陸曄何充 旧呉の重鎮
生き延びているのは弟、
陸曄,字は
陸玩もまた大任につき、64 歳で死亡すると、
陸氏の墓には兵千人、70 世帯ぶんの守衛が与えられた。
陸玩の子、
東晋末、
「この良き住まいを、機織り小僧どもは打ち壊そうとでも考えておるのか!」
朝士はみなそのあきらかな忠心に感服した。やがて
なお何準については『
陸曄,字士光,吳郡吳人也。伯父喜,吳吏部尚書。父英,高平相,員外散騎常侍。以疾卒,時年七十四。追贈侍中、車騎大將軍,諡曰穆。
曄弟玩,字士瑤。器量淹雅,弱冠有美名。元帝引為丞相參軍。薨年六十四,諡曰康,給兵千人,守塚七十家。太元中,功臣普被減削,司空何充等止得六家,以玩有佐命之勳,先陪陵而葬,由是特置興平伯官屬以衛墓。
玩子納,字祖言。少有清操,貞厲絕俗。會稽王道子以少年專政,委任群小,納望闕而歎曰:「好家居,纖兒欲撞壞之邪!」朝士咸服其忠亮。尋除左光祿大夫、開府儀同三司,未拜而卒,即以為贈。長生先卒,無子。以弟子道隆嗣,元熙中,為廷尉。
何充,字次道,廬江灊人,魏光祿大夫禎之曾孫也。祖惲,豫州刺史。父睿,安豐太守。永和二年卒,時年五十五,贈司空,諡曰文穆。無子,弟子放嗣。卒,又無子,又以兄孫松嗣,位至驃騎諮議參軍。充弟准,見『外戚傳』。
(晋書77-1)
呉郡陸氏の家系はこんな感じ。雑に紹介すると陸遜の系統は孫の代で滅び、陸遜の弟陸亡の系統が宋齊梁の時代にまで生き延びています。この辺も三國志ファンにとってはちょっとキツいポイントですね。
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-娘
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-娘
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-?-萬載
あと後半に出てくる盧江何氏がマジで怖いです。特に何してるわけでもないのに、気づけば南朝宋で外戚に収まってたりします。琅邪王氏も怖いんですが、こちらもなかなか負けてません。
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