第13話 勇者の師匠

 夜になったばかりの時間だ。

 カウンター席にいる渋いおじさんが、味噌汁を味わって飲んでくれている。

 以前、ダンジョンマグロと芋酒を評価してくれた剣豪だ。あれ以来、ありがたいことに常連になってくれているんだよな。


「あー、美味い。味噌の味がたまらねー」


 いつも味噌汁をおかわりしてくれるんだよな。この店の味を気に入ってくれたみたいだ。


「おかわりを頼む」

「ういーっす」

「味噌汁は間違いなくこの街でぶっちぎりで一番だぜ。最高に美味い」


 俺をまっすぐに見て言ってくれたので、笑顔でありがとうございますと返した。剣豪が嬉しそうにしてくれる。

 味噌汁をたっぷり注いで手渡した。

 剣豪があごひげに手をやり、ふむと味噌汁を注目した。何か思うところがあったんだろうか。


「なあ、店主よ、お主は、何歳だったか」

「一九です」

「一九? はあー、一九でこの深みのある味が出せるかね。たいしたもんだ」

「恐れ入ります」


「ずっと勇者業だったんだろう。料理は我流なのか?」

「いえ、剣の師匠が料理についても達人だったんです」

「はあ? その師匠は二つを極めたってーのか」

「ですね。今、思い返してみても凄い人でしたよ」


「……ふむ。いや、冷静に考えるとないこともないか。刃物を操り肉を捌く。真髄に達すれば意外と剣と料理の道は似ているのかもしれないな」

「思い返してみると剣の稽古よりも料理の稽古の方がだいぶ多かったですね」


「ほおー、つまり、料理の基礎を学ぶことが剣の理解を早めるってことかねー」

「師匠ならではの効率の良い育成方法だったのかもしれませんね」

「凄すぎて凡人剣士にはまったく理解できぬわ。はっはっは」


 気持ちよく笑って味噌汁を飲んでくれた。


「あー、美味い。その師匠の料理も食べてみたいものだな」

「俺もひさしぶりに食べたいです。料理屋をやってないのが残念ですが」

「うむ。ごちそうになった。美味かったぞ」

「おそまつさまです。アリスー、お会計ー」


 はーい、とアリスが引き継いでくれた。俺はオーダーが入ったからパスタをゆがきはじめた。

 剣豪が「また来る」と言って立ち上がった。


「あれ、そういえば今日はお酒はよかったんですか?」

「うむ。これから夜のダンジョン攻略でな。今日控える分、明日はたっぷりと飲ませてもらおうと思っている」

「お仕事、頑張ってください」

「ありがとよ。ではな」

「「ありがとうございましたー」」


 アリスと声がはもった。

 最近、アリスと呼吸が合うようになったのか、いらっしゃいませと、ありがとうございましたはよくはもるようになった。


 剣豪とほとんど入れ違いでお客さんが店の前に立ったみたいだ。とんでもない達人がこの店に来たことは気配で察することができた。

 アリスと俺はわずかばかりの緊張感でもってお客さんを確認する。


「「いらっしゃ――」」


 俺もアリスも同じタイミングで言葉を切ってしまった。

 だって、来店してくれたお客さんは俺たちの知っている人だったからだ。

 俺と俺の妹の保護者であり、俺に剣と料理を教えてくれた女性だ。俺は師匠と呼んでいる。


 師匠の名はカスミ・シグレ。俺たちとは旅を一緒にやっていたことがあり、アリスともそのときに知り合っている。

 東方の血が入っているらしくて、さきほどの剣豪と同じく黒髪だ。

 師匠はその黒髪をお尻より下まで伸ばしている。そして、ここらへんの街では珍しい赤い着物姿。それがとてもよく似合っていた。


「師匠! わざわざ会いに来てくれたんですか!」


 師匠の住む街はここからだいぶ遠い。

 師匠も瞬間移動魔法が使えるとはいえ、長距離移動は気合がいるもんだ。遠くのこの店までわざわざ足を運んでくれたのは俺にとって本当に嬉しかった。

 俺の顔を見て、師匠が美しい顔で柔らかく微笑した。母性を感じる微笑だった。


「手塩にかけた弟子が新しく店を構えたんだ。誰だって飛んでくるさ。ひさしぶりだな、レオ。それに……アリス、で合っているか?」

「はい、おひさしぶりです、カスミさん」

「見違えたな。あの小さかった女の子が、まさか数年でこんなにも美しく成長するとは思わなかった」


 師匠が嬉しそうに俺を見た。


「やったな、レオ」

「あ、はい。すくすく育ってくれて俺は嬉しいですよ」

「レオの料理が良かったんだろう」

「だと嬉しいですね」


 師匠がアリスの頭から足の先までジッと確認する。アリスが恥ずかしそうに身をよじらせた。


「ふうむ、これだけ良い身体付きなら、勇者のハーレム要員として何も申し分ないだろう。で、正妻は誰にするんだ、レオ?」

「レオ、私だよね?」


 アリスが可愛く上目遣いをした。


「勘弁してくださいよ。アリス、席にご案内してくれ」

「あー、はぐらかしたー」


 お客さんたちにしっかり聞かれていたんだろう。情けねーなーとか、よっしゃ俺にもチャンスがあるぞって声が飛んできた。


「レオは相変わらず女にはだらしないんだな」


 アリスは師匠を先ほど剣豪が座っていたカウンター席へと案内した。布巾で丁寧にテーブルを拭く。


「おかげで他のパーティーメンバーには愛想をつかれましたよ」


 アリスがお茶とお通しを出した。

 今日のお通しはひややっこだ。上に乗っけているしょうがが超美味いぞ。


「いや、そんなことはないぞ。この二年であの三人とは何回か会っているが、いまだに執念深くレオを狙っているらしい。そのうち、この店をかぎつけてここまでやってくるんじゃないだろうか」

「えー、私、今のうちに塩でもまいとこうかな……」

「こらこら、アリス?」

「えへへ」


 まあ、最強パーティーのメンバーだ。塩をまいたくらいじゃビクともしないけどな。


「アリスはレオと結婚する気なら、そのくらいのことはどんどんやっておいた方がいいだろうな。なにせ相手が強力すぎる」

「け、結婚だなんてそんな。えへへ……」


 アリスが照れながらお腹を優しく撫でた。

 なんだか凄く母性ある感じにお腹を撫でているぞ。

 俺だけじゃなくて師匠もお客さんたちもみんなその様子を注目してしまった。

 誰もがびっくりしてしまった。代表して師匠が聞く。


「ま、まさか、もう子供が?」

「え、できてないよ? まだ」

「まだっていうなまだって」

「だってそのうち。ね?」

「そういうのを考えるのはまだまだ早いだろ。アリスはまだ子供の年齢なんだから」


 お客さんから「アリスちゃーん、今、何歳ー?」と質問があった。


「一五歳だよ」

「よっしゃ、あと三年あれば俺にもチャンスがあるな」


 二〇代なかばくらいの男性がグッと小さくガッツポーズをしていた。

 アリスが冷たい顔をしてその男性を見る。その男性がぞくりと顔をこわばらせた。


「はあ? 絶対に無理よ。うぬぼれないで?」

「あああーっ、今のいい。もう一回、もう一回お願いっ」

「え、や、やだ」

「アリスちゃん、俺と結婚しよう」


 アリスが冷酷そうな暗い顔で男性を睨みつけた。その男性がぞくぞくしているのが見ていて分かる。


「きもいんだけど。本当にそういうのやめてくれる? あなたなんて完全に対象外だから」

「うわーっ、俺、ドMになりそうーっ」


 身体をもぞもぞくねらせて悶えるように喜んでいる。「もうなってるなってる」と周囲の客に笑われていた。でもその男性は幸せそうだった。


「ふふふっ、楽しそうにやっているみたいだな」


 師匠が楽しそうにしている。


「ええ、おかげさまで」


 師匠がメニューを開いた。さささっと内容を確認する。少し悩んでいるみたいだ。メニューの多さが英雄食堂の自慢でもあるからな。


「師匠、今日は良いアジが入ってますよ」


 師匠がメニューを閉じた。


「では、アジフライにしようか。アジの刺身もつけられるか?」

「ういーっす。お作りします」


 師匠がひややっこを上品な箸使いで一口食べた。美味しそうにしてくれた。


「驚いた。ここは水が良いな。文句のつけようのない味だ」

「アリスがこの街とこの店を選んでくれたんですよ」

「そうか。アリスはレオに幸運をもたらす女神かもしれないな」


「間違いなくそうですね」

「レオ、今のってもしかしてプロポーズ?」

「ちゃうわ! 気がだいぶ早すぎるっ」


 お客さんたちからアリスへのプロポーズがどんどん来る。アリスは冷たい顔を作ってお客さんたちをあしらっていた。

 その様子を見て師匠は満足そうにしていた。

 たぶん、師匠は俺たちのことを心配してわざわざ覗きに来てくれたんだよな。これだけ賑やかに店をやれているんだから、きっとホッとしてくれただろう。


 あとは、料理の質だな。俺がしっかりと料理している姿を見せて、師匠に安心してもらおう。

 俺はアジを揚げ始めた。師匠の料理の腕前はプロレベルだ。一つも油断せず真剣に作るつもりだ。見せてやるぜ、今の俺の料理の腕前を。

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