野口英世の母 ~シカの手紙~

陽咲乃

野口英世の母 ~シカの手紙~

 はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ いしよのたのみて ありまする


(早く帰ってきてください 一生のお願いです)

 

 これはシカというひとりの女性が、息子に宛てて書いた手紙の一部分だ。

 息子の名前は野口英世のぐちひでよ。日本人なら誰でも知っている世界的に有名な細菌学者だ。聞いたことがない人でも、千円札の肖像画と言えばわかるだろう。

 アメリカでこの切実な手紙を読んだ英世は、親不孝をしていると涙が止まらなかったそうだ。


 すぐには帰ることも出来ず、手紙を受け取ってから3年後、英世は15年ぶりに帰国し、およそ2か月間日本に滞在した。英世は、どのような招待の席にも母を同行し、親孝行に励んだ。シカは英世と一緒にいることを、「まるでおとぎの国にいるようだ」と喜んだという。

 それはそうだろう。年表を見ると、1876年に生まれて、1900年には渡米したとあるから、24歳から39歳くらいまで会えなかったということだ。

(可愛い息子がおじさんになって帰ってくるなんて!)


 シカは手紙の中で、「かねを もろた こトたれにもきかせません それをきかせるトみなのまれて しまいます」 と書いている。金にのまれる――恐ろしい言葉だ。

 恐らく英世はかなりの金額をシカに送ったのだろう。だが、大金は嫉妬や憎しみを生みだす危険性がある。シカは周りにいる人たちに、その片鱗を見たのかもしれない。


 シカは、45歳の時に産婆さんになることを決意すると、試験のために文字をならい、以後2000人もの赤ん坊を取り上げている。そうしたシカの手紙には、遠い異国にいる息子を呼び寄せる力があった。


 なにおわすれても これわすれません さしんおみるト いただいておりまする はやくきてくたされ いつくるトおせてくたされ これのへんちちまちてをりまする ねてもねむれません


(何を忘れてもこれは忘れません。写真を見ると拝んでいます。早く帰って来て下さい。いつ帰れるか教えて下さい。この返事を待っています。寝ても眠れません)


 シカは手紙の最後をこう締めくくった。

 息子に会いたいという母親の執念のようなものが感じられる。自分の歳のこともあるだろう。今会わなければもう会えないかも――そんな予感がしたのかもしれない。


 事実、帰国してから3年後、シカはスペイン風邪に罹り、65歳の生涯を終えた。そしてそれから10年後の1928年5月21日。英世は、西アフリカで黄熱病研究中に黄熱病に罹り殉職。享年51歳であった。


 ◇

 

 英世の子ども時代(幼名:清作せいさく


 野口英世が子どもの頃に、囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負ったことは有名だ。小学生のときに読んだ伝記でも一番印象に残っている。

 

 シカが目を離した隙の出来事で、自分の不注意が原因と、シカは後悔の念にさいなまれたという。同じ子を持つ母親として、シカがどれだけ辛かったか想像できる。薄着をさせて熱を出しただけでも、至らない母親だと申し訳なさでいっぱいになるものだ。ましてや清作の五本の指は癒着していたというから、これから先、この子がどんなに苦労をするか考えると思い悩むのも当然だ。


 だが、シカの凄いところは「左手のせいでこの子は農業は出来ないのだから、何としても学問で身を立てさせてやらなければならない」と決意し、貧しいながらも清作に教育の場を与えたことだ。

 昼間は農作業にあけくれ、夜は川で小魚やエビをとって売る毎日。冬には、荒くれ男たちにまじって20キロ以上離れた街まで重い荷物を運ぶ力仕事もやったというから、生半可な覚悟ではない。


 だが、せっかく入った小学校で、清作は左手を理由にイジメにあう。我慢して勉強をしていたが、とうとう学校に行かなくなってしまった。そんな清作にシカは言った。


「許しておくれ。やけどをさせてしまったのはわたしのせいだ。辛いだろうがここで勉強をやめてしまったら、せっかくの苦労も何にもならない」


 このとき幼い清作の心は激しく動かされ、単に学校に行くだけではなく、猛勉強を始めたという。

 シカの熱い想いが通じ、努力家の天才が生まれた瞬間だ。


 1892年、清作15歳のとき、渡部鼎わたなべかなえ医師の手術を受ける。術後、指が動くことを実感した清作は、医学の素晴らしさに感動し、医者になることを決めた。

 

 野口英世は、後年「今、私の人生を振り返ると、このやけどが悪かったのか、それとも良かったのかは分かりません。しかし、このやけどがあり、その後の私があるのです」と言った。


 実際、英世がやけどを負わなければ、ここまでシカが学問にこだわることはなかっただろう。


 シカの残した言葉がある。


 どれだけ働いても、愉快な心でいれば、決して体を害することはない。

 心に不快さえなければ、仕事が大変であっても、体を害することはない。

 

 この言葉に、生涯、英世の健康を心配し続けたシカの想いが感じられる。


「梅毒スピロヘータの純粋培養」に成功し、次々と目覚ましい功績を残し、ノーベル医学賞候補に3度も名前が挙げられた野口英世。

 彼を育てた母の一通の手紙が、現代いまもわたしたちに感動を与え続けるのは、たどたどしい字で書かれた文章から、子を想う母の気持ちが切々と伝わってくるからだろう。



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お読みいただきありがとうございました。

楽しんでいただけましたら、☆☆☆で評価していただけると嬉しいです。


2024.3

ここ何か月か読んでくださる方が急増しているのですが、課題か何かでしょうか?気になるので教えてください。

(*'ω'*)オネガイシマス 


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