし、いまは市になった生家と同緯度の現住所の近くには蛇澤という地名が残されており……なにか原始的な由縁を感じる。


 まずは安全な中部高地に落ち着いてから徐々に東上を進めたという縄文人の故郷に当たる生家と現住所、さらに武蔵野の地脈へと奔る水音が聴こえるような気がした。




 

  ※参考文献 

  赤坂憲雄「はじまりの武蔵野学 2 浅間山」(『武蔵野樹林 VOL.2』)




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