晋書巻79 大宰相謝安と家族
謝安1 ミスター世説新語
「この子の風采、メンタリティときたらみごとの一言しかない。将来は東晋の元勲、
あげまきを結う歳にもなればその振る舞いはいよいよ深みを帯び、しかしどこまでも伸びやかであった。また行書を得意とした。
加冠して間もなくのころに
「先ほどの客は、父上と較べていかがでしたか?」
「実によくつとめ上げておる、私にも迫ってきているな」
はじめ
王導に代わって政府の大権を握ろうとした
こうした謝安の態度にいらついたのが
対する謝安だが、余裕そのものである。あるいは山中の石室に腰掛け、あるいは渓谷に降りては悠然と嘆息しつつ、「この地から
あるとき、
「この様子だと、帰った方がよいのかもしれないね?」
そこで船頭もすぐに船を引き返した。この泰然とした振る舞いに、誰もが感服した。
謝安は登山等でひとり思索にふけることも多かったが、遊びに出掛けるときには必ず妓女たちを引き連れていた。有司に「こいつ蟄居させろ」と言われて以降もしばしば招聘を受けては断っていたわけだが、当時宰相として政にあずかっていた
「安石は人と樂しみを同じくしている。ならば憂いをも同じくせぬ事などあるものかよ。招聘を続けるのだ、必ずやってこよう」
この頃謝安の弟である
謝安の妻は当代随一の名士として名高かった
「丈夫とは斯様な振る舞いをするものなのですの?」
謝安は鼻をこすり、言う。
「免れられはするまいが、な」
やがて謝万が軍務にて大失敗を犯したため罷免された。ここに至り、ようやく謝安が出仕の思いを明らかとした。このとき、既に四十歳を回っていた。
謝安,字安石,尚從弟也。父裒,太常卿。安年四歲時,譙郡桓彝見而歎曰:「此兒風神秀徹,後當不減王東海。」及總角,神識沈敏,風宇條暢,善行書。弱冠,詣王蒙,清言良久,既去,蒙子修曰:「向客何如大人?」蒙曰:「此客亹亹,為來逼人。」王導亦深器之。由是少有重名。
初辟司徒府,除佐著作郎,並以疾辭。寓居會稽,與王羲之及高陽許詢、桑門支遁遊處,出則漁弋山水,入則言詠屬文,無處世意。揚州刺史庾冰就以安有重名,必欲致之,累下郡縣敦逼,不得已赴召,月餘告歸。復除尚書郎、琅邪王友,並不起。吏部尚書范汪舉安為吏部郎,安以書距絕之。有司奏安被召,歷年不至,禁錮終身,遂棲遲東土。嘗往臨安山中,坐石室,臨浚谷,悠然歎曰:「此去伯夷何遠!」嘗與孫綽等泛海,風起浪湧,諸人並懼,安吟嘯自若。舟人以安為悅,猶去不止。風轉急,安徐曰:「如此將何歸邪?」舟人承言即回。眾咸服其雅量。安雖放情丘壑,然每遊賞,必以妓女從。既累辟不就,簡文帝時為相,曰:「安石既與人同樂,必不得不與人同憂,召之必至。」時安弟萬為西中郎將,總籓任之重。安雖處衡門,其名猶出萬之右,自然有公輔之望,處家常以儀範訓子弟。安妻,劉惔妹也,既見家門富貴,而安獨靜退,乃謂曰:「丈夫不如此也?」安掩鼻曰:「恐不免耳。」及萬黜廢,安始有仕進志,時年已四十餘矣。
(晋書79-1)
世説新語ネタが多すぎる。ここはめんどいので訳しません。
「此兒風神秀徹、後當不減王東海。」
徳行 30 注・文字志「謝安字安石,奕弟也。世有學行,安弘粹通遠,溫雅融暢。桓彞見其四歲時,稱之曰:『此兒風神秀徹,當繼蹤王東海。』善行書。累遷太保、錄尚書事。贈太傅。」
神識沈敏、風宇條暢
賞誉 143 注・續晉陽秋「安弘雅有氣,風神調暢也。」
此客亹亹、爲來逼人。
賞誉 76 。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054886807505
ちなみに亹亹は詩経の大雅文王に見える語で、文王の精勤を讃えるもの。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069/episodes/16816452219940947824
つまり精勤を語る中でも最上級の格の言葉であると知っていると、王濛さんどんだけの激賞やねんとビビります。ただごとじゃない。
厯年不至、禁錮終身、
賞譽 77 注・續晉陽秋「初,安家於會稽上虞縣,優游山林,六七年間,徵召不至,雖彈奏相屬,繼以禁錮,而晏然不屑也。」
嘗與孫綽等汎海
雅量 28。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054886766598
然每游賞、必以妓女從。
識鑒 21 注・宋明帝文章志「安縱心事外疏略常節每畜女奴攜持游肆也。」
安石旣與人同樂、必不得不與人同憂。
識鑒 21。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054885632664
安雖處衡門、其名猶出萬之右、
品藻 55 注・中興書「萬器量不及安石,雖居藩任,安在私門之時,名稱居萬上也。」
「丈夫不如此也。」
排調 27。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054887165652
■斠注
善行書。
太平廣記二百七書斷には「謝安石學正於右軍,右軍云:卿是解書者。然正書解爲難。安石尤善行書,亦猶衞洗馬風流名士,海內所瞻。王僧虔云:謝安入『能書品錄』也。安石隸、行、草幷入妙。」とあります。
謝安は王羲之に楷書を習っていたのだが、王羲之に「君は書を理解しているとは言える、しかし楷書体を理解するのは難しいようだね」と評されていました。また書者として一級でありながら、東晋初期にウルトラ美男子として名を馳せた衛玠レベルの風流人としても名を馳せていました。
與王羲之及高陽許詢・桑門支遁遊處
太平御覽四百七晉中興書には「東甌沃壤,名士多樂居之。太傅謝安未仕時,亦居東土,共王羲之、孫綽、李充、許詢、道林,皆文義冠世,共相友昵。」とあります。
劉氏が出てきたので、次話はいきなり番外編と言うことで妬記をやります。
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