会稽孔氏 安帝期の東海王師
孔愉、字は
孔誾が爵位を継ぎ、
https://kakuyomu.jp/works/1177354054891500185/episodes/1177354054894321658
宋書に伝がある。「
孔汪、字は
孔安國、字も安國。兄たちよりも三十歲あまり若かった。名の残っていない兄たちは才能に乏しかったが、父の資産があったため好き放題できていた。その中にあり孔汪と孔安國は幼い頃から貧しさの中に身を置き、厳しく自己を律していた。孔汪は既にその際立った実直さにて讃えられており、孔安國もまた素朴な儒者としての有り様を体現し、名を知られるようになった。孝武帝の時代に大いに寵遇を受け、
「領軍將軍の孔安國は貞慎清正、中央におけるほまれを外部に示しているならば本官に
後に
孔愉から見ていとこの子に当たる、
https://kakuyomu.jp/works/1177354054891500185/episodes/1177354054894602006
こちらに立伝されている。
孔愉字敬康,會稽山陰人也。其先世居梁國。曾祖潛,太子少傅,漢末避地會稽,因家焉。祖竺,吳豫章太守。父恬,湘東太守。從兄侃,大司農。俱有名江左。年七十五,咸康八年卒。贈車騎將軍、開府儀同三司,諡曰貞。三子:誾、汪、安國。
誾嗣爵,位至建安太守。誾子靜,字季恭,再為會稽內史,累遷尚書左僕射,加後將軍。
汪字德澤,好學有志行,孝武帝時位至侍中。時茹千秋以佞媚見幸於會稽王道子,汪屢言之于帝,帝不納。遷尚書太常卿,以不合意,求出,為假節、都督交廣二州諸軍事、征虜將軍、平越中郎將、廣州刺史,甚有政績,為嶺表所稱。太元十七年卒。
安國字安國,年小諸兄三十餘歲。羣從諸兄並乏才名,以富強自立,唯安國與汪少厲孤貧之操。汪既以直亮稱,安國亦以儒素顯。孝武帝時甚蒙禮遇,仕歷侍中、太常。及帝崩,安國形素羸瘦,服衰絰,涕泗竟日,見者以為真孝。再為會稽內史、領軍將軍。安帝隆安中下詔曰:「領軍將軍孔安國貞慎清正,出內播譽,可以本官領東海王師,必能導達津梁,依仁游藝。」後歷尚書左右僕射。義熙四年卒,贈左光祿大夫。
嚴字彭祖。祖父奕,全椒令,明察過人。父倫,黃門郎。太和五年,以疾去職,卒于家。三子:道民,宣城內史;靜民,散騎侍郎;福民,太子洗馬,皆為孫恩所害。
羣字敬林,嚴叔父也。卒於官。嗣子沈。沈子廞,位至吳興太守、廷尉。廞子琳之,以草書擅名,又為吳興太守、侍中。
(晋書78-1)
ここに出てくる会稽孔氏三房の関係性はこんな感じ。
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基本的には孔恬系が嫡流、孔恬の弟の子孫だが名士であった孔厳、孔羣は特に重く扱われた、と言う感じのようです。なるほど?
孔安国のエピソードは世説新語にも見えます。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054885730923
孝武帝周りは、何と言っても「死が規定ルート」っぽかった雰囲気もあるわけで、そこでこう号泣されてもねえ……的なアレがあります。
ところで安帝の詔勅に出てくる東海王ですが、謎。東海王の祭祀は
※2023/11/01追記。
司馬元顕伝、何無忌伝に依れば、ここの東海王は司馬彦章のようだ、とのこと。改めて東海郡という封地の祭祀が東晋にとって重要なのがよくわかります。
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