異常気象の男
大隅 スミヲ
異常気象の男
振り向くとそこには、上半身裸の男が立っていた。
吐く息は白く、夕方から雪が降るという天気予報が先ほど発表されたばかりだというのに、男は上半身裸で汗をかいている。
男の体全体を覆うように描かれた数々のタトゥー。特に決められたテーマは無いようで、和彫りのものと西洋風のドクロなどの絵が入り混じっている。
男の右手に握られているのは、刃渡りの大きなナイフだった。ククリナイフと呼ばれる種類のもので、銃刀法に違反している刃物だった。
※ ※ ※ ※
「武器を捨てなさい」
制服姿の巡査長が拳銃を構えながら男に告げた。
刃物を持った男がうろついている。
その通報を受けて駆け付けたのは、現場から一番近い場所にある公園前交番の警察官たちだった。
警察官の声が聞こえないのか、それとも通じていないのか、上半身裸の男はククリナイフを振り回して、意味不明な言葉を叫んでいる。
※ ※ ※ ※
外が騒がしかった。
ちょうど昼休みを取っていた高橋佐智子が回転ずし店から出ると、路上で上半身裸の男が暴れていた。
それが、冒頭のシーンであった。
「どうしたの」
野次馬の整理に当たっていた、若い制服警官に佐智子は声をかけた。
佐智子が提示した身分証。そこには、佐智子が警視庁新宿中央署刑事課に所属する巡査部長であることが書かれていた。
「おそらく薬物中毒者と思われるのですが、上半身裸で暴れているという通報がありまして」
佐智子の身分証を見た若い警官は緊張した面持ちで答えた。
男は3人の制服警官に囲まれていた。ふたりがサスマタを構え、残るひとりが少し離れた場所で拳銃を構えている。相手を制圧する際の基本的なフォーメーションだった。
「おれが〇×☆△〇☆だからって、殺すぞっ!」
意味不明な言葉を男は叫んでいる。
ひとりの警官がサスマタを構えながら前に出て、男の胴体にサスマタの先端のU字になった部分を当てようとする。
しかし、男はクネクネと動き回り、そのサスマタを避けてしまう。
乾いた音が鳴り響いた。
威嚇射撃。上空に向けて、拳銃を発砲したのだ。
「うらぁ」
その威嚇射撃が逆効果であったかのように、男は興奮し、ククリナイフを振り回しながら包囲している警察官たちに近づいていった。
「いけない」
佐智子はそう呟くと同時に、警官が乗ってきた自転車の脇に置かれていた長めの警棒を手に取って歩き出していた。
「なんだ、おまえは。このド腐れ〇〇〇がぁ!」
男は佐智子が近づいてきたことに気づいて、テレビなどでは放送することのできない言葉を大声で発する。
周りを囲んでいた制服警官たちは、とつぜん現れたパンツスーツの女に顔を見合わせていた。
それは一瞬で終わった。
佐智子が男と向き合ったかと思うと、男はククリナイフを落とし、アスファルトの上にひれ伏していた。
周りで見ていた人は、何が起こったのかわかってはいなかった。
まるで佐智子が魔法を使ったかのように見えたに違いない。
佐智子は持っていた警棒で男の腕を叩くと、そのままの勢いで脛を払っていた。
薙刀でいう脛払いという技だった。
学生の頃、佐智子は薙刀部に所属しており、いまでは免許皆伝の腕前だった。
男が倒れると、制服警官たちが一斉に男に飛び掛かった。
「確保っ!」
先ほど拳銃を構えていた巡査長が叫びながら、男の腕に手錠をはめた。
男はパトカーの後部座席に押し込まれるまで、意味不明なことを叫び続けていた。
「暑いんだよ。暑いの。暑いから離れろっ」
「俺は冬が嫌いなんだ。特にこの冬はな」
「わかっているのか、お前。そうだ、女。お前だ」
ようやくパトカーの後部座席に押し込まれた男は最後に目をかっと見開いて、佐智子に向かって叫んだ。
「特にな、特にだぞ。この冬の残暑は酷かった」
異常気象の男 大隅 スミヲ @smee
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