晋書巻76~ 東晋初期の官僚の子孫たち

琅邪王氏 琅邪の別流

琅邪ろうや王氏おうしで大権を握ったのは基本的には王導おうどう系だが、ほかの系統の人物もいる。


王舒おうじょ、字は處明しょめい。王導のいとこだ。蘇峻そしゅんが乱を起こしたとき、王舒を仮節かせつ都督ととくぎょう揚州刺史ようしゅうししとした。平定後その功績から彭澤縣侯ほうたくけんこうに封じられた。在官のまま死亡、車騎大將軍しゃきだいしょうぐん儀同三司ぎどうさんしが追贈され、ぼくと諡された。

長子は王晏之おうあんし蘇峻そしゅんの乱のときに護軍參軍ごぐんさんぐんとして参戦、戦死した。このため王舒の爵位は王晏之の子の王崐之おうこんしが継いだ。死亡すると、更にその子の王陋之おうろうしが継いだ。そうが立つと、国を除かれた。


王廙おうよく、字は世將せいしょう。やはり王導のいとこにして、元帝げんていの姨弟だ。王敦おうとんが反逆をなすと、元帝は王廙に王敦の説得に当たらせた。とはいえ王敦を諫めることは出来ず、むしろ丸め込まれ、王敦のもとに留まり、謀反の手助けをするようになった。やがて王敦は元帝を屈服させることに成功。王廙はその功績から平南將軍へいなんしょうぐんとされ、南蠻校尉なんばんこうい荊州刺史けいしゅうししをも兼任することとなったが、間もなくして死亡した。子は王胡之おうこし、字は修齡しゅうれい石虎せきこが死んだところで、朝廷は洛陽を奪回せんと計画、王胡之を西中郎將にしちゅうろうじょう司州刺史ししゅうしし假節かせつに任じようとしたが、王胡之は病を理由に辞退。そして間もなくして死亡した。子の王茂之おうもしもまた名声を博しており、官は晉陵太守しんりょうたいしゅに至った。子の王裕之おうゆうし、字敬弘けいこう義熙ぎきの末に尚書しょうしょとなった。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054895306127/episodes/1177354054900288296


王廙の弟、王彬おうひん。字は世儒せいじゅ。官位在任のまま 59 歳で死んだ。特進とくしん衛將軍えいしょうぐん加散騎常侍かさんきじょうじが追贈され、しゅくと諡された。長子の王彭之おうほうしが家督を継ぎ、黃門郎となった。次男の王彪之おうひょうしが特に知られている。王彪之は字を叔武しゅくぶといい、太元二年も 73 歳で死んだ。光祿こうろくを追贈され、かんと諡された。子はふたりいた。王越之おうえつし撫軍參軍ぶぐんさんぐんとなり、王臨之おうりんし東陽太守とうようたいしゅとなった。




王舒,字處明,丞相導之從弟也。蘇峻作逆,乃假舒節都督,行揚州刺史事。賊平,以功封彭澤縣侯,尋卒官,贈車騎大將軍、儀同三司,諡曰穆。長子晏之,蘇峻時為護軍參軍,被害。晏之子崐之嗣。卒,子陋之嗣。宋受禪,國除。

王廙,字世將,丞相導從弟,而元帝姨弟也。及王敦構禍,帝遣廙喻敦,既不能諫其悖逆,乃為敦所留,受任助亂。敦得志,以廙為平南將領護南蠻校尉、荊州刺史。尋病卒。子胡之,字修齡。石季龍死,朝廷欲綏輯河洛,以胡之為西中郎將、司州刺史、假節,以疾固辭,未行而卒。子茂之亦有美譽,官至晉陵太守。子敬弘,義熙末為尚書。

弟彬,字世儒。卒官,年五十九。贈特進、衛將軍,加散騎常侍,諡曰肅。長子彭之嗣,位至黃門郎。次彪之,最知名。彪之字叔武。太元二年卒,年七十三。即以光祿為贈,諡曰簡。二子:越之,撫軍參軍;臨之,東陽太守。


(晋書76-1)




姨弟

よくわからない。姨で母方の姉妹・妻の姉妹を指すようなのだが、一番ありえるのは司馬睎しばきを生んだ王才人おうさいじんが琅邪王氏出身、王廙の姉であった、と言うことだろうか。と言うかわからないのでそこに仮定しておく。

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