4.姉妹の再会

 結論から言うと、大丈夫ではなかった。氷で足場を作って何回かに分けて少しずつ高度を下げていく……はずだった。うまくいってた。地上5メートル辺りで目眩に襲われるまでは。ガス欠だ。能力を使い過ぎた。頭痛と吐き気に襲われ、集中力が切れる。息ができない。


 足場は崩れ落ち、背中から地面に叩きつけられた。痛み、耳鳴り。腕に力が入らない。急いでここから逃げないと。周囲の視線が集まってきてる。


「ママ! アイスフェアリーだ!」


「こら! 危ないから離れて」


 群衆が遠巻きにこちらを見つめている。

 「人殺し!」と叫ぶ声もどこからか聞こえてくる。


 歓声、怒号。その中でも一際響く力強い声が一つ。

「PCOよ、離れて!」


 遠くでメアリーの声が聞こえる。心配そうに覗き込む彼女の顔を見て、ホッとした。そしてそのまま意識が途切れた。




 姉という言葉には、不思議な力がある。40秒。それが私とジェーンの歳の差だ。そのたった40秒で、私たちの上下関係は決まっていた。自由時間には、私が遊びを決め、ジェーンが後ろをついてきていた。訓練も勉強も、大抵私の方が物覚えが良かった。


 私たちの関係が変化したのは、あの実験を終えた後だった。ジェーンはすぐに能力を使いこなした。エネルギーを自在に放出し、数時間で空も飛べるようになった。


 だけど私の力は、人を傷つけるだけだった。本来の想定よりも過剰にエネルギーを取り込んでいた私は、たびたび暴走した。それからは、溢れ出す冷気を抑えることに集中する毎日だった。心を乱せば、誰かを傷つけてしまう。そんな恐怖心を抱いて、毎日を過ごしていた。能力を抑え込むために特別な首輪をつけられ、周囲からは腫れ物のように扱われた。

 

 訓練にも支障がで始めた。ジェーンに遅れをとることが増え、その差は日に日に大きくなっていった。母からは失望したと言われ、妹には馬鹿にされる毎日。気付けばほとんど笑わなくなっていた。


 次第に、訓練も手を抜くようになった。一日が終わった後、部屋で映画を観ることだけが唯一の生きがいだった。それだけの日々が続いてた。


 荒んだ生活の終わりは、思いがけず訪れた。新しく入ってきた担当看護師。何の温もりも感じなかったあの家で、唯一私を心配し、何より欲しかった言葉をくれた。


「ここから出たい?」


 


 目が覚めると、車の後部座席に横になっていた。起き上がろうとしたが、背中の激痛がそれをやめさせた。


「大丈夫?」


 前の方からメアリーの声が飛んでくる。助手席からこちらを振り返り、夢の中と同じように、心配そうな顔でこちらを覗いている。


「で、何で窓から落ちてきたわけ?」




「まあ色々突っ込みたい気持ちはあるけど、少なくとも首謀者はわかった。ただ、逮捕はまだ難しいわね……」


 一連の説明を聞いたメアリーは、エマの水筒をツンツンと突きながらぼやいた。甲高い叫び声が、中から微かに聞こえてくる。

 

「インセクトは証言した」


「勿論拘束はするし、できる限りの手は打つけど……起訴まで持っていけるかは、正直怪しい」


 状況を理解してないのを察して、メアリーが説明を続ける。


「看板娘が連続殺人を指示していたなんて、ベル社が認めるわけない。半端じゃない金と人材を使って、火消しにかかってくるはず。下手をすれば、こっちが名誉毀損で訴えられるわ。うちとしても、公式に許可の降りてない作戦で、未登録の超人が協力してたなんて公表できるわけがない。お偉方が話し合って、お互い痛み分けで手を打つのがオチよ」

 

 メアリーの話は多分その通りなんだろう。だけど、気持ちが納得できない。エマの目線の先は川に向かっていた。人々が集まり、楽しそうな声がここまで聞こえてくる。そういえば今日は、ヒーローズ・セレモニーの日だ。クレアの話だと、サンフレアもここに来るって……


「もし本人に会って、直接証言させられたら?」


「あそこに乗り込む気?」

 メアリーの声には、驚きと心配が混じっていた。


「気持ちはわかるけど、街中のヒーローがあそこに集まってきてる。無策で行くには危険すぎる」


 メアリーの言う通りだろう。ジェーンの手先が、インセクトだけだとは限らない。下手したら虎の巣に飛び込むことにもなりかねない。でも――


 ランド夫人の虚な目が頭に浮かんでくる。私のせいだ。私が関わらなきゃ、あの人は死なずに済んだ。


「ジェーンは止まる気がない。早く何とかしないと、犠牲者は増え続ける。何かできることがあるなら、行動すべきよ」


 メアリーはまだ何か言いたげだったが、それを飲み込み運転手に水筒を渡した。


「こいつを本部に連れてって、一番厳重な虫籠に入れといて」

 

 そしてこっちを振り向き、真っ直ぐ目を見て言った。

「私も行く」


 


 2人で川まで歩く道中は、特に会話なく進んだ。沈黙は嫌だった。どうしても事件のことを考えてしまうから。私のせいで既に3人死んだ。その事実に、押しつぶされそうになる。とにかく、何でもいいから気を紛らわせたかった。


「クリスチャン・ランドは、無事なの?」


「今のところ、命に別状はないって聞いてる」


「彼は、これからどうなるの?」


 メアリーはすぐには答えなかった。


「それを知ってどうする気?」


「いいから、教えて」


「ランド夫人は夫と死別してて、頼れる親戚も、友人もいない。多分誰か遠い親族に話がいって、その後は、医療費やら何やらの話し合いが行われるでしょうね」

 メアリーは敢えてその先をぼかした。だが、彼の顛末について察するには十分だった。


「リリー、あなたが気に病むことじゃない。彼がああなったのは、自分のせいよ」

 多分暗い顔をしていたのだろう。メアリーにしては珍しく、優しい口調でそう言った。


「でも、私が助けた。で、あの人たちの苦しみを3年間も引き延ばした」


「救えない人もいる。一々気にしてたら、今度はあなたの人生が破壊される。時には、そうやって自分を納得させないといけないこともある」

 どこか遠くを見つめるように、真っ直ぐ前を向きながら彼女はそう言った。


「さあ、集中して。ここからは仕事の話よ」


 2人は喧騒の元へと辿り着いていた。像の周り、普段は何もない川は、おもちゃ箱をひっくり返したかのようにカラフルに染まっている。出店が立ち並び、それぞれが大なり小なりの行列を生んでいる。人々の多くはマスクやマントを付け、グッズを手に持っている。コスプレイヤーたちは、あちらこちらで写真撮影。店の前を通れば、声をかけられる。


「お姉さん方、サンフレアのホットなチキンはいかが? 安くするよ?」


「凄いわね。あなたの力が、こんな大きなイベントになるなんて」

 その声は、少し感心しているようにも聞こえた。


「……そうでもないかもよ」

 一件の、一際大きな出店を見ながらそう返した。華やかなネオンは光を失い、カウンターにはシャッターが降りている。


『街で起きた一連の事件を受け、氷の妖精アイス・フェアリーのアイスクリームは、販売を中止させていただきます』


 妖精が、光を失った。


「きっと、元に戻る」


「……だといいけど」


 

 2人は会場を横断し、スピーチが行われる広場に着いた。ステージの後方にはプレハブ小屋が建てられ、スタッフが慌ただしく出入りしてる。

 

「どういう作戦でいく?」


「PCOの権力で何とかならないの?」


「さっきも言ったけど、この行動は全て独断。令状はないし、できれば面倒は避けたい」


 入れる隙はないか、プレハブ小屋の周りを一周したが、人目につかなそうな場所はない。それどころか――


「おい!」


「まずい」


 声が届いてから、メアリーがぼやくまでの僅か数秒、その間に男は異常な速さでメアリーの方に駆け寄り、壁に押さえつけた。青いスポーツウェアに身を包んだかっちりした男。彼が走ったと思われる場所には、2本の焦げ跡が線を引いている。

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。何をしてたんだ?」


 メアリーは全く臆した様子を見せず、普段からは想像できないほどのばっちり笑顔と高い声で男に話しかける。


「すみません、ジェット・リーさん。シャツにサインしてくれませんか?」


 リーと呼ばれた男は、メアリーの言葉を見て少し力を抜いた。しかし相変わらず胡散臭そうに彼女を見ている。


「ルールはルールだ。サインが欲しいならサウスパークで15:30から交流イベントがあるから――」


「ええ、ごめんなさい。でも私の友達が、ほらあそこの……」


 エマを指差してそういう。リーがこっちを見て、態度がまた少し柔らかくなった。


「あの、ブロンドの子?」


「ええ、彼女あなたの大ファンなの。だから良かったら……」


 男はメアリーを無視してエマの方に近づく。

「君、どこかで会った?」

 

「いや……えっと……」


「人違いじゃないかな? この子美人だから、モデルに似てるってよく言われるんです。多分それで――」


 リーはメアリーを制止し、話を続ける。


「いいや、確かに見た。覚えがある。サンフレアに聞かされた。見つけたら、殺せって――」


 臨戦体制に入る――が既に遅かった。腹の当たりに鈍い衝撃が走り、身体が宙を舞う。本日2度目だ。そして、背中から綺麗に落下した。これも2度目。


 男はリリーを踏みつけ、詰問する。


「君は何者なんだ? 狙いは――」


 空を切るような鋭い音が鳴り、リーは地面に崩れ落ちた。首筋にはピンクの針のが刺さっている。メアリーがこちらにやってくる。手には銃を構えている。


「縛るよ。手伝って」


 バックから首輪を取り出してそう言う。黒く光る鉄製。連結部のすぐ横に制御装置のようなものがあり、緑に光っている。


「それ……」


「能力者用の首輪。鎮静剤とか、公に言えないものが色々入ってる」

 

 2人の間を、冷たい風が通り抜けた。メアリーは構わず首輪を閉めて、手足をきつく縛っている。


「ちょうどいいから、彼に入れてもらおっか」


 

 

 コミックや、映画の中で輝くスーパーヒーロー。いつかあんな風になれたら、施設から解放されて自分の人生を生きられるんじゃないかって……そう思ってた。

 

 だが現実は違った。ヒーローとは名ばかり。企業の広告塔になり、お偉方に愛想を振りまくだけで1日の半分が終わる。街に出ればすぐに人が集まり、写真撮影が始まる。人助けや、悪党退治どころではない。


 施設にいた頃は、檻の中にいる気分だった。毎日観察されて、数値を取られる。ママにとって、私たちは実験動物でしかなかった。ヒーローになって外に出れば、檻から出られると思ってた。でも違った。形が変わるだけ。私の生活は今も囚われている。多分死ぬまで。たった一人、この檻の中で死んでいくのだろう。


 コンコン。


 ノック音が彼女の思考を妨げ、瞼を開かせる。


 綺麗に整えられたブロンドヘア。宝石のように透き通る青い目。計算された美しさを誇る顔が鏡に写る。スタイルのいい身体を首元まで覆う赤いコスチューム。胸元には黄色い星が輝いている。


 彼女の名は、サンフレア。地球最強のヒーロー。


「ちょっと待って」


 机に置いておいた薬を、引き出しに隠す。


 金具が外れる音がして、2人の女性が入ってきた。


 黒毛で長身。スラっとしたスタイルのいい女性と、金髪にお人形のように整った顔立ちの幼さが残る女の子。


 サンフレアの顔に、思わず笑みが溢れた。


「来る気がしてた」

 2人は無言だった。


「久しぶりねリリー、5年ぶりくらい?」

 再会の言葉は姉に無視された。代わりに口を開いたのは、黒髪の方だった。


「悪いけど、お喋りに来たわけじゃないの。PCOのメアリー・ウッドよ。お話伺っても?」


「どうぞ?」

 2人を椅子に座らせ、彼女はそう答えた。


「2時間ほど前に起きた、病院での殺人事件の容疑者を捕まえた。ビリー・グレイブ。インセクトと名乗り、この街でヒーロー活動をしていた男よ」


 サンフレアは眉を顰め、質問を返す。


「どうして彼が? 動機がない」


「それがね、彼は面白いことを言ったの。はっきり証言した。モーロングとウィアード、そしてランドを殺したって……あなたの指示で」


 また沈黙が流れる。最初に口を開いたのは、サンフレアだった。


「それで? 証拠はあるの?」


「じゃあ、あなたに心当たりはないの? 彼に3人の人間を殺させたって、全く何も?」


「当たり前でしょ? 私はサンフレアよ。何を期待してきたのか知らないけど、私は何も証言しない。そもそもしたところで誰も信じないわよ。No.1ヒーローが、罪のない人を殺させたなんて」


 ずっと黙っていたリリーが口を開いた。その口振りはどこか親しげで、まだ姉妹の繋がりが残っていることを感じた。

 

「ジェーン、何でこんなことするの?」


「あんたの、そういうところが嫌いだった」


 ゆっくりと脚を組み、ジェーンは語りはじめた。


「40秒早く生まれたってだけで姉貴づら。やる気があるわけでもないのにママにも、モーロングにも気に入られてた。私がどれだけ頑張っても、あんたの後追いにしかならなかった。だから一番になろうって、そう思って血反吐を吐く思いで今の地位を手に入れた! 格闘技、ダンス、歌、演技。気持ちの悪いおっさんたちに笑顔を振りまいて、心にもないことを言ったりもした」


「私に勝てなくなって、あんたは逃げた。そう思ってたのに……街の英雄って呼ばれて、学校に行って友達もいる。人生を楽しんでる。私には何もないのに。こんなの、不公平じゃない?」


 部屋の空気が冷たく、鋭くなるのを感じる。鏡が曇った。


「そんな嫉妬のために、罪のない人を殺したの?」


「うるさい」


 ジェーンの拳から炎が噴き出し、リリーが壁に吹っ飛ばされる。


「私がずっと欲しかった名声を、あんたは一晩で手に入れた! 街の英雄、ウェシレーヌの妖精、真のヒーロー! そこに建ってる像は私ゃない。ヒーローを讃える祭りなのに、主役はあんた! できぞこないで、逃げたくせに、どうして私の人生を奪うのよ!」


 ジェーンはゆっくりと、倒れてるエマの方に近づいてきた。一歩歩くごとに、部屋の気温が上がっていく。床のカーペットが焦げる匂いがする。

 

「あんたは私の未来を奪ったのよ。あんたの未来も奪ってやる……」

 ジェーンの手がリリーの首筋に触れる。リリーは熱がり、苦しみんでいる。押しのけようともがいているが、腕は万力のようにガッチリと固定されている。


「手を離しなさい」

 撃鉄を起こす音と、メアリーの声が聞こえた。ゆっくりと、熱が引いていき手が離れる。


「殺しはしない。。それじゃあもう行くわね。スピーチがあるの」

 そう言って、ジェーンは楽屋から出た。

 


「ここウェシレーヌは、スーパーヒーローの街として知られています。それもひとえに、とある勇敢な人物のおかげです。何の見返りも求めず、困っている人を助ける。私は彼女を深く尊敬し、目標にしていました」


 メアリーに支えられて、何とか立ち上がって外に出ると、ジェーンがステージに立ち熱く語っていた。彼女の背後には巨大なスクリーンが設置されていて、サンフレアの顔をアップで映している。


「ですが、この街の英雄の名は汚されてしまった。1人の、犯罪者の手によって」


「よく言うよ」

 耳元でメアリーがボソッと毒を吐いた。


「これから私がすることは、正しいこととはいえないでしょう。ですが、今日も罪のない、善良な市民が1人犠牲になり、私も覚悟を決めました」


 スクリーンが切り替わり、画像を映し出す。金髪に整った顔立ち。背景は見覚えのあるカフェ。ジェーンの背後で屈託なく笑っているのは、紛れもないエマの顔だった。


 サンフレアが高らかに宣言する。


「イービルアイスの正体はこの女性。エマ・シンプソンです!」

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