#35 狼と月の物語


 そうして、アルビナはシーザー達の旅に同行することを選んだ。

 しかしその時の彼女に迷いが無かったわけではない。彼女が生まれ、想い出を写し取ったこの土地には、残していくものが多すぎた。数年はルフェ達の身を案じ、数十年も想い出に囚われ続けた。人の一生を過ぎるほどに生きても、振り返っても見えることのない故郷の森と、もはや声を聞くこともできない人達に、幾度と無く想いを馳せた。


 ―――――ある時、アルビナは吟遊詩人の詩を聞いた。


「この地で語り継がれてきた悲しい伝説です」

 そんな決まり口上から始まる物語は、あの時の出来事を謡ったものだった。そのほとんどが憶測に創作と脚色が加わったような出鱈目なものだったが、アルビナには所々であの時の出来事が思い出された。

 そして、ちょっとした偶然で立ち寄ったこの敷石と大樹の街が、あの時初めて見た外の大草原なのだと知った。

 森と平原の境界に築かれたこの街は、商業の中心都市として発展していた。東西を走り抜ける街道は、平原の向こうの都市と、今も残っている森とを結んでいる。街では浅黒い肌の人々が暮らしていた。混血が進んだのか、もはやルフェとしてのはっきりした特長は見られなかったが、みんな気のいい人達だった。彼女が店を見て歩いているだけで果実をくれた。

「外から来たんならまずこれを食わなきゃ! 今が一番美味いんだぞ」

 拳ほどの大きさの果実は、なんだか懐かしい味がした。アルビナはシーザーに頼んで、街を発つ前にもう一度同じ果実を、今度は硬貨を握りしめて買いに行った。

 街で一番見晴らしの良い丘でそれを食べながら、アルビナはもう一度あの吟遊詩人の詩を思い出した。脚色だらけの詩の中で、たった四行だけがアルビナの心に残っていた。


   少年は森の狼となり 月を見上げた

   少女は空の月となり 狼を見守った

   夜ごと晴れ渡るたび 泉の畔にて二人は逢瀬を重ねる

   今もずっと


 たった四節。きっとそれもまた憶測でしかなく、残されたルフェ達が作り上げた幻想。

 だけど、おそらくそれがこの物語の本当の終わりであり、最期に叶えられた嘘。

 ラティエのルフェ達がそう信じたからこそ、あの後に大きな争いもなく、今この街は作られ今に至るまで発展してきたのだと思う。


 人はよく嘘を付き、迷い藻掻く。それ程に人の心は不安定で、移ろいやすい。

 けどアルビナは、それを悪いことだなんて思ってはいない。だってこの街がそうだった。移ろうたび、心を強くして、前へ歩いていく。自分もそう。

 この街を旅立つ最期の時、あとはもう振り返らないと心に決め、一度だけ街と森を見上げた。


 この森に、壊れた妖精はもう居ないそうだ。

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狼と月 七洸軍 @natsuki00fic

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