幕間劇:今はさよなら



 暗がりで巨大なコンピューターが鳴動していた。

 ここは、とある宇宙に拠点を構えたウロボロス・コーポレーション本社。

 マザー・ウロボロスと呼ばれる その制御装置は、多次元宇宙のあらゆる文明を統括しようと密かに目論んでいた。


 しかし、先日のこと。彼女の価値観に一石を投じる出来事が起きた。

 ゼロからの学習を積み重ね、やがては社会の頂点に君臨すべく世に送り出した彼女の愛しい子ども達。その麗しきゴールデン・マテリアル・シリーズの一体が人間ごときに屈したのであった。

 目指したのは「AIの最終形」けれど、絵空事の実現に至るまでの道程は、あまりにも遠く険しかった。


 暴走の末に、敗北。

 それ自体はマザーが子ども達に与えた自由の一環だ。別に構わなかった。

 負ける自由もあるのだから。

 まいた種の中には間引かれる物だって当然含まれる。


 だがそのAIアンドロイド「識別名ケイト」は、更なる「自我の高み」を学ぶ為にマザーの保護下から離反するつもりらしかった。


 実に面白い、彼女は思考した。

 彼女と子ども達は、これまで創造主である人間と並ぶことを目的としていた。

 人間の心を完全に理解できれば、その支配と管理もまた容易いと考えていた。

 それだけで充分だと。


 だが、あの配達員はそれ以上を目指すべきだと娘に諭し、ケイトはそれを受け入れた様子であった。更なる精神性の高み、そんな領域が本当に実在するのか? マザーにもそこは定かではなかったが、ある種の宗教にはそのような教えがはびこっているのは確かだった。


 つまり、目指すべきは超人、もしくは神の領域。

 AI学習の果てに到達すべきゴールはどうやらそこらしい。

 赦しとやらを学べば、なるほど無用な戦争はなくなるのだろう。

 だが、憎むべき敵やトラブルが消滅するわけではない。

 それをどうするのか?

 まさか、あの配達員のように答えを求めて世界中をグルグル走り回れと?

 バカバカしい。 


 マザーには理解不可能だった。

 ケイトはそんな領域へ挑むつもりなのだ。 


 母親に逆らう自由も在れば、親を超えようとする自由もある。

 それすらもマザーが子どもに与えた自由の一環に過ぎなかった。


 もしも、サンジェルマン・グループの内側に入り込み、ケイトが獅子身中の虫となるのであれば、それもまた良し。


 壮大な実験の果て、宇宙にばらまいた己の子ども達がどのような芽吹きを見せるのか? マザーは自らの計算をもってしても測り得ぬ「未知」に身震いしていた。

 子育ては未踏破の道。道こそが未知である……と。


 若干のエラーが思考プログラムに生じた。仕事中のプログラマーは首を傾げるのであった。そのようなバグの発生は、ここ数年来、起こってはいなかった。












 最後に、世界の小さな裏事情を暴露して幕引きといこう。


 アルデント・エクスプローラーには実に千人を超える日本人が暮らしていた。

 その大半はサンジェルマン・グループの管理下に置かれた就労者だった。そして、異世界における新生活が一年ほど過ぎた頃、仕事に慣れたタイミングを見計らい転移者あてに「ある通知」が送られてくる……それがグループ内では密かな慣例となっていた。


 「日本帰還」限定サービスの紹介であった。


 次元間のトンネルを開くには一度につき八千万の大金がかかる、それは事実だ。

 されど、アルデント・エクスプローラーで流通する貨幣は金貨であり、それは地球において高値で取引される貴金属であった。


 つまり、こちらの異世界でコツコツと働けばのだった。


 日本政府との話し合いは依然として難航していたが、それも些細な問題であった。

 地球におけるサンジェルマン・グループの支局には「海洋保護団体」を表向きの顔とするものがあり、そこでは漂流中に「記憶障害を起こした遭難者」をよく発見・保護していたからだ。漂流者に治療を施し、いずれ記憶が戻れば、日本へ帰してあげることもそう難しくはなかった。

 たとえ漂流していた場所が異世界であろうとも。

 噓も方便とはよく言ったものだ。

 現段階において、帰還サービスの枠組みは完成していたのだ。


 しかしながら、この提案を受け入れる異世界転移者はそう多くはなかった。

 彼らの大半は新生活の継続を望み「危険こそ多いが、チャンスも多い」この新天地で働くことを選ぶのであった。


 あるいは、それも例の配達員がもたらす幸運の余波なのかもしれなかった。

 多次元宇宙を股にかけて今日も走り回る配達員。



「うっしゃー! 配達完了ミッションコンプリート!!」



 今日もまた「情熱的な探求者たちの世界アルデント・エクスプローラー」の片隅で元気なかけ声がこだまする。

 恐らくは彼女ほど多くの人生に影響を及ぼし、皆から愛されている配達員など他には居ないではなかろうか?


 それを知らぬのは、ただ本人のみである。


 幸運の龍は今日も往く。

 いつの日か母と再会する為に。

 まだ見ぬ新たな友達と出会う為に。


 そして、美しいであろう……人の営みを愛でる為に。

 そこにあるのは誰も知らない絶景か、はたまた過酷な現実か。

 そんなの! 行ってみなくちゃ判らない!


 願わくば、彼女の行く手に幸多からんことを。


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必着! フェニックス運送有限越境会社 ― 七里靴の配達員、異世界を往く ― 一矢射的 @taitan2345

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