1-10.我かと行きて、いざとぶらはむ

 途端に辺りに光が満ち、とりわけ強い光の柱が轟音と共に銅像を覆った。

 春に鳴る雷――春雷。僕はそれを、呼び出すことができる。動物系の術が中心の僕の術の中でも珍しい、攻撃系にも転じられる術だ。

 ……が。幾つかまだ問題点がある。


「おい、アキハル! しっかりしろ!」

 術を放って一瞬飛んでいた意識が、揺さぶられる感覚で水底から浮上する。

「……あ、ごめ」

「いいから早く、雷止めろ」

 鋭い声でピシャリと言われ、僕は「ごめん」と繰り返しながら、手を雷光の柱の方に向けた。


「候ノ四十六、『雷乃収声かみなりすなわちこえをおさむ』」

 唱えた途端、雷光と轟がふっと消え去り、同時に僕の足から力が抜ける。視界の隅に、銅像の足元の池でボチャンという水飛沫が上がるのを見て――僕はそれを指差し、体力を振り絞って涼を振り仰いだ。


「トーカ、お願……」

「お前の頼みはもう聞かん」

 何でだよ、まだ何も言ってないんだけど。

「……仕方ない」

 まだギリギリ身体は動く。ため息をつきながら立ち上がろうとすると、舌打ちと共に涼がずかずかと池の中に足を突っ込み、即座に黒い塊の首根っこを掴んで帰ってきた。

「おら怯えんな、迷惑してんのはこっちなんだわ」

 涼に抱えられ、小刻みに震える黒い塊の正体は――1匹の、立派な袴を着た狸の怪異だった。黒い靄が消えて、頭身は一メートル位に縮んでいる。


「トーカ、それもうカツアゲだよ……君、大丈夫?」

「ひいいっっ!」

 狸が身を丸めて縮こまる。なんだか涼に対するよりも怯えられているような。

「そりゃ、雷あんだけ食らえばビビるだろーよ」

 涼の声を聞きながら、僕は「ごめん」と苦笑した。

 僕の技、『雷乃発声かみなりすなわちこえをはっす』には幾つか問題点がある。

 一つ目は、放った後にその衝撃で僕の意識が一瞬飛ぶこと。

 二つ目は、対になる『雷乃収声かみなりすなわちこえをおさむ』の術を詠唱しないと、雷が止まないこと。

 三つ目は、体力の消耗が激しいこと。


「……っ、まだ、まだ足りひんのや。儂は、儂は、まだここでやられる訳には……っ!」

「俺たちゃ何もしねえ」もがく狸に向けて、涼が呆れ声で口を開く。「やるならとっくにやってんだよ」


「は……」狸の動きがハタと止まる。「わ、儂を滅しに来たわけちゃうんか」

「違うよ、『淀』を取り除きに来ただけ。気分はどう? まだ苦しい?」

「……」

 狸の、つぶらな瞳が僕を見る。

「そういや、体がえろう楽に」パチパチと瞬きを繰り返し、恐々と狸が口を開く。

「あ、あんさんら、退治屋やないんか」

「だから違うっつうの。俺たちは超変わり者のソロ陰陽師お抱えの特殊術師ってとこだ。他の術者と違って、滅しはしないし『淀』だけを取り除ける。さっきお前が黒い靄から引き離してもらえたのも、こいつの雷のお陰な」

 超変わり者って。美鈴さん、聞いたら怒るだろうな……。


「……そんな術師が居るなんて、聞いたことあらへん」

「そりゃ、本格的に活動始めたのは最近だからな。修行も大学受験もあったし」

「だ、だい……じゅ?」

「はい、2人ともそこまで」

 僕はため息を吐きつつ、2人のやり取りを止める。話が一向に進まない。


「君、名前は?」

「……『藤の樹寺の大鷹』」

 躊躇いがちに聞こえてきた声に僕が「ああ、大将の旗本の」と返すと、狸は目を見開いた。

「し、知っとるんか」

「そりゃ、もちろん」さっき資料で読んだ名だ。徳島を拠点に置く狸の総大将が、最も信頼を置いていた家臣の名。


「君はどうして、此処に来たの?」

 僕の問いかけに、狸の怪異は呆然としたようにしばし沈黙し――ポツリと、言葉を口にした。

「……忘れられとう、なかったからや。儂はまだ、皆とお別れしとうない」

「それはあれか? お前の大将を祀った神社に、取り壊しの可能性が出てるからか」

「え」

 僕と狸は揃って目を見開き、涼を揃って見上げる。注目を一身に浴びた涼は、「何だよ」と少したじろいだ。


 まさか、涼が知っていたとは。資料も読んでいないのに。


「……そうや。このままやと、神社がのうなってしまう。我らの存在を示す物がのうなる度、我らの魂の寿命は短こうなって、そのうちのうなってしまう。折角、またあの世で会えたんに……」

――怪異の存在の源は、人間の想像力。

 つまり、知る者が少なくなれば、思い出してくれる者が少なくなれば。彼らの存在は、刻一刻と薄くなり、その内消えてしまう。

 だから、彼は現世に現れ辺りを彷徨いた。この、狸の言い伝えがそこかしこに散らばる公園に、自分達の存在を示すように。


「大将はほんにできたお方や。『時代の流れや、仕方ない』言うとったけど……儂は、儂は」

「……ずっと、一緒に居たいんだね」

 僕が狸の頭に手を置くと、狸は頷いた。袴を着た立派な狸が、まるで子供のように。


「神社の件は、僕らの一存じゃどうにもできないけど……僕らが、君たちの存在を保つ力になるよ。君たちの話を、必ず多くの人間に伝えていこう」

「……そんなん、できるんか」

「俺たちに二言はねえ。つべこべ言わんで信用しろ」

「いたたたた、分かりやした! 分かりやした!」

 涼から頭を両側からぐりぐりとやられ、狸が悲鳴を上げる。


「儂を救ってくれたお方々や、信用します。……ほんまに、おおきに」

「解りゃいいんだ、解りゃ」

「トーカはほんと言い方がなぁ」

 深々と頭を下げる狸を前に、僕は苦笑しながら懐から鏡を出す。この前、猫の怪異を送った時と同じ鏡だ。


「んじゃ、騒ぎが起きないうちにこっそり帰ろうか。ここからお帰り」

「い、いいんですか」

「もちろん。帰り道は、分かるよね?」

「分かります、分かります」

 こくこくと頷き、狸はこちらを振り仰ぐ。


「……ほんまに、ほんまに、ありがとうございました!」

「うん、またね」「おー、早く行け行け」

 ぴょこりと頭を下げ、狸が銀の板へと消えて行くのを見届けて――僕はその場に倒れ込んだ。


「……疲れた」

「そりゃそうだろうよ、この馬鹿が」

「いてててててマジやめてそれ」

 上から涼に片頬をつねられ、僕は呻く。その途端、意外にもすぐに涼は手を離した。


「……言いたいことは山々だけどな」

――とりあえず、お疲れさん。


 涼から労いの言葉が出て、僕は目を見開く。

「ええ……涼から労われるとか怖いんだけど」

「いいから早く回復しろ、歩けねえんだろ」

「……はは、情けないことに」

 疲労が完全に体に回っていて、今すぐ歩くのは結構厳しそうだ。僕は目を閉じ、息を整える。


「――なあ、涼」

「なんだ」

「あの、大鷹って狸さぁ……また会えて、良かったな」

 何に会えて、何が良かったのか。僕はそれを明言しなかったけれど。


「……まぁな。一度主君とこの世で別れちまったんだ、離れ難くもなくなるわな」

 ちゃんと、内容が分かってないと言えない答えが返ってくる。

――なんだ、興味ないフリしてたのに。やっぱりちゃんと知ってたんじゃないか。


『藤の樹寺の大鷹』。狸の総大将が最も信頼を置いていた家臣は――敵の諜略から総大将を守るために、と伝承に記されている。


 だけど、彼らはまた裏世界で出会えた。それは、『伝承』がまだそこに在るからだ。『古い』伝承には、それだけの力がある。

 何度滅されても、そこに伝承が、人の想像力がある限り。彼らは魂に前の記憶を保ったまま、また何度でも裏世界で蘇る。

 人の、想像力によって。


「……伝承がなくならない限り、彼らは一緒に居られるんだ。頑張らないと」

「あのな。頑張る前にさっさと回復しろ」

 涼の呆れ声をBGMに、僕は薄く笑ったのだった。

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