急ブレーキ

ちびゴリ

急ブレーキ

 つるべ落としなんて言葉があるけど、一気に暗くなった感じがする。虚ろになりかけた目をしっかり開けて前を見る。ライトを点けた方がいい時間なのかもしれないが、とりあえずはちゃんと俺には見えている。


 ここを左折か。車の通りも少ない道だが、その分狭い。こういう道はいつも以上に注意しなければならない。免許を手にして三十年ともなれば、そんなことは言われなくてもわかっている。ただし、慣れというのが怖い。左側には子供が数人。俺はじっとその方向を見つめる。


 子供の動きは予想しにくいので人一倍気を付けなければと、右に少し寄ったつもりだったが、結局はそのまま直進してしまった。


 ハンドルを強く握りしめる。もちろん両手だ。然程飛ばしてもいないのに、妙にスピードが出ている気がする。ただ、この程度ならいつでも止まれると、アクセルから浮かせかけた足を元に戻す。


 そういえば・・・・。今朝出掛けにうちのやつが何か言ってたな。確か…アレを買ってきてくれと。


 アレ…。アレってのは何だったかな。ボケたとは口にしたくはないが、こういうちょっとしたものが思い出せなくなってきてる。


 あ~!分かったトイレットペーパーだ。そんな物お前が買って来いと言いたいところだけどな。自転車で買うのには荷物になるんだろう。俺は快く引き受けた。


 トイレットペーパーか。うちのはシングル…ダブルだったか。三枚重ねってことはさすがにないか。俺は呆れたように首を振る。あればいいんだ。何枚だって。


 それにしても…。このシートベルトってやつは窮屈なもんだ。特に腹が苦しくてたまらない。きっと昼飯を食い過ぎたせいもあるんだろう。こんな暗い時間になっても一向に腹が空かない。まるで小一時間前に済ませたみたいだ。


 そう思ったら急にゲップが出た。レバニラ定食にラーメンが混ざったかの匂いがした。車内に一人だけで良かったと思った。


 視線の先に小さい十字路が見えた。たぶん、左右には止まれの標識があるはずだ。道の幅からもこっちが優先道路。とはいえ、安心はできない。自転車か何かが飛び出してくる可能性は十分ある。


 そんな時だ。


 急に携帯電話が鳴り始めた。着信音?いや、これは音楽…ってことは俺のじゃない。


 頭に疑問符が浮かんだ瞬間だった。俺の目の前に自転車に乗った子供が飛び出してきた。ハッとしたとほぼ同時にブレーキペダルを思いっ切り踏む。それは蹴とばした感じに近かった。


 タイヤの音は聞こえず、耳に届いたのは、ガッシャーーーン!という凄まじい音だった。


 惨劇を見まいと無意識に目を閉じたのか、俺は我に返ったように目を見開く。シーンと静まり返っていた。


 静寂という言葉が似合うほどだ。


 そのすぐあとだった。どこからともなくひそひそ話が聞こえ、その中には笑い声も混じっている。俺はその声を確認するように周囲に視線を向ける。


 すると、一人の男性と目が合った。突然の事態に驚きと戸惑いを見せていた男性だったが、事の次第をすぐに理解したのだろう。落ち着いた口調で、


「どうされましたか?」と歩み寄って来た。


 見ているものと頭の繋がらない状態が数秒続いた後、俺はサッと立ち上がると「すみません」と頭を下げた。


 その直後、静まり返った空間に笑いの花がドッと咲いた。


 一メートルほど先には転がった長机があり、俺の両手には本らしきもの。そして、やや上方にはスクリーン。


「ま~お昼食べた後でこの陽気ですからね。眠くなるのはわかるんですが、あなたは違反者の講習に来てるんですから―――」


 そう言えば・・・・。俺はビデオを見ていたんだ。ペコペコと頭を上下させ、俺はすぐに倒れた長机を起こしに行く。笑い声はまだ続いている。


 せめて一番前の席でなかったらと思ってみたところで後の祭り。とてもじゃないがこんな話はうちの奴には出来ない。


 それでも・・・・夢の中の出来事で良かったと胸を撫でおろした。大恥は掻いたものの、事故に比べればと俺は一人苦笑しハンドルをドラッグストアに向けた。

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急ブレーキ ちびゴリ @tibigori

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