第10話 運び屋アズライト

 夜闇の中、タイクウは運び屋の看板を眺めていた。

 事務所から漏れ出た僅かな灯りで、運び屋、藍銅鉱アズライトの文字がぼんやりと浮かび上がっている。



『彩雲に戻る……⁉︎』

 病室でヒダカにそれを告げた時、彼は見たことがないほど驚愕し動揺していた。

『そうだよ。もう一度、変身できれば、空を飛んでまた彩雲まで戻れる。何度かやってみたから、変身するのは大した問題じゃないよ』


『そんな事が聞きたいんじゃねぇ! 戻ってどうすんだよ⁉︎ 仇討ちでもしようってか、アア⁉︎』

 ベッドのマットに拳を叩きつけ、ヒダカが噛み付くように叫ぶ。


『地上に下りたがっている人たちを、運んであげるんだ』

 思っていたよりも、冷静な声が出た。ヒダカが絶句している。

 タイクウは逸らしたりせずに、彼としっかり目を合わせた。


『お兄さんと話をしたんだ。僕の体はもう、人じゃなくなってるってこと。この体を研究すれば、アイツらに対抗する手段が見つかるかもしれないから、正直、協力してほしいと思ってるってこと』

 しかし、時雨からの提案は、別にあった。


『でも、この力を使って、地上に下りたがっている人たちを運んでくれれば、それでも良いって言ってくれたんだ。定期的に診察は受けてほしいとは言われたけど、少なくともずっと、モルモットみたいに監禁されることはないからって』

『アイツ……んなこと、言ってたのかよ』

 怒らないで、とタイクウは怒りに震えるヒダカを宥める。

 時雨は彼の兄だ。

 良い人ではないかもしれないけれど、悪人ではないとタイクウは思うのだ。


『だからね。僕は彩雲に戻って、地上に下りたがっている人を助けたいんだ。そうしたら、僕がこの姿になった意味もあるかもしれないだろ?』

 ヒダカがグッと押し黙る。どこか悔しげに奥歯を喰い縛り、黙って下を向く。

 しばらく経って、彼が顔を上げた。


『俺もやる』

 え、と思わずタイクウは、聞き返すような声を上げる。ヒダカは声が裏返るほど叫んだ。


『いや、むしろ俺が戦う。テメェは後ろで引っ込んでろ! テメェの力なんか、絶対に借りねぇ! 俺のためだかなんだかしらねぇが――二度と、二度とテメェに、あんな後悔なんかさせてたまるかよ!!』


 それが、藍銅鉱アズライトの始まり。




「ただいまー、買い物ついでにご飯食べてきたよー」

 タイクウが声をかけながら事務所の扉を開けると、ヒダカが回転椅子ごとこちらを向いた。


「おー、ここが埋もれる前に、さっさと全部食っちまえ」

「あはは、いや、さすがに無理」

 身体が異形に変わってしまってから、タイクウはヤツらと同様に機械を主食とするようになっていた。

 他の物を食べられないことはないのだが、物によっては体に合わず、嘔吐して体調を崩してしまうこともある。

 その為、次第に避けるようになっていた。


 ヒダカは椅子の背もたれに沿うように全身を預け、缶ビール片手にすっかり寛いでいる。

 そしてタイクウの手元に視線をやると、露骨に顔をしかめた。


「オイ、またそれ買ってきたのかよ」

「だからぁ、これは僕のご褒美なんだってば。ヒダカも缶ビール買ってたじゃない」

 彼は買い物袋の中から、おなじみの『飛べ飛べウササギくんシリーズ』が入った箱を取り出す。


「毎回買ってきては失敗して、後悔ばっかしてっけど。結局、何がやりてぇの?」

 ヒダカが缶ビールを飲みながら、少々馬鹿にしたような眼差しを向けた。

 少しだけ間をあけて、タイクウは困ったように笑う。


「選んだ道が本当に正解だったのか。後悔せずにいられるのかどうか。すぐに分からないこと、ばっかりでしょ? だからこういう形ですぐに結果が分かるのは、なんだか安心するんだ。結果がどうであれ、ね」


 タイクウは束ねた自分の髪に触れる。願いを込めて伸ばしたこの髪は、今背中に届くほどになっていた。


 元の姿に戻れるように。それが無理でもせめて、異形と化したこの体に意味を見出せるように。

 この願いはある意味、表向き。

 真にタイクウが願うのは、


 それができるかどうか、できると信じて選んだこの道が正しいのかどうか。


 タイクウはふと彼に想いを馳せる。

 御笠夕陽、今回の依頼人。彼は地上で望み通りの景色を見ることができたのだろうか。すっかり変貌を遂げた地で、後悔せずに生きて行けるだろうか。

 ああ。やっぱり、分からないことだらけだ。


「意外にややこしいこと考えてんじゃねぇよ。今はとにかく、やるだけだ」

「そうだよね」


 それでもやらない後悔だけはしたくないから、タイクウたちは進むのだ。何度も選んで、悔やんでも前に進むからこそ道は拓ける。


 その選択が正解かどうか、進んだ先の自分達が決めるのだ。


「で、ソレ、開けんだろ?」

「うん! さて、今回はダブりませんように……」

 タイクウは自分の椅子に腰かけ、買ってきた箱を開封する。


 このシリーズは全部で八種類。今手元にあるのはその内の四種類。さすがにそろそろ持っていない人形フィギュアが出てきて欲しい。


 祈りを込めてビニール袋に包まれた人形を取り出し、違和感を覚える。

 ウササギくんなのに、羽もくちばしもついていない。


「こ、これはまさか……」

 慌てて箱の側面に描かれたイラストを確認する。黒く塗り潰されたシルエットの上に、クエスチョンマーク。

 これは、間違いない。


「これ、シークレットだぁ‼︎」

「ああ? なんだよ、それ」


「通常八種類のウササギくんフィギュアとは別に、言葉通り隠されたバージョンのフィギュアが存在するんだ! スゴイ、これが噂のシークレット『飛ばないウササギくん』……⁉︎」

「普通のウサギじゃね?」

 感極まって人形を掲げる相棒に、ヒダカは冷ややかな眼差しを向ける。


 羽もくちばしもついていない、見た目は要するに普通のウサギだが、そんなことはどうでも良い。

「たまにこういうのがあるのも、やめられないよね!」

 頬に熱を集めて同意を求めると、ヒダカは僅かに息を吐く。


「テメェはもう、そういうちっちぇことで一喜一憂しとけ」

「分かった!」

「同意すんな!」

 ヒダカの怒鳴り声も笑いとばし、タイクウはビニール袋から人形を取り出した。


 弾む気分でどこに飾ろうかと事務所を見回していると、

「あ? オイ、まだ何か残ってんぞ」

 ヒダカが、買い物袋に視線を向けて言う。


「ああ、そうだった。最近、最終的な二択で迷って後悔してるから、いっそ二箱買おうって事になったんだっけ」


 今のタイクウはご機嫌だ。

 何も考えず二箱目を開封して、出てきたのは先程引き当てた『飛ばないウササギくん』である。


「あ」

 それをしばし眺めて、タイクウは頭を抱えて崩れ落ちた。


「あー!! やっぱり一箱で止めとけば良かったぁ!!」

「テメェは、いい加減にしろぉぉーっ‼︎」


 ヒダカの怒号が彩雲の夜空に響き渡った。

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ノーリグレットチョイス【short ver.】 寺音 @j-s-0730

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