張り込み

大隅 スミヲ

張り込み

 張り込みは新月の夜が一番良いと教えてくれたのは、誰だっただろうか。


 街路樹の脇に縦列駐車した捜査車両の助手席で、高橋佐智子は記憶をたどっていた。


 きっと刑事になったばかりの頃に教わったことだから、教えてくれたのは芝本さんだろう。現場百篇、足で稼げ、そういった捜査の基本的なことを全部叩き込んでくれたのが芝本さんだった。


 深夜2時を過ぎた頃になると、急に寒さが身体に染みてくるようになった。

 捜査車両に積んである毛布を被るようにして、佐智子は前方の建物を見張る。


 殺人教唆の疑いで指名手配されている野崎雅也が自宅アパート周辺に姿を現したという情報が寄せられたのは、3日前のことだった。


 野崎は半年前に所属していた暴走族グループの後輩同士に殺し合いをさせ、一人が死亡、もう一人が意識不明の重体となる事件を首謀した容疑が掛けられていた。


 野崎の姿を見たというのは、その死亡した後輩の元恋人であり、半年前のことがなにもなかったかのように自宅周辺に戻ってきた野崎に嫌悪感を覚え、警察に通報してきたというわけだった。


 捜査を担当するのは、警視庁新宿中央署刑事課であり、その刑事課に所属する佐智子たちが、野崎の身柄確保のために張り込みを行うこととなったのだ。


 佐智子の相棒である富永巡査部長は、20分ほど前から後部座席のシートの上で仮眠を取っている。

 1時間半で交代で、動きがあったらすぐに起こす。それが佐智子と富永で決めたルールだった。


 180センチと長身の富永はシートの上で体を窮屈そうに縮こまって寝ており、その姿が猫のようで可愛いと佐智子は思っていた。もちろん、それを富永に伝えれば怒られるのはわかっているので、絶対に言わない。


 午前3時になろうという頃、突然捜査車両のサイドガラスがノックされた。

 驚いた佐智子が目を向けると、そこにはコートを着た中年男性が立っていた。


「お疲れ様です。これ、差し入れ」

 姿を現したのは強行犯捜査係長――すなわち佐智子たちの上司――である織田智明だった。


 織田が差し出したのは、コンビニのカップコーヒーの入った袋だった。


「ありがとうございます」

「長丁場になるかもしれないけれど、頑張ろう」

 織田はそれだけ言うと、闇に溶け込むようにその場から去っていった。


 野崎の自宅を張り込んでいるのは、佐智子たちだけではなかった。

 野崎の自宅アパートを挟んで反対側にある通りにも別班が待機しており、もしも野崎が部屋に戻ってくるようなことがあれば、すぐにわかるようになっていた。


 カップコーヒーは温かく、身体を芯からほぐしてくれた。



 動きがあったのは明け方4時頃のことだった。


 最初は新聞配達員がやってきたのかと思ったが、それが野崎だった。


 富永と交代で仮眠を取っていた佐智子は叩き起こされ、富永と一緒に、部屋に入ろうとしていた野崎を確保した。


 仮眠は30分ほどしか出来なかったが、体は思っていたよりも軽かった。


 これも織田係長が差し入れてくれたカップ一杯のコーヒーのおかげかもしれない。

 そんなことを考えながら、佐智子は捜査車両のハンドルを握っていた。

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張り込み 大隅 スミヲ @smee

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