短編小説『現代に蘇った都市伝説・口裂け女からの逃走』

川住河住

短編小説『現代に蘇った都市伝説・口裂け女からの逃走』

 いったい、どうしてこんなことになったのか。

「はぁ……はぁ……」

 全力疾走しすぎて息が苦しい。

 心臓が痛むほど脈を打ち続けている。

 寂れたアパートの陰に隠れながら通りの様子をうかがう。

 息遣いが聞こえないように口元に手を当てながら左右を確認する。

 よかった……あいつの姿はない……。

美月みづき。大丈夫か?」

 背後に隠れていた少女に声をかけると、全身を震わせながらも小さくうなずいてくれた。

「痛いところはないか?」

「大丈夫。それより祐介ゆうすけのほうが……」

 美月が震えながら俺の左肩を指す。

 紺色のブレザーと白いワイシャツが切り裂かれて真っ赤な血が流れ続けている。

「ごめん。私をかばったせいで……」

「大丈夫だ。包丁がかすっただけだから」

 その言葉に嘘はなかった。見た目ほど傷は深くなく、左肩を動かしても痛みはあまりない。あいつから逃げることに集中していたせいか、美月に言われるまで切りつけられたことすら忘れていたほどだ。

 そこで気づいた。血だ。

 もし血が地面に落ちていたら、ここに俺たちが隠れていることがバレてしまう。

 もう一度あいつが来ていないか確認しようと、ゆっくり顔をのぞかせる。



「ねぇ、わたし、奇麗?」

 


 背筋がゾッとして全身に鳥肌が立つ。

 来た。来てしまった。

 あいつが……口裂け女が……。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 


 コンビニを出てすぐにアイスを食べようと口元に運んだ瞬間、マスクを付けたままだということに気がついた。

「うわ……最悪……」

 片手でマスクを外すと、白い不織布に茶色いチョコアイスがべったりとついていた。これを付けたまま歩いていたら、道行く人々から変な目で見られるのは間違いないだろう。

 こんなことならソフトクリームかバニラアイスを買っておけばよかった。

「いや、そういう問題じゃないか……」

 仕方ない。コンビニで新しいマスクを買ってこよう。

 ため息をつきながら歩き出すが、自動ドアが開く直前に足を止める。

 西の空に顔を向けると太陽が沈みかかっていた。


 ふと頭の中である考えがよぎる。

 平日の夕方なら人通りの少ない道を歩いていけば、誰にも会わずに帰宅できるのではないか。

 そうすればマスクを買わなくて済む。

 貴重なお金を別のことに使えるじゃないか。

 我ながら冴えている。

 すぐにスマホを操作してコンビニから自宅までのルートを検索する。

 いつもは車がよく走る大通りや活気のある商店街を通学路として使っているが、大通りから道を一本外れたところに閑静な住宅街があることがわかった。少し遠回りにはなるものの、そこを通って帰るのが一番人に会わないだろう。 


 覚悟を決めた俺は、チョコアイスまみれのマスクを付け直す。

 スマホをいじっている間にアイスが溶けかかっていることに気づき、あわてて口元に持っていく。

「ああっ!」

 アホか俺は。さっきとまったく同じ失敗をしてしまうなんて。

 頭を抱えてうな垂れると、紺色のブレザーにチェック柄のスカートが視界に入る。

 俺が通っている高校の女子の制服だ。

 よりによって、こんなところで同じ学校の生徒に会うとは……。

 しかし、相手が知り合いでなければなんの問題もない。

「なにやってんの、祐介?」

「その声は……美月か?」

 見上げれば同級生で近所に住む幼なじみが立っていた。彼女もマスクをしているから表情は見えないが、ひどく呆れたような視線を向けられている気がする。


「えっと、これは……」

 汚れたマスクを見られないように横を向きながら言い訳を探す。

「マスクしたままアイス食べちゃったんでしょ? わたしも似たような失敗したことあるからわかるよ。ちょっと待ってて」

 美月は、鞄の中から新品のマスクを取り出してこちらに渡してきた。

「もしもの時のために予備を持つようにしてるんだ」

「おお! マジか!」

「優しくてかわいい幼なじみに感謝しなさい」

「いや、ほんと助かった。ありがとな、美月」

「お礼はアイスでいいよ」

「え?」

 こちらの返事を待たずに美月はコンビニへ入っていく。

 こうして俺の貴重なお金は、優しくてかわいい幼なじみのために使われることになった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 夕日に染まる住宅街を歩きながら溶けかかっているアイスを食べる。

 隣を歩く美月もソフトクリームをなめながらうれしそうに笑っている。

「こうしてマスクをしないで話すのも久しぶりだよね」

「外でも学校でもマスクをしてないと白い目で見られるからな」

 原因不明の新型ウイルスが発生してから数年が経った。

 世界各地で猛威もういをふるうウイルスの感染は留まるところを知らず、未だに適切な治療法も見つかっていない。どうすれば感染を防げるかという明確な感染防止対策も定まっていないため、子どもから老人までみんなが一様にマスクを付けて生活している。

 実際に効果があるのかどうかは高校生の俺にはわからない。

 しかし、校則でマスクの着用が義務付けられているからとりあえず従っている。

 この他にも携帯用アルコールスプレーが鞄の中に入っている。


「でも最近は感染者数も減ってるよね。このままいけば0人も夢じゃないかも」

「どうせまた再流行するだろ。あと数年はマスク生活じゃないか」

「ほんと祐介は悲観的だよね」

 美月は不機嫌そうにソフトクリームのコーンをかじる。

「再流行と言えばさ、都市伝説がまた流行ってるらしいよね。知ってる?」

 唐突に話題が変わった気がしたけれど、友人も似たようなことを話していたと思い出す。

「都市伝説って俺らより上の世代が子どもの頃に流行った怪談みたいのだろ。なんで今?」

「さあ。でも流行は繰り返すって聞いたことあるよ。それに今はマスクをしている人が多いからね。だから、どこかに隠れていてもおかしくないんじゃない? が」

 美月が目を細めて口元を引きつらせる。

 どうやら俺を怖がらせようとしているようだった。

 残念ながらまったく怖さは感じられない。

 むしろかわいいとさえ思ってしまうのは、俺がこいつに惚れているからだろうか。

 小さい頃からずっと見てきたというのに、いつまでも見ていたいと思わせるかわいさだ。

 学校ではずっとマスクをしているから久しぶりに面と向かって話をできるのがうれしい。

 美月がこの辺りで一番の進学校に行くと知り、同じ高校へ通いたくて必死に勉強したことも今は懐かしい。

 高校生になった今では化粧も覚えて、より一層綺麗になっていると感じる。

「ねぇ、私、綺麗?」

「は!?」

 突然、美月に問いかけられて硬直する。

 全身が熱くなってまともに思考できなくなる。

「えっと……それは……」


 どうする。どうしたらいい。

 こういう時、正直に綺麗だと言ったほうがいいのか。

 でも、そんなこと言ったら告白だと勘違いされないか。

 こんな住宅街の道端で告白なんて……女子的にはどうなんだ?

 しかし、今言わなければ一生告白する機会なんてないかもしれない。

 深く息を吸って吐いてから覚悟を決める。

「俺は、美月のこと……」

「口裂け女って『私、綺麗?』って聞いてくるんだよね。それからマスクを取って耳まで裂けた口を見せて『これでも綺麗?』って言いながら包丁を切りつけてくるんでしょ。怖いよね」

 俺の覚悟は一瞬にして消え去り、全身の熱が一気に冷めていくのを感じた。

「でも、そんな口裂け女にも弱点があるよね。べっこう飴と呪文みたいな……なんだっけ?」

 美月が真剣な表情で聞いてくるので、俺もいっしょに考えてやることにした。

 べつに都市伝説には詳しくないが、なんとなく覚えていたことを話す。

「たしか同じ言葉を三回繰り返すんじゃなかったか」

「同じ言葉を三回……ドスコイ! ドスコイ! ドスコイ!」

「いや、相撲取りじゃねぇか。絶対違うだろ」

 本気か冗談かわからない美月の発言に思わず笑ってしまいそうになる。

 美月は再び真剣な表情で考えるそぶりを見せてからつぶやいた。

「なんとなく、整髪料の名前だった気がするなあ」

「整髪料ってワックスとかヘアムースとか?」

「そうそう。そんな感じ」

「まあ検索すればわかるだろ……あれ?」

 制服のポケットからスマホを取り出して違和感を覚える。

 ついさっきまで問題なく使えていたスマホの画面がずっと真っ暗なままなのだ。

 電源を切った覚えはないし、バッテリー残量も充分だったはずなのになぜだろう。

 画面を何度タップしても、電源ボタンを長押ししても、まったく変化は見られない。

「ダメだ。全然動かない」

 苛立ち混じりに愚痴をこぼすと、隣でスマホを操作していた美月も驚いたように反応する。

「え、祐介も? 私のもなんだけど」

「なんでだろうな。通信障害か?」

 今すぐ口裂け女について知りたいわけではないのでどうでもいいが、もしもスマホを修理に出すなら痛い出費だ。優しくてかわいい幼なじみにアイスをごちそうするのとは訳が違う。




「ねぇ、わたし、奇麗?」




 不意に背後から呼びかけられて、俺も美月も驚きのあまり声も出せなかった。

 ゆっくりと振り向いた先には、長い黒髪を垂らした若い女性が立っている。口元には、当然のように白いマスクがある。

 それを見て、俺と美月はあわててマスクを付け直した。



「ねぇ、わたし、奇麗?」



 マスク越しで少し聞き取りづらいが、女性はさっきと同じことを尋ねてきた。

 この人はなんだろう。

 俺と美月の会話を聞いていたのだろうか。

 俺たちを怖がらせたりからかったりするためにそんな質問をしてくるのか。

 

 この人が誰なのか、なにが目的なのか、一切わからない。

 けれど、絶対に関わってはいけない人だ。俺は本能的にそう感じた。

「行こう、祐介」

 美月も同じことを感じていたのか、こちらに視線をやりながら歩き出す。

「あ、ああ」

 俺たちは、すぐにその場を離れることにした。

 知らない人と話したらいけませんというのは、小学生でも知っている常識だ。



「ねぇ、わたし、奇麗?」



 またしても背後から女性の声が聞こえてきた。

 急いで離れたはずなのに、どうして真後ろから声が聞こえてくるのか。

 恐る恐る振り返ると、マスクをした黒髪の若い女性が間近に立っていた。

 身長は170cmの俺とそんなに変わらないはずなのに、異様に大きく感じるのはなぜだろう。 

 そもそもこの人は、ソーシャルディスタンスという言葉を知らないのだろうか。

 なにか声を出そうとしても声にはならず、俺の口から息だけがもれていく。


「はいはい。奇麗ですよ」

 隣にいた美月が吐き捨てるように言う。

「これで満足ですか? もう関わらないでください」

 さらに相手を突き放すような言葉を投げかける。

 不審者にそんなことを言って大丈夫かと不安になるが、すぐに離れようと急ぎ足で離れる。

 だが女性は目元を細めて白いマスクをはぎ取り、隠れていた口元を見せながらこう言った。



「これでも……奇麗?」



 その女性の口は、耳元まで大きく裂けていた。

「く、口裂け女……」

 青ざめた表情の美月の口から言葉が漏れる。

 口裂け女なんているわけがない。

 さっきまでそう思っていたのに、目の前にいる女性は間違いなく異形の存在だった。

 血のように赤い歯茎や牙のように尖った白い歯を見ただけでゾッとする。

 あまりの衝撃に言葉を失い、その女性から目を逸らすことができなかった。

「なっ!」

 どこから取り出したのか、いつの間にか手には包丁が握られていた。

 口裂け女はその手を高く振り上げて勢いよく振り下ろす。

 怪しく光る包丁の切っ先は、放心状態の美月に狙いを定めていた。


「危ない!」

 咄嗟とっさに美月を庇うように身を乗り出した直後、肩のあたりに包丁が掠ったのがわかった。

「ぐっ……」

「祐介!」

「逃げるぞ!」

 すぐに美月の手を引いて走り出す。

 今は自分の体の状態を確認している暇なんかない。

 少しでもあいつから離れないと、俺も美月も殺されてしまう。

 異様なほど静かな住宅街を走り抜け、人通りの多いところに出て助けを求めよう。

 俺たちは一歩でも前へ進むように必死に足を動かす。


「ひぃっ!」

 美月が後ろを振り返って小さな悲鳴をあげる。

 今は後ろを振り返る余裕なんかない。

 まっすぐ前を向いて走り続けなければいけない。

 頭ではわかっているのに、言い表しようのない恐怖と不安に駆られ、俺も背後を確認せずにはいられなかった。

「マジかよ……」

 目に映る絶望的な光景のせいで苦笑いが漏れる。

 口裂け女が長い髪をかき乱し、包丁を振り回しながら全力で追ってくるのが見えた。

 あまりの不気味さに一瞬足が止まりそうになるが、すぐに気を引き締めて美月といっしょに走り続ける。


 民家の庭先を通り抜け、マンションの駐車場を横切り、ただひたすら大通りを目指す。

 しかし口裂け女との距離はどんどん縮まっていき、耳まで裂けた不気味な口や鋭く研がれた包丁がはっきり見えるようになっていた。

「ごめん……もう……」

 隣を走る美月の走る速度は次第に 落ちていき、今にも足が止まりそうになっていた。

「美月!」

 ここで止まったら確実に殺される。だが、このまま走り続けてもいずれは追いつかれる。

 だったら、ここで立ち向かうしかない。

「これでも喰らえ!」

 俺は鞄からアルコールスプレーを取り出し、口裂け女の顔に向かって思い切り噴射させる。

「ぐぎえぇ!」

 人間とは思えない、化物のような悲鳴をあげながら口裂け女がその場でのたうち回る。

 その隙に俺は、息も絶え絶えになっている美月を支えてアパートの陰に隠れた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 


 いったい、どうしてこんなことになったのか。

「はぁ……はぁ……」

 全力疾走しすぎて息が苦しい。心臓が痛むほど脈を打ち続けている。

 寂れたアパートの陰に隠れながら通りの様子をうかがう。息遣いが聞こえないように口元に手を当てながら左右を確認する。

 一度大きく息を吐いてホッとする。

 よかった……あいつの姿はない……。

「美月。大丈夫か?」

 背後に隠れていた少女に声をかけると、全身を小刻みに震わせながらうなずいてくれた。

「痛いところはないか?」

「う、うん。それより祐介のほうが……」

 美月が震えながら俺の左肩を指す。紺色のブレザーと白いワイシャツが切り裂かれて真っ赤な血が流れ続けている。

「ごめん。私を庇ったせいで……」

「包丁が掠っただけだから。そんなに痛くない」

 その言葉に嘘はなかった。見た目ほど傷は深くなく、左肩を動かしても痛みはあまりない。あいつから逃げることに集中していたあまり、美月に言われるまで切りつけられたことすら忘れていたほどだ。

 そうだ。血だ。

 もし血が地面に落ちていたら、ここにいることがバレてしまう。

 もう一度あいつが来ていないか確認しようとゆっくり顔をのぞかせる。



「ねぇ、わたし、奇麗?」



 俺の血をたどってきたのか、口裂け女がすぐそこまで迫ってきていた。

「クソッ!」

 俺はすぐさまアルコールスプレーを噴射させる。

 だが口裂け女は、瞬時に避けると同時にアルコールスプレーのボトルを左手でぎ払った。

 口裂け女は唯一の武器を失った俺を見下ろしたまま、切れ味鋭い包丁を振り上げる。

「祐介!」

 美月に腕を引っ張られてすんでのところで凶刃から逃れることができた。

「逃げるぞ!」

 俺は美月の肩を支えてアパートから飛び出す。


 しかし、ろくに休めなかったせいで呼吸が辛くて足が重い。

 逃げたいという気持ちとは裏腹に一向に前へ進むことができない。

 美月は自分以上に疲弊ひへいしているらしく、足を引きずりそうになっている。

 振り返ると、疲れを知らない口裂け女が全速力で追ってくるのが見えた。

 小さく息を吸って吐いてから覚悟を決める。

 不思議と怖いという感覚は薄れていき、とても晴れやかな気分になった。

「美月。ここは俺に任せて。先に逃げろ」

「……え?」


 こんな時だというのに、今にも泣きそうな顔の美月もかわいらしいと思ってしまう。

 ああ、俺は美月のことが本当に……。


「好きな人には、生きていてほしいから」


 これまでずっと勇気が出なかったけれど、ようやく告白することができた。

 俺は美月の背中を押してやると、包丁を振り上げて迫ってくる口裂け女と対峙する。


「かかってこい!」


 大きな声を出して挑発すると、口裂け女が血走った目で俺をしっかりと捉える。

 そして包丁を心臓に突き立てようと一気に振り下ろしてきた。

「くっ!」

 俺は肩にかけていた鞄を胸の前に掲げて防ぐ。

 口裂け女が包丁を引き抜くと、鞄には大きな穴が開いていた。

 これが自分の体に刺さっていたらと考えただけで血の気が引く。

 口裂け女は、両手で包丁をつかみ直して体ごとぶつかってきた。

 刃だけは鞄で防ぐことができたけれど、口裂け女の体当たりの勢いに負けて地面に叩きつけられる。

「ぐあっ!」

 なんとか受け身をとって頭は守ったものの、背中に激痛がすぐには立てそうにない。

 意識が朦朧もうろうとする中、口裂け女が馬乗りになって不気味な笑みを浮かべていることに気づいた。


「ここまでか……」

 美月は、大通りに出られただろうか。

 できれば警察に保護してもらっていたらいいけれど。

 口裂け女が両手で包丁を天高く振り上げ、心臓に狙いを定めようとしている。

 かろうじて左手だけは動かせそうだが、せいぜいスマホをいじるくらいしかできそうにない。

 制服のポケットに左手を入れるが、電源すら入らないスマホでは……。


『祐介!』


 どこからか美月の声が聞こえた気がする。

 死ぬ間際に見るという走馬灯の一種だろうか。


『諦めないで!』


 その声に突き動かされるようにしてスマホを見ると、美月と通話状態になっていた。

 無事に逃げることができたとわかってホッとする。

 そしてなにより最期に彼女の声を聞くことができてよかった。

 とうとう口裂け女の最期の一撃が振り下ろされる。


『ポマード! ポマード! ポマード!』


 スマホの電話口から美月の大きな声で呼びかけられる。

 その言葉は、まるで呪文のようだと思った。

 なぜなら、口裂け女が苦悶の表情を浮かべていたからだ。

 包丁の切っ先も胸に刺さる直前でピタリと止まっている。

 そこでようやく気づいた。

 この言葉こそが口裂け女の弱点だと。


「口裂け女ァ!」


 電話越しではない。美月の叫び声がすぐ近くから聞こえてきた。

 声のしたほうに目を向けると、美月がコンビニのレジ袋を持って立っていた。


「これでも喰らえ!」


 彼女は袋に手を突っ込むと、大きく振りかぶってなにかを投げつけてきた。

「ひぎいぃ!」

 投げつけられた直後、口裂け女は情けない悲鳴をあげながら全速力で逃げていった。

 地面に落ちたものを手に取ると、それはきれいな琥珀色こはくいろのべっこう飴だった。

「祐介……」

 いつの間にか、美月が俺を見下ろしていた。

 マスクで表情は見えないけれど、その目には大粒の涙がたまっていた。

 俺はすぐに立ち上がって謝ろうとするが、その前に美月に抱きしめられてなにも言えなくなった。

「私だって! 好きな人には! 生きていてほしいんだから!」

 アホだ。俺はアホだ。

 好きな人を悲しませていたことに気づかないなんて。

「ごめん……美月……ありがとう……本当に助かった……」

 俺たちは、お互いに生きていることを確かめるように強く抱き合った。

 







「ネェ、ワタシ、キレイ?」


 了

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短編小説『現代に蘇った都市伝説・口裂け女からの逃走』 川住河住 @lalala-lucy

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