5.俺達の花火

 久しぶりの夜風に吹かれながら、俺は坂の上から街を見下ろしていた。

 ニトロシューズの爪先をトントンと地面に落とし、開始時刻を待つ。ヘッドホンを両耳に当て、暗視ゴーグルのスイッチをONにした。

『あと1分』

『OK?』

 声で細かい指示ができないリリイには、音声入力で短文のみ送信し、ゴーグルに映し出してもらうことにした。どちらにせよ、走りながら長文は読めないからこちらの方が都合が良い。ヘッドホンはあくまで俺の声を向こうに届けるためのものだ。

「ああ、こっちは準備OKだ」

 ゴーグルにはいつものような金色の道順ルートは出て来ない。そうした細かい作業を行う負担はかけさせられない。事前に一緒に確認した道順を頭に叩き込み、あとは走りながら指示をもらう。

『ジェットの視界』

『酔いそう』

 リリイも今、ゴーグル型のガジェットを身に着けて俺と視界を共有している。普段は俺のゴーグルに付いているGPSの情報をもとに、マップ上の点で俺の動きを追っているが、パソコンを開けないリリイのためにこの方法で状況把握をしてもらうことにする。

「頑張って耐えてくれ。俺もなるべくキョロキョロしない様にするから」

『うん』

『あと30秒』

「おう」

 ラムネ菓子の蓋を開けて、カラカラと口に放り込む。いつもより近くに感じるリリイにもこの爽やかな風味が届くよう、深く深く呼吸した。

 しゃがんでクラウチングスタートの姿勢になり、ニトロシューズのスイッチをONにする。火筒ランチャーの重さを背に感じ、担ぎ直した。と同時にカウントダウンが始まった。

『3』

『2』

『1』

 さあ、今宵こよいの娯楽を始めようぜ、リリイ。

『GO』



 文字が浮かび上がると同時に俺は走りだした。一陣の風より早く、坂道を駆け下る。

『塀』

『掲示板』

『屋根』

 立て続けに指示が飛ぶ。任せとけ!

 シューズのエンジンがいななき、俺達の望む方へ身体を運んでくれる。塀を屋根を蹴り、空へ舞った。眼下には街灯りが遠くにまたたいている。

『きれい』

 思わず、といった様子で文字が浮かび、俺は笑った。リリイ、これがいつも俺が見てる景色だぜ。

『電灯』

『電柱』

『煙突』

 すかさず指示が来た。本当に良いのか?その道順ルートは……

 俺は空中で回転しながら電柱の頭を蹴って飛ぶ。視界がぐるんぐるん回った。癇癪かんしゃく玉のおまけも忘れない。パパパパン!と音と光がゴーグルの端で響く。

『うええ』

 気持ち悪そうなリリイ。

「頑張れ」

 建物の屋根を伝い、ビル街に向かって飛んだ。

 今回のポイントはすべてビルの屋上だ。今まで使った設置ポイントは警察にもマークされてるから、新規の場所ばかり。看板を蹴り、低いビルの給水塔を踏み越え、駅前の貸ビルに飛び移る。

 要所要所で撒いてきた癇癪玉のお陰か、観客達オーディエンスも一様に空を見上げている。見てろよ、俺達の花火を。

『スイッチ』

『のち』

『前ビル』

 スピードを殺さぬよう、走りながら最初の装置のスイッチを入れた。すかさず次のビルに飛ぶ。背後でひゅるるるるる、と音がして、空高く花火玉が舞う。数瞬ののち、轟音とともに空に光が降り注いだ。

小割松島こわりまつしま!」

『スイッチ』

『スイッチ』

『右ビル』

『スイッチ』

 玉名ぎょくめいを叫ぶ間も、せわしなく指示が飛ぶ。装置のスイッチを入れながらビル間を舞う。

銀菊ぎんぎく!ダリヤ!千輪菊せんりんぎく!」

 最早もはや忙しすぎて長ったらしい名前を唱える暇はない。

 飛び越えてきたビルの向こうから、花火の爆音と光と歓声が聞こえる。リリイにも聞こえているだろうか。口内でラムネの粒がほろりと崩れる。もうそろそろ終演だ。

『前ビル』

 飛んでくるリリイの文字。次は確か低いビルに飛び移――

「え?無くね?」

 屋上の端まであと20メートル。ここからじゃ次の建物が見えない。道順をミスったか?

『ある』

 行けってか。ここ結構高さあるから、落ちたら死ぬぞ。

『信じて』

『飛べ』

「……ああ!」

 言葉通り、リリイを全力で信じて屋上の柵を踏み、空中へ身体を投げ出した。シューズのエンジンがフルスロットルで駆動する。月を背に、渾身こんしんトンボ返りサマーソルト。その頂点で――

『撃て』

「おっしゃああ!」

 抱えていた火筒ランチャーを天に構え、トリガーを引いた。とっておきの最後の一発は、煙の尾を引いて雲間を抜けていく。

 そして――

冠菊かむろぎく!」

 枝垂しだれ桜のような銀光の大花が、空いっぱいに咲き誇った。指示通り最後のビルに着地した俺は、リリイにも見えるように花火を見上げた。光の尾は幾千の流れ星のように輝き、散り、月の光をかき消すようにまたたく。

『たまや』

 見えたか、リリイ。浮かんだのはたった3文字だったが、喜んでくれただろうか。大輪の花は名残惜しそうにシュウウウ、と音を立てて消えていった。足元の群衆も、突然の演目ショーを歓迎するかのように歓声を上げた。と同時にサイレンの音も聞こえる。

しまい、だ」

 俺はラムネの残り香と歓声の余韻に浸りながら、花火から流れてきた煙に身を紛らせた。



『で、またシューズのスイッチ切り忘れたと』

「うるさいな、たまたまだって」

 打ち上げ翌日。俺は公園のブランコに腰掛け、リリイとボイスチャットで会話していた。相変わらず彼女は文字入力だが、携帯を操作できるようになるまで回復したようだ。本当に良かった。

『綺麗だったよ。ジェットの見る景色』

「だろ?花火の音と光、そしてラムネの爽やかな風味が織りなす風景……やっと伝わったか」

 ラムネを一粒口に放り込もうとして、容器を傾けた。が、空だった。やべ、ラムネ切れだ。

「ばーか」

 背後からかすれた声がして、はっと振り向いた。そこには電動車椅子に座った、小柄な少女がたたずんでいた。色素の薄い長い髪が、夏風で揺れている。強い光をたたえた瞳は、真っ直ぐに俺を見つめていた。

 彼女は持っていた何かを俺に放った。手を伸ばしてキャッチしたそれは――いつものラムネが詰まった容器だった。

「ラムネ中毒者ジャンキーめ」

 車椅子の少女は、楽しそうに笑った。

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【短編】ジャンキー・ジェット・ファイアワークス 月見 夕 @tsukimi0518

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