すごろく

「今日で最後なんですよ」

 チェアユニットに横たわっている高校生が言った、唾液で衣服が汚れないようにする「よだれかけ」を付けながら。私にはそうにしか見えない。子どもで、なんにも物を知らなくて、初対面。私にとってあなたは初めて会った患者でしかない。あなたにとっての私は、「歯科衛生士」とくくられる存在でしかなくて。

「高校を卒業するので。大阪に行くんです」

 リクライニングが倒れる音にかき消されて聞こえなかったふりをした。

 日本の未来は暗い、と言うのは専ら若い人で、明るいと言うのも若い人で、暗いと言えるのが羨ましいよな、今その場が明るいからこそ言えるんだろ、口の中で毒づいた。大人になれば、そこにあったはずの未来など忘れ去られるか、考える暇もなくなるか、あるいは通り過ぎてしまうか。自分の未来を嘆いたり期待したりする若者さん、「大人の未来」は、どこにありますか、と思ってみる。

 可能性が広がっていた未来。なんでもできる未来。未来は未だ来ないから未来なのであって、それが字面の通りに手の届かないものだと、いつどの瞬間に気づくのか。アキレスと亀みたいに、いつまでも追いつかないように見えているだけなのか。未来はどこにあるのか。手を伸ばせば届く距離にあるのだとしたら、どれくらい伸ばせばよいのか。

「口を閉じてください」と言うと、高校生は言われるままに口を閉じて前歯を見せてくる。



 なんとなく、いつもより一時間も早く家を出たのは本当になんとなくのことだった。特に予定があるわけでも、早起きは三文の徳と念じながら布団に入ったわけでもない。いつも通り起きて、いつも通りテレビをつけてニュースを見て、いつも通りスマホを見た。それから、なんとなく、嫌気がさして、歯を磨くまえにテレビも電気もエアコンも消してすぐに家を出た。

 私は一時間ほど世界を追い抜いていたはずなのに、極めていつも通りで、変わるのは信号の周期くらいで、車道を走り抜ける車の数でも変わるのだろうか、しかし三台目あたりから数えるのをやめた。少なくとも、探そうと思っているうちは世界の弱みは見つからないらしかった。出し抜いたと思っても、私ひとりの存在など気にも留めずに世界は自転と公転を繰り返していた。

 通ったことのない道を通って、それは少し遠回りで、職場の歯科に向かっていた。それでもやはり、一時間早いはずの世界は、いつ見ても変わらないか徐々に色あせていくだけの、教科書に載っている絵画のようだった。日が昇った大阪はまた暗くなっていき、どこかの誰かさんが頑張って時の流れを食い止めてほしいものだと思うけれど、思うだけでどうにもならず、いつも通りの歯科が見えてくる。



 歯は人体のどこよりも痛覚が発達していると言ったのは誰だったか忘れたが、いちど痛い思いをすると二度と来なくなると言ったのは、二ヶ月前に心を病んで蒸発した同僚だった。

 この高校生の歯については、とくに削るようなところもなく、私は猫背を丸めて口の中を覗き、念入りに点検していた。歯石も歯垢もほとんどついていなくて、「歯医者さんに褒められる歯に」と宣伝する歯磨き粉のCMを思い出す。褒めるのは歯医者ではなく歯科衛生士で、褒める要因は歯が汚れているかどうかではなくその人の機嫌がいいかどうかであって、つまり私は何も言わないということ。

「口を開けてください」

 あー、と声を出す。0と1とか、はいかいいえで全てが決まる世界だったらば良かったのに。

 その高校生は着ている服も整っていて、その点では定められた白い服を着ている私には勝らないが、どこか負けているような気がした。ということは負けている。

歯垢を染め出す藍色の液にガーゼを浸して、それをピンセットでつまんで口の中じゅうに塗りたくる。慣れた様子で高校生は身体を起こして紙コップに手を伸ばし、そのあとで私はマニュアルにあるのだから仕方ないと「口を軽くゆすいでください」と言った。



 二ヶ月前に唯一の同僚とまったく連絡がとれなくなると、なぜか、職場のひとびとの、私に対する風当たりが強くなった。何も知らないと言ってもそれは求められている言葉であるはずがなく、時間が経って共通の話題として腐りきって果てるまで、私はそれ以外のことをついぞ言い返さなかった。結局どうすることを求められていたのか、それ以前に私もなぜ消えなかったのか、などと思い始めて堂々巡り、昨日も今日も二ヶ月前も三ヶ月前もずーっと延々と同じ仕事、他人の口の中を点検する作業をしていた。

 そこに何かを忘れてきたわけでもないのに、そこに執着している、「そこ」がいったいどこにあるのかも分からないのに。二ヶ月前なのか今日この瞬間なのか、生まれる前なのか。判然とせず。どこかのタイミングから人生をやり直せたとて、何も変わらず今の私に合流するような気がする。

 二ヶ月前から髪がごわごわしているのは確かで、仕事中の帽子のなかで髪の毛がもぞもぞと生き物のように動いている、ような気がする。昔から髪の毛だけはきれいにしようと、色々と気を遣ってヘンテコなナイトキャップを毎晩被って、それを母親に笑われてから自分で生地を買って仕立てて、なのに特に思い入れがあったわけでもなく、少し前に引っ越したときに捨てた気がする。あるいは捨てていなくて、まだほどいていない段ボール箱の中に眠っているような気もする。

 気がする、ばかりな気がする。確固たるなにかがないような気がする。

 どうしてその同僚が消えてしまったのか、いまは何をしているのだろうか、と、たいして仲がよかったわけでもないのに。



 手鏡を渡して、口の中の汚れぐあいを確認させる。自分で「綺麗ですね」とか言って「今日は最後だし頑張ったので」とこちらを向いてきた。

 最後、と私も言ってみた。久しぶりに口にした言葉だった。言葉だけでは空虚なままで、つまり高校生にとっての「最後」と私にとっての「最後」では天と地ほどの、雲泥の差があって、ビンゴ大会で取り残されたような気分だった。

 汚れの割合は0パーセント、完璧に磨けている、と入力した。記念にとっておきますか、と聞こうとしてやめた。本当は完璧ではなくて見えにくい奥の方に青く染まったところがあった。汚れの最小記録を表彰状みたいにして手渡すシステムなど存在しなかった。コンピュータが与えられた数字をこねくり回して画面に出力するだけで、業務上のデータを印刷する機能もない。

「親知らずはまだ生えてこなそうなので、様子見でお願いしますね」

 そう言うと、高校生はこちらをじっと見つめてから、何も言わずに床に足をつけた。



 ポテチの空き袋の中に鼻をかんだティッシュがいっぱいになって、何か月前に飲み干したのかわからない空のペットボトルのなかにティッシュを詰めこんだ袋を更に詰めこむくらいに散らかった家だった。いつ脱ぎ捨てたのか分からない服が足の踏み場で、果たして「足の踏み場がない」と楽しく話すためにはどこまでいけばいいのか、と半ば開き直ったのが、短大を卒業して嫌いな先輩のつてを頼って歯科医院で働き始めて一年が経つころ。そして引っ越した。

 引っ越してすぐは、極端にものが少なかった。必要最低限のものだけ、運んできた段ボール箱を開封して取り出すようにしていたからだ。それも二ヶ月前にはすべてが崩れて、崩壊したのだけど。

 働くとは、こういうことだったのか、と思った。崩れたのは私だけだった、世界はいつも通りで、その世界の一部である「私の働く」もいつも通りで、私的空間だけが、やがてはずたずたのボロ雑巾みたいになる。

 人々は頭の中か心の奥底の、とにかく真に知覚できない部分を共有しあっていて、そこではものごとの価値や意味合いや役割が、少しずつ変化しながら、ここではないどこかに向かって進んでいるのだ、と信じたい。未来が見当たりすらしないのは私だけではないし、世界に反抗しようとしても為す術なく打ちのめされるのも私だけではない。そう信じたいし、誰かにそう言ってほしい。



 次の予約は、と聞きかけて、あわてて口を閉じる。この高校生は「次」ではなく「新しく」が待っているのだ。

「新しい」ばかりしていると、いつしかその中に「古くて」「忘れられた」がぽつぽつと現れ始めて、それを表面上だけで消したりしながら、いっぱいになった「新しい」に手入れをしているうちに、少しずつ全体が古くなっていく。すると目の届かないところで劣化が進んでいく。少なくとも私はそういう人間で、自分を俯瞰したときにようやく、抱えているものがいっぱいになってしまっていたことに気づく人間だった。

「ありがとうございました」

 出口に向かいながら、高校生の背後にいる私は声をかけられた、らしい。

反射的に立ち上がると、背中がずきずきと痛んだ。長い間、背中を縮めて座っていたせいだった。ついでに、首もずきずきと痛んだ。

 それを言ってしまうと、またひとつ部屋のなかにごみが増えてしまうのでは、と恐れた。けれども、言った。

「お大事に」



 空を遠望したところで、色合いがおなじなのだから朝も夕方も分からなくて当然。

大学を卒業した日の夕方にそう思って、そして今日、また同じことを思った。いまこの瞬間も、間違いなく夕方だった。今日の仕事が終わって、次の仕事はまた明日。ずっと、また明日。たまに休みが入ると、それは一回休み。次の番が回ってきたら、給料日の赤いマスを目指してサイコロを振る。

 どこが振り出しだったのかわからず、かといってこのまんま進んだところで「あがり」はどこにも見えないまま、いつか到着するなんて根拠のない予想などできやしないし、途中で誰かが盤をひっくり返せばみんなおしまい、そもそも次の番で一の目が出ても何が起こるか分からないし、もしかすると次のマスがゴールなのかもしれない。

 そうなれば終わり、別の機会にまた振り出しに戻って、ほとんど同じ道順をたどる人生ゲーム。



2021/2/22ぐらい。新大阪駅で新幹線を待ちながら。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

手遊びで書いた短編など 暮沢深都 @Kuresawa_Mito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る