1-11.夜空の下の帰り道

◇◇◇

 目を開けると、真っ先に月が視界に入った。一拍遅れて、こっくりとした濃紺に星々が浮かぶ、綺麗な夜空が視覚情報に流れ込んでくる。

「……あれ?」

 月の位置と、空の色がおかしい。さっきまで日が暮れたばかりだったはずで、僕はほんの少しだけ、目を閉じて休んでいたはずで。


「あ、暁人が目ぇ覚ましたわ」

 隣から、声が降ってくる。そろりと見れば、スマホを耳に当てた涼が片膝を立てた状態で地面に座り、「おそよーさん」と片眉を上げているところだった。

「……やべ……っ、寝てた!?」

 少しだけ休むつもりが、がっつり居眠りしていたらしい。まだ微かに痛む頭を抑えて起き上がると、「出れるか」と涼の静かな声と共にスマホが差し出された。


 時刻は20時。涼の通話相手は、僕らの上司だった。

『アキハル、お疲れさん。涼から報告は全部受けたよ、万事解決感謝する。今回は歴史の長い怪異だったからな、平和に解決して何よりだ』

 古い伝承の怪異は、祓ったり滅したりしても、再び裏世界に生まれてくる。その伝承を知る人間が、多く生きている限り。

 そしてその魂は、稀に滅される前の記憶を引き継いで復活することが最近分かった。つまり、人間に対する『負』の感情をある程度募らせた状態でまた出てくるわけで――術師と怪異のいたちごっこであることが判明し。

 そこで今試験的に運用されているのが、僕らのように「怪異の恨みを買わずに怪異を浄化させる存在」というわけだ。


「……いえすみません、それより僕のミスで公園の地面にだいぶ被害が」

 冷や汗をかき、僕はしんと冷えた公園を見回す。僕の意識が途切れたせいで結界の霧はもう晴れていたけれど、だからこそ分かるこの壊滅度。


『あっはっは、気にするな気にするな! よくあることだよ』

「いやこれ、よくあることじゃないっすよね?」

 豪快に笑い飛ばされたけれど、決して笑い事ではない。

「あの、今回のはほんと僕のミスなんで、修理費用は僕にだけツケといてくださ……いたたたた」

「こんの、勘違いお人好しバカが」

 僕の耳をつねりながら、涼が鋭い目で僕を見下ろす。


「あのな、勘違いすんな。高い場所があれば優位に位置取りできるし、そもそも五トンの像なんて、普通は乗り移れない。あいつの執念がやばすぎた」

「いや、でも」

「次反論したらぶっ飛ばすからな」

『こら、喧嘩しない。そもそも修理費用は要らないよ、今回の活躍っぷりでチャラだ。これからすぐに修理術師を派遣する』

 耳から離れたスマホから、美鈴さんの穏やかな声が聞こえてくる。それを聞いて、涼がぴくりと眉を吊り上げた。


「いつもならここで嫌味やら引き換え要求の一つや二つ飛んでくるのに、やけに大人しいな。おい、何か隠してないか」

『……いやー全く素晴らしい! すごい勘だ』

 飄々とした台詞だけれど、ひどい棒読みだ。

「み、美鈴さん……?」


『実はだね、私としたことが屋敷への帰り道の術をかけた鏡を設置するのを忘れてな。私が遠征に行く時、帰りはのんびり公共交通機関なもんだから』

「……てことはなんだ、俺らは帰れねえってことか?」

 涼の冷えた声にも関わらず、明るい美鈴さんの声が続けて言う。

『いや帰れるさ。そこ、夜行バスの停留所が近くの国道沿いにあるんだ。あと1時間ちょっとで来るだろうから、それで帰ってこい。チケットは送ってやる』

「……は!? おい!?」

 無情に聞こえる、会話終了を知らせる音。

 僕は無言で天を仰ぎ、涼は無言で頭を抱える。そして固まること、数分後。


「……なあ暁人、夜行バスって何時間だ?」

「あと1時間で乗ったとして、東京に着くのは朝の6時半とかだね」

 僕らの屋敷には厳重な結界が張られていて、所有者の美鈴さんが決めた『出入り口』となる鏡の中からしか出入りできない。

 つまり、直接長い旅路で東京に戻って、いつもの鏡を使うしかないというわけで。因みに、術で飛ぼうにもその長い旅路中で持つ体力が、今の僕らにはない。

「……あんの、クソ上司! 先に言え!」

 涼の吠え声が、空気を割った。


――そうして2人で嘆いた十分後。僕らは国道目がけて夜の人気の少ない道を、月明かりと街灯を頼りに歩いていた。

「なぁ、腹減らね?」

「空いたね。近くにマクダーズあるみたいだけど、寄る?」

「寄る。フライドポテトとナゲットとチーズバーガーが食いたい。あとコーラ」

「聞くだけで更にお腹減ってきた……」

 頭上には星空、家は遥か遠く。僕らはたった2人で道をゆく。

 だけど不思議と、心細くない。


「あのさ」

「なんだ」

「今日の涼、比較的怪異に親切だったね」

「あ? 俺はいつも親切だろ」

 それはどうだろう、と僕は頬をかく。

 涼は基本、興味のないことにはとことん興味を示さない。態度が淡白になりがちなのだ。

「いや、親切というか何というか、ちゃんと怪異のこと知ってたし。資料読んでないって言ってたのに」

「……お前にこの前、怒られたからな。任務の時くらい、相手に向き合えやら何やら」

 口をへの字に曲げ、涼が憮然と答える。


「え? そんなん言ったっけ」

「すんごい剣幕で怒ってたぞ、それはもう」

「……人違いじゃない?」

 昔から、感情を押し殺すのには慣れていて。相手が涼とは言えど、ガチギレした記憶は絶対にない。


「いんや合ってる。寝言だったのにはっきり何言ってっか分かったし間違いない」

「寝言かよ!」

 そりゃ記憶にないはずだ。ていうか寝言って。気をつけよう。


「……ちょっくら同情しただけだ」

「寝言ってどう気をつけるんだろう」と頭を捻る僕の隣で、涼がぼそりと呟いた。


「……同情?」

「あの狸、自分達の存在を主張するために暴れてたろ。すっげー分かる、って思った。――俺が嫌いなのも、存在を無かったことにされることだから」


――『透明人間扱いされんのには、もううんざりだ』。

 かつて涼は、そう言った。その台詞が頭に蘇る。

 

 涼は、名門術師の出自ながら、1人だけ『七十二候』の力を待って生まれた。

 一族の力は使えず、代わりに妙な力を持った子供。『普通』じゃない異端児。そう言われていたそうだ。

 僕も敢えて深くは突っ込んだことはないけれど。涼の口ぶりからは時々、幼少期の闇が窺える時がある。


「だから尚更、今回のお前は許せねえ」

 唐突に横から胸ぐらを掴まれ、僕は目を瞬かせて立ち止まった。

「その捨て鉢気味な態度、いい加減どうにかしろよ。お前、前言ったよな? 俺に協力してくれるって」

「……ああ、言ったね」

 まだ、高校生だった時。僕の止まり木がなかった時。

 その時、涼の『目標』を、僕は聞いた。


『俺さ、俺を馬鹿にしてた奴ら全員見返してやりたいんだわ』

――任務こなして成果上げて、そんであいつら追い越してやる。だからさ、お前も手伝ってくんない?


「お前がぶっ倒れて任務失敗したら、目標達成できないだろが」

「……悪かったよ。もっとがんば」

 る、と続けようとした矢先に舌打ちをされ、僕の言葉が喉に詰まる。

「……え、いま何で舌打ちした?」

「別に」

 僕の問いに顔を顰め、涼が僕の襟から手を離す。


「お前、これから雷使うの禁止な」

「……は!? なんで」

「やるならもうちょいコントロールできるようになってからやれ。不確実な状態下でやるな」

 返す言葉もなかった。黙り込んで歩く僕に、「ま」と涼がため息をついて肩をすくめた。


「今回、お前に助けられたのは事実だしな。借り作りっぱなしなのも気持ち悪いし、なんか要求有れば言え」

「……要求、」

 僕はぽかんと繰り返し、涼の言葉を反芻する。そしてしばし宙を見上げて少し考えた。

「いや、別に何も要らないや」

「あ?」

 呆れ顔で横を歩く涼の隣で、僕はぼんやりと月を見上げた。ぽっかり空に一つだけ浮かぶ、他の星とは違う星。


「無欲なフリすんなよ、なんかあんだろ」

「フリじゃないよ」

 憮然とした涼の言葉に、僕は苦笑しつつそう答える。


――フリじゃないよ、本当に無いんだ。

 だって僕は、もうとっくに欲しいものを手に入れている。


 狂おしいほど『普通』になりたかった過去の僕は、もう遥か彼方遠く。


『――俺とお前で、「普通じゃない奴」が計2人。これほど心強い事って、他にあるか?』

 2人でやってやろうぜ、と不敵な笑みを浮かべた涼のあの言葉に、僕はとっくに救われている。


 涼は僕を買い被りすぎだ、僕はお人好しなんかじゃない。

 この居場所を、止まり木を、手放したく無くなってしまったから。だから、頑張っているだけで。

 だから、僕は此処に居られるだけで十分で。

 本当に、十分なんだ。

 だから僕は、とても嬉しい。


「……仕方ねえな。帰ったら俺の分のケーキ、1個だけ分けてやるから感謝しろ」

「……要らないし、そんな生きるか死ぬかの決断みたいな顔しなくても」


 全国各地、何処にでも。

 そこに怪異が――伝承が、人の「想像力」が在る限り。

 僕らの居場所は、無くならないのだから。

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