グレーヴィーは幕開け

 一面の焼けた瓦礫と、首のないドラゴンの死体が転がっている。俺の故郷である辺境の一都市はそのようにして滅びた。


 解体を進めている山のような体をした冒険者(※1)に願い出て分けて貰い、未熟きわまりない見よう見まねのレンガ職人となって小さな竈を組み上げて火を通したドラゴンの肉の一欠けは、しっかりとした噛み応えと満足感を返してくれた。しかし走り通した俺たち……たまたま同じ方向に避難し、そしてドラゴンが倒されるのを見かけて戻ることを決意した蛮勇ある元避難民数名が食べるには少しばかり脂っ気が足りないだろう。安堵を終え、空腹を覚えた彼らは飢えに飢えた犬のような物で、下手をすれば木の根っこを齧って不味いと言いかねない。


 それを満たしてやるのが料理人の仕事なのだが、今身に付けているものはそれを達成するには心もとなかった。


 ドラゴンの襲撃の中で持ち出した新品の布たち、木製のまな板が数枚。色々使えるが骨を断つには心もとないナイフが3本。骨も断ち切れる包丁が1本。気の利いた料理人ならば何時だって持ち合わせているパンの発酵種、ついでにちょっとしたスパイス、黒糖と塩、テラコッタの鍋に鉄のフライパン。それにパンと干し肉と皮袋に詰めた上等なワインと、残骸から引っ張り出した小麦粉と油壺。


 今となっては瓦礫と化した街が襲われる中では比較的持ち出せた方と言える。しかし、満足なものを作るには少しばかり足りないと言わざるを得なかった。


「我が身に新鮮なミルクとバターを与えたまえ」


 贅沢な事を呟き、首を切り落とされたドラゴンを見る。以前に見た海を渡る船程の巨大な体躯を、赤色に光輝く鱗で覆っている。あれほどに暴れ狂い、恐ろしかったと言うのにてらてらと血でぬめる断面をみると食材としか思えなくなるのは、我ながら不思議でならない。

 ともあれ、味からすれば理解が及ぶ素材でよかった。オーブンも無ければミルクもバターもない上に一定の火力なんか望めるわけもないが、料理は出来る。

 そこら辺の家だったものからまだ破損の少ない木のボウルを幾つか見つけたので魔法で出した水で洗って乾かした後に小麦粉と塩と黒糖、発酵種を加えて魔法で出した水で練る。魔法の水で練ったパンは不味いと言う者も居るが、俺はそうは思わない。無論、その調理場のルールには従うが、今この場では優先されるのは手早い調理である。ボウルに濡らした布を被せて竈から少し離れたところに置く。


 膨らむのを待つ間に周囲を探って胡桃と干しいちじくを見つけた。胡桃の殻を割り、塩を振った中身を炒ってからまな板の上で細かく砕く。干しいちじくはボウルに水とミントと共に入れて戻し、香りとほんの少し甘みのついた水は飲み物として使う。


 ボウルの中身を確認するとしっかりと膨らんでいるのが見えて、嬉しくなる。神々はマナから生き物を作り出したのではなく、小麦から作り出したと急に伝えられても驚かない。それほどに小麦と言うものは変化に富んでいる。

 膨らんだパンに塩炒りの胡桃を加え、薄く平たくしてからフライパンで焼いて胡桃入りのパンクリスプにする。ややあって、心が浮き立つ小麦の香りが立ってきた。

 その時、ふ、と影が差した。そちらをみると黒髪の女冒険者の姿があった。驚くほどに細いのに、背筋が震えるほどの暴力の気配を感じる。ドラゴンの首を断ち切ったのはきっと彼女なのだろう、と確信した。


「美味しそうだね」

「そうでしょう。我々の分が焼けたらあなた方の分も作ります」


 それはそれとして、焼き加減の方が大切であった。壊される前の職場のパン焼き釜であれば滑らかな大理石の輝きを思わせ、羽のごとく軽い白パンやたっぷりとミルクを使い、むくつけき男たちも宝石箱をみる少女のように変えてしまうミルクパンもあっという間に焼けたのに。


一党パーティーは何人ですか」

「……いいの?」

「良いも何も。俺は料理人なのだからお腹が空いてる人に食事を作るのは当然でしょう」

「一党は5人。良く食べるのが2人、人並みに食べるのが2人、少ないのが1人」


 それは冒険者の基準だろう。なので後で保存食にしようと思っていた分も焼いてしまうことにする。命の恩と言うものに対して食事で酬いることが出来るわけはないが、それでも精一杯の感謝と言うものは伝えなければならない。


 パンクリスプを焼き上げ、ドラゴンの肉に取りかかる。少なめの油でじっくりと焼き、ドラゴンの脂と肉汁と血をソースにすることにした。小麦粉をこまめにいれて練り、ワイン(※2)に溶かし込んでから塩を加えて味をみる。勤めていたレストランの設備さえあればこのドラゴン・グレーヴィーだってより美味しくできたろう。

 良いキッチンだった。厳粛ではあるが腕も指摘も確かな料理長。その下に集ういささか性格に難はあれど向上心に満ちた料理人と見習いたち。普段から良く手入れされた道具は金属製であらゆる食材を受けとめ、そして辺境都市にあるまじき巨大な調理のための鉄のオーブン!(※3

 )長い休暇の前は彼を労り、料理人総出で清掃をしたものだった。最早それは叶わないが、そこで培ったものは失われない。


 たっぷりと息を吐いたあとに、喪われた物を数えるより、今あるものをこそ愛するべきだ、と思い直した。


 と、言うのが始まりである。その後気に入られた食事によって私は様々な冒険と混沌の中より整然とした食事を作り上げる事になったのだが、それはまた別の話。

_____________________

(※1)後の友人、グレアム・トラス。

(※2)記憶が正しければ、アスタミ地方のワイン。ローストされたナッツの香り、豊かな甘味とそれでいてあっさりとした風韻が残るものだった。

(※3)まったくもって残酷なことに、私が調理用のオーブンに触れるのは一党が旅団クランとなり、そして厨房を改装するまでの10年間、ほとんどなかったと言っても良い。この点に関しては未だに彼女を恨んでいる。

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ドラゴンと包丁 夜野はずみ @1615

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