みんなには向かない職業

今迫直弥

みんなには向かない職業

――磯海風新書『現代日本裏稼業案内』より


 ファイル三三面接荒らし

 職業タイプ:自由業(ツボをおさえて悠悠自適型)

 年齢・性別・学歴・職歴条件:相手企業に依存

 お勧め度★★★☆☆☆☆☆☆☆


 職務内容:就職活動戦線(主に大卒新人採用)に波紋を投げかける。具体的には、各種採用面接に応募し、真っ当に試験を受けて一人で次々と多社の内定をかっさらう。必然的に「未だに内定一つも取れないし、マジ厳しいわ」という就職活動中の若者を増加させ、その話を聞き就職に惧れをなした後輩もろともなし崩し的に大学院進学を決意させれば大成功(と言われているが、正確な目的は定かではない)。本人は適当な理由をつけて内定の決まった企業の採用を全て蹴るため、実質的には常に無職。どれだけ内定をとっても、雇用契約を一つ結ぶだけで面接荒らし失格となる。某省庁から直々に『必要経費』という名目の後ろ暗い振込みが毎月成されるので食うには困らない。面接試験の出来如何で額は大幅に増減するので要注意。オフシーズンに勘が狂わないよう、練習と称してバイトの面接を荒らし回るつわものも多いようだ。労働なくしての収入は確かに魅力だが、面接官に自身の有用性をアピールするしたたかなスキルの修得が必須である上、某省庁に相当のコネが無ければプロへの取っ掛かりすら見つけられない。また、大手企業からは存在自体が白眼視されているため、万が一正体が発覚してブラックリストに載ってしまうと、一生に渡って真っ当な就職が難しくなるという致命的な欠点も持ち合わせている。余程働きたくない者以外は、その超絶的な面接スキルを活かして一流企業に就職した方が無難である。


――

「失礼します」

「君は変わった名前をしているね。減点一だ」

 声をかけて面接室に入った鏑矢如月は、自分ではどうすることも出来ない粗相を咎められ、どうやら早々に失点したらしい。あまりの理不尽にこめかみがひくついているのを感じたが、かろうじて怒声は飲み込んだ。噛み殺した苛立ちが、着慣れないスーツを無駄に汗ばませる。

 面接官は二人だった。向かって左側に、如月のものと思しき履歴書を眺めている目つきの悪い中年男。今時流行らないバーコード頭みたいな髪型をしており、ネクタイのくたびれ具合も堂に入っている。外国人にジャパニーズ・ビジネスマンのイラストをデフォルメして描かせたら丁度こんな風になるのではないか、と思われた。正直、上司にはしたくないタイプだ。

 右側には、打って変わって人当たりの良さそうな笑顔の壮年男性。目鼻立ちがはっきりしており、上手に歳をとった二枚目俳優といった態で、いかにも異性からモテそうだ。若い頃はさぞ浮名を流したことと思われる。無造作に醸し出される品格は一流の人間というに相応しいが、それだけに残念だ、と如月は心の中だけで独りごちた。減点一、と無情に告げてきたのはこちらの男だったからだ。

 如月は、中央に孤立して置かれたパイプ椅子の隣まで早足で近付いた。着席の指示があるまで待機する。

「名前は?」

 バーコード頭が、如月に一瞥もくれずに尋ねた。ボイス・チェンジャーを使っているのかと勘違いしそうになるほどひしゃげた声だった。

「鏑矢如月です」

 自分の口から名乗らせるなら、せめてこのタイミングで減点を指摘されたかった。如月は苛立ちを声に乗せぬよう自制しながら答えた。アクセント、イントネーションの全てに気を遣い、鼻濁音まで意識して発音する。何が減点に繋がるか知れたものではない。

「君さあ」

 二枚目が突然口を挟んだ。澄んだバリトンである。

 如月は、誠実そうに見えるよう意識して真面目な視線を向けた。相手は和やかに微笑んでいた。世間話でも始めそうな温和な口調で、続ける。

「本当に変な名前だよね。減点二」

 あまりの理不尽に、舌打ちしそうになる。それを誤魔化すために微苦笑を返すことも、何事もなかったように平然と受け流すことも、如月には出来なかった。

「はい。よく言われます」

 精一杯の皮肉を、真っ直ぐ投げ返した。握った拳の内側で、掌に爪が深々と食い込んでいる。僅かに震えているのは緊張のためではない。

 二枚目は、笑みを消さずにゆっくりと二度頷いた。孫のやんちゃを温かく見守る好々爺の所作を思わせた。

「減点が重複したことについて、理不尽を感じないらしい。長いものには巻かれるに限る、ということかな。日本人の悪しき体質だ。減点三」

 これが通常の面接試験であったならば、間違いなく如月はこの段階で暴れていただろう。事前に手に入れていた傾向と対策の情報が無ければ我慢など出来たはずがない。

――とりあえず、好き勝手言わせておきな。出来るだけ面接官に逆らわないように、ひたすら耐えるんだ。

 冷静さを取り戻そうと、深呼吸を一度。大きく息を吸って、それを吐き出すタイミングにバーコード頭からの質問が重なった。

「念のため訊いておくけど、本名?」

「はい。勿論です」

 緊張感とは程遠いもやもやが、胸の辺りを覆った。何を言っても無駄なのではないか、という疑念がちらついた。

「本名かね。最悪だなあ。減点四」

 バーコード頭は質問、二枚目はいちゃもん、という明確な役割分担があるらしい。発言する気力すら削がれる。

「ところで君はいつまで突っ立っているつもりかね。指示が無ければ動けないような人間は必要ないよ。減点五」

 先に座っていたとしてもどうせ独断専行を責められただけだろう、と如月は見切りをつけた。反抗しても詮無いので、早々に折れておくことにする。

 如月は自分の本質に自覚的なつもりだ。

 伊達や酔狂で面接荒らしを続けてきたわけではない。今日まで無事、毎月一定した収入を得られているのは、ひとえに自分の適確な判断力のおかげだと如月は自負していた。

「はい。申し訳ありませんでした」

「あれ、どうして謝るの?」

 ネチネチと絡むように、バーコード頭がちょっかいを出してきた。あまりにも建設的でない言葉の応酬は、まるでシュールな喜劇でも演じているかのようだった。

 不意に、如月の脳裡に父親の影がちらついた。何が気に食わなかったのか、実家を飛び出す直前、父は如月が何をしても文句をつけてきたのだ。……憎々しい回想の世界に引き込まれそうになり、如月は慌てて幻影を振り払った。いくら不愉快な状況であっても、面接であることに変わりはない。戦場で集中を途切れさせるべきではない。

「……当然やるべきであったことに対して、気が回らなかったためです」

「自らの過失を認めるのだったら、許しを請うより先にやることがあるんじゃないかね? 椅子に腰掛ける、というわずかそれだけの行為で失態が取り戻せるのだから。減点六だ」

 やりたい放題だな、と少し呆れながら、如月はようやく椅子に座った。両足の疲労感よりも、精神的疲労の方が遥かに重症だった。

 腰かけた途端、違和を悟った。体重移動にしたがって、パイプ椅子の座面が斜め下にスライドしていく。垂直方向の加重に負けて足が折り畳まれているのだ。当然、まともな椅子ではない。座ることなどそもそも不可能だった。

 如月は両足に力を込めてその場に踏ん張ろうとしたが、健闘虚しく不様に尻餅をついた。椅子が破綻する派手な音が室内に反響した。背もたれにあたる部分で腰を強打し、呻き声も出ない。

「大丈夫かね。椅子にも満足に座れないとは随分と慌て者のようだな。減点七」

 腰に手をやりながら起き上がる。椅子は、最早原形を留めていなかった。関節部分のナットや螺子が明らかに前もって外されている。座面と足が固定されておらず、足の交差部分にも細工が成されていたようだ。

「まったく、備品を壊した者など前代未聞だよ。減点八」

 申し訳ありません、と自らの非を認めるべきか否かで一瞬の躊躇があった。それが災いした。付け入る隙を見逃すような面接官ではなかった。

「君ねえ。こんな時に謝罪の一言も無いなんて、どういう教育を受けてきたんだね。減点九」

 まともな質問が始まる前からこんな調子では、やる気も失せるというものだ。

「申し訳ありません。弁償致します」

「弁償! まさか君、この問題を金で解決しようと言うのかね。若者らしからぬ懐柔策には虫酸が走るよ。減点十だ!」

「あー、鏑矢君。これからどう足掻いても不合格だから、もう帰ってもいいよ。それともまだやる?」

 耳障りな声でバーコード頭が尋ねる。如月の履歴書に、これ見よがしに不採用の判子を押している。紙面の全体に渡って何度も叩きつけているのは、さすがにやり過ぎだ。

「はい。よろしくお願いします」

「不屈の精神を見せつけようという姑息なポーズは不愉快だ。小賢しい真似は止めてもらおう。減点十一」

 如月は、直立の姿勢で背筋を張った。何事にも動じないという態度を殊更に強調する。素の自分を見せたら完全に敗北する。培ってきた技能の仮面で『私』を押し隠す。

 ……当然のことながら、ここまで不快な面接は初めてだった。面接荒らしを自覚的に行うようになってかれこれ四年ほど経つが、警備会社で受けた警察上がりの重役による露骨な圧迫面接でさえ、ここまで異常な雰囲気ではなかった。二枚目による、大人気ないと形容するに足るあまりにもお粗末な苦言からは何の威厳も感じられない。上意下達だの目上の者に対する尊敬の念だの社会における最低限のルールだのといった、如月の心の枷を見事にスルーして直截に神経を逆撫でしてくれる。この面接会場こそが、若者が容易くキレることが正当化され得る最初で最後の砦なのではないかと、そんなことを邪推したくなった。

 今回のケースが普通の仕事だったならば、如月は早々に場を放棄していたかもしれない。だが、彼にはそう出来ない理由があった。

 勿論自分の名誉のためでもある。同時に他の何かを背負っているのは初めての経験だった。

「はい、では、最初の質問ね」

 ようやくバーコード頭は面接の開始を宣言した。こちらに全く興味の無い様子で、履歴書に悪戯書きを始めている。可愛いコックさんの帽子を描きながら、つまらなそうに口を開いた。

「君の名前は?」

 思わず、頬がひくっと痙攣した。他人を最大限不快にさせるコツをよく心得ている、と感心することで怒りをやり過ごす。この悪辣な素振りは、一体どうやって身につけたのだろうか。

 如月は昔、女性に絡んでいたたちの悪い二人組の酔っ払いを撃退した経験があるが、その時でさえここまで腹立たしい気分にはならなかった。下手に理性的である分、この面接官の振る舞いの方が圧倒的に悪質だ。

「……鏑矢如月です」

「変わった名前だね。減点十二」

 今更減点がどれだけになろうと興味も湧かない。本質がそんなところにないことくらい、如月は承知していた。でなければ、こんな異常な面接、頼まれても続けようとは思わない。

「ああ、しかも読みにくいから、減点十三にしとこうか」

 二枚目の発言には一々注意を向けないようにした。バーコード頭しか質問しないのならば、話し相手をそちらに絞れば良いのだ。割り切りによってどうにか平常心を保つ。

「出身地は?」

 あまりの待遇の悪さに、まともな質問が浴びせられるだけで幸せになれそうだった。まともなやり取りを望むのは無謀だった。如月に出来るのは採用面接での卒のない対応であって、酔っ払いよりたちの悪いオヤジをいなすことではない。

「千葉県です」

「あー、僕埼玉県民なんだよね。減点十四。それに昔、落花生の中から虫が出てきて嫌な思いしたから、減点十五にしとこうか」

「鏑矢君もそれでいい?」

 突然話を振られて、思わず如月は吹き出しそうになった。こんな会話はさすがにあり得ない。最早一般的な就職面接という体裁を繕うのをやめたと見えた。

 ならば、そろそろ本番だろう。

 如月は臨戦態勢を整えた。

「はい、構いません」

「構わないわけないだろうが!」

 健やかに答えたら、ばん、と机を叩く音と共に二枚目が激昂した。豹変と呼ぶに足る見事な変貌振りだった。顔を真っ赤に染めて、憤怒に駆られている。

 予想通り始まった。やるならやるで最初からこうしていてくれれば、苛立ちも少しで済んだのだが。

 如月は表情を変えずに二枚目の方を向いた。ただし、あまりに冷静過ぎるのも妙なので、若干頬を強張らせ気味にする。

――不条理に耐えるだけ耐えたら、面接官が突然怒り出す。そうなったら、もうこっちのもんだね。

「君は、面接を舐めているのか! どれだけ減点されても気にしないとは、一体どういう了見なんだ! やる気があるのならそれらしく振る舞え! 無いのならとっとと出て行け! まったくもって不愉快だ!」

 こちらに指を突きつけて唾を飛ばすその姿からは、形ばかりの柔和な雰囲気すら完全に消し飛んでいた。いまや二枚目、という印象からもかけ離れ、ヒステリックに喚き散らす不様な初老の男でしかない。

 隣のバーコード頭が真っ青になっておろおろしているのは滑稽だったが、本気とは到底思えない。口を挟めないのを正当化するための演技であろうことは、火を見るより明らかだった。

「何とか言えよ、小僧!」

 口調が荒れて柄が悪くなってきた二枚目が、見苦しく怒鳴る。

 如月は閉口し、腰から九十度曲げるような深い辞儀をした。

「申し訳ありません」

――まず、何はなくとも謝ること。

「謝れば済むと思ってんのか! こちとらわざわざ時間を作ってお前みたいなカスと会話してやってんだぞ! この一分一分でどれだけの損失が出てると思ってんだ!」

「存じません!」

 頭を下げた姿勢で、視線だけを上げて相手の目をじっと見据え、大声で叫ぶ。

――次に、ちょっとピント外れなことでも言って、相手の毒気を抜く。この時、馬鹿にしていると思われないように、毅然としておくことを忘れるな。

 案の定、二の句が告げなくなっている二枚目に対して、さらに告げる。最敬礼の姿勢は崩さない。

「そんなことは、全く存じ上げません!」

 開いた口が塞がらない様子の二枚目に容赦をしない。

「必要な知識であるというのならば、是非ともここでご教示願いたく存じます」

「ふ、ふざけるな! ふざけるな!」

――怒鳴るためだけに怒鳴っているような感じになったら、一気に畳み掛けろ。

「ふざけてなどおりません! この場を治めるためには、それ以外に道はございません! 恥ずかしながら私は、謝罪の意を示せば済む問題であるように思い違いをしておりました。その浅はかさたるや、不徳の極み。真に遺憾であります。ですが! だからこそ今、私に出来るのは頭を下げることだけです。誠意を示すためにそれ以上に何をすれば良いか、当然知っておかねばならぬ知識があるというのならば、是非お教え願いたいのです」

 無知を盾に正々堂々と論を組み立てられると、攻め手は意外と弱い。無知という究極的な弱点を単体で正当化されると、それ以上に効率的な瑕疵を指摘し得ないため、真っ向から論駁しようとしても論旨が空転するのである。

 勿論、そんなことをしなくても最初から相手の論は空虚極まりないわけで、如月のとった方法は以降の展開を早い内に招くための布石に過ぎない。

 つまり、ぐうの音も出なくさせるための。

「何を馬鹿なことを……。もう良い! 出て行け! 目障りだ! 一刻も早くこの場から立ち去れ!」

――出て行くように言われたら、固辞しな。後はその一点張りだ。尤もらしい理由つけて、ひたすら居座れ。

「それは出来ません!」

 傾向と対策は、ほぼ完璧だった。

 あまりの無法ぶりに、最初は想像以上の苛立ちを覚えさせられたが、軌道に乗ってからは予想から大きく外れない展開が進んでいる。とりあえず一安心といえた。

 どうやらあいつに面目が立ちそうだ。

 とはいえ、如月はこの茶番に辟易している。一刻も早く終わってくれないかと願わずにいられない。

 思わせぶりに、バーコード頭の方に目をやる。

「面接を続けていただく、お約束です」

 退出しないそれらしい口実を見つけた。如月は心の中でガッツポーズをとった。後はこれの繰り返しでいけるだろう。論理的整合性も倫理的正当性もこちらに分がある。ごり押しで十分だ。

 おろおろしていたバーコード頭が、その一言で微かに目を眇めたように見えた。視界の端では、依然二枚目が吠えている。

「いい加減にしろ! 誰がお前なんぞと約束したか! こちらの迷惑を考えろ!」

「はい、面接が終わったら十分に考えさせていただきたいと思います」

「ひ、ひとを馬鹿にするのも大概にしろ!」

「馬鹿にしてなどおりません」

「わかったからとっとと立ち去れ!」

「はい、面接さえ終わればすぐにでも」

「今すぐ立ち去れ!」

「ならば、今すぐにでも面接を終了させてください」

「お前、まだ面接が続いているとでも思っているのか!」

「はい」

 如月の返事で、バーコード頭が介入した。

「なるほど。……君、鏑矢君と言ったか。頭を上げなさい」

 不快なところなど一つも無い、よく通る渋い声だった。どうやら先程までは無理に声色を作っていたようだ。何故そんな無益な隠蔽をしたのか理由はわからないが。

 指示があったことで、如月はようやく直立姿勢に戻った。自分でも腰を曲げ続けていたことを忘れていた。辞儀しながら口だけ闊達な若者。傍から見れば、さぞ滑稽だったことだろう。

 肩で息をしている二枚目に対して、バーコード頭は泰然自若と構えている。もしかすると、こちらの方が大物なのかもしれない。

「不条理状況への忍耐力、激昂した相手への怯むことのない対応、相手を煙に巻く論理展開、過分な理由を一切用いず一点に固執して説得するセンス、どれも及第点と言える」

 ようやく、終わりの時が来たようだ。ありがとうございます、と言いそうになったが思いとどまる。

 普通の面接のつもりで来ている人間なら、ここで誉められて礼を言うより、訝しがるのが自然だった。

「……どういうことですか?」

「とぼけなくてもいい」

 一蹴された。

 バーコード頭の瞳が、ねめつける様に如月を見た。寒気を覚えるような冷たい視線だった。

「君に訊きたいことは、以下の一点だ。面接の概要を、一体誰に聞いた?」

 如月は、ここに来て初めて本当の緊張を強いられた。

「君の対応はあまりにも出来すぎている」

 ……鋭い。

 面接の傾向と対策はこの会社の現役社員であるあいつが事前に流してくれたもので、信用に足るを幸い、如月は完全にそれを鵜呑みにしてしまった。完璧過ぎたのだ。バーコード頭は、その不自然さに気がついたらしい。

 白を切るのは不可能だった。困惑した振りをするにはタイミングが遅過ぎる。思い当たる節が無いのなら、こんな妙な間は出来ない。図星を刺されて萎縮した瞬間、ポーカーフェイスでも隠し切れない異質な雰囲気が漏れ出ていた。

 迷いはごく僅かだった。疑惑を持たれた以上、如何なる言い訳も通じまい。

 真っ直ぐ相手の目を見据えて、言った。

「それだけは、申せません」

 バーコード頭が鼻から息を抜くように、笑った。嘲笑に似ていた。

「言えない。ということは、社員から事前のリークがあったことは認めたわけだ」

「……ノーコメントでお願いします」

「うちの業界では、沈黙は肯定と同じだ」

「それでは、偽証は何と同じなのでしょうか?」

「死、だ」

「では尚更、ノーコメントで」

「……冗談だよ」

 言いながら、バーコード頭が二枚目の方にちらりと一瞥をくれる。

 二枚目は、わざとらしく背広の内側をちらつかせた。内ポケットに縫い付けられたホルスターから拳銃が覗いている。

 冗談ではない。

 如月の背筋に恐怖が植え付けられていく。腰からゆっくりと這い上がってくるそれが首に達するまで待つように、バーコード頭はじっとりと粘着質な間を持たせた。

「わかっていると思うが」

 バーコード頭は机を回り込んで如月の方にまで歩いてきた。顔付きから想像していたより遥かに上背がある。身長百六十五センチの如月より頭一つ大きい。筋骨隆々には程遠いが、均整がとれている。柔術の心得のある如月には、御し難い相手であることがすぐにわかった。月並みな表現を使うならば、隙が無いのだ。

 わずかに右足を引いて、待つ。

「情報漏洩は重罪でね」

 ぽん、と何気なく肩を叩かれるまで、相手の間合いに入っていたことに気付かなかった。反射的に肩を引いて手首を掴み、投げの動作に入ろうとした。

 だが、体はぴくりとも動かなかった。巌を相手にしているようだった。如月は動揺した。その心の動きもダイレクトに相手に伝わったはずだ。

 整髪剤の匂いが鼻につく。耳元で囁くように、バーコード頭が喋っている。

「君にリークした者は、有無を言わさず馘首にするつもりだ。命まではとらんが、二度と業界内では働けないだろう。……早急に交代要員が必要になる」

「何が、言いたいんですか?」

 喉がからからに渇いていた。

 密着しているバーコード頭にばかり意識を割いていたが、いつの間にか二枚目の方も立ち上がっていた。出口を塞ぐように如月の斜め後ろに向かって歩いている。

 万事休す、か。

 ここで対応を誤るわけにはいかない。

「私は、君の情報網を高く評価する。情報漏洩などとんでもない話だが、だからこそ、そこまでこぎつけた君の手腕には脱帽する。若い娘ならば色香を使うという手もあるだろうし、資産家ならば金に物を言わせた可能性もある。しかし、無職の男性である君は、そのどちらも持っていないはずだ。違うかな? 一体どうやってうちの社員を篭絡したんだい?」

「ノーコメントでお願いします」

 伝手は決して漏らすわけにはいかなかった。あいつを裏切るなど、どう考えても許されることではない。

「話した方が身のためだよ。君の周囲を当たらせれば、どうせ一両日中に判明することだ。こちらの手を煩わせて心象を悪くするのは君のためにならない。何より、私は脅迫しているつもりはないのだよ」

 さらりと言って、バーコード頭は、肩を組むように馴れ馴れしく近寄って来た。如月は、なすがままにされた。抵抗しようにも、相手の力が強大過ぎる。

「これは、取引だ」

 死線を幾つも越えていそうな、重たい響きの声が耳朶を打った。今更ながら、如月は後悔した。

 この会社の真実の顔を、その詳細を、如月は知らない。

 ただ特殊な職種であり、その秘匿性から考えて危険な仕事であろうという漠たる情報のみでここまで来た。

 そうせざるを得なかった。

「私は内部情報をリークした不届き者を知りたい。さらに、結果として出る欠員を埋める有能な若者が欲しい。君は、そのどちらの条件も満たしうるのじゃないかな?」

「……だから要するに、とっとと情報元を売れ、ということですよね?」

「人聞きが悪いな。善意の第三者として、機密情報を外部に流している人間を告発してもらいたいと言っているのだよ。そして、その功績を正当に評価するなら、我が社への採用も自然ではないかね? 仁義に悖るものではあるまい」

 仁義、という言葉から『ヤのつく職業』の線が考えられたが、安直な断定は避けねばならない。むしろ、その線の関係者のやり口を考えればあり得ないほど穏便な対応であると言える。

「それは否定しません」

「君が口を割るだけで、身の安全が保障される上に採用も決まる。取引としては申し分が無いはずだ」

 かちゃり、と背後で二枚目が銃を弄っている音がした。

 如月は正気を疑った。ここは、裏通りを入った先とは言え、オフィス街の一角だ。発砲などしようものなら即座に通報されるだろう。

 しかし、如月の身の安全を保障する糸と言うには、それはあまりに細過ぎる。如月を連れて場所を移せば済むだけの話だ。

 さらに言えば、拳銃よりも厄介なのはバーコード頭の体術技能の方だった。ここまで密着していながら、如月の微妙な体捌きに追従してこない。不動を具現化したような男だった。本気で技をかけたところで、抜けられるとは思えない。既に、素手ながら捕縛されたに近い。

 となるとやはり、取引に応じるかどうかが運命の分かれ目になるのだろう。

「一つ、確認しておきますが」

 声が震えないのは僥倖といえた。怖気づいていることが露骨にわかるようでは、ただでさえ追い詰められているというのに、さらに相手に付け入る隙を与えてしまう。

「もしも私がリーク元の名を上げたとして、その人に生命の危険はないのですね? ただ、業界から追放されて失職するというだけの話で」

 如月は一時、迷う。

 実のところこの流れは、如月の目的の一部と完全に合致していた。『あいつと交代でこの会社に就職する』という現象面だけに絞れば、過程はどうあれ結果はぴたりと符合するのだ。

「そうだ。後腐れの無いように殺して欲しいというのなら善処するが」

「いえ、結構です」

 バーコード頭が本気で取引を持ちかけているのだとしたら、むしろ手間も省けて好都合である。

 ……全てが丸く収まる道が露骨に残されているではないか。

「わかりました。答えましょう」

「ほう、それでは――」

 にやり。バーコード頭が笑ったようだ。

 如月は告げた。心臓が大きく一つ跳ねた。

「はい。私は完全黙秘を続けます」

 バーコード頭の顔面が驚愕で引き攣る様子が、手にとるようにわかった。直視するには近すぎる距離だったが、戦慄は密着したスーツ越しに伝わって来た。

 一泡吹かせられたことで、如月は少し満足した。

 やはり、安易に怪しげな相手との取引に応じるべきではない。相手が約束を守る保証が何もないという点が、どう考えてもネックになる。あいつを売って、挙句に殺されたのでは目も当てられない。

 それに、たとえ無事に取引が成立したとして、裏切りが元であいつとの関係が瓦解するのは間違いない。それでは、以降の計画に支障を来たす。

 だから、ここは他の解決案を模索するのが正しい。

 如月の思惑をよそに、バーコード頭はぎすぎすした雰囲気を隠しもせずに尋ねた。

「もしかすると、私は君のことを少々買いかぶりすぎていたのかな?」

「質問の意図がわかりかねますが」

「まさか、まだリークの事実など無かったと、言い抜けられるつもりでいるのではあるまいね」

「ノーコメントです」

「……自分のおかれた状況を正しく理解出来ていないのかな?」

「理解出来ていると、そのように自負しておりますが」

「説明してみたまえ」

「はい。御社の採用面接の途中であります」

 ぎり、と太く長い腕が首に絡んで締め付けてきた。頚動脈を圧迫されて視界の隅が白く変わった。

「ふざけるのも大概にしたまえよ」

 穏当な口調ながら、鋭い殺気が言葉の端々から強烈に匂った。如月の決心が揺らぐ。だが、何をしても死ぬ時は死ぬのだ。どうせ死ぬのならば一緒だ! 意識を失う前に、半ばやけっぱちで、喉を振り絞り声を上げる。

「あなたは、既に、私への、リーク元を、完全に、知っているはずだ!」

 拘束が緩み、如月は大きく息を吐いた。何度も咳き込む。引き攣れたような首筋の違和感が消えなかった。血流を得たこめかみが、歓喜に騒いでいる。音が聞こえそうな程、収縮と弛緩を高速で繰り返している。

「何のことだ?」

「知らないとは言わせませんよ」

 この期に及んで律儀に敬語を使う自分を、間違いなく職業病だと断じながら、如月は続けた。

「私に面接の情報を流したのは……」

 そう叫ぶや否や、虚をつかれて茫然とするバーコード頭の間合いから逃れ、如月はぴんと伸ばした指先で二枚目の男を真っ直ぐに差し示した!

 丁度、二枚目は腕を伸ばして如月に銃口を向けた所だった。ひどく歪だが、お互いにお互いをポイントしているという意味では対称的でもあった。

 如月の衝撃的とも言える所作で、顔色を変える者は誰もいなかった。二枚目は全く動じることなく平然としているし、バーコード頭に至っては、軽くあしらうように鼻で笑っている。

「君には失望したよ。場の攪乱を狙ったのだろうが、まさかそんな嘘が本気で通用するとは思っていまいね?」

 如月は、あくまで不敵に返した。

「嘘? 何のことでしょうか。今の私は、面接のつつがない進行と我が身可愛さのために取引に応じて情報元を売ろうとしている人間にしか見えないはずですが、何か問題でも?」

 バーコード頭は、少し苛立ったように見えた。拳銃の射線に入ることを嫌ってか、如月に近付いてこようとはしない。

「……大木君が情報を漏洩するわけがあるまい」

「なるほど、大木さんとおっしゃるわけですか。指差しながらで失礼します。私を妙な名前だと減点しただけあって、なかなか平凡な苗字をしていらっしゃいますね」

「大木君、何なら撃ってもいいよ」

「待って下さい。私の話を最後まで聞いて下さい。私は別に大木さんがリークの犯人だと申し上げるつもりはありません。発言のタイミングとからそう誤解させたのならば謝罪しますが」

「またぬけぬけと……」

「私は、こう続けるつもりだったのです。『私に面接の情報を流したのは、この大木さんではありませんが、あなたがそのことを強く確信されている様子はあまりに不自然です』と」

 バーコード頭は怪訝そうに眉をひそめた。

「何が言いたい?」

「私はお二方の関係を知りません。ですが、仮にお二人が絶対の信頼で結ばれた間柄だったとしても、大木さんを何のチェックもせずにシロと断定するのはあまりに杜撰な話です。むしろ、内部情報の漏洩に携わっているのは大抵の場合、幹部や上層部に信頼のある身近な人間です。そうでなくては、そもそも漏洩する価値のあるような重要機密を手に入れることが出来ませんからね。そして、面接内容がリークされたというなら、現在進行形で直接面接に関わっている人間を疑わない方がどうかしています。そもそも、私の面接での対応が出来すぎていたなら、面接の概要が事前に誰か別の人間から漏れていたのだと考えるより、私と大木さんがグルで、ここでのやり取りが逐一決まっていたのではないかと疑う方が余程簡単でしょう」

「調子に乗るな。君の応答は、一々当を得ていたものの、それほど洗練されてはいなかった。そこで、前もって決まった科白を丸暗記して喋っているわけではあるまい、と当たりをつけたのだ」

 バーコード頭は、忌々しげに口にした。

「そうやって、話の論点をすり替えようとしても無駄です。何にせよ、大木さんをノーチェックでシロと見なした理由の説明にはなっていません」

「それは違う。前提として、まず彼が信用に足る人間であることは間違いない。そして、大木君には動機が無い。君に面接内容をリークするメリットが何一つ見出せない。さらに、二人に面識がないことも明らかだ。そういう論理的帰結として、彼は犯人でないと判断したまでだ」

「隠された事情から動機なんていくらでも見つかりますし、面識がなくてもリークは出来る気もしますが、それは置いておきましょう。あくまで十分な論理的判断がなされたと言い張るならば、逆にこう指摘出来ます。その論理的判断の結果として、他の社員の中に犯人として妥当な人間が見つかったんですね? そうであるなら、あなたが既にリーク元を知っているはずだ、という私の告発は正当であると言えるでしょう」

 如月の発言に、バーコード頭は不快そうな顔をした。

「揚げ足でもとったつもりか? 妥当な人間が思い浮かんだところで、それしきの推論で犯人だと断定するなど愚の骨頂。確信を得るために君の自白が必要だということなど、子供でもわかる」

 如月は静かに首を横に振った。

「逆です。どうして、それしきの論証からリーク元がだという推論に飛躍したんですか? 御社の面接経験者で惜しくも不採用になった人間が、ノウハウを私に伝えたのだという可能性をどういう理屈で除外したんですか? 彼ら一人一人に動機がありそうか、私との面識があるかどうか、逐一把握しているんですか?」

 返答が無かったが、如月は構わず続けた。

「考えるに、この奇妙な面接の概要を私に伝えられる人物は最初からごく限られていたのではないですか? 少なくとも、早々に除外視されていたことからして、今回の面接は外部の人間には説明し得る内容でないのではありませんか? 例えば、本来志願者に供される面接試験はごく普通のもので、今日の私の場合だけ特別誂えである、というように」

「……ふん。証拠など全く無いだろう」

「はい」

「全く見当違いだ。そもそも私は君にカマをかけただけなのだ。あえて、社員の誰か、と口に出すことで、君の反応を窺い、真相を焙り出そうとしただけだ」

「それは苦しい言い訳です。リーク元が社内の人間だということに半信半疑であったならば、私にあんな取引を持ちかけるメリットがありません。むしろ、バイアスをかけるだけ逆効果になります」

 バーコード頭は言葉に詰まった。

「このことから、あなたは間違いなく、犯人が社内の人間だと限定出来る状況にあったはずです。それでいながら、最も怪しむべき大木さんを見逃したのです。考えてみて下さい。死角となる背後で、拳銃を構えたまま陣取っている大木さんは考えようによっては相当の脅威です。それも、いざとなったら真っ先に逃げられる絶好のポジションにいました。いくら動機が無かろうと信頼が篤かろうと、犯人の見当がついていない段階では、彼を警戒しない方が難しいでしょう。犯人の目星くらいはついていたのだと言いぬけるにしても、その相手は社内の人間ですよね? 背後に黒幕として大木さんがいる可能性があります。それを否定出来ないのでは、結局大木さんを警戒しないわけにはいきません」

 犯人でも何でもない大木を指差している格好が、それらしく見える場面だった。如月は、言葉を選びながら推論を紡いでいく。

「全てを上手く説明するためには、『背後関係の明らかな御社の社員が、私に情報漏洩をした』という認識をあなたが既に持っていたということになります。私が口を割る前から果たしてこれだけのことを推論し得たでしょうか? まさか。どなたかの言説を借りるならば、それはあまりにも出来過ぎというものではありませんか?」

 バーコード頭は苦虫を噛み潰したような顔になった。大木は、鋭い眼差しで如月を睨んでいたが、やがて、疲れたように、のろのろと銃を下ろした。

 二人の様子を見てとった如月は、一気にフィニッシュにかかる。

「では、一体どうしてそんなことが可能だったのか。全く推理の条件が無かったならば、社内に前々から泳がされているスパイがいた、など考えられる答えは無数にあったでしょう。しかし、私自身の問題と照らし合わせれば、ここに二重写しの構図がくっきりと見えてきます。『この面接は、私に事前情報がもたらされていることが承知の上で行われており、アクシデントに対する私の応対こそが総合的に試験されている』。……つまり、面接の概要を私に教えたあいつもグルであって、それすら真の面接への布石だったのです。卑近な例に喩えれば、私は逆ドッキリを仕掛けられているようなものなのです。どうです? 違いますか?」

 実のところ、如月は自分の論理に何らの確信があるわけではなかった。半ば合目的的に無理矢理組み立てたものなので、粗も目立つしこじつけや飛躍も多い。何より、この世の全ての事象が論理立てて説明付けられるという考え方自体が危険だった。小さな気紛れや些細な偶然が理論性を容易に瓦解させるのが現実だ。人間の心はコンピューターのプログラムとは違うのだ。

 だが、言ってみればこれが如月の唯一の生命線だった。全てが試験の一環でした、という柔なオチでもない限り、如月の身の安全は決して保証されない。どうせ殺されるのであれば、根拠薄弱だろうが何だろうが、それらしいことを言ってみて損はしないはずだった。

 バーコード頭が、溜息を吐いてから元の席に引き返していく。二枚目然とした余裕を取り戻した大木も、それに倣った。

 如月はようやく脱力し、強張った筋肉を解すために小さく体を動かした。

「鏑矢如月君」

「はい」

 バーコード頭から名を呼ばれ、気をつけの姿勢に戻る。無言の睨み合いがしばらく続いた後、突然に向こうが破願して均衡が崩れた。

「噂に違わぬ能力だね。江島君に聞いていた以上だ」

 リーク元である江島という名が彼の口から出た時点で、それは事実上の敗北宣言に等しかった。

 奇蹟としか思えない。それは、如月の指摘が正鵠を射ていた傍証だった。

 ……どうやら本当に助かったらしい。如月は安堵のあまり大きく息を吐いた。だが、面接荒らしの矜持を思い出して、かろうじて対面を保つ。

「恐縮です」

 あれほど荒れ狂っていた大木も、今はただにこにこと人好きしそうな顔で笑っている。その表情に、今初めて好感を持つことが出来た。

 変則的な、だが極めて実践的な面接試験が、ようやく終わったのだ。

 しかし。相手の狙いの大枠を看破したことと、それに対して十分な評価を得ることが出来たのは目出度いが、ことはそう単純ではない。今回の面接は、任務でもなければ練習でもない。如月には明確な目的があるのだ。実はあいつに担がれていた、という時点で、如月の計画がどういう方向に進もうとしているのか見当もつかない。これがあいつからの妨害工作であると考えるならば、それだけで衝撃的だった。素直に喜べない。

「ここからは君の個人的な問題に関わってくる。ざっくばらんな話をしようか」

 バーコード頭が高価そうな手帳を開きながら言った。如月が返事に迷っている間に、彼は見切り発車した。

「失礼ながら、君は我が社の江島君、つまり、江島穂積君のをしているという認識でいいのかな」

 直球だった。如月は憤然としたが、首肯するしかない。

 三年前、如月は、まるで三流ドラマのエピソードのような劇的な出会いをした。夜道、二人組の酔っ払いに絡まれて困っていた女性を如月が颯爽と助け出し、礼を兼ねて誘われた食事で、忽ち恋に落ちた。その相手こそ、江島穂積だ。まさに運命的な出会いだった。どちらからとなく二人の距離は縮まり、気付けば恋愛関係にあった。

 一年ほど前から同棲を始めたが、稼ぎは専ら穂積に依存する形になっていた。如月は面接のない日は基本的にぶらぶらしており、全くもって駄目男の態である。面接荒らしは外見上完全に無職であり、守秘義務があるため職務内容を他人に漏らすことも出来ないので仕方ない、と如月は諦めている。

 若干肩身の狭い思いをしているが、時折現金を引き出しては、適当なバイトをしたという名目で穂積に渡している。穂積がその金の出所をどう考えているか知らないが、綺麗な金であるとは到底思っていないだろう。何にせよ、渡した額は結構なものになるはずなので、自身のプライドのために一言言い添えておくことにした。

「ヒモというと、女性の収入に一方的に、それも不当に依存しているような印象を受け兼ねません。私の場合はそうでないことを付け加えさせて下さい」

 面接荒らしの名を出せないのが歯痒い。まあ、当の面接でそれを暴露するようでは身も蓋もないが。

 バーコード頭は困ったように頭を掻いた。歯切れ悪く告げる。

「あー、何だ、まあ、そのことも一応聞いているよ。時折現金をどこからか持ってくる、という……」

「芳原さん、せっかくの機会だから、彼に現実を教えてあげてもいいのではないですか?」

 大木の言葉で、如月はようやくバーコード頭の方の名前を把握した。二人ともどこか同情するような目でこちらを見ているのが不思議だった。

 バーコード芳原はしばらく困惑を顔に昇らせていたが、やがて口を開いた。

「どうなんだろう。この辺りは、江島君にも相談したいところだったんだが、まあ、止むを得まい。鏑矢君、率直に言ってしまおうか。……私は、という職業について、多少ばかりの知識を持っているんだよ」

 如月は、驚愕のあまり絶句した。頭の中が真っ白になるのがわかった。

 これまで用心のため、疎遠になっている家族は元より、大学時代の親友や、当の穂積に対してすら自身の正体を隠していたのだ。誰からも情報が漏れるとは思えない。何故芳原の口からその職業の名が零れ出るのだろうか。

 面接荒らしであると喝破されることは、文字通り命取りだ。

 どうして、彼がそれを知っているのか? こっそり受けた面接試験まで含め、全てが網羅的に把握されていたとでも?

 如月は絶望的な心地で、説明の続きを待った。

「やはり、思い当たる節があるようだね。君は今おそらく、どうやって私が正体を見破ったのだろう、などと考えているのだろうが、その推測はひどく的外れだ。根本的な誤解がある。私は別に、君の正体を見破ったわけではないのだ」

「……カマをかけた、ということですか?」

 芳原、大木が揃って首を横に振った。ユニゾンというに相応しい完璧な所作に、思わず頬が緩んでしまった。

 そして次の科白を聞き、緩めた頬がそのままの形で凍りつくことになった。

「もっと根本的な誤解だ。君は、

 如月は、呆気にとられて我が耳を疑った。芳原が何を言っているのか全然わからなかった。

 如月には四年間の実績がある。年間数十社の採用面接を受け、その全てで面接スキルを如何なく発揮して、まさに面接試験を荒らしてきた。それだけに飽き足らず、暇を見つけては近隣のアルバイトの面接を片っ端から荒らし回り、面接応対の腕を磨いた。如月の行動が適確に評価されている証拠に、如月の口座には毎月一日に少なからぬ定額の振込みがある。

 穂積に出会うまでは、間違いなくそれのみによって口に糊していたのだ。他の如何なる収入源も持っていないし、プロの面接荒らしと言って支障はないはずだった。

「そもそも、君は面接荒らしのことを最初にどこで知ったのかね?」

「……以前にも噂くらいは聞いたことがありましたが、正確に職業としての把握をしたのは、『現代日本裏稼業案内』というビジネス書を読んだのが最初です」

「やはりか。政府が発禁処分にしたせいで、僅かに出回った分の希少性が増して、四年ほど前に変なブームになった本だな」

「そうです」

「で、君はちゃんと読んだ?」

「はい、勿論です」

「じゃあ、面接荒らしは面接に合格してこそ意味があるってことを理解してるよね?」

「はい、勿論です」

「我が社が調べたところが確かなら、君は全ての面接によね」

「そうです」

 如月はしかし、そういった切り口で自身の能力を算定されるのは不本意だと思い、猛反発した。

「そのように結論されると、あたかも私の面接スキルに不足があったり、人間性に欠陥があるのではないか、という誤解を生じかねません。真の面接荒らしに重視されるのは、実際の面接においてどれだけ適確な判断を下し、正確な答礼を返し、適切な態度を取れるか、という能力面であって、結果は二の次であると私は考えます。事実、今回の面接においても、私の能力は如何なく発揮されており、お二方ともそれを強く実感されたことと、このように自負しております」

 芳原は、複雑な表情で二度三度と頷いた。

「君の言い分にも一理ある。一理しかない、とも言えるが。確かに君は、大企業における就職試験で、何次にも渡る面接を次々と突破し、悉く最終面接まで駒を進めている。並々ならぬ地力を感じるし、本職の面接荒らしに勝るとも劣らない才能であると認めよう。だが、肝心の採用がかかった最終面接で必ず落ちるというのは、やはり君に問題があると見なさざるを得ない」

「異議があります。合格しても採用を蹴るのが面接荒らしの本分です。不合格であっても結果は変わりません。私はそうした考えの元、意図的に落選するように振る舞ったり、スキルの上昇のために実践的な実験行為に及んだりすることを辞しません。それを加味して戴かないことには、私の本領を理解することにはならないかと思われます」

「……やはり、君には根本的な誤謬があるようだ。それも、面接荒らしをする上で文字通り致命的なそれが」

 芳原の鋭い視線で、如月は射竦められたようになった。

「結果よりもそれに至る過程や内容を重視するやり方に、私は基本的に賛成だ。それは決して悪いことではない。ただ、面接荒らしに当て嵌める場合、その階梯が全く間違っている。面接荒らしという名称にばかり目を奪われて、職業的本質を見誤っているのではないかね? 彼らにとっての本分は、一流企業のことだ。自信を持ってバリバリ仕事をこなすエリートビジネスマンの鼻っ柱を、たかだか二十年ぽっちしか生きていない世間知らずの無職の若造が他愛なくへし折って回る。その様が滑稽であるからこそ、激務で鬱屈した官僚が金を出そうという気になるのだ。面接荒らしに求められる才能は、如何に無茶な理由で採用を断るか、という向こう見ずな無謀さだ。オフにバイトの面接を受けて回るのも、面接の練習などではなく、尋常でない離職理由を披露する実験だ。わかったかね? 彼らにとって、面接を突破して内定をとることなど、大前提に過ぎない。面接の達人は素人芸としてハウツー本でも書けば良いのであって、プロの面接荒らしとは雲泥の差がある。君の面接突破のポテンシャルは確かに面接荒らしに匹敵するが、君は面接荒らしの

 衝撃的な事実を知らされ、如月は放心状態にあった。

 面接の突破は前提に過ぎない、だって?

 自分のスキルは素人芸、本分を見誤っている、だって?

 馬鹿な。そんなことがあってたまるか!

 如月は、自身を支える基礎が大きくぐらつくのを感じた。面接荒らしを否定されることは、如月の全てを否定されることに近く、容易に認めるわけにはいかなかった。

 今の言説は確かに説得力のある話ではあったが、物的証拠が一切ないではないか。一方の如月には、自身の経験という強固な証左がある。どちらを信じるべきか、一目瞭然だった。

 如月の中から沸々と怒りが湧いてくる。まさか、また担がれたのではなかろうか。そんな懸念が生まれる。

 だが、ここまで来て声を荒らげるのも大人げの無い話だ。それこそが相手の狙いかも知れず、面接テクニックに基づいて冷静に議論を進めることにした。

「採用面接試験を突破していないという事実がある以上、確かに私に至らないところがあることも認めざるを得ないでしょう。しかし、実際に私が面接を受けることで生計を立てているのもまた事実です。私の活動は面接荒らしの一環として、正しく政府に評価されているのです。その証拠に、私の口座に毎月振り込まれる多額の給与があります。尤も、面接荒らしの話を持ち出して、私の自白を得ることが目的だったと言うなら、潔く負けを認めざるをえないでしょう。正体を暴露されたことで、面接荒らしは廃業同然。どうせ振込みは今月で打ち切られるでしょうからね」

「いやいやいや、それに関しては全く心配ないよ」

 朗らかに笑いながら、芳原が言った。

 それを見て如月は、自分の浅慮に気付き赤面した。そうだ。今更、面接荒らしの収入について懸念すること自体がナンセンスなのだ。

 この会社の面接は、任務で来たのではない。

 如月は、面接荒らしに終止符をうち、でこの面接を受けに来たのだ。手応えからするに、採用試験はどうやら合格したようなので、結果として面接荒らしとは完全に縁を切ることになる。ならば、面接荒らしとしての給与が打ち切られることなど、正体の暴露云々以前に自明の話だったのだ。

 面接荒らしの機密保持のため社会的に抹殺される危険性について言及するならともかく、給与の打ち切りを憂えるなど器の小ささを自ら露呈したようなものだ。

 理解を深めた如月が、恥ずかしさを誤魔化すように相手に合わせて笑おうとしていたところ、爆撃のような発言が芳原の口から飛び出した。

「君への多額の振込みは、まだまだしばらく続くはずだよ」

「な! どういうことですか!」

 瞬間的に如月の頭は沸騰し、思わず大きな声になった。

「それはつまり、この面接、私は不合格だということですか! 御社への採用については白紙であり、しばらく面接荒らしに甘んじろということですか!」

「何を言っているのかね。我が社の採用に関しては全く別の問題だ。そもそも君は面接荒らしなどではないとあれほど説明しただろう」

「あくまでも私を侮辱する気ですか!」

「あのねえ、君、いい加減現実を見たまえ。毎月一日に匿名で君の口座に振り込まれているのは、であって、某省庁からの支度金などではないのだよ」

 如月は、開いた口が塞がらなくなった。

 唇はわなわなと震えているが、その原因は赫怒だけではなさそうだ。頭の中には様々な言の葉が浮かんでくるが、どれを口にすれば良いのか全く判断がつかなかった。困惑の中で芳原の声を聞いた。

「君のご実家は随分と裕福らしいね。格式のありそうな苗字だと思っていたが、案の定地元ではそれなりの名士らしい。多くの医師を輩出する家系とのことで、頭脳の方も折り紙付きだ」

「どうしてそれを……」

「我々の情報網を舐めてはいけない。調べはついているんだ」

「一応フォローしておくが、過去を喋りたがらない君に業を煮やした江島君が個人的に興信所に依頼した、などという下衆の勘繰りは止した方がいい。これはそういった次元の話では無い」

 大木がさらりと割り込んで言った。

 如月は、何を信じれば良いのかわからなくなった。

「君としては、実家と既に縁が切れたつもりだったのだろう? 大学を卒業しても定職につかずぶらぶらして、厳格な父親との折り合いが付かずに飛び出して、以降は完全に独立したつもりだったわけだ。とんでもない話だ。名家の力を侮ってはいけない。過保護なんだよ、彼らは基本的に。父親がいくら絶縁宣言をしたところで、心配した母親がこっそりと仕送りを送ることなど目に見えている。それも、一般から考えれば随分と過剰な額を、だ。連絡先は一切わからなくても、息子の口座番号くらい当然知っている。温室育ちの君が、わざわざそれを変える様な面倒をするとは思えないしな」

 思い当たる節があるだけに、如月は何の反論も出来ない。

「後は、ちょっとした偶然の悪戯だ。……タイミングが良かったというべきか悪かったというべきか。やりたいことが見つからず、当たるを幸いとにかく各種就職面接を受けまくった時期と、母親による仕送り開始の時期と、『現代日本裏稼業案内』が話題になった時期がぴたり一致してしまったのだね。その結果、無職の若者が裏稼業へ就いたものと一方的に勘違いし、粋がり始めることになったわけだ」

 膝の力が抜けて、その場に崩れ落ちてしまいそうだった。

「そんな……馬鹿な」

「残念ながら、それが現実だよ」

「じゃあ、この面接は丸っきり茶番じゃないか。本当にただの就職面接じゃないか。恋人と結婚するために職を得ようとするうだつの上がらない青年の奮闘記じゃないか。それも、恋人のコネを使って同じ会社に入ろうとするだけの!」

 如月は、どうしようもない無力感に襲われた。面接用の余所行きの仮面すら剥がれて、地の性格が晒される。

「ははは、言い得て妙だな。君の思惑では、それは偽装に過ぎなかったんだろう? ほのぼのラブコメディーの影で、政府筋との確執が生じるはずだったんだろう? 裏稼業の一方的な廃業はかなりのリスクがあるからな。そうして、ハードボイルド的闘争でも起これば、君のことを単なる無職青年だと思っていた江島君は吃驚仰天だ。君を見直すとともに、その危険な匂いに惚れ直すに違いない。わざわざ柔術を学んだ甲斐もあったというものだね。どうせラストは、『全てを捨てて二人で逃げないか』なんて決め台詞で高飛びでもするつもりだったのだろう。運命を変える採用面接、危機の中で確かめ合う真の愛、と煽り文句も完璧だ。自信過剰な君らしい計画だね」

「ば、馬鹿にするな!」

 如月は思わず叫んだが、細部は違えど狙いとしては殆ど図星だったので、完全にやり込められた気分だった。

 どうにかして落ち着きを取り戻そうとするが、面接荒らしという大きな支えを完全に失った今、命綱なしで綱渡りをさせられているに等しい不安に、頭がオーバーフロウを起こしている。

 なんだか妙なことになっている。まず、如月はそれだけを把握し直した。

 そもそも、面接の発端は穂積にあるのだ。年齢的に身を固めることを考え始めた如月がその話を持ち出すと、穂積は、結婚後に家庭に入りたいという思惑を語った。これは実に意外だった。

 彼女は普段から男みたいな口を利くし、着こなしもさっぱりとしており、超一流のキャリアウーマンといった態で、女性の社会進出に一役買えることを至福の喜びとするタイプに見えたからだ。実際穂積は、相当変則的な職種だという社内で独自の地位を獲得し、一般的なOLとは比較にならない給与を得ていることを誇りにしている節があった。尤も、決してその業務内容を教えてくれることはなかったが。

 それはともかく、私と結婚したいなら一流企業に就職しな、と告げる彼女に対抗して衝動的に、なんだったらお前のご自慢の会社に楽勝で入ってやるよ、と言い返したのがことの始まりだった。今から考えれば、まったくもって子供じみた意地の張り合いだったと言えよう。

 随時人員募集という採用情報を見つけた如月は、早速履歴書やエントリーシートなど必要書類を送付した。恐るべきことに、会社の公式ホームページにおいてさえ絶妙に職務内容が秘匿されており、志望動機の捻出に苦心惨憺することになったが、抽象論でうやむやにして乗り切った。面接の前段階である必要書類の処理には手慣れている。

 どうせ就職したらわかるのだから、と拝み倒して聞いた穂積の話によると、彼女の会社の職種は接客業の一種とのこと。大部分の人間は総合的な補佐業務に当たっているらしい。それ以上のことはどうしても教えてもらえなかった。結局、何が何だかわからないままだが、何やら怪しげな雰囲気だけは伝わって来た。堅気の仕事ではないのかもしれない。

 書類審査が通り、面接の日時が指定された。

 それを告げた途端、訳知り顔の穂積がぺらぺらと、うちの面接は異常だからね、と頼みもしないのに傾向と対策を喋り始めたのである。情報は実にありがたかった。出発点はお互いの対抗意識から来ているはずなのに、わざわざヒントをくれるなんて、何だよ、やっぱり俺と結婚したいから頑張って欲しいってことじゃねえか、可愛いとこあるなあ、などと惚気て好意的に解釈し、如月は一頻り幸せな気分になった。まあ、その一方で、裏稼業から足を洗うことで訪れる危険に満ちた恋愛活劇を夢想してもいたのだから、真に薄情な話ではある。

 ところが、だ。

 穂積の行動が解せない。

 穂積は元々今回の件を、『無職の恋人が自分に釣り合う人間になるため悪戦苦闘してくれている』という甘っちょろい美談としてしか認識しなかったはずで、だからこそ面接傾向のリークも十分に故あることとして納得出来たのだ。

 しかし、実際はそのリークの裏で、芳原達と共謀していた。それも、如月に面接情報をリークしたという事実を会社側に教えた、というレベルでなく、異常な面接が行われるという前情報が作為的に、あまつさえ社の意向として如月に届けられた可能性が高いのだ。如月は完全に担がれた形である。

 如月の面接荒らし幻想が脆くも崩れ去り、裏稼業に関する全ての迷妄が露と消えたとて、穂積の行動が不審であることに変わりはない。穂積は一体何を考えていたのだろうか?

 単純に考えれば、如月には自分の会社に就職して欲しくなかったので妨害工作に及んだということになる。だが、他に幾らでもやりようがあるではないか。

「率直なことを言うと、私には君を馬鹿にするつもりなど毛頭ない。むしろ、君の力を人一倍高く評価していると言うべきだろう。だからこそ、今回の異例の面接が実現したのだ」

 芳原がごちゃごちゃ言っているが、何のことやらわからない。究極的なまでに頭が混乱していた。

「我が社の業務とも大きく関わりがあるから状況は煩雑になっているが、要するに江島君は君を試したのだ。君が生命の危機に瀕した時、それでも恋人の安全を最優先に考えてリーク元を黙秘するか、あるいは目先の都合の良い取引に釣られて口を割ってしまうか。この見極めは同時に、我が社に必要な人材を選定する上で、非常に重要な課題でもある。君は見事に江島君の名を守り切り、あまつさえこちらの策略すら見破ってみせた。江島君の恋人としても、我が社の社員としても完璧な、想像以上の適性だ。君に異存さえなければ、すぐにでも採用を決めたいくらいだ」

 半ば虚脱状態の如月は、話についていくのが精一杯で、採用面接での合格を告げられたというのに、礼の一言すら口にすることが出来ない。

「だが、そもそも江島君の強い推薦がなければ君は書類選考で落ちていたはずだ。社員の婚約者を登用するなど、業界内から見れば正気の沙汰ではないからね。江島君にも相当なジレンマがあったに違いない。何しろ君の似非面接荒らしで培われたスキルは相当なもので見逃すには惜しいが、一方で、我が社への就職が決まったらだろうから。江島君にとってそれは片翼を失うに等しい。どうすれば良いのかわからなくなって、結果として、判断を私達に一任する形をとったのだ。つまり、君が面接中にリーク元として江島君の名をあげれば、即不合格。私達が江島君とつるんでいることは隠したまま、口が軽いことを理由に君を罵倒して追い返す。江島君はあくまで善意で君に面接概要をリークしたことになるから、君の心象は悪くならない。また、情報漏洩を理由に江島君を馘首にする必要など本当にはないわけで、わけだ」

「……え?」

 さすがに辻褄の合わないことを言われて、如月は割り込んだ。脳は困惑の渦中にあったが、どうにか言葉を纏める。

「どうして穂積はんですか? 逆でしょう。軽々しく恋人を売ったわけだから、失望してもおかしくないはずです。約束の就職にも失敗していますしね。結婚したいあまり取引に応じたのだ、と好意的に解釈するにしても、それならばそもそも裏工作自体が無意味でしょう。いや、それより、私が御社への就職を決めたら、という見解が一番おかしいのです。一体どんな裏づけがあってそんなことをおっしゃるのです?」

 芳原はじっくりと瞑目し、沈思黙考した。やがて、重々しく口を開く。

「君が我が社と契約すれば、全ては氷解するよ。何ならこの場で雇用契約を結んでしまおうか? ただし、そうなると簡単には後戻りは出来ないし、明日からでもすぐに、一筋縄では行かない業務が待っている。時には刃傷沙汰も覚悟すべきだし、法律の知識が必要になることもある。文武両道、道程は決して甘くない。何の職業も経験したことのない君には厳しいかもしれないが、まあ、面接突破のために学んだスキルも無駄にはならないだろう。就業前に業務に関する質問には答えられないが、何か異論はあるかね?」

 如月は流されるままに、ありません、と答えていた。口が滑った、というに等しい軽率さだった。大木が一旦部屋を出て行き、分厚い紙の束を封筒に入れて持って来た。

 いくつかの書類に必要事項を記入していく。誓約書の類は、誓約文に謎の空欄があって内容が把握出来ないようになっていた。これ以上にない怪しさを感じたが、穂積が平然と勤めている会社であることを考えて、疑念を包み隠す。

「実印が必要なようですが、今日は持ち合わせがありません」

 如月が言うと、二人が苦笑した。

「鏑矢なんて、さすがの我が社にもストックは無いだろうな」

「だから私は、珍名が嫌いなんですよ」

「なるほどね」

 何がなるほどなのかわからなかったが、印鑑は後日という約束で、契約は仮の形ながら結ばれたことになった。これは芳原達の判断ではなく、如月が無理に頼んだのだ。彼が最優先にしていたのは、社員になることによる身の安全の確保でも、無職という不名誉なカテゴリーからの脱却でもなく、すぐにでも業務内容について提示を受け、胸のもやもやを晴らしたいという知識欲の一類だった。

 面接の最初から、とにかく謎が多過ぎた。その最後に現れた究極の疑問点に、如月は早くけりをつけたかった。

 穂積の思惑、面接官の策略。その両方に、この会社の業務内容が関与しているらしいのだ。

「よろしい、それでは説明しようか」

 如月は、新しく用意された今度はまともなパイプ椅子に座って居住まいを正した。

「とりあえず、鏑矢君が驚くことは間違いないと思うけどね。実は私達は初対面ではないんだよ」

 思わせぶりな前置きをして、大木が間を作った。

「え、そうですか? 全く憶えがありませんが。失礼ながら、いつお会いしました?」

「三年くらい前かな。その場には江島君もいたよ」

「……すみません。憶えていません」

「まあ、私の話を聞けば、すぐに思い出すはずだがね」

 色気のある流し目をくれてから、彼は囁くように告げた。

 如月の疑問を氷解させ、同時に彼を絶望の淵に突き落とす職業の名前。如月は、相手が自分よりも遥かに上手だったことをようやく完全に理解した。理解せざるを得なかった。


「我が社の業務は、だ」


 如月は、面接荒らし幻想に勝るとも劣らないもう一つの夢想の中に身を置いていたことを知った。

 残念なことに彼は、無職である上に詐欺師のカモでしかなかったのである。





・付記 磯海風新書『現代日本裏稼業案内』より


ファイル九六劇団型結婚詐欺師

職業タイプ:犯罪者予備軍(一歩踏み外せば命取り型)

年齢・性別・学歴・職歴条件:特になし。

ただし、偽証は万が一に備え、冗談ですむ程度にとどめること

お勧め度★★★★★★★★☆☆


 職務内容:文字通り、結婚詐欺を行う。ただし、巧妙なやり口で警察の摘発を逃れ、犯罪として成立させないのが原則。訴訟や逮捕拘束への応対も仕事の一環ではある。ターゲットを決めると、運命的な出会い、大胆な告白、小さなすれ違い、些細な痴話喧嘩など、あらゆる自然恋愛のシチュエーションを演出するが、その際、主演(主犯)の人間のみならず、地味に脇を固める助演(共犯)の人間が強固なサポート体制を整えて暗躍している。ターゲットが結婚を決意すると問題を勃発させ、惚れた弱みに付け込んで金銭を詐取したり、何食わぬ顔で結婚し、後日離婚の際に多額の慰謝料を請求したりする。また、配偶者のある者に接近して関係を結び、恐喝まがいの手段に訴えるケースもあり、結婚詐欺と言うより、美人局の真似事すら含めた恋愛の修羅場の演出こそが本分のようだ。助演の人間は、通りすがりの一般人、酔客、暴力団関係者、借金の取立人、調停に現れた弁護士、暗殺者、警察官、挙句は諸外国の王族までこなすため、卓抜した技能が要求される。大体の人間は主演と助演を両方こなすが、数少ない主演専門の人間は業界内の花形であり、詐欺師であることなど微塵も窺えない高潔な人格の維持が必須要件である。同時進行で何役もこなすつわものもおり、年間億単位の金を稼ぎ出す者も少なくない。詐取への良心の呵責さえなければ、一押しの職業である。

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みんなには向かない職業 今迫直弥 @hatohatoyama

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