第14話 母の味噌汁

 私、カスミ・シグレは勇者レオの保護者であり師匠だ。

 勇者の師匠というと剣を教えたイメージが強いかもしれないが、どちらかというと私がレオに熱心に教えたのは料理の方だった。


 私はカウンターで真剣に料理しているレオを見た。

 なかなか剣を教えてくれない私にレオは不機嫌になることが多かったな。

 だが、どうやら私のその選択は正しかったようだ。こうしてレオが立派な職にありつけているのだから。


 この店は繁盛しているようだし、雰囲気がとてもいい。私はとても安心したよ。

 レオの傍には美しく成長した女性だっている。これなら末永く幸せにやっていけるだろう。

 私はレオにはもう何も心配をしていない。料理を教えておいて本当に良かったと思っている。


 ひややっこを食べる。

 私の母が好む味だ。一流料亭の料理長だった私の母はよく豆腐を食べていたな。


「とても美味しいな」

「あざっす」


 小さい頃と変わりない笑顔をレオがくれた。

 本当に小さい頃から変わらない。見るとなぜだか安心した気持ちにさせてくれる笑顔だ。

 私がレオの保護者になると決めたのは、彼が七歳の頃だったか。あのときは、まさかレオが世界を救うとは思ってもいなかったな。




 今から一二年前――。

 人間と魔族の国が戦争を始めて一年が経とうかという頃だった。

 剣の達人として名を馳せていた私は、戦争に巻き込まれまいと戦火の届いていない西の森にある小さな街に落ち着いていた。


 とはいえ、世の中は戦争状態だ。

 働き手の男性はほとんど戦争に駆り出されいたから街を守る者がいなかった。

 けっきょく私は戦うことになって、その街でもわりと名が通るようになっていた。


 そんな頃のことだ。ある大雨の深夜だった。いや、ほとんど早朝だっただろうか。家のドアを殴りつけるようにして叩く音が響いた。私は起き上がって剣を持った。

 ドアを叩いているのは子供の気配だと察して、少し警戒を解きながらドアを開けた。


「どうした? こんな夜遅くに――。……っ」


 血の気が引いてしまった。

 まだまだ幼い男の子なのに、服を大きく切り裂かれ、ところどころに重傷があった。そして、背中にはもっと幼い妹をおんぶしている。

 雨に濡れすぎていて、その男の子が泣いているのか痛そうにしているのか分からない。血はどれだけ雨に流されたのかも分からなかった。


「すぐに治療をしないと。坊や、こっちに来て」

「……を……ください!」

「事情は後で聞くから」

「俺に、剣を教えてください!」


 凄い気迫だった。恨んで憎んでしょうがない敵がいる。そういう気迫がこもっていた。


「お母さんも、村の人たちも、友達もみんな魔族に殺されました! 魔族を全員やっつけたいです! 俺に、剣を教えてください! じゃないと、妹を守れないから!」


 私は思わずその男の子を抱きしめていた。

 あまりにも壮絶すぎるものを見て、怖い気持ちを振り払いながら、悔しい思いを抱えて、どうにかここまで逃げてきたのが伝わってきた。

 隣の村からこの街まで子供の足だと六時間はかかるだろうか。大雨に濡れながら必死に歩いてきたんだろう。


「剣を、教えてください! 絶対に強くなりますから!」

「分かった。教える。教えるから」


 頭をポンポンした。

「もう大丈夫だから、ひとまず怪我を治そう。妹も温かくしてあげないと風邪をひいてしまう」

「剣を、教えて欲しいです」

「元気になったら教えるから」

「お母さんも、村も……、ぜんぶ……。ううう……。うええ……」


 我慢していたものが解けて、年相応に泣き始めてから私は男の子を治療した。

 命を三回くらい失ってもおかしくないくらいの重傷だった。この男の子は根性があるなんてものじゃない。どうしてこの重傷で生きていられるのか分からない。きっと何かの運命がこの男の子を生かしたんだろうと思えた。


 回復魔法をかけて応急処置をし、医者を呼んで治療の続きをお願いした。

 そして、私は街の少数の兵と共に隣の村に攻撃をかけた。

 そこで見たものは、この世の地獄だった。これを見てしまったあの男の子は、どんな邪悪な剣士になってしまうか分かったものじゃなかった。

 だから、帰ってから私は提案をした。


「よし、きみはまずは料理を覚えようか」


 包帯でぐるぐる巻きになった男の子が、ベッドに横になりながらきょとんとした。


「俺、カスミさんみたいな強い剣士になりたいんですけど……」

「剣士はね、食べていけるか分からないんだ」

「こんな戦争のご時世なのに?」


「戦争が終わったら職がなくなってしまうから」

「一理あるかもしれません」

「料理を覚えておけば戦後も安心だ」


「でも、戦争を終わらせる強い力を得た方がいいと思うんです。魔族を全員八つ裂きにしてなぶり殺して泣き喚かせたりしたいですから。魔族が悲鳴をあげるところを想像するだけでぞくぞくしますよ。ふふふふふ……」

「ま、まずはその邪念を払うのが最初の修行だな」

「えっ。恨みは力の原動力になるのに」


「まずは清く正しい心を身につけるんだ。料理を覚えながらね」

「それで戦えるんですか?」

「私は戦えるぞ」

「でも……」


 私は男の子の隣でお行儀よくしているなんとも可愛らしい女の子を見た。

 この男の子の妹だ。この子は衰弱していたが無傷で、ぐっすり眠ってご飯を食べたらすっかり元気になってくれた。


「きみだって、お兄ちゃんが怖い剣士になったらイヤだろ?」

「うん。おにいちゃんはやさしいほうがすき」

「というわけで、決定だ」

「えー」


 男の子は不満そうだった。復讐が遠のいたんだから複雑な気持ちになるのは当然か。


「料理をしっかり覚えたら剣をちゃんと教える。約束するよ」

「分かり……ました」


 まだ不満そうだった。だけど、私は教育方針を変えるつもりはなかった。

 私が料理にしろ剣にしろこの男の子に教えるということは、私がこの兄妹の保護者になるということだ。保護者として、私はこの男の子を立派な大人に育てる義務がある。

 そういえば、まだ名前を聞いてなかったな。


「坊や、名前は?」

「レオ・ハーモニー」

「そうか。知っているかもしれないが、私はカスミ・シグレ。仲良くやっていこう」

「ういっす……」




 あれから一二年か。レオはずいぶん大きくなった。私の背を超えたのはいつだったか。

 レオが一生懸命に料理をしている。

 その熱心な姿を見ていると胸で抱き寄せてぎゅっとしたくなる。小さい頃はよくやっていたが、今やったらさすがに嫌われるだろうか。


「ふふふ……」


 恥ずかしがるレオを見るのは楽しいかもしれないな。悔しがるアリスだって見られるかもしれない。


「あれ? なんか良いことでもあったんですか?」

「まあな」

「良い人ができたとか?」


 殺意たっぷりの笑顔をプレゼントした。レオがぶるりと震える。


「ふふふ、私、今、初めて弟子を斬ってみたくなった」

「うわー、冗談きついっすよー」


 いや、わりと本気で思った。誰のせいで婚期が遅れたと思っているんだ。女の旬の時代を丸ごとハーモニー兄妹に使ってしまったからな。私に恋人とか結婚の話題は禁句だぞ。


「でも、結婚するときは一番に教えてくださいね。俺が一番弟子ですから」


 安心しきった顔でさらっと言ってくる。


「……いっそレオに責任をとってもらって幸せにしてもらおうかな」

「絶対にダメ!」

「反応が早いな。アリス」

「カスミさんには私が良い人を探しておくから」


 なんだそれ。不安しかない。

 レオが満足顔でトレーに料理を乗せた。自慢の料理が出来上がったみたいだな。


「お待たせしました。アジフライ定食、アジの刺身つきです」


 ソースと醤油はテーブルにありますんでと案内してくれた。


「ほお、料理が輝いている。腕をあげたな、レオ」

「へへっ、師匠の指導のおかげですよ」

「では、アジフライからいただこうか」


 熱いうちにいただこうと思う。

 茶色い衣の色がとても食欲をそそってくる。肉厚のアジはとても良い。ケチったりせずに、しっかりと良い食材を目利きしているようだな。


 ウスターソースをかける。ウスターソースのかかったアジフライって見ているだけでもう凄く美味しい。

 私は着物の袖をおさえつつ、箸でアジフライを持ち上げた。


 そして、一口食べてみる。

 サクッという良い音がした。そして、口のなかに広がっていくアジの旨味、ウスターソースの甘辛い味。


「なるほど。デリシャスダイナマイトだ。文句をつけるところのない完璧なアジフライだよ」

「あざっす。ああ、良かったー。安心しました。師匠のお墨付きがあれば、この店は絶対に安泰ですね」

「そうだな。うん、白米も美味しい。一粒一粒がふっくらしていて、食べるごとに幸せを感じる。なによりアジフライにも刺身にもよく合う白米だ」


「料理はまず白米から。師匠が教えてくれたことですから。ブランドからしっかりこだわってますよ。この土地の水にもよく合っている白米です」

「ふふふ、嬉しいものだな。弟子が自分の教えをしっかりと実行してくれているっていうのは」


 私は味噌汁を飲んだ。


「――っ」


 味噌の香りが口を通り、喉を通って胃に入っていく。そこに、懐かしさを感じた。

 私がまだ子供の頃、料理人だった母がいつも作ってくれていた味噌汁の味そのものだった。


 懐かしいなんてものじゃない。

 ひさしぶりに母に会いたくなってしまった。


「私の母の味を、レオはしっかりと受け継いでくれたんだな」

「え、なんですか?」

「いや、なんでもない」


 もう一口飲む。身体にも心にも染み渡る味噌汁だった。

 レオが心配でこの店まで来たが、すっかり客として料理を味あわせてもらっている。私が心配するまでもなかったわけだ。レオはもうすっかり一人前の料理人だ。


 私はレオを見つめた。きっと、母性のこもった目になっていると思う。

 レオがなんすかーと表情で聞いてきた。


「立派になったな、レオ」


 レオは子供時代と何も変わらない笑顔を私に見せてくれた。









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あとがき的なもの


ここまで読んでくれてありがとうございます!

本作、いかがでしたでしょうか。少しでもお楽しみ頂けたのなら嬉しいなって思います。

中編コンテストへの応募作なのでここで区切らせてもらおうと思いますが、レオとアリスの続きの物語を書く機会に恵まれたらめっちゃ喜びます。どうか受賞しますように~。









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英雄食堂 ~勇者が美味しい料理を作ります!~ 天坂つばさ @Tsubasa_Amasaka

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