彩佳

 夜明け前に、どうしてこんな所にいるのか。

 ここは区役所の屋上だった。頭にクソが付くほど寒いのだけれど、茅島さんが眠れないから登ってみたいと言い出したので、付き合った。

 事件収束から、一日。昨日は館に戻って、茅島さんと一緒に眠った。妙な安心感があって、いつもよりも馬鹿みたいな惰眠を貪ってしまった。

 こんな時間でも、明かりがついている。

 綺麗と思えるほどでもなかった。人間が生活をしている、以上の感情を夜景に抱くことはなかった。ネオンの色が様々で、そこだけは面白いと思った。

 白い息を吐きながら、茅島さんは手すりに両腕を置いて、その上に顎を乗せていた。

 不思議なくらいに、風がおとなしい。

 私は彼女の顔を見て、まだ口にしていないことを、頭の上で考える。

「ねえ、彩佳」

「……はい?」

「いま、あなたが何を考えているのか、当ててあげる」

 見透かされていた。

「謝ろうと思ってる」

「…………」

「私も、あのときはごめん。確かに……ひとりで突っ走ろうとか、自分の命なんてなんとでもなるとか、そんなこと考えていた、と思う」

「いえ、良いんです……」

 夜景なんかよりも、ずっと視線を奪われる彼女の横顔を、私は見つめる。

「……私も」言う。「ごめんなさい。茅島さんを、信じきれなかったっていうか……どうしてそこまでするのか、わからなかったっていうか……」

「ふふ」

「なんですか」

「言えたわね」

「……もう」

 私はまた、街を見下ろした。面白くないので、すぐに視線を上げた。

 空の向こうに見えるのは、日の出だった。

 こうして、その瞬間を見るのは、初めてなのかも知れない。

 彼女とともに迎える初めての記憶が、こうやって増えていくのは、パチパチとプラモデルを組み立てていくような快感すら有るような気がした。

「茅島さん」

「なに?」

「手、繋いでもいいですか」

「なんで? 寒い?」

「……はい」

「しょうがないわね。でも私、体温が低いわよ」

 まあ別に、我慢できないほど寒いというわけではなかったけれど、気持ちが浮き足立っていたのか、私らしくもないことをそうやって口にしてしまった。

 右手を差し出す。もう包帯は巻いていない。痛くもなかった。

 彼女の、ポケットから取り出した左手は、体温が低いと言うほど冷たいものでもなく、むしろ暖かかった。

 夜明けを見つめた。

 頑張ればもっと早くに、仲直りできただろうとしか思えない自分が少し嫌いだった。

 まあいいか、別に、これで良いのか。

 私の気持ちが、彼女に伝わればそれで良かった。

 言わなければ、わからないことしかなかった。

 上層の街。下層は見えない。

 だからここまでこじれたのだろうな、と一人で納得した。

 見ていろ。

 私は、この街とは違う。

 心が温かい。

 ちらりと、茅島さんを見た。

 彼女も、ぼーっと夜景を見ていた。

 もう、寒さを感じる暇もなかった。

 夜が明ける。

 きっと、この時の私の心には、あれ程待ち望んでいた曙光が、ようやく差していたに違いはなかった。

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プシケ曙光 SMUR @smursama

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