封印の剣と少女は運命を共にする

黒羽カラス

第1話 封印の剣を抜く

 大地に広大な湖の痕跡こんせき微塵みじんも残されていない。完全に干上がって砂塵が吹き荒れる不毛な大地となっていた。伝承によれば一夜にして湖は消え去ったという。信じる者は皆無で、お伽噺とぎばなしたぐいとして細々と伝わっていた。

 その乾いた大地を一人の小柄な少女が弾むように歩く。丸顔に似合いの薄緑のドングリ目で鼻は細くて低い。ふっくらとした木の実のような唇は、やや大人びて絶妙なバランスを保つ。

「今日も暑いね」

 見上げた空に微笑み掛けて足を速める。赤茶けた髪が弾んで日よけの白いマントに絡んだ。元気に腕を振る度にマントの合わせ目が広がって中を露出させた。胸と下半身には最低限の布切れがあてがわれ、衣服と呼ぶのがはばかられる。

 ゆらゆらと揺れる大気の向こうに街が見えてきた。少女は左手に持っていた大きな革袋を右手に持ち替えた。中身が揺れて涼し気な音を立てた。

 間もなくして到着した。街は強固な外壁に囲まれていなかった。許可制でもない。誰でも出入りが可能らしく初めて訪れた少女をすんなりと受け入れた。

「どこかな」

 少女は足で踏み固められた道の端を歩いた。しきりに目をキョロキョロさせる。店舗を目にすると小走りで向かう。掲げられた看板を見ては、がっくりと項垂れた。

「まだまだ」

 すぐに立ち直って別の店舗を当たる。

 目抜き通りを諦めて路地へ入り込んだ。うろついていると物々交換を示す看板を見つけた。少女は笑顔で駆け出した。

 鉄板で補強された木製の扉の前に立ち、笑みを抑えて中に入っていった。

「……すいませーん。ここは交換所ですよね? 店主さんはいますか……」

 天井から吊るされたランプはあるが店内は仄暗ほのぐらい。安酒場のように簡素な木製のテーブルや丸木の椅子が置かれ、強面の男達が遠慮のない視線を少女に向けた。

「ガキのくせに胸はあるな」

「抱き心地が良さそうだ」

「全員を相手にできるかな」

 物騒な呟きは少女の耳にも入った。苦笑いで遣り過ごし、店の奥のカウンター越しに言った。

「あの、ここに水があります。食料と交換して貰えますか?」

「なんだって。それは本当なのか」

 カウンターの向こうで背を向けて作業していた巨漢が瞬時に振り返る。右頬に刀創とうそうのような痕があり、周囲の肉が引き攣れていた。

「これです」

 少女は右手に持っていた革袋をカウンターに置いた。巨漢は栓を取って軽く傾けた。少量の液体を掌に受けて即座に啜る。

「本物の真水だ。この純度は、天然なのか?」

「もちろんです。あの、それで食料を」

 言葉は周囲の音で遮られた。居合わせた男達は腰に下げた武器を抜き放つ。小柄な少女に巨大な戦鎚を向ける者もいた。

「あのー、わたし、何か気に障ることを、しました?」

 周囲を見回した少女が最後に巨漢に目を向ける。

「逆だな。皆、気に入ったんだよ。貴重な水の在処ありかを聞き出せるし、その肉体でも楽しめそうだ」

 巨漢の言葉に呼応するように男達が忍び笑いを起こした。その中の一人、瘦身の男が少女の腰を指さした。

「それは剣だよな。鞘の宝飾からして相当な業物に思える。それを俺に渡せ」

「ああ、これですか。無理です。あなたが思うような剣ではありません」

「屁理屈はいらない。抜いてみろ。ゆっくりとな」

「まったく困った人達です」

 少女は軽く頭を左右に振りながら溜息をいた。その姿を見て短刀を取り出した小男が僅かに間合いを詰める。

「その余裕はなんだ? 名のある剣士なのか?」

「わたしは剣士ではなくて、もちろん魔法使いでもありません。ただ、他の人よりは長く息を止めていられます」

「この場で死んだフリは通用しないぜ」

「それくらい、わかっていますよ」

 子供っぽい仕草で頬を膨らませた。その間も少女を囲む輪は縮まってゆく。

「抜きますよ。本当にいいんですね」

「早くしろ。どっちにしろ、おまえに助かる道はないがな」

「まったく、もう!」

 少女は一度、足を踏み鳴らした。腰に下げた剣の柄を握ると、躊躇いを見せずに一気に引き抜いた。

 その場にいた全員が目を見張る。柄の先にあるはずの物がなかった。認識した直後、店内に轟音が響き渡る。

「な、なんだ!?」

「これはどういうこ――」

「だから抜きたくなかったのに」

 鞘から大量の液体が流れ出し、急速に満ちてゆく。軽装の少女は浮いたが他の者は大半が沈んだ。空気を求めてもがく者はいたが虚しい努力であった。

 店内は透明な液体に満たされた。少女は息を止めた状態で平然と周囲を眺める。重装備の者達は早々そうそうに口から大量の泡を噴き出した。失神して白目となっている者も少なくない。

 少女は柄を鞘に戻した。素早く潜り、革袋を回収して扉の前で待機。男達の生と死の境目を見極めて施錠を解き、勢いよく開け放つ。

「今後は悪さをしないで真っ当に生きてくださいね」

 倒れ伏した男達の耳には届かない。少女は、まったく、と愚痴を零して濡れた髪を両手で無造作にいた。マントの裾を強く絞り、身体を揺さぶって水気を取った。

「失礼します」

 出ていく直前、後ろへ声を掛けた。


 再び少女は赤茶けた大地を歩く。その状態で視線を落とし、腰に下げた剣に意識を傾けた。

「……封印を解いたら、どうなるのかな」

 その好奇心は瞬く間に全身の震えに変わる。実際に寒気を覚えて身体を摩りながら次の街を目指した。


 湖を鞘に封印した『魔女』の意図は後世に残されていない。末裔まつえいに当たる少女の家では口伝として受け継がれてきた。

 話によると湖の中心には異世界に繋がる穴があり、そこから大量の水が流れ込んでいた。遠くない未来、その流れに乗って悪しき魔人が襲来して世を混沌に変えると予知。魔女は先手を打って封印したと伝えられていた。


「あ、見えてきた」

 少女は大気に揺らめく街を見つけた。腰に下げた剣のことを忘れて笑顔で駆け出すのだった。

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