田舎の空も負けちゃいない

λμ

マロンとフウマル

 都会の夜は明るいという。

 でも、田舎の夜だって負けちゃいない。

 黒あるいは青い無限の天井に無数の星型LEDが煌めき、これ以上ないほどSDGsに配慮した満月型ブラックライトが街を明るく照らしているのだ。都会の人々がどれほど望んだとて手に入れられないオーガニック道路が位置エネルギー生産施設の頂上まで伸び、道に沿うように林立する環境適応型住宅からただひたすらに延々と、住民たちの歌声が聞こえる。例えば、そう――。


 みぃぃぃぃぃぃんみんみんみんジジジジジギーチョジギーチョリみんみんみんみんジリリリリギーチョジジジみんみんみぃぃぃぃぃぃぃぃジジギーリリリリ……。

 ギリーチョギリーチョギギギギみぃぃぃぃぃんみんイーヨウみんみんみん! ウィーヨウみんみんみん! ウィーヨウみぃぃぃぃぃ! イィィィィィみんみんみん


「――うるっっっさいわボケェェェェェ!!」

 

 マロンは今日のためにゆるふわウェーブをかけてきた髪を振り乱して叫んだ。


「いま何時だと思ってんだよカスが! 虫けらが! 蝉なら蝉らしく午前中でくたばっとけよコラァァァ!!」

 

 多勢に無勢だ。人が森の民に勝てるわけもない。

 ぜぇぜぇと息を切らすマロンの横で、フウマルがクスクス笑い、死ぬほど野暮ったい四角さをしたメガネを押し上げた。鼻頭まで垂れてきた汗のせいか秒でずり下がった。


「マロン、声デッカ」


 言われてマロンは目を血走らせる。


そりゃあデカくなるわぁみぃぃぃぃぃんみんみん……みんみんなんでみんみアタシはみんみんこんなド田舎の山ン中にいるんですかねぇみんみんみんみんみんみん!? それも!みぃぃぃ こんな!ぃぃぃぃ 格好で!!ウィーヨーウ!


 マロンは今日のために、スペシャルフェミニンセット(自称)を身にまとっていた。ノンスリーブの夏用ニットに膝上から十七センチまで思い切ったアシンメトリミニスカート。脚長効果を期待しての厚底ヒール。断腸の思いで荷物を限界まで減らして持ち込んだ、ハンカチスマホ財布以外は何も入らないライトグリーンのショルダーバッグ。すべて――。


「男がいるからぁ! いるって聞いてたからぁ! だからこんな格好できたのぉ!」


 マロンの嘆きが林に溶ける。いや正確には虫の声に押しつぶされた。

 フウマルは懐かしそうに肩を揺すった。地味さ全開の白ストライプ入り青ジャージを引っ張った。


「いやだから、歩くから動きやすい格好でっていったじゃん」

「聞きましたよ!? 聞きましたとも! でもさぁ! 山歩くと思うバカいるかぁ!? いねぇよなぁ!?」

 

 振り向きざまに虫に叫んだ。無論、聞く耳はない。

 そも、そんな予感はしていた。ではなぜマロンは来たのか。

 高一の一発目、自己紹介のとき。


栗林くりばやしだからマロンって呼んでください』


 そう世迷い言をのたまってしまったがためにマロンと呼ばれること三年、封印したかった忌み名を未だに使う友人が誘ってきたから。

 男の子も来るよと囁かれたから。


「だから東京から帰ってきたのぉぉぉ!!」


 マロンは叫んだ。森はウィーヨォウ! ウィーヨォウ! としか答えない。

 フウマルがケラケラ笑った。


「やっぱマロン飽きないなぁ」

「おうおうおう飽きないよ、飽きさせないよ、噛めば噛むほど味が出るスルメ女でございますよ。このクソ田舎に海なんてねぇけどなぁ!!」


 咆哮。行きに吹いた制汗スプレーは限界を超えた。ノースリーブニットのサイドは脇汗でデロデロである。


「てかフウマルさぁ」


 息も絶え絶えに言った。


「男が来るとか嘘だろ」


 マロンの歴史にフウマルを超える地味女じみじょはいない。


「男くるつってもさ、どうせさ、ウンコ色の髪したチンピラとか、肩とか腕とか落書き帳にしてるカスとか、アストンマーチンよりシャコタン鬼キャン竹槍マフラーのシーマのがカッコいいべとかほざくアホしかいないでしょ?」

「……そんなの地元にいないって」

「嘘だね。ぜったい嘘だね。駅前にアザラシのケツすら素通りしそうなクソデカリアウィングつけた派手派手アニメラッピングの激痛インプレッサが停まってるの見たからね」

「ごめん。私、マロンが何言ってるのか分かんないかも」


 高三の夏、一緒に東京に出ようよと誘ったフウマルは、そのままひと月ちかくも悩んで地元に残ると決めたフウマルは、そう言って少し寂しそうに笑った。

 マロンは奥歯を噛み締め、青天井の大ドームを見上げて吼えた。


「そいつぁ良かった!!」


 そして、囁くように続けた。


私ぁてっきりみぃぃぃぃん!地元のクソやべー男みんみんみんみんみん!に捕まって、ジギリジジジ!東京の女友達ウィーヨオゥ! ウィーヨオゥ!よべやとか言われジギリヂヂヂヂヂ!たのかと思ったよみぃぃぃぃん!!


 だから心配になって帰ってきたのだ。

 もちろん、一割三分くらいの期待もあったが。

 振り向くと、フウマルはあの頃と同じく小首を傾げて言った。


「ごめん。よく聞こえなかった」


 マロンはこめかみに青筋を立てて森に吠えかかった。


空気よんで黙れよクソゼミぁみみみみみみみみみみ!!!!」


 ゲホ、エッホ、と咳込み、顎を伝う汗を拭い、マロンは尋ねた。


「てか、いつまで歩くのこれ? 私ら救助要請だすべきじゃない?」

「え? いや、もうそこだけど」


 フウマルが眼鏡の奥でパチクリ瞬き、曲がり角を指さした。非情な段々。


「そこぉ?」


 ハァ、フゥ、と息をつき、汗まみれになって段を昇ると、開けた広場にテントがふたつ。弱いランタンに照らされた人影もふたつ。漂ってくる肉の匂いの乗せて、人影のひとつが手をあげた。


「あ! 風香ふうかさーん! こっちですー!」


 若い男の声だった。


「……あ?」


 マロンは限界まで喉を濁らせフウマルに尋ねた。


「何アレ。男、いるじゃん」

「だからそう言ったし」

「いやだって、したら、フウマルなんでジャージなんかで来てんの……?」

「……歩くし」


 歩くしじゃねーし。マロンは両肩を下げた。フウマルが、ちょっと恥ずかしそうにモジモジしていた。

 おーい、と手を振りながらのんびりやってくるド田舎の男ふたり。身振り手振りだけで純朴さが容易に想像できた。


「……マジ? あんな絶滅危惧種どこで発掘したの?」

「えっと、天文サークルっていうのがあって」

「何そのロマンチシズムの塊みたいな概念」


 マロンはコキリと首を鳴らし、後ろ頭をかき混ぜた。


「……フウマル、どっち?」

「え?」

「どっち狙ってんの?」

「狙うってそんな――」


 フウマルは下がった眼鏡を慌てて押し上げ、曇らせた。


「み、右の……武井たけいくん」

「んじゃ私、あの手を振ってるほうね」


 なくはない。マロンはそう思った。

 しかし。


「どうしてくれんのフウマルさぁん? 私ぁ脇汗デロデロなんですけどぉ?」

「多分だけど、大丈夫」


 フウマルは高校の頃から使っているリュックを背負い直した。


「ふたりとも、そういうの気にしないと思うし」

「それはそれでどうなんですかねぇ、フウマルさぁん?」


 マロンは右肩に手を乗せ、大きくひとつ回し、言った。


「はじめましてぇ~♡ 私ぃ、フウちゃんに呼ばれてぇ、マロンって言いますぅ♡」

「うぇ」

 

 聞こえた声に振り向くと、フウマルが唇の片端を下げていた。


「フウちゃんとか初めて言われた」

「うるせぇな。こっちゃマロンちゃんだぞ? 今日びキャバクラにもいねぇんだぞ?」


 フウマルが、昔みたいにケラケラ笑った。

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