今際の際嘆願ショー

目々

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 頼むから手だけでもほどいてくれよ。痛いんだよ喰い込んで。指なんか感覚ないしさ、頼むよ。指失くしたら俺仕事できなくなるんだよ。


 出来心だったんだよ。本当だって。俺がそんな大それたことできるわけないだろ。中学からの付き合いなんだから、お前だってそんなこと分かってるだろ。ヒナだってその、不安だったんだよ。お前いつも好き勝手やってて、ヒナのことも放っておいただろ。そういうことされると寂しいとか怖いとか思うんだよ人間は。不安になるんだ、この人に本当に自分って必要なんだろうかって、そういうこと考えて、馬鹿なことやらかすんだよ男も女も。ヒナあんなんでもお前のこと好きだから、だから、たまたま手近に俺がいたから──そうなんだよ本当だ。結局は本気じゃないんだ。あいつがそんな女だってのはお前だってよく知ってるだろ。


 だからあの女が全部悪いんだよ分かるだろ!


 聞いてくれよ、お前だってそうだよ。騙されてんだよ俺たち。そんなさあ、止めようぜ、女のことでこういうのとかさ……ほら、前時代的だよ。お前の嫌いな年寄り連中のさ、そういうやつだよ。お前のメンツ潰す気なんか全然なかったんだ。分かってくれるだろ?

 ヒナだってそんな大ごとにする気はなかったんだ。俺に乗り換える気もお前を見限る気も何にもない。迂闊だったのは確かだし、馬鹿なことしてんのはその通りだ。ただ、ただちょっとだけ構ってくれる相手が欲しかったってだけで、気が済んだら俺のことだって平気で捨てて、知らん顔してお前んとこに戻るって。

 妄想でも想像でもねえよ。本人がそう言ってたんだよ、だって俺それ言われたときに怒ったんだ──俺のことなんか捨てていいけど、お前のことを舐めてんのが許せなくって、そんで。お前怒ってんのそこもだろ? ヒナに、お前の女に手出すどころか殴ったから。あれはそういうことを教えておかないといけないから、だから殴ったってだけで……お前のモンに傷入れたかったとかそういうんじゃねえんだよ。


 本当なんだ。やり過ぎたのは分かってるけど、でも、そもそもヒナから仕掛けてきたんだから俺だって仕方なくって。お前のためだったんだよ、俺は、俺はそう思ってやったんだ。


 ヒナだって、俺がお前のことダチだって思ってんのも知ってたし、お前もちょっとは俺のことを気にしてんのも分かってたんだよ。。俺のことなんか見てなかったんだよ最初から。お前ヒナが何したって何とも思ってなかったじゃん。それがあいつ嫌で、俺なら、ダチの俺が相手ならさすがにお前だって本気になってくれるんじゃないかとか思いついて。だから俺巻き込まれただけなんだよ、全部悪いのはあいつで、でもそれだってちょっとしたいたずらで。

 結局馬鹿が下手打ったってだけなんだよ。馬鹿のしたことなんだからさ、見逃してくれよ、頼むから。

 だからやめてくれよ、脅しなら十分だよ分かったもん俺。俺もうこんなことしねえって誓うし、お前が俺なんかのためにここまでするなんて思ってなかったんだ。なあ、駄目だろこういうことしちゃさあ。こんな山ん中だと夏ったって土冷てえんだよ。お前がこういう、汚れ仕事っていうか、乱暴なことすんのってよくねえよ多分。お前はこんなことしちゃ駄目っていうか、自分でやるようなやつじゃなかっただろ。そういうキャラじゃねえじゃん。あいつだって、ヒナだってそう思ってるよ。

 つうかお前、俺がこうなるってんならさ、なあ。ヒナは──あ。


 なあ。

 。つうか、ここまですんのか、そっか。


 馬鹿だなあ、逃げとけばよかったのに。だから言ったんだよ俺最初に、俺たちみたいなやつは肝心なところで馬鹿晒すんだから、大人しくしとけばいいって。

 けどさ、よく分かったよ。今更だけど。一人きりだとさ、寂しかったから。こんな女でもまあ、誰もいないよりはマシだからな。な、分かんないだろお前には。お前からすりゃ埋める穴を増やす方が手間だってだけだろうし、それ以外は何にも思ってないだろうけども。あの女正しかったんだなあ畜生。


 ──なあ。

 お前、覚えてるか? 中学の時にさ、一回こういうことやったじゃん。


 奉仕作業で山の下刈りしたときに、先生連中から穴掘ってくれって言われてさ。何埋めるって言われたかは忘れたけど、とりあえず掘れるだけ掘ったら結構深くなって、出るのにちょっと苦労したじゃん。あんときはお前も隣にいて、空狭いなとか土冷たいとかどうでもいいこと話してさ。先生が探しにくるまで色んなこと話したよな。何にも思い出せないけど。でも、俺楽しかったのだけは覚えてるよ。お前だってそうだろ? せめてさ、それくらいは嘘ついてくれよ。

 学生時代の思い出って、意外と引きずるもんなんだよな。大人になってからよく分かるよ。ロクな大人になれなかったけど、なあ?

 あのさ、もう、いい加減飽き飽きしてるだろうからさ。これだけ最後に言っておきたいんだけど。これで最後だからさ、本当。


 親友じゃん。だから──

 駄目かあ。やっぱ。


***


 夜気に冷え切った階段を降りて居間に入れば、兄と目が合った。

 部屋の照明は点いていない。真っ暗な部屋の中で、テレビの画面だけがぼんやりと光っている。

 ソファにだらしなく座り込んでテレビを眺めていた兄はじっと俺を見てから、すぐに深夜映画──画面の中では巨大化した蜘蛛が大暴れしている──の方へと視線を戻した。


「寝れねえのか」

「寝てたんだけど目ぇ覚めた」


 高校を出てよく知らない大学に合格して都会に行って、そのまま就職してからは殆ど連絡もせず帰省することも数えるほどしかなかった。そんな兄が連絡もなく実家に戻ってきて、ありきたりなお土産を机にばら撒いてからのうのうと物置になっていた元自室に住み着き始めたのはひどく蒸し暑い九月の夜だった。

 突然に都会から実家に帰ってきて、特に何をするでもなくぼんやりと日々を過ごしている。不審と言えばそうなのだろうが、両親が積極的に追い出そうともしないのだから、俺としてはどうでもいい。

 家を出て何をしていたのか。どうやって生活していたのか。どうして戻ってきたのか。

 何一つ知らないままだし、知ろうとも思わない。両親はもう少しマシかもしれないが、それでも必要以上に干渉するようなことはないだろう──元から互いに対してその程度の興味しか持たない家族だ。

 一応はきちんと血が繋がった兄弟なのだから、理由をいちいち気にする方がおかしいだろう。家族が家に戻ってきて、何を不思議がることがあるだろうか。


 兄が実弟に寄越した土産は悪趣味なシルバーの指輪で、さすがに使い道が分からず部屋の机に置いておいた。


「怖い夢でも見たか」


 台所に向かっていたところに飛んできた声に体が強張る。兄から話しかけてきたのは帰ってきて以来初めてだ。

 シンクに立ち、手近にあったコップを握り締めたまま、俺は答える。


「怖いっつうか、分かんない夢だよ。何か言われてんだけど、さっぱり分かんねえから──困ったよ」

「困ったか」


 返答に僅か笑いが含まれていることに胸がざわつく。

 夢に対しての感想として、困ったというのは不適切かもしれない。けれどもそうとしかいいようのない夢だったのだ。

 とりとめのない、それでいてひどく切実でべとつくような訴え。見当違いの謝罪を、受けた覚えのない被害への言い訳を、与えた覚えのない加害への懇願を聞かされる困惑。その懺悔を聞くべきは俺ではないと確実に分かっているのに、それを相手に伝える術がない。致命的な間違いを報告する留守電を聞いてしまったような気分だ。

 絶え間なく繰り返されるだらだらとした哀願と、背中で何かが蠢くような不快感に魘されて跳ね起きて、見回した部屋。薄暗い闇の中で、指輪だけが浮き上がるように光っていた。


「夢だからさ」


 低い声に視線を上げる。兄は相変わらずテレビを見つめたままだ。こちらを向いてすらいない。


「何見たって夢だからよ。気にするな。


 悪夢に魘されたて目覚めた弟に投げ掛ける、優しい言葉だ。それ以外の意味を見出す必要はない。家族だからこそ知りたくもないことはあるし、このも探られたがるような趣味もないはずだ。

 だから俺は何も聞かない。深々と埋められたものを、わざわざ掘り返して何になる。大判小判どころか、どうしようもないものが噴き出してくるのが目に見えている。


 あんた都会あっちで何してきたんだ。

 その一言を口には出さず、俺はコップに注いだ生温い水を飲み干した。

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今際の際嘆願ショー 目々 @meme2mason

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