十話 相互理解はこの先で


 それは例えるならば、明日の待ち合わせの再確認。もしくは今日の晩御飯の献立を伝える時のような、至極軽いトーンであった。気を抜けばするりとすり抜けていってしまいそうなそれをどうにか咀嚼して、けれど迫多の口から出たのはたったの一音。


「……は?」


 失意と困惑が混ざり、よく表された端的なそれを無視して、ユイノメタチノカミは迫多に手を翳す。


「これからは私だけでどうにかする。学び舎のことも……まあ、心配しなくていいわあ」


 だから、その力は返してもらう。そんな言外の圧をヒシヒシと感じた。慌てて迫多は、対抗するかのように両手を前に突き出す。


「ま、待った!!」

「……なによ」

「いや、何? はこっちのセリフなんだが!」


 ユイノメタチノカミは今までもずっと突飛なことを言ったりやったりしてきたが、それにしても今回の発言は急すぎる。そしてなにより、酷く勝手だ。

 昨夜、迫多が一本だたらの住処を妖魔から取り返した時、彼女は確かに迫多を認めていた。それはもしかしたら爪の先程度だったのかもしれないが、信頼には違いなく。また、迫多に対して自分を信じろとよく言う彼女が、初めて自分から明確に迫多へ向けたものでもあった。


「お前、おかしいぞ。なんだよ、なんか気に入らなかったのか?」

 

 迫多だってボンクラじゃない。あの時のセリフは到底素直な言葉じゃなかったけれど、ユイノメタチノカミがちゃんと自分を見てくれた結果だということくらいは理解しているつもりだ。

 だからこそ、迫多は調理室の一件も挽回できたと感じたわけで。だからこそ、これからもこいつと仲良くやってけるかな、なんて夢想をしたわけで。


「別に……そういうわけじゃないわ」


 なのにこんな態度を取られては、流石に迫多もムカついてくる。


 迫多は煮え切らないユイノメタチノカミを睨みつけ、今日のこと……目覚めてからのことを思い返してみた。

 と言っても、霧華がやってきて、話して、正直なところそれだけだ。別段おかしなことはないように思う。


 では逆に、目覚める前。熱を出して寝込んでいたのが悪かったのだろうか?

 

 直感的に、それもまた否だと感じた。単純な可能性としてはこちらの理由の方が充分に有り得ることは承知していたが、それでも。迫多はユイノメタチノカミを信じていた。おのが瞼を開けた時、最初に視界に映ったユイノメタチノカミの微かにホッとしたような、珍しく人間じみたあの表情を信じていたから。


「なんでだよ、言えよ! 言ってくれよ……! じゃなきゃ、俺はわかんない。俺、俺は、お前のことなんて……なんにも知らないんだから!」


 真正面から怒鳴る迫多のその瞳に、ユイノメタチノカミは映らない。

 どこまでも真剣で純粋な黒いまなこはまるで、自分の空っぽ具合を示す鏡のようだ。そう、ユイノメタチノカミは心の中で独り言つ。

 

 ユイノメタチノカミには己が神であるという誇りがあった。力がなくても神としての矜恃と責任感を持っていた。だからあの時も、これからだって、迫多といてやろうと思っていたのは真実だ。でも、ただ、本当に強い神は人間に頼るのか。疑問に思ってしまっただけだった。

 人間を使うのは良い。それは上に立つ存在として当たり前で、その代わりにユイノメタチノカミは人間達を守るのだから。けれど、人間に頼るのは宜しくない。


 (だってこんなに脆くて弱くて儚くて。私がもっとちゃんとしていたら、こんな子に重荷を背負わせないで良かったのに)


 人間には人間の生活があって、人間には人間なりに大事なものがあった。思っていたより慈しむべき世界は変わっていて、思っていたより愛すべき人間は変わっていなかった。

 だから、もうやめて欲しかった。


「あなた……あなたって、変なのよ」

「はあ? ……いやまあ、聞く。それで?」


 ふと、ユイノメタチノカミが呟く。迫多が決死の覚悟でぶつけた誠意だと言うのに、何故か返ってきたのは斜め上のストレート。しかしユイノメタチノカミの振る舞いは本気のようで、とりあえず迫多は続きを促す。


「あなた、人間と居る時は典型的な人間の癖に、私への態度はおかしいの。本来もっと敬って五体投地とか、するべきなのよお」

「うん? うん……」

「だから私、勘違いしたの。あなたのせいよ! あなたは強いと思ったの。私が頼っていいと思わされたの」

「ええと、そりゃ、そんな強くないかもしんないけど……頼るのは頼っていんじゃね? 別に……」

「でも人間には人間にできる程度のことしかさせちゃいけないって知ってるから。人間の生に干渉し過ぎたら駄目だって……そうも思ったの」

「てかそれお前、今更じゃね……?」


 段々ヒートアップしていくユイノメタチノカミに、迫多の言葉は聞こえていないらしい。ちょこちょこと挟まる責め立てるような文言に気を取られ、イマイチ彼女の感情に同調しにくいが、一応迫多が寝込んだことに申し訳なさを抱えていた……ということだろう。

 そうならそうだと言えばいいのに。素直に謝ればいいのに。なんて思う迫多だが、それが出来ないからこそ神なのである。


「そういうわけで、返してもらうわ」

「急カーブかお前!? だー! 待て待て待て!!」


 そして最後、独白の果てにユイノメタチノカミは据わった目でまた手のひらを向けてきた。慌てて迫多は両手を思いっきり振って、意識を散らさせる。

 ぶっちゃけ病み上がりにここまで働かせる時点で彼女は充分人間に干渉している気がするが、まあ少なくともユイノメタチノカミの時代の人間はそんなこと言わないので、それに囲まれてきた彼女の言い分も致し方なし。多数決なら迫多が負ける。


「なによ!」

「だからそれは俺が言いたい!」


 ぼふ、とグーで叩いた拍子に迫多の枕がへこみ空気が揺れた。そろそろ母親が様子を見に来てもおかしくない。落ち着くために一旦深呼吸をして、それから迫多は口を開く。


「あのさあ……まず、たしかにお前に比べたら人間って弱いよ。前にも言ったけどさ、大体そうだろうよ。流石にな? でも! 人間だって強いぜ」

「そんなわけないじゃない」

「あるが!? っと……コホン。いや、強いと思うよ、ほんとに。あーほら! 例えば、お前が見てた時代と今って全然違うんだろ?」

「まあ……そうねえ」

「それは、俺達人間が発展させてきたからだよ。なんか開発中にはすげー事故とかも多かったらしいけど……それも、見方を変えれば諦めずに立ち向かって今があるってことだし。お前が知らないもの作っちゃうくらいには頑張れんの! 人間は!」


 誇らしげに力説する迫多は癪だった。かといって言い返すほどの反感も覚えなかった。おかしなことだ。ユイノメタチノカミは、人々の縋る気持ちによって産まれたのに。何より誰より、人間に頼られて彼らの力のなさを知っていたのに。

 せめて少しでも困らせようと、ユイノメタチノカミは迫多へ尋ねる。

 

「…………あとは?」

「ええ? そうだなー……あ。人間は、守りたいものがあるほど強くなれる! と思う!」

「なあに、それ」

「これは俺の持論だけどさ、守るのって力がいるよな。大事なものって弱みにもなり得るらしいし、強くなきゃ守れないのはそうだと思う。でも、大切を守るためならどこまでだって強くなろうと頑張れる。そんで実際強くなれるんだ。俺は……お前のおかげで、昨日とか? それを実感したよ」

「……馬鹿みたい。どんな精神論よ? それ」

「なんだよ。そういう、なに? 信じる心が一番大事だろー! お前にとってもそうなんじゃないのかよ」

「………………」


 どうかしら。とか、格好つけて言いたかったけれど、ユイノメタチノカミには言えるわけがなかった。

 

 迫多は本当のユイノメタチノカミのことを何も知らない。ユイノメタチノカミが勝手に振り回して、勝手に付き合わせていたからだ。


「そんなお前が思ってるほど、頼りなくないよ。俺達。正直、何にそこまで悩んでんのか俺じゃよくわかんねえけど……もっとどーんと構えとけって。それでいいんだよ、多分。神様はさ」


 迫多は本当のユイノメタチノカミのことを何も知らない。それでも迫多はユイノメタチノカミを信じて、ユイノメタチノカミの力になることを選んだ。


「……そう。そうね、じゃあ私は……あなたに期待するわ。綱木迫多、矮小な人間さん。失望させないでよね?」


 そしてまた、ユイノメタチノカミもまだまだ迫多のことを何も知らない。これは結局お互いさまなのだ。頼って頼られて、それで良いのだった。


 ユイノメタチノカミが不敵に笑う。あくどく傲慢で嫌味な神様からの挑戦を、迫多は今度も受け入れた。


「任せとけっての!」

 

 それが自分の意思だから。

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ユイノメタチノカミさまの言うとおり 月浦 晶 @tukiakira

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