第3話

西暦2526年

40秒から2秒短縮 ①



 タイムトラベルには、幾つかの規制・規則がある。


 マシンを誰かと共有したり貸してはならない。

 滞在時間は24時間であること。

 跳んだ日の前後三日間は同じ時代、同じ場所に行くことは出来ない。

 同じ日の同じ場所には二度と跳べない。

 渡った先でタイムトラベラー未来人であることを口にしてはならない。

 などといった主要となるものから果ては飲食の可不可、時代毎・国毎に異なる服装、礼儀作法、正しい排泄の仕方――と細かく多岐に渡って規制・規則は続く。



「なあ新人くん。人工羊膜の中にある自分の姿を見て興奮する性癖なら兎も角、くれぐれも過去の自分に会いに行こうなんて露ほども思ったりするんじゃないぞ。試しにちょっと遠くから見るだけ、なんてのも駄目だからな」



 まさに小春日和インディアン・サマーの呼び名に相応しい日だった。

 この日をもって研修を終えた僕は、明日から単独でタイムトラベルをする。僕は真新しいマシンを片手に、僅かな研修期間を共に過ごしたエルダーでありbuddy相棒と簡単な別れの挨拶をする為に、研究所の整備された小さな中庭に寄っただけの筈だった。


「自分の姿を遠くから見る、ですか? 試しに? 何を試すんですか? その理由や意味は?」


 その人の言った言葉の意味が、全く分からなかった。不意を突かれた所為なのかは分からないが、僕の口を吐いて出たのは予め用意していた別れの挨拶の定型文などではなく、純粋で率直な疑問が、気づけば音となって自身の脳を揺さぶっていた。

 互いに何となくオークの木陰まで並んで歩くと、どちらからともなく並んで腰を下ろす。僕の隣りでその人は、葉が真っ赤に色付いた木を見上げながらそのまま芝生の上へ仰向けに寝転んだ。僅かとはいえ共に過ごしたこれまでの間に、見たこともないその人の柔らかな表情につられるようにして頭上に目を向ければ、そこには重なり合う濃淡を描く赤い葉の隙間から青い空が、ちらと覗いていた。

 不意に目に飛び込んで来た自然が創り出すその見事な色彩に、その不思議に、暫しの間見惚れていた時に続けて掛けられたその人の言葉を、僕は未だに忘れられないでいる。


「ねえ、ひとつ予言しようか? 

 キミはある日、突然に、世界は美しいことを思い出すことになる。

 思い出すなんて、言い方が変だって?

 でもね、そう……んだよ。

 私たちの遺伝子が記憶する、この悠久の時を経ても変わりない世界の美しさを。

 キミが度々、目の前に突き付けられる光景によって。

 だが実に残酷だよ。

 その時になって初めて、が遠くなってしまったことに気づくんだからね」


 言ってその人は、ひとつ深呼吸をした後、両目蓋を閉じた。

 言葉の意味は、相変わらずさっぱり分からなかった。それでも問い返す気にならなかったのは、黙って聴いていたいと思うほどに、その人の声の響きが心地よかったからなのかもしれない。


 その人のことをbuddy相棒と呼ぶには訳があった。


 本来、タイムトラベラーは二人一組であり、単独で時を超えてはならないとされている。規制・規則の項目の中にも『タイムトラベルは単独で行ってはならない』と、その文言はきっちり刻まれてあって、時間遡行時に於ける過失を防ぐ為といわれているが、時間遡行が可能になったばかりの過去の頃とは違って安全性が確率された現在では、すっかり形骸化してしまっていた。

 ところが規則の網の目を潜る為なのか何なのか、新人の研修期間中に、たった一度、熟練者と二人で時を超えることが義務付けられている。タイムトラベラーの『験を担ぐ』為とも言われているその行為は、まさに一回きりで、研修を終えれば誰かと一緒に過去へ跳ぶことはなく以降のタイムトラベルは単独で行われることになるのだが、マシンに記録されたbuddy相棒の名前は決して消えることはない。

 また過失を防ぐなどと聞こえは良いが、かつて二人一組でなければならなかったのは、互いの監視目的の為だったのではないかと穿った考えをしてしまうのは僕が時間遡行を繰り返したからだけでなく、どうあってもbuddyその人の影響だと思う。


 僕たちが黙り込んでいたのは、長い時間のようでそうではなかった。

 目を瞑ったまま、その人は再び口を開く。


「……見えてないけど、ちっとも分からないって顔をしているんだろうね? そりゃそうだ。こんな風に言ったところで、キミには到底理解が及ばないって知っているんだもの。でも、そうと知っていても遠回しな言葉を使わずにはいられないんだから、私も大概だな。とはいえ、人によってはこれから先もずっと分からないままだから、どうでも良いと思っているからなのかもね。

 まあ、いいさ。これだけ話して質問が無いというだけでもキミは興味深い。

 ……さて、実のところタイムトラベルの恐ろしいところは何だと思う?」


 その人の顔の目の下にある隈や、消えない眉間の皺に、僕の影が落ちているのを、ぼんやり見ていた所為で答えるのが遅れた。

 

「どんなに過去を変えても何ひとつ変わらないってことだよ」


 目蓋の皮が持ち上がり、暗く陰った瞳が現れる。

 

「タイムトラベルを開発・運用したこれまでに数多のタイムトラベラーが存在し、様々な時代へ跳んだ。初めの頃は、それこそ暗中模索の日々だったろうね。規制・規則の数の多さ細かさから類推するに、どんな行為が歴史に抵触する恐れがあるのか戦々恐々といった感じだったのかも。……ところがある程度時代が進み、歴史改変に着手したタイムトラベラーの姿があちこちで消えても、我々の世界の過去は依然として何も変わらないことに気づく。加えてそこで初めて『ルーカス・ノラが我々に示していたこと』に漸く思い至るって言うんだからね。

 キミもタイムトラベラーの端くれなんだから、ルーカス・ノラを知っているだろう?

 つまり、タイムトラベラーが歴史に介入した事で世界は変えられたかもしれない。だが、変えられたのはではない。そこから分岐した別の並行世界というわけだ。過去に手を加えたその瞬間に新たな世界が生じたんじゃないかと研究所では予測しているけど……タイムトラベラーが姿を消しただけで実際のところは不明。並行世界とは互いに干渉し得ないから。人がひとり消える代わりにと言ってはなんだけど、分かりやすく未来や過去が変わるのなら良かったのにね」


 柔らかな風が、体を起こしたその人の長い髪を漉くように通り過ぎる。


「そこで、だ。『ルーカス・ノラが我々に示していたこと』とは何か分かる? ヒントは彼が界を跨ぎ、未だタイムトラベルの実現していなかった我々の世界線に姿を現し、いつの間にか再び姿を消してしまったことだ」


 僕は、答えた。


「過去に手を加えたタイムトラベラーは、元いた世界から弾かれ、戻れなくなる」


「……Exactly.その通り

 周知されるようになって此の方、現在に影響しないのに歴史を改変しようとするなんてことを考え、実行させる人はいなくなった。知っての通り今ではタイムトラベルは過去の調査や歴史的検証、絶滅種や枯渇した資源の未来への移送といったことに使われている。

 それでも、姿を消すタイムトラベラーが後をたたない。

 どういうことか分かる?

 要人の暗殺を未然に防ぐだの戦争を回避する為の布石を打つだのといった何もそんな大それた話ばかりが歴史改変を指す訳じゃないって言ったら? そんなことを思ったり考えたりするよりも、誘惑ってのは最も身近なところにあってね? 人が変えたいと願う過去は実に些細な事柄だったりするんだよ。大局的に見て手を加えたところで、どうということなんてないだろう物事こそがそれ」


「些細な事柄なのに、変えたいと願うんですか?」


「ひょっとして思い出しては、いまだに夜中に叫びたくなる無かったことにしたい過去なんてのはキミには無いのかな? 他人から見れば実にくだらない感傷が、本人には酷く大事だったりするのを知らない?」


 首を傾げた僕から、その人は目を逸らす。


「個人的な感傷こそが、タイムトラベラーの判断を誤らせるんだよ。広い世界の長い時の中、何十億分の一の人間のくだらないほんの一瞬。だからこそ安易に大丈夫だと思う。過去に手を加える範疇に入らないんじゃないかって」


「……ということは、巷で噂になっている並行世界から来た彼の名をもじったノラ《野良》・トラベラーとは実在するんですね?」


「そう。世界から見れば、それが個人的感傷から齎された些細な改変であろうと歴史的な大きな改変であろうと、過去に手を加えた時点で同じというわけ」


 あるときをもって忽然と姿を消してしまうタイムトラベラー。

 世界から拒絶された存在の彼ら。


「私も好奇心はあるんだ。何も大それたことをしようとしている訳じゃない。感傷に引き摺られて過去を改変をした後に並行世界とはいえ望んだようなことが起きるのか、界を彷徨ってもそれをこの目で見ることは叶うのか、自分はどうなってしまうのか、試してみたい欲求に駆られるけど……

 ああ、実に悩ましい。満たされぬ欲求や好奇心をどうすればいいんだろうね? まだ私はノラ・トラベラーになる覚悟はないし、かと言ってこれまでにそうなった人が私に会いに来たことはないし……もしかしたら、何処かで知らず擦れ違っているんだろうか」


 感傷に引き摺られる? 欲求? 好奇心? 考え込んでしまった僕に再び視線を向けたその人は、悪戯を企んでいるような顔で笑った。


「ふうん? キミには素質があるよ」


「素質? 素質とは生まれ持った性質の意味で用いているのでしょうか? であるのならばタイムトラベラーになることは生まれた時から決まっていたということですか?」


「いや、生まれた時から決まっていた筈はないだろうから違うんじゃないかな? そもそも私の言った素質とは、キミが言っているタイムトラベラーの資質のことではないからね。でもそう、キミは実にタイムトラベラー向きだ。選ばれたのも分からなくない。思うに、この世界の過去の出来事ならず自身の過去にも執着なんてものは全くなさそうだから。まあ、キミの場合は過去というよりも自分キミ自身に頓着しないって感じだけど。何はともあれタイムトラベルを繰り返すことで人は変わる。キミのタイムトラベラーとしての活躍を願っているよ。それでも、もし……いや、今のキミが変わるより私が好奇心に負ける方が早いかもしれないな」


 その人は「じゃあね」と手を上げた。

 定型文にはない別れの挨拶だと僕が気づく頃には、名ばかりのbuddy相棒だったその人は単なる顔見知りの女性になっていたのである。

 

 そして、この時代の御多分に洩れず言外の意味を汲み取ることなど出来なかったあの頃の僕は、彼女の言わんとしていることに全く気づいていなかった。

 言い訳になるが、僕たちは言葉を文字通り解釈することしか出来ず、幅のある表現を受けての判断や対応が難しい。その上、そもそも僕たちは実際に面と向かって他人と対峙することは殆どない。タイムトラベラーになることを選ばなければ、僕も無論、短くもない生涯に於いて両手で足りるくらいの人としか顔を合わせることはなかっただろう。もしかしたら片手が余る数だったかもしれない。


 人は変わる、と彼女は言った。


 タイムトラベラーのうち、かなりの人数が時空に消えてしまうことの答えがそれだ。

 過去の世界から見た僕たちは皆揃って欠陥がある。それもこれも脳の使われる部分が過去とは違ってしまった所為だ。コミュニケーション能力には偏りがあり、限定的な興味しか持たず、社会的想像力に伴う柔軟な思考は持ち合わせていない。長い年月を経て使わない部分が機能しなくなるのは当然だ。だが、良くも悪くも僕たちの脳には可塑性を高めるため埋め込まれたチップがある。タイムトラベルを繰り返すうちに他人と関わる機会が増え、脳に埋め込まれたチップが学習し脳内にある地図が書き換えられるとしたら?


 人は変わる、のだ。彼女の言葉どおり。


 あのとき彼女が言い掛けてやめたのは、万が一、僕がノラ・トラベラーになった際には会いに来て欲しいという言葉で、そして好奇心に負けるとは、どういう意味なのか僕が分かったのは、この世界から彼女が消えた後だ。

 そう。僕が雨男と呼ばれることに抵抗がなくなりマシンに慣れた頃、彼女はノラ・トラベラーになった。


 時空を超える雨男の僕が見る空はいつだって曇天なのに、ほんの時折、晴れ間が差す瞬間に出会えることがある。

 見上げた先で、その色と同じ瞳を持つ彼女を思い出す。澄んだ空色は、今の僕には酷く眩しい。

 貴女の言うように、どうやら僕には素質があったみたいですよ、と空に向かって呟いてみる。


 彼女はいま、何処にいるのだろう。

 


 




 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

午前0時まであと何秒 石濱ウミ @ashika21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ