しわすが消える

「もー、いーくつ、ねーるーとー」

 サッカが、ふざけた調子で歌っている。はずれた調子で歌っている。そうしながら手元はせっせと、紅白の飾りを折っているのだから、器用なものだ。そのうちすぐに、「できた!」と声をあげて、机の上の紅白を持ち上げて、私の方へ向ける。

「お正月! 初詣! おみくじ!」

「うん、うん。じゃあ後は、重ねて飾るだけかな」

 サッカの手の間でひらひらと揺れている飾りの他に、赤色で縁取られた白い正方形の紙と、別に買ってきた裏白と、干し柿の串と、厚紙で作ったちゃちな三方と、真空パックにされた鏡餅。すっかり便利になったものだ。これなら、飾っている間に腐ることも、かびることも心配しなくて良い。

「繭の方も順調だね、重箱」

「うん、まあね。ことしも二段で十分かな、と」

「去年はちょっと多いぐらいだったもんねえ……あ、うずらの卵、余ってる」

 鏡餅の飾りを机の上に置いてから、台所へやってきたサッカは、私の前に並んだ重箱と、その横の皿に少しだけ残ったおせちの料理とを見て、皿の真ん中に転がっているうずらの卵にすっと手を伸ばした。細い指が小さな真っ白い卵形をつまみあげて、わたしの見ている前で唇のあわいへ運んだ。もごもごと口を動かして、ごくりと飲み込む。「おいしい」と言うのには「はいはい」と返しておいて、重箱を一、二の順に積んだ。

「あっ」と、サッカが声をあげる。何かと思って横を向けば、サッカが眉尻を下げて、寂しそうな表情をしている。

「どうしたの、サッカ」

「繭のおせちが出来たのを撮り損ねた」

「ああ……そんなこと」

 サッカは本当に、些細なことでも写真に残したがる。サッカだけが、時間の流れに取り残されてしまうんじゃないかと、たまに心配になる。それぐらい、サッカは日々のあれこれを、写真に収める。時間を止めて、切り取っている。

「食べる前に撮ればいいよ。お節料理はもともと、年が明けてから食べるものなんだし」

「そうか……そうだね。じゃあ、後はなにをすれば無事に年が越せる?」

「うーん……お風呂に入って、紅白を見て、年越しそばを食べて、除夜の金を突いたら、かなあ」

「あれ、意外とたくさん残ってる」

 目を丸くしながらそう言って、サッカはまばたきをする。わたしが言ったのを繰り返す

のと一緒に、指を折って、すべきことを数えている。確かに、それだけのことが本当に今年中に収まるのかは不安になるが、何をしようがしまいが、年は明ける。なら出来るところまでやってみようというのは、悪い試みではないはずだった。

 ひとまずのところ、次にすべきはお風呂をわかすことか。

 うん、と自分で自分の考えにうなずきながら、お重を持ち上げた。サッカの腕が、後ろからわたしを抱きしめてくる。お重を持ったまま動きを止め、「サッカ?」と後ろに声をかけると、いっそう、腕の力が強くなる。

「来年もよろしくね、繭」

 やけに小さな声でサッカがつぶやいた中身は、気が早いにもほどがあった。それは、年が明けてから最初に言うことじゃないのかしら、と考えるものの、言ってもらえることは素直にうれしい。まるで当然みたいに、来年も一緒にいる。それを考えるだけで、ひどく幸せな気分になった。わたしはどうやら、とても簡単なつくりをしている人間みたいだ。

「こちらこそ。来年もよろしくね、サッカ」


---


---


---


 今年の年越しは雪とともに過ぎるらしい。窓の外の濃い紺色の夜空に、白いものがちらちらと舞っている。珍しいことだ。

 首を部屋の中に引っ込めて、窓を閉める。針金入りのガラス越しにも、雪が降っているのがよく見えた。このまま降れば、明日の朝にはマンションの周りにもいくらか積もっているだろう。そうしたら、外にでるのはますます面倒になる。どうせ一緒に行ってくれる人もないのだから、初詣はなしで構わないだろう。

 カーテンを引いて、いくらか冷えた気のする手を、口の前でこすりあわせる。手のひらに息を吹きかけながら、こたつに脚をもぐり込ませる。すぐに両手もこたつ布団の中へ突っ込めば、おだやかな熱がじわじわと、手を温めていくのが感じられる。

 壁の時計を見上げれば、もう十一時をまわっている。テレビもつけずにぼんやりしているだけでこんなにも時間が過ぎているとは思わなかった。カーテンも開けっ放しだったのに、雪が降り出したのにも気がつかなかったのだから。

 こたつがこんなにあたたかいと、わざわざ台所まで行って、蕎麦を湯がく気にもなれない。年越し蕎麦を噛まずに飲み込むと長生きが出来る、なんて話もあった気がするけれど、どうにも、今のわたしには関係がない話のように思われた。惰性で作ったお節料理は重箱一つで事足りるし、鏡餅はお飾りも要らないぐらいの小さなものしか買っていない。久しぶりに、お正月の準備はちっとも楽しくないものだった。ひとりきりで過ごす年越しは、覚えていたよりも味気のないものだった。

 でもわたしは、年が明けても一人きりだし、来年が終わる頃にも一人きりのままだろう。

 今は未だ、サッカが居たことを、忘れないために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サッカと居たこと。 ふじこ @fjikijf

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ