太陽は良薬だと天使は言った

天宮ユウキ

本文

 ーー太陽ってすごいんだよ。


 そう言って彼女は言う。ボクに向ける笑顔が天使みたいで後光が射してる気がする。同じ女性としてドキドキはしない代わりに、チカチカして目眩がする。表情の明るさが眩しい。その声に、視線に、心臓がおかしくなる。だからボクは目を細めて「何の話?」と聞き返すんだ。すると彼女は嬉しそうにはしゃいでボクを指差す。


 ーー太陽は良薬なんだよ!


「……」


 良薬って。紫外線云々の話じゃないか。ボクは突っ込まずにいられなかった。だって、それはあまりに短絡的だ。


「それ、なんか間違ってない?」


 すると彼女の顔がみるみるうちに暗くなっていくから、ああしまったと思った。彼女は唇を強く噛んで眉間にシワを寄せた。それから悔しそうな声で小さく呟いてたがあんまり覚えていない。



 ◆◆◆



 今日も暑い。温度が35℃らしい。気温が高いとか低いじゃなくて熱いのだ。外はまるで灼熱地獄。日差しが強くて立っているだけで肌がちりちりする。アスファルトから立ち上ってくる陽炎。汗で滲む世界はなんだか揺らめいているように見える。蝉の声がわんわんと頭の中で響いているような感覚になって、少し頭が痛い。空を見ると真っ青な青空。遠くの方では入道雲が見える。白い綿菓子のような大きな塊。その周りを取り囲む真っ白な入道雲。


「……あぁ」


 なんとなくため息が出た。この世界に神様なんて存在しないのかもしれない。ボクは暑さのせいでどうやらおかしくなっているようだ。神様の存在を信じたくてこんなことを考えてしまうくらいには暑くて頭が働かなくなっている。

 そもそも神様っているのか? ボクは思った。…………いないな。うん、きっとそうだ。いるならこの現状を変えるために何かしてくれてるはずだ。でも、何も変わっていない。

 ふと思い出す、あの時の彼女。天使みたいな可愛い顔をした少女のことを。いつも笑ってて、明るい。誰に対しても優しい。そしてとても強い女の子だったと思う。今思うとそれはかなり危ういことだと思う。ただ、ボクの前でだけはその笑顔を見せてくれていた。それがたまらなくてしょうがなかった。


「はぁ」


 それよりも仕事だ。仕事をしよう。今日もまた書類に目を通してハンコを押していくだけの簡単なお仕事だ。もうずっとこればかり繰り返していて正直飽きてきたけど。でもお金を稼がないと生活ができないわけだし……。


「……あーつーいー」


 思わず口に出してしまっていた。


「ちょっと、うるさいわよ」


 怒られてしまった。まあ仕方ないだろう。だって暑すぎるんだもの。暑い暑いと言っても何も変わらないけれど。そんなことを思いながらキーボードを打っていく。


「それにしてもほんと暑いわね……」


 そう言って彼女は額に浮かんだ玉の汗を拭った。ボクより背の高い美人なお姉さんである彼女だけど今は暑さに耐えかねたらしくブラウスの第一ボタンが開いているし、タイトスカートからはすらっと伸びた足が伸びている。そして首元にかけたタオルで時折それを煽いでいた。長い髪の毛が揺れるたびにシャンプーの良い匂いが香ってきて、鼻腔がくすぐられる感じがする。


「あついですよねぇ……」


 ボクはその光景を見ながらそう返した。彼女の言う通り暑いから集中力が続かないということもある。あとはやっぱりエアコンがついてないとしんどい。事務所の中には2台の業務用のエアコンがついているものの稼働率はあまり良くないせいかあまり効いていない気がするし、窓は全開なので余計蒸し暑い。だからなのかは分からないが、ボク達は作業中に時々言葉を交わす程度で基本的には黙々と仕事をしている。ボクが彼女の方に視線を送ると彼女もこちらを見てくれて、目が合うとその瞳の中に吸い込まれてしまいそうになる。ボクはすぐに逸らすのだが、彼女が笑う気配を感じるとまたそちらを向いてしまう。すると彼女は少し困ったような顔をするのでそれもかわいいなと思ってつい眺めてしまっている自分に気付くのだ。……ああ、駄目だ。

 ボクはこの感情を知っている。いつの間にかボクは彼女のことが好きになっていたらしい。でも、これは報われない想いなのだということも分かっている。

 そもそも彼女は恋人がいるらしい。同性のボクにあっさり話してくれて悲しくなった。しかも結構仲が良いみたいだ。それはボクにも分かる。だって彼女はよく彼氏の話をしていたから。ボクも最初はその恋を応援しようと思って彼女に近付いたのだ。だけどだんだん、その話を聞いたり彼女と仲良くなるにつれて、なんとも言えないモヤモヤとした気持ちが心の底から湧き出てきて、ボクはそれを見ないようにしていた。だってそれは叶わない恋なんだから。でも、それでも彼女を想うことを止められない。こんな風に苦しくなるんなら最初から好きになんてならない方が良かったかもしれない。



 ◆◆◆



 仕事帰り、スマホの履歴を確認するとメールが来ていたようだ。誰だろうと見てみると絶句した。相手はカラスだった。いや、カラスというあだ名の女の子だ。別に黒くも鳥っぽくもない。でもボクがそう呼んでるだけ。特に意味はない。

 文面を見ると『今度の土曜日遊ぼ?久々のデートだよ』と書かれていた。これはデートというよりヤリ目だと思う。この間は頬にキスしてくるわ押し倒すしでケンカして別れた。絶対狙ってるよ、ボクの処女を。しかし、そんなカラスと会っているのは昔からの縁だ。そうで無ければこのヤリ目女と会うわけない。なのでこう返してやった。


『やなこった。この淫乱ヤリ目女め。』


 我ながらド直球にひどい文面だ。デリカシーもクソもない。どう反応するのか待っていると意外と早く帰ってきた。


『好きなんです。ヒマワリの処女をもらう事を許してください。』


 ヒマワリはボクのあだ名だがそれどころではない。ボクはどうしてカラスに処女をあげないといけないんだ。バカなのか。怒りがこみ上げてきたところでカラスからまたメールが届く。


『私と恋人になって初夜を迎えたいからノーブラで来て』


 流石に怒った。こんなセクハラメールはダメに決まってる。電話をするとすぐに出た。


『あっ、ヒマワリ元気? お泊まりはホテルがいい? 私の家がいい?』


 開幕これである。ボクが怒らないとでも思ってるのだろうか。


「くたばれ、ヤリ目女」


『あぁん待って。そんなにぷりぷりしてるとかわいい顔が台無しだよ?』


「うるさい」


 ボクは電話を切ることにした。これ以上付き合っていられない。するとまた着信がくる。


「何?」


『ごめんなさい。調子に乗りました』


「よろしい」


『じゃあ、土曜日会ってくれる?』


「ヤリ目以外ならいいけど」


『勝負下着穿いてくるね』


「ボクの話聞いてた?」


『ヒマワリに抱かれる可能性に賭け、いや、ほら、もしも万が一の場合があるかもしれないから』


 どんな場合だ。


「まあいいよ。近所の喫茶店、あそこ、『カフェ日光』に集まろう」


『恋の相談かな?』


 うっ。恋の相談なんてそんな戯言は、いやあるか。カラスにまた話すくらいいいか。同僚に対する一方通行の恋。カラスにそんな淡い恋心が理解できるとは思っていないが。とりあえず、時間を伝えるとカラスは電話をあっさり切ってしまった。意外と引き際がいいな。

 電話を切るとすぐにメールが届く。


『ヒマワリ、やなことあっても太陽を見ると治るよ』


 そのやなことは今さっきあったのだけれど。でも、それもそうかと思いスマホをしまう。気づくと太陽は沈んでいた。



 ◆◆◆



 金曜日の晩。ボクは荒れていた。あの同僚が彼氏からプロポーズを受けたらしい。やけ酒しようにも生憎お酒は弱い為、無糖のカフェラテをがぶ飲みしていた。酔いはなかったが気分が荒れに荒れている。ツマミを食べて自宅の机を叩きつけた。気分は晴れないし近所迷惑になるかもしれない。更に気を落としていく。

 そんな時に無頓着な着信音が鳴る。ボクはイラつきながらそれを手に取った。


『もしー? カラスだよ』


 カラスだった。ボクはため息をつく。


「なんだよ。もう寝るんだけど」


『ヒマワリ、明日はデートだからね。ちゃんとおしゃれしてノーブラで来るんだよ? あと、待ち合わせ場所は『カフェ日光』で!』


「……はいはい。分かったよ。じゃあおやすみ」


『おやすみ! 愛してる!』


 電話を切った後、ボクはベッドに倒れ込んだ。そういえばカラスのやつ、ボクがノーブラで来て欲しいと言ってたな。どうせ冗談だろう。あのヤリ目女め。ボクはそのまま眠りについた。

 そして翌日。着替えてから鏡を見てみた。


「うん、普通だ」


 特に問題はない。後は約束の時間まで待つだけだ。

 待ち合わせの時間。太陽は燦々としており湿っぽい暑さだ。ボク達は『カフェ日光』でお茶をしていた。


「それで、私に恋バナ話して話して」


 カラスはキラキラした目でボクを見ていた。このヤリ目女、見た目は清楚な格好をしていてまさしく天使と呼ぶべきかわいさだ。中身が堕天使くらいの残念さが無ければ完璧だっただろうに。


「この間話してた同僚についてだよ」


「例の同僚さんのことかぁ」


 実はこの間も同僚のことをカラスに話していたのだ。話した後、キスされたり押し倒されたしで散々だった。しかもカラスの家だから余計に気分が悪かった。


「彼氏にプロポーズされたらしい」


「ふーん」


 カラスは興味を失ったかのようにスマホをいじり出す。せっかく話してるんだからもうちょっと興味を持ってくれないか。


「ならさぁ」


 急にスマホから目を離してボクを見る。やめてくれ、心臓に悪い。


「こういうのはどう?」


 そう言ってスマホの画面を見せる。それは顔の隠された女の子が並んだ画面だった。よく見てみると風俗店である『レイチェル』の風俗嬢紹介のページのようだ。もしかして……。


「ボクに風俗行けと言ってるのか」


「デリヘルでもいいと思うよ。ちなみに私オススメの風俗嬢は……」


「ボクは性欲に困っているんじゃ」


「そうそう、このアカリちゃんなんて娘は、すっごく美人で、胸がおっきくて、もう最高だったんだ」


 ボクの話聞けって言ってるんだ。カラスの風俗レポなんて聞きたくない。というかカラスは女の子と……。


「シたのか?」


「ふふん、そうだよ。ヒマワリも風俗で貞操捨てちゃえばいいのよ。ファーストキスも処女も無くなれば、その同僚のことなんて」


「良くないって、言って……」


 ……怒りのあまり、立ち上がってカラスに冷や水をぶちまけるところだった。すんでところで冷静になると座って落ち込んでいく。ボクはカラスになんてことを。


「ヒマワリはその同僚さんのこと、よっぽど入れ込んでいるんだね。いいなぁ」


「叶わぬ恋に憐れんでいるのつもりならやめてくれ。余計に情けなくなる」


「でも好きなんだよねぇ」


 カラスはボクの顔を覗き込むように見る。その目はどこか悲しげな感じがした。


「なんでそんなに好きになったの? 一目惚れとか?」


「いや、違うけどさ」


 ボクと彼女は特別話す仲でもなく、ただ、ただ……。


「恋に恋してたのかなぁ」


「ふーん。ヒマワリもそういうことするんだ。へぇ」


 カラスはニヤニヤしてボクを見てくる。やめろ、気持ち悪い。今度こそ冷や水かけるぞ。ボクは席を立ってトイレに向かう。用は足さない。少しだけ頭を冷ましたかった。

 トイレから戻るとカラスとボクの席に注文していた飲み物が来たようだ。そこまではいい、そこまでは。問題はボクの飲み物にカラスが持って口を付けていたことだ。カラスはボクに気づくと慌てて飲み物を席に置いた。間違えて飲もうとしていた感じではない。明らかに分かって口に付けていた。カラスは何故か慌てて目をぱちくりさせて視点をずらしている。この女、ずっとふざけてばかりだな。

 怒ろうか迷った時、カラスが「ごめん」と謝ってきた。素直に謝られてボクの方が驚く。


「ヒマワリがいないと思ってやりました! 許してください!」


 ここぞとばかりに威勢が良くて困惑する。


「ボクをからかうつもりだったのか? それとも」


「好きだからです!」


 は? カラスの意味不明な言葉にボクの思考は停止していた。


「ヒマワリのことがずっと好きで、その同僚さんと良い感じになれないならイケると思ってヤったり、好きすぎてカップにキスしてしまいました! すみませんでした!」


 カラスがボクのことが好き? どうせ体目当てでしょ。


「ボクは前にカラスに抱かれかけたんだけど、なんでボクに性欲をぶつけたの」


「それは、その、ヒマワリの女になりたくて焦って、しまって……」


 太陽がカラスを光りさしていて眩かった。ボクはカラスの言葉を聞いて呆然としていた。思考が届かないはずの太陽の熱で溶かされ、ぐちゃぐちゃになる。


「あ、あのさ」


「どうしたの?」


「それはあの時のことが原因かい?」



 ◆◆◆



 高校の夏の帰り道、ボクはカラスと歩いていた。カラスはずっと泣いていた。原因は彼氏が二股していたことが分かったのだ。そして今日別れたらしい。


「私以外の人と付き合っていたなんて信じられない」


 泣きじゃくるカラスを見てボクはなんて声をかければいいのか分からなかった。慰めても意味がない気がした。だからといってこのまま放っておくわけにもいかない。


「大丈夫だよ。きっとまたいい人が現れるよ」


 ボクはそう言うしかなかった。ボクは別にカラスのことは嫌いじゃない。むしろ友達として好ましく思っている。だけどボクは彼女の恋愛事情に首を突っ込みたくない。


「ヒマワリは優しいね」


 涙声でボクを呼ぶ。


「……ほら、そんな時は太陽を見よう。二股彼氏なんてどうでもよくなるからさ」


「うん……」


 カラスは数秒太陽を見るとまた下を向いて泣き出した。流石に不安になったので呼びかけた。


「どうしたの。目をやられたの?」


「ううん、また思い出して辛くなっちゃって」


 ボクは不意にカラスの頬にキスした。何故そうしたのか分からない。慰めかはたまた情愛か。


「えっ」


 カラスの驚いた顔にボクも驚いてしまう。ボクは何をしているんだ、急にこんなことをされて嫌だろうに。


「ヒマワリ……」


 ボクの唇に柔らかい感触があった。


「ありがとう」


 ボクはカラスの笑顔に見惚れてしまう。これは太陽のせいだと考えることにした。



 ◆◆◆



 ボクは分からなくなっていた。なんで今になって告白してきたのだろうか。いや、違う、分かっているんだ。ボクだってカラスのことを……。


「ヒマワリ?」


「なんでも、なんでも無い」


「でも、汗すごいけど」


 ボクは自分の手を見つめる。手が小刻みに震えていた。心臓の音が大きく聞こえる気がする。


「やっぱり何かあるの?」


「いや、何も無いけど……」


 ボクはカラスの顔を見ることが出来なかった。彼女は真っ直ぐとボクを見据えている。怖い。彼女に対しての想いがバレてしまいそうな恐怖心がある。


「ねえ、教えてくれ。ボクにキスされたのが忘れられなかったんだな。だから……」


「ヒマワリが好きなの」


 嘘だ。……いやカラスは嘘なんてついていなかった。嘘つくどころかあまりにも正直だった。でもその様子を晒していたのは少なくても最近だ。何故今頃なんだ。どうして……。


「ヒマワリが私以外の女の子に振り向くから。ヒマワリこそ、女の子が好きだなんていままで言ってこなかったのにどうして」


 そんなの分からない。ボクだって気づいたのは最近だ。ただ言えることがあって、それはボク達は互いに好き合っていたということだけ。

 それなのに、それをボクが壊すかもしれない。それだけは嫌だ。


「カラスごめん。ボクが悪かった。悪かったから……」


「聞きたいのはそんな言葉じゃない」


「……だったらなんだよ! カラスから手を出してきたくせに、ボクが言えばそういうんだから知らない!」


 つい怒ってしまった。ボクもカラスもきっとケンカしたいわけじゃない。なのにすれ違ってしまう。カップを握るといつのまにか冷たくなっていた。どうすればいいんだ。


「飲んだら出よう」


 飲んで出ていく間はずっと互いに無言だった。

 店から出ると、空が曇っていて太陽が見えず暗い。雨でも降るだろうか。カラスもボクも傘なんて持ってきていない。カラスを見て悩んだが決めた。


「ボクの部屋に来ないか」


 雨宿りくらいはしてやるの意味で言ったつもりだ。カラスには違う意味で取るだろうがまあいい。カラスは俯いて小声で「うん」と言って承諾した。

 小さなアパートにあるボクの部屋に戻ると昨日の荒れ模様が少し残っていた。多少散らかっていて傍目からはだらしなく見えるだろう。いつもは片付けくらいはしている。


「適当に座ってくれて構わないよ」


「うん」


 床に座った後カラスは落ち着かない様子で部屋をキョロキョロと見渡していた。


「どうかした?」


「う、ううん。何もないよ」


 どう見ても挙動不審だが追求するのはやめておいた。


「そうだ」


 ボクは冷蔵庫からアイスを取り出した。


「食べるかい」


「うん」


 ボクは袋を破りゴミ箱へ捨てた。そして口に含むと冷たい感覚と共に甘さが口の中に広がっていく。


「美味しい」


「良かった」


 この瞬間だけは沈黙が無くなってホッとする。だけど会話は続かなかった。気まずくて視線を合わせられない。ボクは誤魔化すように食べ続けた。

 ふとカラスを見ると指にチョコが付いていた。舐めとりたいと思わないこともないが、そんなことをしたら本当に止まらない。

 いや、もう止めるつもりはない。


「カラス」


「何?」


 ボクはブラジャーのホックを外して脱いだ。突然のことにカラスは呆然としていた。そもそもカラスが先に言ったことじゃないか、『ノーブラで来て』と。だから脱いだ。このタイミングなのは不本意だろうが。どうせならやってやるよ。カラスが望んだこと叶えてあげる。


「ほら、約束守ったよ。ノーブラ。カラスがこれが見たかったんだろう?」


「えっでもヒマワリなんで」


「風俗嬢と違ってタダで触れる女だぞ、ボクは」


 カラスはボクの胸元を見つめていた。ボクも自分の胸に目を向けてしまう。そのせいで乳首が立っていることに気づいた。慌てて隠す。

 しかしボクの行動は無意味だったようだ。カラスは急にボクを押し倒してきた。ついにボクの唇を奪う。ボクは拒むことも出来ず、彼女のされるがままになっている。

 カラスは舌を入れてキスをする。互いの唾液が混ざって水音が聞こえてくる気がする。それが恥ずかしくて気持ちいい。

 キスが終わるとカラスはボクの体を触ってきた。ボクは抵抗せず受け入れる。昼下がりの情事がよくあるのが少しだけ分かった気がした。



 ◆◆◆



 夕方、カラスと寝ていたボクは起きた。カラスに抱かれて行為に及んだ後の気分は悪くない。太陽は沈んでいこうとしていた。それなのにボクの高揚は太陽の光と同じく赤く燃え上がっている。この間と逆じゃないか。このままいると、どうしようもなくなりそうなのでカラスを置いて外に出た。

 外に出ると地面に水溜りがあった。雨は本当に降ったんだな。下履きで踏みつけると聞き覚えのある水音がした。思い出してしまいそうになったので、ゆっくりと足を上げる。その時だった。足元の水溜まりに映るボクの姿に、あの時の彼女を見つけたのは。

 ボクと同じ顔をした女の子。それはボクではない。あれはボク自身だったのだ。


「こんな女に抱かれてよかったのだろうか」


 ポツリと呟いた言葉は虚空に消える。考えてもしょうがないと思い、コンビニに行くことにした。店に入って回ると不意に他の客や店員に見られている。そういえばノーブラだった。恥ずかしくなって急いで店を出た。

 部屋に戻るとカラスは起きていてスマホをいじっていた。


「おかえり」


「うんただいま」


 スマホをいじるカラスを見て思い出した。


「風俗嬢のアカリちゃんとは縁を切ってくれ」


 ボクは余計な物を裁断する。鳥に月夜の輝きなんて必要ない。太陽の光と啄む果実さえあればいいのだ。

 カラスは少し黙ると軽く口を開く。


「ヒマワリがそうしたいならそれでいいよ」


 カラスはまたスマホを弄り始めた。ボクはベッドに座ってため息をつく。


「カラスは今もボクのこと好きなのか」


「うん好き」


「じゃあさ」


 ボクはカラスに抱きついた。カラスは驚いた様子だったが受け入れてくれた。


「ボクと付き合ってくれないか」


「いいの?」


「あそこまで合意の下ヤっておいて付き合わないのもおかしいだろ」


「そうかな」


「カラスは変わってるよ」


 ボクを押し倒したり、風俗嬢と簡単にシたりと貞操概念はおかしい。まあいい。今はカラスと付き合えることが重要だから。

 ボクとカラスは夕食を作るために買い物に出かける。ボクは今度はブラジャーを着けている。カラスは「ヒマワリはノーブラでもいいじゃん」と言っていたがそういうわけにはいかない。ボクは別に痴女ではないしカラスと行為に及ぶ時だけだ。部屋を出てからカラスの手を握っている。恋人なら別に変な話ではない。ただ、カラスは羽みたいに軽いから繋ぎ止めておきたい。そんなことを思いながら歩く。

 ボクらはスーパーに着くとカゴを持って店内を回っていく。カラスはお菓子をカゴに入れていく。

 そして、ボクは気付いた。

 ボクがカラスに惚れたのは容姿や性格ではなく、彼女の行動だったんだ。彼女はボクが欲しいものをくれる。だから惹かれたんだ。

 カラスと一緒に過ごす日々は楽しいだろう。きっと幸せになれると思う。だけど、ボクはカラスを愛せる自信が無い。それでも一緒に居たいと思えた。

 カラスはどう思ってるのだろうか。ボクが好きだと言ってくれた。その言葉を疑うわけではないが、カラス自身の気持ちを聞いていない。不安になる。


「ヒマワリは私のこと嫌い?」


「なんでそんなこと言うんだよ」


「だってずっと無言だから」


 ボクはカラスの言葉で自分が喋っていないことに気付く。無意識のうちに考え事をしていたようだ。


「いきなり恋人になってから何を話せばいいんだ」


「前と同じでいいんだよ」


 前と同じ。それはそれで単純でよかったかもしれない。だが、全ては同じではない。ボクとカラスは友人から恋人に変わっていた。それだけでも違う。何か話題はないだろうか。必死に探すけど何も出てこない。ボクはカラスと会話するのが苦手なんだ。

 カラスはボクの顔を覗き込むように見る。

 顔が近い。キスしたくなる衝動を抑えてボクは口を開いた。

 月明かりではボクらを照らしきれない。



 ◆◆◆



 ボクとカラスは部屋に帰ると料理を始めた。といってもカレーライスだ。具材を切るのはカラスに任せた。その間にボクは野菜炒めを作ることにする。

 カラスは楽しげに包丁で食材を切り刻んでいく。その光景を見ながらボクは考える。ボクはカラスを愛していけるのだろうか。答えは出ない。


「ねえヒマワリ」


 ボクは返事をする代わりに視線を向ける。


「今日はありがとう」


「何が?」


「付き合うって言ってくれたこと」


「ああ、その事か」


「嬉しかった」


 ボクも嬉しい。そう思った。しかし、ボクは素直になれない。


「ボクはただ付き合いたかっただけだよ」


「そうなの? 私はヒマワリのこと好きだったのに」


 カラスはそう言うと頬を膨らませる。ボクは思わず笑ってしまった。


「なに笑ってるの!」


「ごめん、つい」


 ボクは謝るが笑いは止まらない。カラスもつられて笑う。二人でひとしきりくつくつと笑うと落ち着いた。


「もう、恥ずかしいな」


「悪いな」


「いいよ、許してあげる」


 カラスはそう言いながらボクに抱きついてくる。柔らかい感触が心地よい。


「ヒマワリってさ」


「ん?」


「意外といい匂いするよね」


「汗臭いんじゃないか」


「ううん、ヒマワリらしい優しい香り」


「そうか」


「うん」


 カラスは満足げだ。ボクも悪くない気分だ。


「そろそろご飯できるよ」


「わかった」


 ボクとカラスはテーブルに皿を運ぶ。


「いただきます」


「はいどうぞ」


 ボクらは手を合わせて食べ始める。味はまあまあだ。美味しいとは言えないが不味くもない。普通といったところか。


「ヒマワリって普段どんなもの食べるの?」


「コンビニ弁当とかカップラーメンかな」


「体に悪そうだね」


「一人暮らしだと自炊しないからな。それに、面倒だし」


 ボクは食事中もスマホをいじっている。カラスは特に気にしていないようだ。

 ボクはカラスに質問をした。

 どうしてボクのことを好きなのか。

 カラス曰く、ボクは優しくて可愛くて面白いからとのことだ。よくわからない理由だったが、褒められていることは理解できた。

 カラスは最後に言った。


「ヒマワリは私のことを愛してくれる人だから」


 ボクはその言葉の意味を考えてみたがわからなかった。カラスの考えることはよくわかんないし、わかる必要も無いと思った。

 ただ、ボクはカラスに嫌われたくない。

 ボクらは食事を済ませて片付けを終えると、いつものように風呂に入った。カラスが先に入り、その後でボクが入る。カラスはボクと一緒に入りたがったが、それは断った。カラスは不満そうだったけど、裸を見られるわけにはいかないし仕方がない。カラスは渋々納得してくれた。

 カラスはバスタオル一枚巻いて出てきた。その姿はとても扇情的だった。胸元からは谷間が見えている。ボクは目のやり場に困り目を逸らす。カラスはボクの隣に座って体を預けてくる。シャンプーの甘い匂いが鼻腔をくすぐる。ボクはカラスの顔を見た。カラスは幸せそうな表情をしている。

 ボクはカラスの頭を撫でる。カラスは気持ち良さそうにしている。そして、カラスはゆっくりと口を開いた。


「キスしたい」


「……いいけど」


 ボクは少し躊躇いながら答える。カラスは嬉しそうに微笑むとボクの首筋に唇を当てた。舌先でちろりと舐める。ボクはくすぐったさに声が出そうになるのを堪える。カラスはボクの反応を楽しむように何度も同じ場所を攻め立てる。ボクの体は熱を帯びていく。我慢できなくなりそうになったところでようやく解放される。


「ふぅ……」


「ヒマワリ可愛いよ」


「うるさい」


 こんなことしているとまた抱かれてしまいそうになる。二度も抱かれるのはなんか恥ずかしかったからすぐに寝ることにした。カラスは「ヒマワリ好き」と抱きしめながら首筋に何度もキスをしてくる。本当はもう一度抱きたいだろうが、ボクはそれを無視した。

 ボクはカラスの誘惑を無理矢理振り払うようにベッドに入る。不意にカラスの方を見ると涙目で訴えていた。困った彼女だ。一人だけの根城に入れてあげることにした。カラスは多分勘違いしているが、そのまま行為には及ぶつもりはない。ボクがただ寂しそうな彼女を放っておくことができない女だからだ。それにカラスには嫌われたくない。

 カラスの顔を見ないように、体を反対に向けて寝転んでいるとカラスが何か囁いていた。


「ヒマワリ愛してる。ずっと前から愛してたよ」


 聞いてて耳が真っ赤になる。ベタな常套句がむず痒い。カラスの両腕がボクの背中と肩に触れていたがそれどころではない。いつまでも囁かれても困るので返事をする。


「ボクも愛しているよ、カラス」


 ボクの言葉に一瞬、カラスは言わなくなった。よかった。これで普通に寝られる。……と思っていた。


「アカリちゃんに愛してるって言うと喜んでくれたけど、ヒマワリも喜んでくれてよかったぁ」


「はぁ?」


 ボクはその言葉に驚愕してしまった。どうして今風俗嬢の名前を出す。ボクは彼女との雰囲気に酔いしれていたのに。睡魔が困惑に負けていく。


「ボク以外の女の子の名前を出すなんて最悪」


 ボクは気分が悪くなって不貞寝を始める。カラスが「ごめんってば。ヒマワリ」と言っていたが、今度は眠気で聞こえなくなる。そういえば、ボクは何かを忘れているような。意識がなくなるほんの少しの間、考えてみたが出なかった。



 ◆◆◆



 ボクの目覚めは日の出と同じだった。

 不思議なことに目覚めの気分はよかった。カラスを見ると仰向けで寝ている。よく見るとシミがある。ボクのベッドでやめてくれ。それと甘い匂いが鼻をくすぐった。その正体については考えないようにした。カラスを起こすのは悪いと思った。こっそりと部屋を抜けた。

 外に出ると夏の日の出とは言え、少し暗さも残る。何かしたいわけでもなかったのでただ意味もなく歩く。散歩というより彷徨ってるという方が正しい。途中自販機があったので、小銭を入れてお気に入りの無糖のカフェラテを買った。

 歩くと公園に来たのでベンチに座る。座ってカフェラテを飲むと無糖のはずなのにすごく甘かった。飲む物を間違えたのかなと思ってみるが、いつも買ってるのと同じ物だ。どうしてなのか。ふと太陽を見ると赤白く照らしていた。


 ……嗚呼そうか。


 ボクは同僚の事を忘れていた。彼氏にプロポーズして結ばれる事など、太陽に溶かされていつの間にか消えていたのだ。

 天使はかつて、太陽は良薬だと言ったが天使も太陽だったのか。ボクは二つの太陽のおかげで良くなっていた。そのお礼は甘くなった無糖のカフェラテでいいか。

 ボクは急いで自販機で買う。日曜日でも昼までなら抱かれても許してやる。天使の待つ部屋へ帰る事した。

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