3.氷山の一角
暗い部屋に男が1人。明かりは机の上の液晶だけ。デスクの上、大がかりな機械からは女性の声が流れている。
「3日後に能力が発現した。ジェーンは完璧にコントロールしてたけど、私は――」
カシャン。
短い、メカニカルな音。黒い殺意が男に向けられる。主はそれに気が付かなかった。ヘッドフォンの向こうに集中している。破裂音が鳴り、デスクに血が飛び散る。
仕事を終えた侵入者は、デスクに目を向けた。機械からは変わらず声が流れている。
赤い幕の下で、携帯が白く光った。もう見ることのできないメッセージを知らせるため。
『メアリー:1時間で着く』
目が覚めると、体は床の上に転がっていた。全身が痛い。気分が悪い。吐き気がするし、頭もズキズキいってる。
昨晩遅くまで、クレアに身の上話を聞かせた。夜遅いからベッドを貸して、自分はソファで寝た……つもりだった。慣れない酒に途中で潰されたのか、ソファから落ちても気にならないほど酔い潰れたのか。どっちにしろ飲み過ぎたことは確かだ。
とりあえず水を飲もう。
ピーンポーン。
何とか立ち上がり、キッチンに着いたエマを出迎えたのは、インターホンだった。
「誰よ、こんな朝早く」
若い警官だった。最悪の知らせを持ってきた。
「下の階で殺人がありました」
捜査に来たのは、昨日の女性刑事だった。エマとクレアはリビングに集められ、刑事と向かい合わせに座らされている。他の捜査官は盗聴器を探すとか言って部屋を漁っている。居心地が悪い。
「住人が通報したの。現場にはこれが」
刑事が出したのは、ビニール袋に入った黒の画用紙。カフェの時と同じ赤い文字が刻まれている。
『FROM EVIL ICE』
「この人物は、12時間で2人の男を殺した。そして、その両方の現場にあなたがいた」
「被害者と話したことは?」
「2,3回挨拶したくらい……だと思います」
「被害者の身元は、超常犯罪対策機構のエージェントだと判明した。そんな男がなぜあなたの部屋を盗聴してたの?」
「……わかりません」
刑事は引き下がらなかった。
「いい? よく聞いて。昨日、モーロングから逃げるあなたを見たって証言が5つある。彼が遺体になって落ちてくる前会ってたことを隠してたわね? 講義に遅刻したのも知ってる。あなたは何かしらこの事件に絡んでる。何を知ってるのか、話して」
エマは何も答えず、クレアが居心地悪そうに座っている。気まずい沈黙を破ったのは、思わぬ乱入者だった。
肩までかかる黒髪に青い綺麗な眼。その動きは無駄がなく、洗練されていて高貴な身分を想像させる。Tシャツにジーンズというラフな格好だが、何人も寄せ付けないような凄みを感じる。
「どちら様?」
刑事の言葉には、僅かにイライラした様子が聞き取れた。
「超常犯罪対策機構P C Oの者よ。部下が殺されたって聞いたんだけど?」
乱入者は身分証明書を開いて自己紹介した。
『Paracrime Countermeasures Organization
特別捜査官 メアリー・ウッド』
「ちょうどよかった。質問してもいいかしら? どうしてあなたの部下が、女子学生の部屋を盗聴してたのか」
「この子はうちの大事な証人なの。盗聴は安全確保のため。これで納得? 他に用があるのなら、本部に連絡してからにして」
ハキハキとした、無駄のない喋り。さっきまで場を支配していた刑事を押している。
「悪いけど、あなたの指図は受けない。どこの誰に許可を得てこんな横暴を?」
それに答えるように刑事のポケットからコール音が鳴った。
「電話よ、出たら?」
メアリーを睨みつけながら電話を取る。
「ライト刑事です。ええ、はい……今何と?」
刑事は明らかに不満そうな顔をし、何度も抗議していたが、電話を切るとしかめっ面で引き上げていった。
メアリーはそれを見届けると、さっきまで刑事が座っていた椅子に腰掛けた。
「会えて嬉しいって言いたいところだけど、まさかこんな再会になるなんてね」
さっきよりも少し親しみのこもった声でエマに語りかけると、クレアに向き直って挨拶した。
「あなたがクレアね。私はメアリーよ。リリーを施設から助け出して、この家を貸してるの」
一通り自己紹介を終え、話題は一連の事件に移った。
「彼の名前はロイド・ウィアード。昨日の事件の報告を受けてから、ずっとあなたを見張らせてた。信頼できる人だったわ」
「犯人の狙いは何?」
「今のところ、モーロングとウィアードの共通点は一つ。リリーの過去を知っていたことだけ。あの刑事の言う通り、あなたは間違いなく事件の根幹に絡んでいる」
「他にあなたのことを知ってる人は?」
「ここにいる2人と、家族。あと施設にいた人間は全員」
「多すぎるわね……次の標的が絞れれば何か対策が取れると思ったけど」
打開策を出したのは、ずっと聞き役にまわっていたクレアだった
「場所で絞るのはどう? 行きつけのカフェに、自宅のアパート。エマの行く先々で人が死んでる」
「悪くないかも。ここ数日で他に行く予定の場所は?」
カレンダーに目をやった。明日、6月10日の欄に一言記載がある。
「お見舞い」
翌日、エマは花を持ってメインストリートを歩いていた。街はセレモニーに向けてお祭り騒ぎだ。至るところにグッズやコスプレイヤーが溢れている。観光客も多い。
それらを尻目に大通りを抜け、橋を渡る。ウェシレーヌ総合病院は川からすぐのところに建てられている。3年前の事件の日も、救助された4人は担架で直接運び込まれた。
救助された4人の青年。マスコミが報道するのは、その時助かったかどうかだけ。その後のことは、誰も知ろうともしない。
403号室の患者、クリスチャン・ランド。一番最初に流された青年。あの日から、一度も意識が戻っていない。
ベッドの側に女性が1人座っている。白髪混じりの頭。痩せ細り、背は丸まっている。
「ランドさん?」
「今年は、来ないかと思ってた」
彼女は振り返らずに言った。息子の手を取り、目覚めることのない顔を見つめている。
「なぜです?」
「あんな事件が起こったからよ。ニュースでずっと言ってるわ。街の英雄が、人を殺したって」
「ニュースなんて……近頃じゃ当てになりませんよ。あの人が殺したって証拠は、今のところないみたいですし」
買ってきた花を花瓶に挿そうと思ったが、水はすっかり濁っている。しばらく手入れをした様子がない。
花の匂いに誘われて、ランド夫人はようやくこちらに顔を向けた。顔のシワが増えた気がする。夫人は花を見て、悲しそうに語り出した。
「最初の年は、沢山の人が来てくれた。学校の友達や、市長や、その他名前も知らない人たちが。でも1年経つと、半分以上が来なかった。去年お見舞いに来てくれたのは、4人だけ。あの時一緒に遊んでた3人と、あなた」
「どうしてあなたは、毎年きてくれるの?」
「あの日の私は、岸から彼らを見てるだけでした。それしかできないと思ってたんです。でも、いざ振り返ってみると……どうしても考えてしまうんです。自分がもっと早く行動していれば、クリスチャンは、今も元気に暮らしてたんじゃないか……って。だから、ここに来てるのはせめてもの償いなんです。あの時、何もしないと決めたことへの……」
エマの言葉に、夫人は涙ぐんでいた。
「この子がこうなってしまったのは、残念ながらこの子自身の責任よ。例えあなたがあの日何をしようと、それは変わらない。その優しい気持ちだけで十分よ。ありがとう……打ち明けてくれて」
目の前の女性は、自分に心から感謝し、涙を流している。エマの頭では罪悪感が渦巻いていた。ランド夫人は私のことを、お人好しの優しい学生だと思っている。もし私が、もう少し早く彼らのことを助けていれば、彼女はこんな思いをしなくて済んだかもしれないのに。
「ランドさん、お手紙です」
看護師が黄色の封筒を持って入ってきた。宛名の欄には、ヒマワリの刺繍が入っている。
「お水替えてきますね」
会話が途切れた機会を逃さず、エマは買ってきた花を置いて部屋を出た。
呼吸を整える。病室の外の見張りに軽く様子を伝えてから水を替え、中に戻る。しかし病室の様子はさっきとは打って変わっていた。
夫人は息絶えていた。その瞳は力なく天井を見つめ、額の真ん中に黒い穴が空いている。手には先ほどの封筒が握られ、足元に見覚えのある画用紙が落ちている。
『FROM EVIL ICE』
自分への怒りで頭がどうにかなりそうだった。
甘かった。部屋を出るべきじゃなかった。見張りがいるからと油断して、また1人死なせた。
見張りを呼ぼうと振り返ると、そいつはいた。
ドアの影に、見覚えのある男がいた。蛍光色のコスチュームに身を包み、羽と触覚が付いている。右手には銃が握られている。
目が合った。そいつは昆虫サイズまで縮小し、飛んで逃げようとした。
捕まえないと。
考えるより先に体が動いていた。花瓶から花を取り出し、中の水をばら撒く。空を舞う水滴は、無数の氷の粒へと姿を変え、小さな侵入者を襲う。インセクトは壁に叩きつけられ、通常サイズに戻った。頭から血を流し、呻き声を上げている。
「ドアを閉めて!」
騒ぎを聞きつけてきた見張りに指示を出す。ドアノブに手を当て、凍結させる。これでしばらくは時間を稼げる。
エマはインセクトに近づき、胸ぐらを掴んだ。
「誰の指示?」
「何のことだ? 俺は、あんたが怪しいと思って見張ってただけ――」
彼を壁に叩きつけていた。爆発しそうな怒りを抑えながら首元に手を伸ばす。微弱な冷気が漂う。
「私の能力、強い精神的ストレスに晒されると、コントロールが難しくなるの。そして今、大事な人を殺されてすごく腹が立ってる。よく考えてから発言して」
インセクトは痛みに顔を歪めたが、脅しには屈しなかった。
「脅しは初めてか?」
図星だ。こんな状況なのに、相手は余裕たっぷりだ。荒事が苦手なことも多分見透かされてる。
部屋の外が騒がしくなってきている。何やら口論している様子も聞こえてくる。時間がない。
「仕方ない」
彼の左側に手を伸ばす。近くで見る羽は、より綺麗に見える。昆虫のそれのように薄く、硬い。内部は透けていて、脈が張っている。
「おい、何する気だ?」
インセクトの口調に初めて焦りが出た。
質問を無視して、手に意識を集中させる。冷気は羽に纏わり付き、脈が赤黒く変色していく。インセクトは痛みに悶えている。
「答える気になった?」
左羽が固まりきったところで手を放し、再度質問する。
「サンフレアだよ! あいつに命令されたんだ」
「ジェーンが? どうして?」
「知らねえよ。俺はただ、言われたとおりにやっただけだ」
なんだか悪い冗談のように聞こえる。実の妹がこんな手の込んだ方法で自分を苦しめている? 仲間のヒーローを使って?
頭に浮かんだ疑問を振り払う。必要なのは情報だ。頭の整理は後からでもできる。
「モーロングとウィアードもあなたが?」
「ああ、そうだよ」インセクトは悔しそうに吐き捨てた。
ドンドンドン!
病室のドアがノックされた。
「ランドさん? 大丈夫ですか?」
「タイムリミットだな」
「ええ、あなたは刑務所行きね」
「残念だが、俺がやった証拠はどこにもない。世間はヒーローを信じる。この状況じゃ容疑者はあんたの方だ。今回ばかりは、PCOも庇いきれないだろうな」
「PCOに連れて行く」
「ああ、それまで警察に捕まらなきゃいいがな」
ドアはガチャガチャと音を立てている。破られるのも時間の問題だろう。
ジェーンの狙いがわかるまで、この男を手放すわけにはいかない。
カバンから水筒とタオルを取り出す。水筒はひっくり返して、中の水を抜く。
「この中に入って」
インセクトは文句を言っていたが、右の羽に手を伸ばすと観念して大人しく従った。
タオルで目から下を隠し、後ろで結ぶ。急ごしらえだが、顔は隠せる。
「ダサい……」
ガラスに写った顔に一言物文句を言って、窓を開く。上から見下ろすと、想像より高く感じる。
「大丈夫、集中して」
自分にそう言い聞かせ、エマは窓から飛び降りた。
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