孔琳之1 剛直の能吏
孔琳之。字を
祖父は
父は
孔琳之は自他に厳しく、強い意志を持ち、
文章、音楽、演奏、書道、
あらゆる学芸に長けていた。
会稽郡主簿に命じられたが、辞退。
その後、本國常侍として招聘された。
西閤祭酒となった。
桓玄は人々から
おべっかを使われるのが好きだったが、
そんなもの孔琳之がやるはずもない。
なので桓玄からは重んじられなかった。
楚の員外散騎侍郎にはなった。
が、母が死亡。一年の喪ののちに、
まもなく父、孔廞が定年退職。
そのサポートのため、孔琳之は辞職した。
孔琳之はその副官となった。
が、父が死んだため辞職。
喪が明けると、太尉主簿、尚書左丞、
揚州治中從事史を歴任し、
いずれの職務でも著しい成績を残した。
孔琳之字彥琳,會稽山陰人。祖沈,晉丞相掾。父廞,光祿大夫。琳之強正有志力,好文義,解音律,能彈棊,妙善草隸。郡命主簿,不就,後辟本國常侍。桓玄輔政為太尉,以為西閤祭酒。玄好人附悅,而琳之不能順旨,是以不見知。遷楚臺員外散騎侍郎。遭母憂,去職。服闋,除司徒左西掾,以父致仕自解。時司馬休之為會稽內史、後將軍,仍以琳之為長史。父憂,去官。服闋,補太尉主簿,尚書左丞,揚州治中從事史,所居著績。
孔琳之は字を彥琳、會稽の山陰の人なり。祖は沈、晉丞相掾。父は廞、光祿大夫。琳之は強正にして志力を有し、文義を好み、音律を解し、彈棊に能く、草隸は妙善たり。郡は主簿に命ぜど就かず、後に本國常侍に辟さる。桓玄の輔政し太尉と為るに、以て西閤祭酒と為る。玄は人の附悅を好めど、琳之は旨に順う能わず、是を以て見知られず。楚臺員外散騎侍郎に遷る。母の憂に遭いて職を去る。服の闋ぜるに、司徒左西掾に除せられ、父の致仕せるを以て自ら解す。時に司馬休之の會稽內史、後將軍為るに、仍ち琳之を以て長史と為す。父の憂にて官を去る。服の闋ぜるに、太尉主簿、尚書左丞、揚州治中從事史に補せられ、居す所にて績は著し。
(宋書56-6_政事)
孔琳之伝は何が凄いかと言えば、上表の類がめっちゃ残されていることです。それだけ彼の発言は重要なものであった、と言えるのでしょう。一通りチャレンジしましたが、自分の力では無理でした。うーん、四書五経を原文から訳出、みたいな真似ができないとても足も出なさそうだよなぁ……。
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