虞嘯父 お魚大好き?
東晋末の官僚のひとり、
虞翻の子が
虞忠の子が
虞潭の子が、
虞仡が死ぬと、子の虞嘯父が爵位を継いだ。
虞嘯父は早くから顯位を歴任。ついには
「卿は我が元におるわけだが、そろそろ献じるものを献じて欲しいものだな?」
皇帝の側近として、たまに建設的な意見をよこせ、の意である。しかし虞嘯父は「なにかよこせ」の意に捉えた。自身の家が海近くにあったことから、このように答える。
「近頃はだいぶ暖かくなってまいりましたが、まだナマズや魚、エビのたぐいを塩漬けにしたものが届いてはおりませぬ。届き次第、すぐに献上いたしましょう」
孝武帝は爆笑した。
そこから飲みに飲んで大いに酔っ払い、退出せんと孝武帝に拝礼したが、立てない。孝武帝が周りのものに「
「臣の位は未だ扶けを賜るほどにござりませぬ。醉いたりと言えど亂れるには及んでおらねば、過分のお志を賜るわけにも参りませぬ」
この返答に孝武帝は大いに喜んだ。
しかし王国宝は処刑され、王恭もさっさと兵を引き上げてしまう。戦功を餌に人手を集めたであろう王廞や虞嘯父にとってはたまったものではない。振り上げた拳を王恭に向けるも、あっさりと敗北。王廞は行方知れずとなり、虞嘯父も捕らえられた。
400 年に復職、
虞潭,字思奧,會稽餘姚人,吳騎都尉翻之孫也。父忠,仕至宜都太守。吳之亡也,堅壁不降,遂死之。咸康中,進衛將軍。拜光祿大人、開府儀同三司,給親兵三百人,侍中如故。年七十九,卒於位。追贈左光祿大夫,開府、侍中如故,諡曰孝烈。子仡嗣,官至右將軍司馬。仡卒,子嘯父嗣。
嘯父少曆顯位,後至侍中,為孝武帝所親愛,嘗侍飲宴,帝從容問曰:「卿在門下,初不聞有所獻替邪?」嘯父家近海,謂帝有所求,對曰:「天時尚溫,䱥魚蝦䱹未可致,尋當有所上獻。」帝大笑。因飲大醉,出,拜不能起,帝顧曰:「扶虞侍中。」嘯父曰:「臣位未及扶,醉不及亂,非分之賜,所不敢當。」帝甚悅。隆安初,為吳國內史。征補尚書,未發,而王廞舉兵,版嘯父行吳興太守。嘯父即入吳興應廞。廞敗,有司奏嘯父與廞同謀,罪應斬。詔以祖潭舊勳,聽以疾贖為庶人。四年,復拜尚書。桓玄用事,以為太尉左司馬。尋遷護軍將軍,出為會稽內史。義熙初,去職,卒於家。
(晋書76-2)
■斠注
嘯父曰、「臣位未及扶、醉不及亂、非分之賜、所不敢當。」帝甚悅。
『芸文類聚』二十五の引く『語林』では、虞嘯父の「非分之賜,所不敢當」を孝武帝が喜び、こうした振る舞いを皆が真似すべき、と述べます。ただし巷では嘲りの対象の言葉となったそうです。
またここではしょんぼりと終わっている虞嘯父ですが、『南斉書』『南史』には孫の
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054885731757
虞嘯父は世説新語に一箇所だけ登場していて、それがよりにもよって孝武帝とキャッキャウフフしているときに(そもそも孝武帝は虞嘯父と酒を飲み交わすのがとても好きだったそうです)なにか献じてくれ、と述べられたシーン。これ、こういう切り取り方されるとthe無能って感じにしか映りませんでしたが、こちらの伝を読むと「そのタイミングで聞く孝武帝が悪い」になりました。いや、たぶんこのひと無能じゃないでしょ。あんま地縁のないであろう呉興に入ってさっと募兵成功させるとか、ちょっとただ事じゃないですよ。
ただ問題は、めぐり合わせが悪かった。うまく動ける場所にいられなかった。故に後世のものには馬鹿にされる立場に陥った。そんな印象を受けるに至りました。まじでこの人と宋書武帝紀中にいる會稽餘姚の
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