6.対話

 体の中から骨の歪む音が聞こえた。痛みに悶え、エマは床に崩れ落ちる。口の中は血と煙の味。全身は痛いし、意識は朦朧としている。


「もう終わり?」


 燃え盛る熱さの中、怒りに叫び腕を上げる。拳は空を切り、いとも簡単にいなされた。顎と腹に鈍い衝撃が走る。


「弱すぎ……ありえない」


 サンフレアは軽々とリリーを持ち上げ、投げ飛ばす。ガラスが割れる音と、刺すような痛み。血が流れ落ちるドロッとした感覚が背中を伝う。


 すぐ横からメアリーの辛そうな息が聞こえてくる。脇腹を貫かれ、血を流している。


「……逃げて」

 弱々しい言葉でそう言った。


 リリーは首を横に振る。

「置いていけない……」


「ああ、感動的ね」

 言葉とは裏腹に恐ろしいほど淡々とした声。


「サンフレア!」


 崩れた瓦礫を踏み潰しながら、怒りに満ちた赤い獣が部屋に入ってきた。燃える部屋の中のソレは、正しく悪魔の形相だった。


「俺の獲物だ」


 彼女は何か言いたげに見つめていたが、従った。


「ええ、そうね」


 床に転がってるデスクを蹴り飛ばした。正面にメアリーが現れる。床に崩れ落ち、辛そうに呼吸している。


 燃える拳がメアリーに向けられた。


「じゃあね」


 その時、部屋中に広がっていた炎が消えた。暗い部屋に3人の白い息が漏れる。蛍光灯が割れ、ガラスが部屋に降り注ぐ。


 低い足音が近づくとともに、気温が下がるのを感じる。ジェーンは足音の方に拳を向け、炎を放つ。しかしその光は、彼女に届く前にかき消された。炎に一瞬照らされたその顔は、冷たくこちらを睨みつけている。


 その迫力に、サンフレアが半歩後ずさった。


「よくも……メアリーを……」


 窓が割れ、冷たい空気が部屋に流れ込んでくる。サンフレアは覚悟を決め、両手に拳を握り締める。


 熱気と冷気がぶつかり、周囲の全てを吹き飛ばした。エマの体は窓を突き破り、外に落ちていった。




 高校初日のことは、きっと生涯忘れない。


 施設では、友達の作り方なんて教えてくれなかった。しつこくアプローチしてくる男子を穏便に捌く方法も。高校最後の年にやってきた転校生。ブロンドが輝くとびっきりの美女。芝居がかった話し方に、わざとらしいほどの世間知らず。学校中から嫌われるまで、1日もかからなかった。


 昼休みになる頃には、私の居場所なんてどこにもなかった。カフェテリアでたった1人。隅の方の席に腰掛け、下を向いて黙々とランチを口に入れている。顔を上げたら、自分が孤独なのを再確認させられるから。


 こんなつもりじゃなかった。夢にまで見たスクールライフが、こんな惨めなものだとは思わなかった。


「ねぇ?」

 大きな音とともに、目の前にいきなりランチプレートが降ってきた。


「ここ、座っていい?」


 ハキハキとした気持ちのいい声。目線を上げると――


 かっこいい。


 それが彼女の第一印象だった。芸術性溢れるシャツに、黒い擦り切れたぶかぶかのジャケットを羽織っている。顔立ちはキリッとしていて、右耳にはピアスが開いている。


「ええ……どうぞ?」


 彼女はお礼を言って目の前に座った。エマは周りを覗き見る。カフェテリアは確かに混んでいたが、満席じゃない。ここじゃなくても食べられたはずだ。


「噂の転校生だからさ、話してみたくって」

 タイミングよく彼女はそう言った。


「心が読めるの?」


 真面目にそう聞いてしまったリリーがよっぽど面白かったのか、彼女はその発言に笑って乗っかった。

「そっ。わかるよ。あなたは今こう考えている……あー、ここのサンドイッチは激マズ」


 舌を出し、吐くジェスチャーをしながらそう言う彼女を見て、思わず笑いが溢れた。その一瞬だけ、今日の惨めな気分を忘れられた気がした。


「じゃあ私、午後あっちだから」


 ランチを終え、次の教室の前で、彼女はそう言った。


「ありがとう、色々。えっと……」

 

「クレアでいいよ」

 彼女はそう言って手を差し出した。少し躊躇したが、できるだけ平静を保ってその手を握った。


「エマよ。エマ・シンプソン。よろしく」


 


 最初に目についたのは、灰色の天井。湿っぽい匂いが鼻腔をさす。起きあがろうとすると、背中に激痛が走った。


「やめておいた方がいい」

 男の声が聞こえる。エマは反射的にシーツを首までずり上げた。男は同い歳か、少し上に見える。引き締まった筋肉質な体に、短く刈り上げた髪。どこかで見たことがある気がする。


「ここどこ?」


「市の東部のボート倉庫。岸に流れてきてたのを、俺が助けた」


 シーツの下は、ロンT一枚だった。白地に赤い文字が刻まれ、真ん中には黄色い星。


『SUN FLARE』


 …………


「血と水でびしょ濡れだったから、今洗濯に出してる」

 彼は奥の扉を指差しながらそう言った。


「それと傷の手当ても」


「傷?」


「全身青痣だらけだったのと、背中に切り傷が」

 背中をさする。腰の上、背骨と並行に線ができてる。


「ありがとう」


「何か食べる?」


「……いい」

 空腹感はあったが、食べる気にはならなかった。それに彼を信用すべきかもわからない。


「あれだけ血を流してたんだ。食べた方がいい」

 山盛りのオートミールがテーブルに置かれた。実物を見ると余計お腹が空いてくる。

 

「助けてくれたことには本当に感謝してる。だけど、私がここにいたらきっと迷惑がかかる」


「誰にも見られてない。ここにいれば安全だ」


「私が誰か知らないでしょ」


「エマ・シンプソン」


「市内の大学生で、その裏の顔は街の英雄アイスフェアリー。今は連続殺人の容疑者で街一番のお尋ね者。みんな知ってる」

 

「私のことを知ってるのに、どうして助けたの?」


「君に聞きたいことがある」

 曇りのない栗色の目を向けてそれだけ言った。


「何を知りたいの?」


「真実」




『イービルアイスとPCOの蜜月 ヒーローが陰謀を暴く』


 テレビは何度も同じ映像を流している。ビルから爆煙が立ち昇り、2つの物体が空に投げ出される。一つは川に、もう一つは地面に激突。


「あなたとレグソンはエマ・シンプソンに自由な暮らしを与え、彼女の力を利用してのしあがった。だけどその陰謀は暴かれた。あなたとレグソンは身柄を拘束され、処分を待っている。これがここ数時間で明らかになった今回の事件の真相。何か弁論ある?」


 ベッド脇に座るサンフレアは勝ち誇った顔でこちらを見つめている。メアリーの手には手錠がかけられ、ベッドの手すりに固定されている。


「真実と言うには、あまりにお粗末じゃない?」

 掠れた弱々しい声はどこか他人の物のように聞こえる。


「この世界は嘘に塗れてる。だけど、私が言ったことは全て真実になる。少なくとも世間は信じる」


「ああ、じゃああなたは世界一の正直者ってわけだ」


 サンフレアはメアリーを無視し、身を乗り出して尋ねた。


「リリーは、どこ?」


「知らないわよ。知るわけないでしょ? 4階から落ちて、意識が戻る前に拘束されたんだから」


「心当たりくらいはあるんじゃないの?」


「いいえ」


 メアリーは強い口調で否定した。


「あなたの容疑は第一級殺人の幇助、収賄、機密漏洩……向こう10年は陽の光を見れないでしょうね」


「全部冤罪よ」


「言ったでしょ? 世間はヒーローを信じる。つまりあなたが罪に問われるかどうかは、私次第」


「私にあの子を売れって?」


「強要はしないけど、悪い話じゃないでしょ」


 メアリーは馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばした。


「リリーの顔と能力は全世界に知れ渡った。諜報員としては使い物にならない。いい加減自分の心配をしたら?」


『使い物にならない』


 その言葉がメアリーの怒りを買った。


「まさか、本気で思ってるの? 私があの子を利用してるって?」


「他に匿う理由がある? ママを敵に回してまで」


「私が会ったリリーは、傷つけられて、苦しんでた。ただ普通の生活を望む女の子だった」


「彼女は逃げた。与えられた力の責任を放棄して、ママを裏切ったくせに、一人ぬくぬくと幸せに暮らしてる」


「あの子は自由を勝ち取った。望んでもいない力を与えて、自分の道具として生涯使い潰す。そんな糞みたいな親の元から逃げ出して、やっと自由を手に入れた。私が生きてる限り、あの子に手は出させない。我儘で強欲なあんたの母親も必ず――」


 ジェーンが立ち上がり、右手が光った。顔のすぐ横から炎が立ち昇り、黒い焦げ跡ができた。髪の毛の先に火花が飛ぶ。サンフレアの手はまだほんのりと光っており、怒りで細かく震えている。


「それ以上ママを侮辱したら、顔に穴が空くわよ」


 メアリーは焦げ跡を見つめ、小さく頷いた。


「彼女はどこ?」


 ジェーンの質問から逃げるようにから目を逸らし、灰色の天井を見つめてぶっきらぼうに答えた。


「弁護士を呼んで」


 


「レッド?」


「またマスコミが押し寄せてきてる」


「もうサンフレアと警察がコメントを出しただろ?」


 レッドジャガーはモニターを見つめたまま返事をする。


「ええ。だけど、行方不明の女子学生の件がどこかから漏れたみたいで……」


「シンプソンに集中したいんだ。それ以外はそっちで処理してくれ」

 

 画面から目を逸らさずそう言った。その様子は、さながら母親を鬱陶しがる思春期の少年だった。


「ねえ、どうしちゃったのよ?」


「俺は何も変わってない。ただ、正義を果たしたいだけだ」


 レッドは立ち上がり、鞄を手に取る。


「どこに行くの?」


「脚を使う。この街は俺の庭だ」


 ファースト・スターはドアの前に立ち塞がり、上目遣いでこちらを睨みつけた。


「何のつもりだ?」


「あなたはレッドジャガー。ウェシレーヌの守護者よ。仲間のことで自分を責めるのはやめて、街を救って」


「今救けてる」

 レッドジャガーは冷たく言い放ち、スターを押し退けて部屋を出て行った。



 目を開けると、暗いホテルの中で椅子に縛られていた。クレアはもがき、抜け出そうとするが彼女を縛る木の枝ピクリともしなかった。


「目覚めないのかと思ったよ」


 背後から声がした。


「クレア・モリアーティ」


 マンツリーはクレアの正面に回り、椅子に深く腰掛けた。その手にはファイルが握られている。


「インセクトが君のことを調べた。貧しい幼少期。兄はギャングの下請けで稼いでた。その僅かな金で細々と暮らしていたが、兄が危ない仕事に手を出して逝去。それ以来孤独と貧困の中で生きてきた。残酷な現実の世界を」


「私をどうする気?」

 なんとか逃げ出そうともがきながら尋ねるが、枝は根でも張ってるのかびくともしない。


「この世界は嘘に塗れている。戦後、政府は超人に『スーパーヒーロー』という特権を与えた。まあ実態は、超人の管理のための方便だったわけだが……幸か不幸かそのビジネスは思いの外うまくいった。ヒーローは人々の安全を保障し、夢と希望を与えた」


「この街の生まれならわかるだろ? 民衆は我々を信じ、敬っている。我々が街から悪人を一掃し、希望を与えてくれるとな」


「だから殺人も許容されるってわけ? 無実の少女に罪を着せて?」

 

「それが神のご意思だ」


「ええ、実に信心深いスピーチだったものね」

 クレアは皮肉たっぷりにそう言った。怒りとアドレナリンのおかげでかなり無鉄砲になっている。


「君のいう神とは、人々が生み出した幻想に過ぎない。だが私にとっては、この世に実在するものだ」


 マンツリーは表情を崩さず静かに、淡々と言葉を続けた。


「紙切れの上の人間でも、決して姿を見せない全能なる存在でもない。彼女は超人を生み出し、人間の進化を促した。彼女こそ人々に崇められ、敬われるべき存在だ」


 部屋の奥から女性が出てきた。黒いスーツに身を包み、輝く金髪をたなびかせている。整った顔、爬虫類のように無機質で冷たい目。全身がエネルギーに満ち溢れ、威厳を放っている。その顔に、立ち居振る舞いに、確かに娘たちの面影を感じる。


「紹介しよう。マギー・ストーンズだ」


 静かな声が部屋に響いた。


 


「俺はあの日、河にいた」


「卒業祝いに、親父のカヤックを拝借して河に漕ぎ出した。だけど急な嵐で船は転覆。救助も来ない。死を覚悟したよ」


 リリーは何も言わず、ただ机を見つめていた。


「だけど氷を操る謎のヒーローに救われた」


「そんなんじゃない」


 机から目を離さず、ボソッとそう言った。


「氷は出せない?」


「ヒーローじゃない。クリスチャンがああなったのも、全部私のせいよ」


「君のせいって?」


 深く息を吸い込んで、話し始める。


「あの日……私はもっと早くからあの場にいた。本当ならもっと早く助けられたのに……そうしなかった。自分の人生を守りたかったから……」


「私は、自分の生活とあなたたち4人の命とを天秤にかけた。あなた達を救けたのだって、4人の死に責任を感じたくなかったから」


「でも救けた」


「その結果がこれよ」

 シーツの裾を強く握り、投げやりに答える。


「周りの人を巻き込んで、世間的には大量殺人犯。私のせいで、もう何人死んだかもわからない」


「高潔な意志も、清い心も持ってない。誰もが欲しがる力を持っているのに、普通の大学生になることを選んだ。私はただ、自分がかわいいだけ。とてもヒーローなんて柄じゃない……」


 少しの沈黙が流れる。先に口を開いたのはチャドだった。


「真意は置いといて、君は俺の命を救ってくれた。第二の人生をくれたんだ。それだけは確かだ。何と闘ってるにせよ、俺は君を、エマ・シンプソンを信じる」


「リリーよ」


 思わず口を開いていた。しかし後悔はない。リリーは顔を上げ、彼の栗色の目を見て告げた。


「本当の名前は、リリー・ストーンズ」

 


 ドンドンとノックの音が響いた。チャドは頭に手を当て、ドアの方を見る。


「多分いつものおじさんだ。誤魔化してくるよ」


 チャドはそう言って、部屋を出て行った。


 残されたリリーは不思議な気持ちに包まれていた。秘密を知られたのに、長くのしかかっていた肩の荷が降りたような安堵感がある。不思議とお腹が空いてきた。しかし、机の上のオートミールを食べる機会はなかった。


 部屋の外から何やら怒鳴りあう声と揉み合う音が聞こえる。人を殴ったような、鈍い衝撃音も――

 

「ようやく見つけた」


 部屋の中に赤い獣が入ってきた。目は血走り、鋭い牙を剥き出しにしている。一瞬の出来事に頭が追いつかず、リリーはあっという間に地面に組み伏せられた。


 毛むくじゃらの腕を掴み、意識を集中する――前に腕を捻られ、顔から床に叩きつけられた。レッドジャガーは腕を極め、力を込める。


「一度しか聞かない」

 足元で痛みに呻くリリーの喉に爪を当て、冷たく言い放つ。


「クレア・モリアーティはどこにいる?」


 頭の血が引いていくのを感じる。腕の痛みも、どこか遠くのもののようだ。


「クレアが何?」


「とぼけるな。お前が彼女を人質にとって、ビルから脱走したんだろ」


「私が……?」


「クレアはどこ?」


「知るかよ」


 カシャカシャッと金属音が鳴った。チャドが銃を構えている。その額からは血が流れている。


「彼女から離れろ」


 手がゆっくりと首元を離れた。彼は立ち上がり、震えるチャドに立ち直る。


「なあ、悪い事は言わない。銃を渡せ」


「そしたら……彼女を殺すだろ」


「俺が殺すのは、悪人だけだ。君はいいやつだ。こんな所で死ぬべきじゃない」

 優しい言葉を投げながら、静かに一歩踏み出す。チャドは反射的に引き金を弾いた。弾は毛むくじゃらの肌に弾かれ、彼の頬を掠めて後ろの壁に突き刺さった。


「警告はしたからな」


 赤い拳が彼の胸を弾く。チャドは壁に叩きつけられ、動かなくなった。


「チャド!」


 獣のように鋭い眼光が、再びこちらを捉える。


 リリーの中にもう恐怖はなかった。腹の中で怒りが沸々と湧きあがってくる。もううんざりだ。嘘に踊らされるのも、やってもいない罪を被せられるのも、大事な人たちが傷つけられるのも。


 リリーは怒りに叫び、地面が揺れた。


 轟音と共に木の破片や瓦礫、ボートの残骸が飛び散った。突如現れたそれは川の水を蹴散らし、輝く雨を降らせる。天まで伸びる氷の先端には赤い獣が突き刺さり、血に濡れた氷が地面を不気味に照らしている。


 リリーは息を切らして、冷気の爆心地に立っていた。水滴は結晶に変わり、白い雪が肩に降り積もっていく。

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EVIL ICE-スーパーヴィランにされた女性- 浜崎秀 @Milba_Vanastart

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