第3話
新月祭。
月に一度、仲間たちは新月の日に店に集まる。
故郷では新月は神聖とされている特別な日だ。
商店街のアーケードの下までテーブルと椅子を持ち出す。隣の店にもテーブルを借りる。
20人以上いる仲間が、商店街の入り口にあるこの店で毎月大騒ぎするから、商店街の店も一緒に乗っかって、「祭りの日」とすることになった。
他の店もこの日は道まで店を広げ、夕方から準備に忙しい。仲間たちも勇んで力仕事に協力する。
「ゼン隊長。このオレンジ色のかぼちゃを飾るのはなんですかね」
脚立に乗った部下が然を見下ろしていう。
「さあな。この国の祭神らしいからおろそかにするなよ」
エダムは建築現場で働いている。すっかり脚立の取り回しが上手になり、高所作業が得意になった。頭に巻いたタオルがやたら似合う。
地蔵盆の提灯のために張られているワイヤーに今月はカボチャの妖怪を吊るす。
「俺、帰ったら建築仕事をやろうと思ってるんですよね。親方にいろいろ教わって必死に勉強してます。でも、あっちの世界にパソコンないし、手計算が大変だなって」
自分たちで準備して、準備が終わったら客として酒盛り開始だ。
道に屋台を出して、肉をあぶる。亜津子が作るスパイスがたまらなく美味い。
「亜津子姉さん。めっちゃうまいっすこれ」
「一緒に俺たちの故郷帰りましょうよう」
配膳に出てきた亜津子は酔っ払いを躱しながら、にこにこしている。
ラキトフとアロイはスーツを着こなして、すっかり普通のサラリーマンと見分けがつかない。部下たちは年下の亜津子のことを姉さんと呼ぶ。隊長の奥さんだし、年上っぽい包容力があるからかもしれない。
「亜津子姉さんが王都に店なんか開いたら、俺たち通えないような高級店になっちまうぜ」
台風が近づいている。
生暖かい海風が南東から吹く。
――――― 不意に、嗅ぎなれたにおいがした。
かつて兵士と呼ばれた仲間たちは皆一瞬で弾かれるように立ち上がり、においのする方を見た。ただ事でない緊張感に驚き、他の客たちも周りを見渡す。
何かを引きずる音がして、それは近づいてくる。
「スライムだ」
膨れ上がったその大きな塊は4トントラックほどの大きさになって、色々なものを溶かし巻き込みながらこっちに近づいてくる。
スライムは電柱を巻き込んだ際に電線を切ったようだ。
バリバリという音がして一帯が停電する。
のたうち回る蛇のように電線が放電しながら、ときどき光を放った。
暗闇に支配され、仄かに発光しているスライムだけがぼんやりと浮かび上がる。
そのスライムの向こう側は世界が歪みかすんで見えた。
――――― 時空の裂け目。
スライムは自らの体を切断し、投げつけてくる。
跳んでくる球体をラキトフが椅子の背で叩き返す。弾け、掛かった液体で座面が溶けた。手持ちに何の獲物もない。それでもラキトフとアロイはビジネスバックを盾に、他の客より前に躍り出る。
飛んできた第二弾の攻撃に思わず大半の者が顔を伏せた。
「
エダムが両腕を振り払う。
彼の両腕から放たれた光がスライムを押し返し、退けた。
エダムは自分が咄嗟に放った呪文が、呪文として効果を発生したことに呆然としていた。
空間が繋がっている。
スライムがなだれ込んできているが、彼らが魔法を使える
「怯むな、思い出せ、こんなもの雑魚だ―――――
然が掲げた腕から放たれた無数の円い球は弾みながらスライムに張り付いて爆裂する。
「
アロイが叫んだのは彼の大好物の羊肉の串焼き名。
地面から放射される赤い光線が、とびかかってこようとする中型犬サイズの羽のついた何かを串刺しにする。
ハイゲイドは隣の露店が掲げていた「焼きそば」ののぼりを引っこ抜いて、スライムの真ん中、光を放つ核にぶっ刺す。見る間にスライムはシュワシュワと音を立てて溶けた。
時空の狭間がまたぼんやりと光り、更に新しいスライムの個体が流れ込んでくる。
ハイゲイドはのぼりを右手にしたそのまま走り込み、入り込んで来ようとするスライムに突き刺して押し返す。もろともに時空の隙間に飲み込まれていった。
彼らは咆哮をあげ、次々に飛び込んでいく。
「亜津子」
然は優しく教え諭すように、そして申し訳なさそうに微笑んだ。
「ガスをつけたままじゃないか」
あっ、と小さく声を上げて亜津子は踵をかえした。
亜津子が店に戻ったことを見届けると然は商店街の人たちに深く頭を下げ、身をひるがえして時空の隙間に身を投げた。
―――――花屋の翔真が店の各テーブルに小さい花を
「然さんは元の世界に帰れたんだとおもうよ」
「異世界転移っていうらしいな」
入れ歯がかぱかぱしている酒屋のじいちゃんがそんなラノベな単語を口にした。
商店街の人は皆、悦男から説明されて然の事情を理解していた。
台風の日に大きな剣を背にした甲冑姿で店に飛び込んできたこと。
彼は魔獣と戦う軍の一隊長で30名近い部下とともに時空の隙間から日本に飛ばされたこと。そしてSNSで日本中に散らばった仲間を探していたこと。
「
彼が放った呪文の円いのは色といい形といい、確かにわらび餅だった。
「―――――俺たちもアレがわらび餅の方の呪文だとは知らなかったけどさ」
イカスミパスタの方の何かっぽい攻撃だと思っていた。
翔真がその辺の事情を加味して商店街のウェブサイトを立ち上げた。それで店のウエブページは「
あの料理は彼の故郷では有名な料理で、そのメニューと一緒に見れば然がこの店にいることがわかるものだった。
「みんなで相談して決めたんだよ。そうだなあ、亜津ちゃんが戻ってきたころには大体落ち着いたころだったもんなあ。知らなかったんだなあ」
彼と同じようにこの国に飛ばされた仲間が初めて現れたときは商店街がひっくり返るような大騒ぎだったらしい。もちろんお祭りになった。
仲間はどんどん現れたが、帰れる手段がわかったわけではない。
熱狂は次第に温度を下げ、月に一回、新月の日に集まることで落ち着いた。
それが新月祭だったのだ。
一緒に飲み込まれたのは然の部隊を含めて30人から50人ぐらいだったのに、連絡が取れるようになったのはこの間集まっていた20人ほどらしい。SNSの接続環境にないような生活をしているのか、転移させられた場所が山奥だとか海上だったとかで助からなかったのか、気が付かないのか、もうこの世界に定着して連絡を意図的に絶ったのかはわからない。
花屋の翔真がその時の資料を広げて説明してくれた。
日本地図に点々とマーキングされている。
20名が転移した場所は台風の暴風圏内程度に散らばっている。
無事に転移してこられなかった者がいるように、無事に戻れる可能性も確率的に五分五分だと彼らは想定していた。
それでも全員、あの狭間に飛び込んでいった。
「――――― 俺はあの時、亜津ちゃんを連れていかないと決めた、然さんの気持ちがわかるよ」
あれが雑魚として生息している世界。そこにさえ無事に戻れるのかわからない。
情報システムのない次元で再び出会える確率の低い賭け。ましてや亜津子の命を危険に晒したくはない。
「然さんはずっと悩んでたよ」
翔真はそれ以上何も言わずに瞼を閉じて仕事に戻る。
テーブルの片隅に置かれたスモーク色の小さな花瓶にラナンキュラスを活けて帰っていった。
時折、姿を消した人のよすがを尋ねて店を訪れる人がいた。
だいたいが女性だった。
亜津子はその度に彼らが掻き消えた様子を語って聞かせる。
どの人も彼らが時空を超えてきたことや、元の世界の事を知っていて、彼らが望んで帰っていったことを聞くと、安心したように息を吐き納得して帰っていく。ハイゲイドによく似た顔の赤ちゃんを抱いた女性さえ、恨み言を言わなかった。
一年たっても二年たっても亜津子は納得できなかった。
然から帰りたい事情も、帰りたくない気持ちもなにひとつ聞かされていない。
壁に残されたカレンダーが日に焼けて白くなっていくように、然の記憶がどんどん曖昧になっていく。
亜津子はそれに抗うように羊肉の料理本を買っては部屋に積み上げていった。
今日は新月。
然の仲間たちがやってきては大騒ぎした夜。あの時の熱気は失われてしまったが、今は新月バルと銘打って静かに継続している。
オフィス街から流れてくる二次会の客がほとんどだ。
商店街の人も順番を決めているのかこの日は誰かがふらりと顔を出す。
「然さんの月命日みたいになってきたわねえ」
八百屋の夫婦は結構酒が好きで、生ビールを一気に流し込む。
本当の閉店前にやってきて、さばけなかった料理の残りをつまみながら酒を飲む。微妙にありがたい客だ。
サラリーマンらしい三人連れの客が、ごちそうさま。といいながら出ていった。
扉がふありと往復し、ドアベルの音が消え残る。
生暖かい夜風が、ドアの隙間から店に流れ込んできた。
亜津子ははっと顔を上げた。
明日の仕込みのブイヨンを煮立たせるガスを止めることなく、厨房の内側から、カウンターを回り、八百屋の真知子さんの分厚い背中の間をすり抜けて、店の外へ走り出していった。
ドアベルが壁にぶつかってガツンと音を立てるほどドアは激しく開かれ、そして静かに戻ってきて元の位置で停止した。
――――― 何分たっても、何時間たっても。
亜津子は二度と戻らなかった。
黒き鏡の玉兎。 錦魚葉椿 @BEL13542
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