2 少しの異変
仕事が休みの日曜日。同じく仕事が休みの俊と一緒に、おばあちゃんの家へ行くことになっていた。
自宅からおばあちゃんの家までは、車で大体20分くらいの距離だ。
俊の車の助手席に乗り、まず家から程近い、いつも行くコンビニに寄った。
「今日休みなのに本当に良かったの?」
「静香のおばあちゃんにはお世話になったし、こういうのは人手がいるでしょ。できる事はやるから」
「ありがとう」
買い物カゴにペットボトルのコーヒー3本と、新発売のグミを入れた。
今日はお父さんも含めた3人で作業をすることになっている。
「お昼は、お父さんがどこか食べに行こうって言ってたよ」
「じゃあ、このくらい買っておけばいいか」
「そうだね」
支払いを済ませ、再び車に乗ると、おばあちゃんの家へ再度出発した。
お通夜とお葬式からまだ日が経っていないせいか、あんなに泣いたにも関わらず、おばあちゃんが亡くなったという事実を、たまに忘れそうになる。
「しぃちゃん、いらっしゃい」と、足元を見ながら、玄関の段差をゆっくり降りて来るおばあちゃんに、また出迎えられるのではと、どうしても思ってしまう。
馴染みのある車が1台通れるくらいの幅しかない、少し狭い道路を通って、おばあちゃんの家に到着した。
庭にお父さんの車が停まっているのが見える。
お父さんが先に来ていた。
家の中に入ると、お父さんはいつものジャージ姿で、慌ただしくゴミ袋や段ボールを使えるように支度していた。
お父さんと、どこを整理するか相談した結果、お父さんは2階の自分が使っていた部屋、私達は1階の台所から始めることになった。
お父さん曰く、結婚して家を出るときに大体の物は持ってきたそうで、そんなに時間をかけずに終わらせられると言い張っている。
終わったら台所に行くよと言っていたけど、多分来ないだろうなと思った。
遺骨が置いてあるおばあちゃんが使っていた部屋は、思い出の品が多いだろうというお父さんの考えで、1番最後にみんなでやろうという結論に至った。
お金や貴金属等の貴重品は、防犯の事を考えて、大体の物は一旦伯母さんが自宅に持ち帰って保管しているそうだ。
貴重品は、後から改めて形見分けをするらしい。
「おばあちゃんの遺言通り、どんどん捨ちゃっていいから!迷ったら捨てる!使えそうなはそこの段ボールに入れてね!」
お父さんの流れる様な汚い字で「捨てないもの」と書かれた、小さな犬ならすっぽり入りそうな段ボールと、開封していない真新しいゴミ袋50枚を受け取り、私と俊は台所へ向かった。
2階に上がろうとするお父さんに、さっき買ったコーヒーを渡した。
「俺、冷蔵庫の中の食材とか捨てるよ」
「じゃあ私は調理器具とかまとめちゃう」
各々作業を始めた。
昔、このテーブルにお姉ちゃんと座って、おばあちゃんが作ってくれた寒天食べたなぁとまた涙が出そうになった。
俊に背を向けていて良かった。
マスクをしているから、気づかれないとは思うけど。
お通夜の時には気づかなかったけど、キッチンに置かれた4人掛けのダイニングテーブルには、おばあちゃんの生活がそのまま残されていた。
読みかけの新聞に、いつも使っていた茶色いフレームの老眼鏡、カゴにまとめられた病院の薬……。
恐らく、お風呂から出たら片付けようとしていたのだろうと思うと、鼻の奥がツンと痛くなった。
本当に亡くなる直前まで、普段通りの生活をしていたと思わざるを得なかった。
私は金属製の調理器具以外の物を袋に詰めた。
金属製の物は、業者に引き取ってもらうから、別にしてまとめておくように言われていた。
俊も冷蔵庫の中の物を黙々と纏めている。
一人暮らしのおばあちゃんが使っていたから、中身はそんなに多くはなさそうだった。
しばらくお互いに会話も無く、作業に集中していた。
作業をする際に出る音だけが響いている、その時だった。
コン………コン……
何かを叩くような、低い響く物音が聞こえてきた。
思わず手が止まる。
油断したら聞き逃してしまいそうなくらい、小さな音だった。
聞こえてきた音は、例えるなら、木製のドアをノックした時の様な、そんな音だった。
気のせいかもと思い、再び作業に戻ると、
カッ………ガガガ……
今度は違う音が聞こえてきた。
爪で木材を引っ掻いた時に出る音の様だった。
音は今いる台所ではなく、すりガラスの入った引き戸の向こう、おばあちゃんの部屋から聞こえている気がした。
ダイニングテーブルの横に座っていた私は、立ち上がり、ゆっくり引き戸を開けた。
古い家だから、少し建て付けが悪く、スムーズに開けられず、途中から力を入れて、何とか開けることができた。
綺麗好きだったおばあちゃんが使っていた6畳の部屋は、祭壇と仏壇と、端に立てかけられたちゃぶ台があるくらいで特に変わった様子はない。
部屋に入り、中を見回した。
念の為、布団が入っている押入れも開けてみたけど、特に変わった様子は無い。
「どうしたの?」
と俊が近づいてきた。
「何か変な音がしたんだけど」
「音?」
「コンコンとかカリカリとか」
「鼠?……猫とか?」
「ちょっと気になって」
俊が部屋に入って電気をつけるも、この部屋は南に面していて日当たりが良く、しかも今日は天気の良い日なので、室内の明るさは大して変わらない。
もう一度、部屋中を見回しても、やはり何も気になるところは無かった。
「疲れてるから空耳が聞こえたんじゃない?」
「そうかなぁ……」
「俺は聞こえなかったし、気のせいだって」
俊にそう言われると、何となく気のせいだった気がして、俊と台所に戻り、再び引き戸を閉めた。
閉めるときは、力加減を間違えて、勢いよく閉めてしまった。
再び作業に戻っても、音は聞こえてこない。台所で作業をする音しかしない。
やっぱり、俊の言う通り気のせいだったのかもしれない。
俊は、前屈みになって、冷蔵庫前に置かれたゴミ袋をギュッと縛る。
私も、普通に処分できる物と業者に回収してもらうものとで仕分けをする。
食器棚に入っていた丸いお皿と、桜の絵が描いてある湯呑は、家で使えそうなので、捨てずに持ち帰ることにした。
親戚が集まった時に使っていただけだから、使用感も無いし、捨てるのはもったいないと思った。
食器くらいなら、勝手に持ち帰っても大丈夫そうだ。
おばあちゃんは元々、あんまり物を持たない上に、自分にいつ何があっても家族に迷惑をかけないようにと、日頃から片付けをしていたので、台所の片付けは思ったよりもスムーズに進んだ。
それでも、2人でも持ちきれないくらいの荷物が出て、それをキッチンの入り口付近、廊下に少し出るくらいの位置に運んだ。
さっきまで、おばあちゃんの生活が残っていたキッチンは、がらんと殺風景になった。後は、大きな家具や家電が残っているだけだ。
達成感と同時に、切なさも感じる。
肝心のお父さんは、案の定、まだ来ない。
作業開始から結構時間が経っている。
「お父さんは進んでるかな?」
「ちょっと見て来る?」
一人で2階にいるお父さんの様子を見に行くことにした。
2人で、少し急な階段を登って、上がって左手にあるお父さんの部屋に行った。
登るたびにギシギシと木が軋む音がする。
「お父さん!キッチン結構綺麗になったよ」
襖を開けると、部屋の真ん中に座り込んで、何かを読んでいるお父さんがいた。
「何してるの?」
「あ、いや、懐かしいものがでてきて!高校の卒業アルバム!」
「あ、この先生、俺知ってます!」
俊とお父さんは高校が同じなので、アルバムを見て盛り上がっている。
部屋を見ると、あまり片付いていない。
片付けたというより、ただ物が移動しただけという状態だ。
きっと懐かしいものを見つけてしまい、見入ってしまったんだろう。
「あのさ、片付けに来たんでしょ。こんなんじゃいつまで経っても終わらないでしょ!」
「ごめんごめん」
ニヤニヤ笑い、腕時計を見たお父さんは、そろそろ昼飯にするかと言い、アルバムを持って階段を降りていった。
この調子だと、お父さんの部屋は一生片付かないで、家と一緒に解体されてしまうんだろうなと思った。
「昼ってどこに行くの?」
「俊の好きなところで良いよ」
お父さんの後について、私、俊の順で階段を降りた。
「あ、お父さん!このゴミどうするの?」
「とりあえず玄関の辺りに置いて」
お父さんから指示があり、私は台所の入り口に置いたゴミを運ぼうとした。
ふと、おばあちゃんの部屋に繋がるガラス戸に、一瞬、何か黒い影のような物が写った気がした。
本当に一瞬、影が見えた気がしたけど、再度、ガラス戸の方に目を向けても、もちろん何も無い。
ただ、ガラス戸がほんの数センチ程開いていた。
確かにさっき、きちんと閉めたはずなのに。
不思議に思いつつも、古い家で、建て付けが悪くなっているから、あの時ちゃんと閉まっていなかったんだと思い、俊とゴミ袋を運んだ。
*
俊のリクエストで、近くにある、ハンバーグの美味しいレストランに行く事になった。
午前中、用事があって出かけていたお母さんに連絡をし、レストランで会うことになった。
お母さんが先に到着したようで、中に入って席を確保してくれていた。
休日のお昼時というのもあって、中は混雑している。
店内は、肉が焼ける良い匂いでいっぱいになっていた。
店内の奥の方に、お母さんがいて、手を振って「こっちこっち」と呼んでくれた。
4人掛けのテーブル席の奥に座るお母さんの隣に、どんと座ったお父さんに続いて向かい側に私達も座る。
各々メニューを見て、私は店の1番人気のランチセットを注文した。
「片付けはどう?少し進んだ?」
料理よりも先に届いたコーヒーにミルクを入れながら、お母さんはお父さんに聞く。
「お父さん、高校の卒アル見てたんだよ。台所の方は大体片付いたけど、お父さんの部屋はまだまだかかると思う」
嫌味混じりに言うとお母さんは「全く」と呆れた。
いつもの事だ。
「キッチンは後どんな感じ?」
「後は大きな家電と家具を運んで、食器を仕分けする感じです」
「結構進んだね。お休みなのに本当にありがとうね」
料理が運ばれてくるまでの間、お母さんと俊は談笑して、私はスマホを見て、SNSをチェックしていた。
ふと、さっきの物音を思い出した。
「そういえばさ、おばあちゃんの部屋から変な音したんだよ」
「音?」
「何かこう、ガリガリというか、何かを引っ掻くような叩くような感じの」
「えー、何それ」
「分からないけど……」
「家鳴りとかじゃないの?」
お母さんも適当にサラッと受け流す。
「誰かいたりしてな」
お父さんがニヤニヤとからかうように、笑いながらからかってきた。
それを横目で見ながらお母さんが言った。
「それか、おばあちゃんが様子を見に来てたんじゃない?」
「おばあちゃんが?」
「49日はまだ現世にいるって言われているし。あんた末の孫だし、心配して見ててくれているんじゃない?」
「そっかぁ」
話している内に、だんだんと空腹を感じてきて、とりあえず紅茶を飲んで紛らわせてみた。
おばあちゃんが見に来てくれていると聞いて、嬉しい気持ちになった。
作業をしている私の後ろで、見守ってくれるおばあちゃんの姿が簡単に想像できた。
ちょっと涙ぐみそうになると、
「それか悪霊だったりして……」
お父さんがニヤついてわざと低い声で言ってきた。
「悪霊ですか?」
俊が興味がありそうにしている。
「なんであの家に悪霊がいるのよ。自分の実家を勝手に幽霊屋敷にするんじゃないよ」
お母さんはあきれ気味だ。
「お父さん、おばあちゃんちで心霊現象を体験したことあるの?」
「無いよ」
「無いのかよ」
「まぁ、もし仮に、あの家に幽霊がいるなら、家賃を貰わないとな。住んでる以上、最後まで片付けも手伝ってもらわないと」
「意地汚いなぁ」
くだらない話をしている間に、4人分の料理が次々に運ばれてきて、あっという間にテーブルはたくさんのお皿でいっぱいになった。お父さんがみんなにナイフとフォークを配る。
湯気が出ていて、熱そうだったけど、一口大に切り分けたハンバーグを口に入れた。空腹にハンバーグが染みわたっていく。
「お母さんは総合病院で働いてた時心霊現象あった?」
「深夜に誰もいない部屋からナースコールが鳴ることはあったね」
「霊を見たことは?」
「ないない。霊よりもお局の方が怖かったわ。死んだ人間より生きている人間の方が絶対に怖いって」
独身時代は総合病院に勤め、夜勤もこなしていたお母さんは、昔から事あるごとに「生きている人間が一番怖い」とよく言っていた。
小さいころはよく分からなかったけど、大人になるにつれてだんだんと理解できるようになってきた。
食事を終え、レストランで解散し、私たちはそのまま買い出しに出かけた。
お父さんは午後も続けて作業をするらしいけど、私たちはここで帰ることにした。
お互いの休みが合うのは、1週間のうち日曜日しかない。だから、食材や日用品などの買い出しは、日曜日にまとめてやってしまうことが多い。
結婚し、実家を出て、俊と一緒に暮らし始めてからは、日曜日の買い出しは、毎週恒例となっていた。
家から近いショッピングモールに行き、ある程度まとめて食材を買う。「満腹だからあんまり買いたい物思いつかないね」と言いつつも、二人で両手に買い物袋を持って店を出た。
この時には、おばあちゃんの家で聞いた物音の事は、ほとんど忘れかけていた。
車の助手席に乗りながら、日常のちょっとした事に幸せを感じつつも、おばあちゃんがいない日常が当たり前になってしまうのが寂しくて、誤魔化すためにスマホの画面を眺めていた。
遺品整理をしたら大変な事になりました 伊達小夜子 @usagi37
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