謝㬭   謝家の庶出子  

謝瞻しゃせんら兄弟のうち、庶出の子として

謝㬭がいる。字は宣鏡せんきょう

幼いころから折り目正しい子であった。


かれが数歳の頃、母のかく氏が病に倒れた。

なにせ身分の低い女性である。

ろくろく看病してくれる

側仕えもいなかったようで、

看病はほぼ、謝㬭の仕事であった。


一日中付き添い、自ら薬を確保、

また食事も用意する。

それら献身的な看病にもかかわらず、

母親の病は一向に改善されない。


郭氏は病のため、僅かな物音にでも

驚いてしまうような状態であった。

謝家の者は一族から下働きまで

謝㬭の孝行ぶりをよく知っていたから、

郭氏の近くを通る時には、みな

布でできた履物を履いてきたし、

しゃべる時も声を潜めるなど

協力を惜しまなかった。


そのようなことが、十年余り。

やがて謝㬭は州主簿として採用される。

それから中軍行參軍、太子舍人に。

直後に祕書丞に転任した。


謝晦しゃかいの権勢が高まるのに合わせて、

謝㬭も高位に抜擢されそうになったが、

それらは拒否した。


徐羨之じょせんしが謝㬭に頼み込んできたので、

その副官、兼、黃門郎となる。


426 年、徐羨之や謝晦らとともに

処刑された。31 歳だった。


劉義隆りゅうぎりゅうよりの働きかけにより

子供の謝世平しゃせいへいは無罪とされたが、

間もなく死亡した。

後継ぎはいなかった。




弟㬭字宣鏡,幼有殊行。年數歲,所生母郭氏,久嬰痼疾,晨昏溫凊,嘗藥捧膳,不闕一時,勤容戚顏,未嘗暫改,恐僕役營疾懈倦,躬自執勞。母為病畏驚,微踐過甚,一家尊卑,感㬭至性,咸納屨而行,屏氣而語,如此者十餘年。初為州主簿,中軍行參軍,太子舍人,俄遷祕書丞。自以兄居權貴,己蒙超擢,固辭不就。徐羨之請為司空長史,黃門郎。元嘉三年,從坐伏誅,時年三十一。有詔宥其子世平,又早卒,無後。


弟の㬭は字を宣鏡、幼きに殊行有り。年數歲にして、生みたる所の母の郭氏の痼疾の久嬰にして、晨昏に溫凊なるに、藥を嘗め膳を捧じたること一時も闕かさず、勤容戚顏にして未だ嘗て暫改せざらば、僕役にて營疾懈倦せるを恐れ、躬自にて勞を執る。母は病が為に、微踐の過甚なるに畏驚せば、一家の尊卑は㬭が至性に感じ、咸な屨を納め行き、氣を屏いて語る。此くの如きを十餘年す。初に州主簿、中軍行參軍、太子舍人と為り、俄に祕書丞に遷る。自ら兄の權貴なるに居せるを以て、己が超擢を蒙れど、固辭し就かず。徐羨之は請うて司空長史、黃門郎と為す。元嘉三年、坐に從いて誅に伏す。時に年三十一。詔有りて其の子の世平は宥されど、又た早きに卒し、後無し。


(宋書56-5_徳行)




正直に申し上げます。母親氏の看病のくだり、さっぱりわかりません。トバシ訳です。それにしても謝晦徐羨之に目を掛けられて、最終的に殺されてしまうとか、この人の生涯って、なんつーか読んでてつらい。謝重の庶出の子供としては飛び抜けた存在だったろうなあ、とは思うのですけどね。他の兄弟と同じく、あざなに「宣」を入れることを許されるとか、相当ですよ。きっとそんなの許されなかった庶子ってたくさんいたでしょうに。


「その家の子として認められなかった庶子」って、どんな存在だったんでしょうね。母親の姓を名乗らされて、とかだったのかなあ。その辺には残酷な物語がいくらでも掘りだせそうで恐ろしいです。

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