最終話 チムフィッズの空は今日もきらめく

◆◆◆


「いつもどうもありがとう。これで安心だわ」

「ありがとう、お姉ちゃんたち~」

「あざっしたー。またよろしくお願いしまーす!」


 長い赤毛を揺らし、 “煙突のマツノ”の名の入った作業車にもどったリュゼは荷台に丸ブラシを放り込んだ。


「ふひー、お疲れ。今日も良く働いたー」

「お疲れ様。でもまだ終わりじゃないよ」


 運転席に乗り込んだオーリオが後部座席のリュゼを振り返る。少しだけ短くなった前髪から覗くオーリオの細い目が三日月を描いた。


「あーパスパス。一回事務所にもどって飯食おうぜ。アリスも戻ってんだろ?」

「アリスは今日休み」

「うげ、忘れてた。んじゃ今日はうまいもん食ってんのかぁ。オーリオ、負けてらんねぇぞ。アリスよりうまいもん食おうぜ」

「ふふ、そうだね」


 オーリオはそう言うと車を出発させた。リュゼは食事のメニューに思いを巡らせながら、車窓を流れる空を見上げた。


◆◆◆


「アリスちゃん! こっちこっち!」

「奥様、遅くなりました!」


 手を振るジョルナンデ夫人の元に駆け寄ったアリスは、頭を下げた拍子にずれた瓶底めがねをくいっと直した。

 顔を上げると笑顔のジョルナンデ夫人とその後ろに立つ仏頂面のフェイスが視界に入った。


「遅い。せっかく準備した冷めるだろう。早く席につけ」

「もうフェイスったら。せっかちはいけないって言っているでしょう」


 相変わらずのやり取りを交わす二人を苦笑いで見つめ、アリスは言われるまま席についた。



 あの日、アリスは自分の名を呼ぶ声で目を覚ました。


「……ス! ……アリス!!」

「……こ、こは」

「――っ、このバカ野郎!!」


 ガバッと抱きつかれぎゅうぎゅうと締め付けられたアリスは、その人物がリュゼであることにぼんやりと気づいた。


「リュゼさん……私、煙突掃除をしていて、ドゥールイズの……。そうだ、ドゥールイズ!」

「大丈夫。安心して、アリス」


 徐々に意識を取り戻して慌てるアリスを安心させるように、頭の上から穏やかなセオの声が降って来る。


「彼女なら大丈夫だよ。ほら」


 その言葉にアリスがリュゼに抱き起されたまま視線を動かすと、壁に寄り掛かるドゥールイズの姿が目に入った。

 ドゥールイズは心配そうにこちらを見ていたが、アリスと目が合うと気まずそうな顔をしてフッと顔を背けてしまった。


「はっ、可愛げのないお嬢様だこと」


 厳しいリュゼの声にもどことなく安心感がこもっているのを、胸から響く声でアリスは感じ取った。


「どうだ、痛むところはないか?」


 次に覗き込んできたのはフェイスだった。煤のような黒い汚れを顔中につけた彼が、がれきだらけのこの状況の中でどんな働きをしたのかは一目瞭然だった。気づけば辺りは警察や防護服に身を包んだ人々でごった返している。


 アリスは鼻の奥にツンとしたものを感じながら、珍しく心配そうな顔をしたフェイスを見つめ返した。


「私、また失敗してしまって……」

「どこが失敗だ。戻って来ただけで上出来だ」


 呆れたように返すフェイスの横からオーリオが顔を出した。誰よりも憔悴しているように見えるオーリオは深々と頭を下げた。


「っえ、な、何? どうしたんですか、オーリオさん?!」

「……アリス。謝ってすむことではないけど、トーリオが済まなかった……」

「あんたが謝ることじゃないだろ」


 リュゼはぺしんとオーリオの頭を叩いた。


「謝るのはあいつだ」


 そういってリュゼが顎で指したのは、警察に身体を支えられ連行されていくトーリオだった。トーリオは一瞬アリスを見たものの、すぐに顔を背けてしまった。


 そこにいる全員が何も言わずトーリオの背中を見送る中、のんびりとしたセオの声が響いた。


「ねえ。ほら、みんな。見てみなよ」


 そういうセオの眼差しはぽっかり空いた穴に向けられていた。セオの視線を追ったアリスは思わず声を上げた。


「わあ……」


 そこに広がっていたのは、空にきらめく大河だった。

 セオの魔力によってダスト同士は繋がり、空に揺蕩う絹糸のように流れている。流れはアリスが生みだした滑らかさで艶やかにきらめき、その合間をリュゼの魚が泳いでいる。そしてそのダストの川はオーリオの働きで柔らかく空一面に広がり、まるで大河のようだった。

 

 それはとても幻想的な光景だった。街中でも多くの人々が空を見上げ、ため息をついていた。この日のチムフィッズの空の様子はダイジナ社の爆発事故もあり、大きな話題となっていた。


「これが僕たちの仕事だよ」


 誰もが言葉を忘れてしまったように空を見上げる中、セオが呟いた。


「お疲れ様。みんな。……さあ、事務所に戻ろう」

「……はい!」


 吹き込んだ風がまっすぐになったアリスの髪をさらりと揺らした。




 その後、ドゥールイズはメゾン・スムース社を畳んだ。もちろん父である元代表からの猛反発があったらしい。だがドゥールイズが各方面に頭を下げ、再出発のための解散として元代表の圧力を遮ったとフェイスが言っていた。

 風の噂でドゥールイズは小さな会社を興し、地道に魔導煙突掃除人として働いているそうだ。


 トーリオは事件を理由に特級魔導師の資格を剥奪された。もう二度と魔導煙突掃除人として働くことは出来ない。今は僻地の刑務所に送られ、罪を償っていると聞く。

 トーリオの話題が出る度、オーリオは「またいつか会えるだろう」と寂しそうに笑っている。




「本当に今日はいい天気だったわね」

「今日もお招きありがとうございました!」

「ほら、はやく行くぞ」


 ジョルナンデ夫人の手料理とお土産で大満足のアリスは元気よく礼を告げた。フェイスの仏頂面は相変わらずだが、急かすところを見るとどうやらアリスを送ってくれるつもりらしい。


 フェイスはダイジナ社の副社長として、事件の後も迅速な対応を見せ、各所から評価されていた。アリスから度々指摘されるせっかちな部分も、今後は自分の長所として生かしていくつもりらしい。


 事務所の前までつくとフェイスは手に持っていたジョルナンデ夫人からのお土産をアリスに手渡した。ズシリとした重さに一瞬よろけそうになり、アリスは笑った。


「あはは、こんなにいっぱいありがとうございました!」

「本当だ。少しくらい遠慮してもいいんだぞ」

「えへへ、そうですね~」


 すでに軽口だとわかるほどには親しくなったフェイスに、アリスはあいまいな笑いで返事をした。


「あ、そう言えば明日は御社のお仕事ですね。よろしくお願いします」

「ああ、そうだったな。頼んだぞ、魔導煙突掃除人さん」

「え、っと、はい……」


 そこでようやく表情を緩めたフェイスに何となく照れくさくなり、アリスは空を見上げた。つられたようにフェイスも空を見上げ、しばしの沈黙が訪れた。

 チムフィッズの空は今日もダストが一面にきらめいている。街には人々が暮らし、今日も誰かが魔導煙突を掃除している。

 明日も、またその次の日も、ずっと流れは続いていくのだろう。


「じゃあな、また明日」

「はい。……明日も頑張ります!」


 魔導煙突掃除人としてのアリスの人生は続く――。

 

 チムフィッズの空は今日もきらめいている。




【了】

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魔導煙突掃除人アリス~チムフィッズの空は今日もきらめく~ 青戸部ラン @ran_aotb

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