クロック・リペア〜時計修理の魔術師〜

汐留 縁

第1話



鳥のさえずり、空から差し込む眩いほどの白光。

風に揺られ、映し出された木漏れ日が踊る。

カサリと草木をかきわける音が鳴った。

陽の光に輝く桜の木の下で、女が1人、お祈りをする。


「どうかお願いします。あの人の時間を…」


強い祈りに呼応するように桜がサワサワとざわめく。


「……見つけた」


そう口を開いた人物はガサッと音を立て、桜の木から飛び降りた。地面に着地しゆらりと立ち上がる。

女は突然目の前に現れた、黒い古びたローブを被った人物に「えっ」と驚きの声を上げた。

驚きで固まった女は「…な、に」と言葉を漏らした。

ローブを目深に被る人物は、フードを取って素顔を露わにする。

女は驚いた。そこには想像していたよりも愛らしく、12か13ぐらいの少女の姿があったから。

何よりも少女の容姿。白髪の髪にグレーの瞳。

女が人生の中で一度も会ったことない見た目には違いなかった。


「誰…?」


女は唖然としながら一歩後ろに下がる。

少女は視線を女へと向け、ゆっくりと口を開いた。


「あなたが、この町の時間を歪めた原因ね」


「え?」


女は意味がわからず呆然とした。

時間?何の話?


「あなた、願ったんでしょ」


「……何の、話ですか?」


「彼の時間が止まるようにって」


女は驚きで目を見開く。

それは確かに、女が願ったことだった。


「どうして、そのことを……」


少女はグレーの瞳を細める。


「だって、この町の時間はあなたの願いによって歪んだんだから」


「町の、時間?」


訳が分からず女は唖然とした。

だって、少女は本当に意味のわからないことを言っているから。

とはいえ、頭がおかしい子と言ってしまえば簡単に片付けられるが、不思議とこの子の言っていることに耳を傾けてしまっていた。

彼女の見た目や雰囲気が、自然と周りの空気を飲み込む。


「あなたのその願いが磁気となってこの町の時計を狂わせてしまった。だから、その願いは諦めて。でないと、この町は壊れてしまう」


女は呆然としながらも口を開く。


「私が、彼の時間を止めて欲しいと願ったから、町の時計が狂ったと言うことですか?」


少女は頷く。

女はしばらく愕然としてしまったが、何かを決意するように唇を引き結んだ。


「なら、私がそう願えば、彼の時間は止まったままになるということですか?」


少女は目を瞬かせる。そしてグレーの瞳を眇めた。


「時間を止めたままにするということは世界の理を歪めているのと同義。碌な事にならない」


「私は…彼さえいれば良いんです。彼だけが私の全てなの」


そう言い残し、女はストレートの茶髪をうねらせて去っていく。

少女は女の後ろ姿ににため息を零したそうな疲れた表情を見せた。



女はこの町に唯一ある、診療所の扉を開ける。

花束を持って部屋を訪室した。

立て付けの悪い扉はガタッと音を立て、窓から漏れ出た白光が室内を眩く照らしている。

病室の奥、カーテンの裏のベッドに栗毛色の髪がフワフワと輝いている。


「ロバン、どう?体調は」


そう聞けば彼は嬉しそうにこちらを見た。


「やぁ、セシリア。来てくれたんだね」


病衣を着て、膝まで掛物をかけてベッドに座っている彼の姿がそこにあった。

ロバンはほほ笑みを浮かべる。


「起き上がっていて大丈夫?」


「あぁ、今日は割と体調がいいみたいだ。きっと君が来てくれたおかげだね」


そう言って彼は微笑みかけてくれた。

セシリアはどこか照れくさくて、そんな彼から目を逸らしてしまう。


「そんなこと、ないわ」


そう言って視線を外に向ける。


「ねぇ、ロバン。良かったら外を散歩しない?」


彼は目を瞬かせて、そして微笑んだ。


「あぁ、そうだね」



セシリアはロバンを乗せた車椅子を押して外を散歩していた。

緑が生い茂る、気持ちのいい空の下。

2人で他愛もない話をしながら歩いていく。

幸せだと、セシリアは感じていた。

この時間がいつまでも続けばいいのに。


「……君と、」


ロバンが口を開く。セシリアは彼に視線を落とした。


「君と、いつまでもこうしていたいな」


さわさわと2人に風が吹き、桜の花びらが舞う。

ロバンの苦しそうな表情にセシリアも同じ表情をうかべた。


「こうして他愛ない話をして一緒に過ごして、そんな生活ができればきっと、幸せなんだろうね」


ロバンの苦しそうな微笑みにセシリアは泣きそうになった。

セシリアは後ろからロバンを抱きしめる。


「大丈夫。そばに居るから」


「ありがとう。僕はそれだけでも幸せだよ」


セシリアは抱きしめている腕に力を込める。

大丈夫。私の想いが必ず、あなたを生かし続けるはずだから。




次の日もセシリアは桜の木の下で祈りを捧げる。

どうか、彼の時間を止め続けて。どうか、どうか。


「永遠なんてないよ」


ハッとしてセシリアは振り返る。

そこには古びたローブを羽織る昨日と同じ、白髪の少女がいた。


「このまま時間を止め続けても本当の幸せなんてない。そんなもの絵空事と一緒だ」


セシリアは苦し気な表情をうかべた。


「それでも、彼が、ロバンが生きていることには変わりない。だったら、私は、私たちはそれだけで幸せなの」


少女は目を眇めた。


「世界のルールをねじ曲げる願いは必ず報いを受ける。そうなってからじゃ、遅いんだよ?」


セシリアは黙ったまま俯く。

少女はそんな女の様子にため息をこぼした。


「まぁもう、どうしようも無いとこまで来てるんだけどね。あとはもう、運命が決めることだから」


少女は少し表情を崩してそう言った。

セシリアは何を言っているのか分からず眉をひそめた。


「何にせよ、永遠に時間が止まるなんてありえない。運命がそれを許さないから」


少女の言葉にセシリアは言葉を失う。

すると、頬にヒタリと水が垂れた。

そのまま空を見上げれば青空だったはずの空は曇天へと姿を変えていた。

セシリアはもう一度少女へ視線を戻したがそこにいたはずの少女の姿はなかった。



その日から、天気の悪い日が何日も続いた。

雨が止む様子はなく、日に日に雨足は強くなり今日は遠くで落雷の音が鳴っていた。


「お前、放置したままでいいのかよ」


少女は桜の木に腰掛けたまま後ろを振り返る。


「一応忠告はしたし、時計の調整もし続けてる」


少女に声をかけた少年はため息をついた。

少女と同じようなローブを羽織る少年は被っているフードを外した。フードから零れた髪は藍色で、そこから覗かせたブルートルマリンの瞳を瞬かせる。

見た目は少女と同じ13歳ぐらいで、顔立ちは整っていて落ち着いた印象を受けた。

そして体は宙に浮いたまま、両腕を組んで少女に向けて目を眇めた。


「このままにしてたらお前、落第確定だぞ」


少女はプイッとそっぽを向いて唇を尖らせた。


「私は真面目に課題をこなしてるわよ。それなのにあの人、私の話を無視するから」


「どうせ、余計な事でも言ったんだろ」


少女は無言で返答する。

少年ははぁとため息を零した。


「あんまり、一般人にペラペラ話すなよ。こっちの世界の話はタブーなんだから」


「分かってるわよ。というかそっちこそ、試験は?」


「俺はもうとっくに終わってる。他のみんなも、既に何人か終わってるよ」


つまり、私が一番ドベということだ。

はぁとため息をこぼした。


「こんな試験、楽勝だと思ったんだけどな。なんだって私だけ」


「頼むぞ、本当。試験中の手助けは禁止されてるんだから」


少年の言葉に「分かってる」と不満げな表情で返答する。


「でも、私が手を出さずとも、運命の歯車は動き出してるよ」


空を見上げれば、落雷の音は徐々にこちらへと近づいていた。



大雨の中、セシリアは走り続けていた。

胸騒ぎがした。

ここ数日の大雨と徐々に近づく雷の音。

嫌な予感がする。

セシリアはロバンのいる診療所へと走り続けた。

角を曲がれば建物が見えてくる。

建物の中に駆け込もうとすれば、勝手口の屋根の下に病衣姿のロバンがそこにいた。


「ロバン!」


驚いて叫べば、ロバンも驚いて「セシリア」と呟いた。

セシリアはロバンを建物の中へ押し込む勢いで抱きつく。


「セシリア、びしょ濡れじゃないか。なんだって、こんな……」


「ロバン、外にいたら危ないわよ!中に入って」


縋り付くように抱きつくセシリアにロバンは訳が分からないと言った表情を浮かべる。


「一体どうしたんだい?そんな焦って」


「お願い」と懇願するセシリアにロバンは困り果てた表情を浮かべた。

そして、そのまま空を見上げる。


「ここ数日、雨はやまないしむしろ天候は悪くなる一方だ。その上今日は雷までなっている。一体、何がおきているんだ?」


セシリアはロバンにしがみついたまま顔を伏せた。

もし、あの女の子が言ったことが本当なら、これがきっと、時計を狂わせた報いなのだろう。

そして、それは刻一刻と迫ってきているのだ。

雷の音が徐々に近づいてくる。まるで死神の足音のように。

また雷の光とともに轟音が鳴り響いた。2人のすぐ側で。


「……お願い…ロバン、部屋に戻って」


弱々しくも必死の懇願だった。

ロバンは震えるように抱きつくセシリアを戸惑ったように見下ろす。

そしてしばらく逡巡した後、セシリアの肩にそっと手を置いた。


「わかった。いつまでもそんな格好では風邪を引いてしまうね。早く中に入ろう」


セシリアはホッと息をこぼす。

そしてロバンに向けてほほ笑みを浮かべた時に事件は起きた。

ドーンとすぐ後ろで地響きと共に大きな音がなったかと思えば何か黒い影が2人に向かってきていた。

ロバンは驚いた表情でセシリアの後ろを見つめ、え?とセシリアは振り返った。

迫り来る影。目前には太い大木が迫っている。

________いや……いやあああぁ!!!


その時、何か優しいものがセシリアを包み込んだ。

セシリアは必死にそこにしがみつく。

グッと迫り来るものに備えるように全身に力を込めた。

けれども一向に衝撃は訪れない。

セシリアはそっと瞳をあけ、身体の力を抜く。その時に気がついた。彼が、ロバンが、自分に覆いかぶさるように抱きしめていたことに。

2人してしゃがみ込んだ姿勢のまま、セシリアはそっと彼を見あげた。

彼は必死で、こちらに目をくれる様子はない。

いや、違う。彼は止まっているのだ。

彼の腕から抜け出ても、彼はセシリアを抱きしめた体勢のまま動かない。

一体、何が起きているのか。

セシリアは地面に座り込んだまま、後ろを振り返るように自分の真上を見上げた。


「ひっ!」


見上げれば、2人の頭上には今にもぶつかりそうな勢いの大木があった。

けれども、大木はそこにあるだけで落ちてくる様子はない。

どうなってるの?

呆然としたセシリアの耳に声が響いた。


「一度動きだした運命は止まらない。止めてしまえば、元に戻らないから」


振り返ればあの女の子がいた。古びるローブを羽織る、白髪の女の子。

けれどもいつもと風貌が違う。多分それは彼女が右手に持つ、杖のせい。杖の先端には歯車が組み合わさっていて、仄かに光り輝く。

そして、少女の瞳も黄金に輝いていた。

少女は音も景色も止まった世界の中を悠々と歩く。


「……時間を、止めているの?」


「一時的に街の時間を止めた。このままだと、本当に壊れてしまうから」


唖然として少女を見上げた。

そんなことができるなんて。

言葉も出ずに少女を見つめれば、ハッとして少女に叫んだ。


「お願い、ロバンを助けて!このままじゃ死んじゃう!」


必死に頼み込んだ。

このままにしてしまえば、間違いなく大木はロバンの上に落ちてくる。

そうなってしまえば、彼は……

少女は女の言葉に黄金の瞳を眇めた。


「時間は無限であり、有限だ。世界の時間は永遠に続き、人の時間は決められた時間までしか生きられない。それが世界の常識。けれども、あなたはそれを歪めてしまった。自分の願いのためだけに」


ロバンは少女の気迫にゴクリと唾を飲み込んだ。

そうだ、願ってしまった。彼に生きて欲しいと。傲慢にも、2人で永遠に、幸せをと。

そしてそれが、いけないことだと知りながら。

セシリアは力が抜けたようにぐったりと座り込む。


「私は罰を受けるのね。ルールを破ったから」


もう力も入らない。

これが末路だというのなら、大人しく受ける他ない。

所詮、私はなんの力も無いただの人だから。


「分かりました、罰は受けます。でも、どうか、ロバンだけは、どうかどうか普通の人として最後を迎えさせて、お願い……」


少女はじっと女を見下ろした。

そして、しばらくしてため息をこぼす。


「私はただ、ズレた時間を調節するだけだから罰したり運命を決める権限はないの。だから、時計を戻せば多分、元の運命の流れに戻るはずだよ」


セシリアはゆっくり少女を見上げた。


「……本当に?」


少女は頷く。


「ただし、その男はもう既にこの世には居ないはずの存在だ。きっと時計を戻した途端に……」


そう少女が言葉を途切らせれば女は思い詰めたように俯く。

そして、次第に「…わかった」と呟いた。


「でも、どうか、最後のお願いだけ。一度でいい。一度でいいから彼と最後に話をさせて。お願いします」


女は深々と頭を下げた。

女の切実な頼みに少女は困ったように眉をひそめたが、次第に根負けしたようにため息を零した。


「わかった。一度だけ時間を作ってあげる。2人で桜の木の下に来て」


そう最後に言い残せば、少女がトンっと地面に杖をつく。すると瞬く間に光だし、セシリアは耐えられずに目を強く瞑った。



セシリアは瞑っていた目を開ける。

うつ伏せになった体勢から顔をあげれば、見上げた先に彼がいた。

彼は窓から差し込む陽の光を浴びて外を見つめている。

ここは彼の病室だった。

彼はベッドから起きた体勢で、セシリアはそのうえにうつ伏せの姿勢で寝ていたのだ。

彼は自分を見上げているセシリアに「おはよう」と言ってほほ笑みかける。

セシリアはそんな彼が眩しくて目を細めた。

そして、


「ねぇ、ロバン良かったら外を散歩しない?」


セシリアの言葉にロバンは目を瞬かせて、そして微笑んだ。


「あぁ、そうだね」



セシリアはいつもと同じようにロバンを乗せた車椅子を押す。

緑の香りと木漏れ日を感じながら外を散歩する。いつもと同じように他愛ない話をして。

そして、気がつけばあっという間に桜の木の下にたどり着いていた。

2人とも舞い散る桜の木を見上げる。


「ねぇ、ロバン」


車椅子を止めてセシリアが話しかける。


「私、ね……」


セシリアは言葉を続けようと口を開いた。けれども、開いた口からは言葉は出てこず、気づけば目から涙を零していた。


「セシリア?」


驚いたようにロバンがこちらを振り返る。

零れる涙もそのままに、セシリアは後ろからロバンを抱きしめた。


「どこにも行って欲しくなんかない!ずっとそばにいて欲しかった!あなた以上に特別なものなんてないのに……!」


そのまま泣き続けるセシリアの背を、ロバンは手を伸ばして優しく撫でる。


「……僕も、君以上に大切なものなんてないよ。ずっと、そばにいたい……ごめんね、こんな広い世界に君だけを残してしまって……」


セシリアは嗚咽を漏らして泣き続ける。

今、腕の中にある温もりを手放したくなくてただ強く抱きしめた。

このまま離してしまえばどこかに消えてしまいそうで、まるで桜の花びらのように儚く散ってしまいそうで。

怖くて……

ロバンは手を伸ばすと、セシリアの濡れた頬をそっと撫でた。

その温もりに、セシリアは濡れた瞼を開けば柔らかな感触が唇に触れた。

セシリアは見開いた瞼をゆっくり閉じた。

その温もりと感触に安心して、体を委ねるように。

彼はそっと唇を離す。


「……セシリア、僕はどこにいたって君の幸せを願っている。この想いは永遠だ」


「ロバン……」


セシリアが瞬きをすれば、最後の涙が頬をつたった。

ロバンはセシリアから手を離す。

そして、車椅子から立ち上がった。


「もう、行かないと」


彼は笑ってセシリアに手を振る。


「……ロバン、いや、ロバン……!」


慌ててセシリアは彼に手を伸ばしたがその手は空を切り、掴むことは出来なかった。


「さようなら、セシリア」


彼は背を向けて振り返らずに歩いていく。

彼の姿は薄れて、次第に消えていく。


「いや……ロバン、ロバン!」


彼女が叫ぶ先には誰の姿もなかった。

そしてそこに残ったのは、泣いてうずくまる女と空の車椅子だけだった。



「恋は盲目。きっとその想いが無意識に、時計を狂わせていたのね」


少女は木の上から泣き崩れる女の姿を見下ろしていた。


「お前、故意に時間を歪めただろ。罰則ものだぞ」


後ろで少年が両手を組んで咎める口調で言う。

少女はムスッとして唇をとがらせた。


「仕方がなかったんだもん。あのまま放っておいたら時計が壊れて町の崩壊は止められなかった」


少年は呆れたように頭に手を置いた。


「それだけじゃなくて、あの人たちの時間も一時的に止めただろう。同情するのはいいが、人の時間を歪めることはその人の魂を傷つけることにもなる。魂の傷は永遠に消えることは無い。それは知ってるだろ?」


少女は頬杖をついた。


「知ってるよ、禁忌事項だからね。だから、今回少しだけ桜の木の力を借りたの」


「は?」


少年は訳が分からず聞き返す。


「桜の木はあの二人と強く共鳴してた。じゃなきゃ、時計がここまで歪むことなんてない。だから、桜の木の力を借りて二人の時間を引き伸ばしたの」


少女は桜の幹をそっと撫でる。


「この子も少し、心配してたみたいだしね」


少年は唖然として少女を見下ろしていた。


「お前……」


「それに、時間を歪めてたのは女性の方だけじゃなくて男性の方の願いも原因だった。二人の想いが重なって絡み合って、時間を歪めてたんだよ。でも、その絡んだ紐も無事に解けて切れたから時計の歪みも元通り!これで一件落着ってわけ」


少女は「う〜ん」と言って伸びをする。


「あー、ようやく終わったぁ、つかれたー。さぁ、学園に戻ろっと」


そう言って飛び立とうとする少女の肩を少年がガシッと掴む。


「待て!」


少女は疲れたように少年を振り返る。


「何よ?」


「まだ、時計の調整が終わってないだろう。しっかり仕事してから帰れ」


「うぐっ」と少女は嫌そうな顔をした。

そしてため息を吐いて諦めるように「分かりました」と呟いた。


「じゃ、俺は学園長に報告しに帰るからしっかり最後までやっとけよ」


そう言い残して少年は空中に広げた黒い穴の中へと入っていく。

少女はもう一度大きくため息をついた。

少女が学園に戻るのにはまだまだ時間がかかりそうだった。



数日間、ズレた時計の修理に集中していたある日。

あの女性がまた訪れた。

その姿を見たのはあの日以来で、思いのほか元気そうなことに驚いた。

女性は木の上に向かって話しかける。


「ねぇ、そこにいる?」


少女は目を瞬かせる。

私に話しかけているのだろうか?

少女は木の上から飛び降りた。

女性は、姿を現した少女に向けて微笑んだ。


「良かった。あなたにお礼が言いたかったの」


少女は首を傾げた。


「お礼?」


「最後に、時間を作ってくれたでしょ?ロバンとお別れした時。そのお礼をね、言いに来たの」


あぁと思い至る。けれども、あれは時計の修理に必要な事だったし、正直お礼を言われても少女はピンと来なかった。

それにあの日、女性はあんなに泣き崩れていたのに今はこんな晴れ晴れとしていることにも首を傾げた。


「もう、大丈夫なんですか?」


そう聞くと、女性は苦笑いを浮かべて表情をくもらせる。


「大丈夫かと聞かれれば、まだ辛いわ。夢を見るの。ロバンと過ごした時間の。朝、起きる度に実感するわ。私は世界にたった1人だけなんだって」


そう言って女性は言葉を途切らせてから、「でもね、」


「でも、彼はきっと、私がいつまでも暗いままなのは嫌だと思うから。だから、彼を想っていつまでも後ろ向きでいないで、彼のために、前を向いていきようと思うの。少しずつでもいいから……」


そう言って彼女は微笑む。

彼女の言葉とともに、桜がサワサワとざわめいた。

少女は目を瞬かせる。

絡んでいた紐は切れて、あの日、綺麗さっぱり消えたと思っていた。けれども、繋がる糸が消えることなんてない。

どんなに遠くにいたって、思いあっていればきっと繋がっている。

でも、その紐は絡み合うことない。だって、その紐はとても純粋で真っ直ぐだから

少女は「そっか」と言ってほほ笑みを浮かべる。


「まだ、あなたここにいる?」


「いや、もう修理もほとんど終わったから帰るよ。いい加減疲れたし」


「そう」と言って女性は寂しげに微笑んだ。

そして、不思議そうに首を傾げた。


「そういえば、あなたって何者なの?神様?それともまさか、死神?」


少女は唇の端を上げて微笑む。


「私は時計修理師のキラ。どんな世界のどんな時計だってあっという間になおしてみせるよ」

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