孝武6 亡国の徴
孝武帝の側仕えの一人、
孝武さまの寵愛を受けていた。
この時
昇進していた孔安国であったが、
悲しみのあまりげっそりやつれあがり、
親の葬儀に着る服を着て、
一日中わんわんと泣きまくっていた。
人々はこれを見て、
「これぞまさしく孝行息子よ」
と……いやこれ、皮肉ですよね?
一方、白痴で知られる
孝武帝の後継となると、
たちまち
孝武帝の陵墓に参列しつつ、
「帝が改まって間もないというに、
既にして亡国の兆しが表れておるわ」
孔僕射爲孝武侍中,豫蒙眷接。烈宗山陵,孔時爲太常,形素羸瘦,著重服,竟日涕泗流漣,見者以爲真孝子。
孔僕射は孝武が侍中と為り、豫てより眷接を蒙る。烈宗の山陵せるに、孔は時に太常と為り、形は素より羸瘦たれば、重服を著け、竟日にして涕泗を流漣し、見る者は以て真なる孝子と為す。
(德行46)
孝武山陵。夕、王孝伯入臨。告其諸弟曰:「雖榱桷惟新、便自有黍離之哀。」
孝武は山陵す。夕にして王孝伯は入臨す。其の諸弟に告げて曰く「榱桷は惟だ新しかりしと雖も、便ち自ら黍離の哀有り」と。
(傷逝17)
孔安国
いや控えめに見て佞臣ムーヴですよねこれ?
安帝 司馬徳宗(「崔浩先生」より)
孝武帝の息子。白痴であったとされる。お陰で宗族の司馬道子・
司馬道子
孝武帝の弟。朝廷内で好き放題振る舞った、とされている。なお息子の司馬元顕からも無能扱いされていたようではある。
榱桷
屋根を支える棒。単純に言えば皇帝。
黍離の哀
春秋戦国時代、周で働いていた役人が周の旧都に足を運んでみたら、そこは一面のキビ畑になっていた、と言う故事から。転じて、国が亡ぶこと。
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