不治と不死

森野 ノラ

第1話

吸血鬼。

それは伝説上の存在で、ニンニクが苦手だとか太陽の光が苦手だとか杭を心臓に打ちつけられたら死ぬとか、そういった弱点ばかりが目立つような話ばかりがあり、昨今は描かれた美少女として日本ではよく見かける。


そんな吸血鬼は現代日本で今日もアルコールを片手に深夜の街を歩いていた。


ロング缶を片手に、Bluetoothのイヤホンをつけて午前2時。街灯だけが照らす夜道を歩く。


吸血鬼の名は、レヴィ。

好きなことはゲームとアニメと漫画。嫌いなことはめんどうなこと。

歴史学者であり、小説家としてもそこそこの成功を収めている彼女は今日もある場所へ向かっていた。


夜道を歩き、やがて見えてくるのは大きな病院で、彼女が向かうのは4階にある個室だ。

ぼんやりと明かりの漏れている部屋は窓が開けっぱなしにされている。


当然、転落を防止するために網戸がされていて、開けられないようにはなっているが吸血鬼であるレヴィには関係ない。


レヴィは体を黒い闇に変化させるとその病室目掛けてとんでいく。


網戸をすり抜けるように入った先には、ベッドの上で座っている少女がいた。

見た目は中学生ほどの少女。

事実彼女は14歳だ。

名前は、男鹿おが キツツキ。

レヴィのことを吸血鬼だと知っている唯一の人間だ。


「やぁ、今日は良い夜だね。風も涼しくて月が綺麗だ」


レヴィが癖っ毛の金髪を揺らして、透き通るような赤い目に少女を映す。


少女はそんな彼女の言い回しに口元に手を当てて笑う。


「ふふっ、死んでもいいよ」


それは夏目漱石が愛を訳したとされる言葉への返事。

レヴィもまたその言い回しを知っている。知っている上で、キツツキの物言いはレヴィの琴線に触れたようで深夜の病室に大きな笑い声が響く。


「キミの場合は本当に死ぬだろう?」


「残念だけどね」


不治の病。そう診断されたキツツキはなんでもないように肩をすくめる。


彼女の病気は治らない。

そう結論付けられた。彼女は今後の患者のサンプルとして死亡後には解剖されて臓器の一部はホルマリン漬けの未来を辿る予定だ。


「それで、お酒臭い吸血鬼さんは今日は何の用件で?」

「話に来ただけさ。いつもと変わらない」


ベッドに腰掛けたレヴィは、宙を眺めながら古い記憶を思い出しながら話し始める。


「今日は三十年戦争の話でもしようか。あの時はちょうどあの辺りに住んでいたからよく知っているんだ」


「当たり前のように血みどろな話をするんだね」


「おかしなことを言うね。キミが言ったんじゃないか?人間の愚かさや醜さを教えて欲しいと。この世界に未練なんて無くしてほしいと」


「言ったけど……くるたびに人のことを嫌いになっていくような感じがするよ」


「人間とは同じ種で争うものだ。その思考には何の問題もない」


レヴィの言葉に、小さくため息をつくと続きをせがむようにキツツキはレヴィを見た。


そんな彼女の様子に笑みを浮かべて、歌うようにレヴィは話し出す。


それは人など使い捨ての道具で、尊厳も人権も言葉すらもなかった戦争の話だ。


レヴィが勉強熱心なキツツキの質問に答えつつ、話を終えた頃には外が青みを帯びてきた。


「話すぎてしまったみたいだ」


びっしりとノートに書き込みをしたキツツキを横目にレヴィは小さく伸びをした。


「太陽に焼かれて日焼けしたら嫌だからそろそろ帰るよ」


「あ、うん……分かった……」


少し寂しげなキツツキの姿を見て、レヴィはその手をキツツキの頭に乗せる。


「明日にはまたくるよ。同じ時間だ。もし起きれなかったら寝ていてもいい」


「大丈夫だよ。どうせ朝も昼も鎮痛剤を打って寝ているだけだし」


「そうか。じゃあな」


「うん。待ってる」


キツツキに手を振って、レヴィは姿を変えて網戸から出て行く。

その姿のまま、一際目立つ高層マンションの最上階のベランダに降り立ったレヴィは、部屋に入り、小さくため息をつく。


ため息の理由はキツツキという少女のことだ。


レヴィがキツツキを知ったのは偶然だった。

御涙頂戴と闘病生活の少年少女を特集する番組に出た美しい少女。

不治の病だと言われ、誰もが同情した少女は、近づく死なんて気にしないかのように気丈に振る舞っていた。


興味を持った理由なんてそれだけで、レヴィは次の日には会いにいった。


突然現れて吸血鬼だと名乗るレヴィに、キツツキは取り乱すこともせず、会話を交えた。

そして超常なる者であるレヴィに、キツツキは一つ頼み事をした。


『私を殺してくれませんか?』


症状が悪化して、血反吐を吐き、醜く死んでいくことがキツツキには許せないらしい。


大人でも泣き叫ぶような激痛の中、必死に気丈で振る舞い続ける彼女はそのまま凛々しくこの世を去りたいという。


キツツキの余命はあと1ヶ月ほど。そして病状が悪化するとすれば、そろそろだ。


レヴィにとって人を殺すなんて些細なことで、良心の呵責に苛まれることもない。


だけど、不思議とたった数ヶ月、少女と関わったことでレヴィの心臓もまた痛みのようなものを覚えだしたのである。


「もしかしてあいつの病気が移ったか?」


その理由もまだ分からぬまま、レヴィは小さく首を傾げ、暗い室内へ戻っていった。


◆◆◆


レヴィにとって人間というのは暇つぶしのようなものである。

見ていて飽きないし、時折現れる英雄と呼ばれる人間は素晴らしい。


彼らを吸血鬼化させれば世界を統一できる存在になるだろう。


もちろん、出来ればの話だ。


吸血鬼というのはその昔は千を超える数がいた。

生殖能力を持たない彼らは、吸血と呼ばれる行為を経て吸血鬼である眷属と呼ばれる存在を増やしていった。


だがある時からヴァンパイアハンターなどと呼ばれる者たちが出てくる。


自浄作用のようなものだ。

増えすぎた吸血鬼を殺す人間がいる。


だが自浄作用というには吸血鬼は数を減らしすぎた。


やがて数百に。


数十に。


そして数人になった。


レヴィの知り合いは皆、灰になり、吸血鬼の生を全うした。

レヴィが生き残れたのはあまりにも吸血鬼の特徴がなさすぎたためだ。


レヴィにとって吸血という行為は必要ないし太陽も少し熱い程度で済む。

人の家なんて招かれなくても入るし、泳ぐのは得意だ。コンビニで買ったニンニクたっぷりのペペロンチーノもよく食べている。


そんな吸血鬼の中でも稀有な存在として生まれた彼女は、体を蝙蝠ではなくもっと微粒へと変化させてヴァンパイアハンターから逃れつつ、やがてヴァンパイアがいない極東の国へとやってきた。


レヴィも吸血はしたことがある。だが眷属にすることはできなかった。


その理由は仲間曰く、愛がなかったから。

意味もわからず、そこから五百年以上が経過した。

ただ分かるのはその日、彼女は大切にしていた暇つぶしの道具を失ったということだけである。


その日、珍しくレヴィは人間として病院に来ていた。

場所はキツツキが入院する病院で、来診理由は心臓の痛み。


数時間が経ち、問題がないと判断されたレヴィはすることもないため、吸血鬼の能力で監視カメラに映らないようにしてキツツキの病室へ向かっていた。


人に見られないように自らの存在を希釈して歩いていると、キツツキの病室から3人の人間が出てくるのが見える。


大人の男女と少女だ。


顔立ちから推測するに男はキツツキの血縁者、おそらくは父。

だとすれば女と少女は恐らくはキツツキの義母と義妹で間違いないはずだ。

きっとお見舞い帰りだろう。


「あー、早く死なないかな」


だが通り過ぎる際に聞こえてきた少女の言葉に、レヴィの歩みが止まる。


「おい、滅多なこと口にするんじゃない」


「だってパパもそう思ってるでしょ?死んだら生命保険が入ってくるんだよ」


「……それはそうだが」


「知ってるよ。パパが車のカタログ見てるの。かっこいいやつ買うんでしょ?」


「ああ」


「あら?そうなの?なら家族3人でドライブとか行きたいわね」


「そうだな」


________人間は醜いし、愚かだ。

今に始まったことじゃない。


レヴィは自らの存在をさらに希釈して、キツツキにも見つからないように病室へと入る。


酷く苦しそうなキツツキの姿が見えた。


レヴィの目から見たキツツキの命の灯火は非常に微かで、きっと彼女が今も生き永らえているのはその精神力も大きく関係している。


気づかれないように、レヴィは頬を伝う汗と涙を拭ってやる。


レヴィの行動に薬以上の効果はない。

だけど少し穏やかな表情になったキツツキから規則的な寝息が聞こえはじめて、レヴィはほっと胸を撫で下ろした。


「おやすみ。またくるよ」


その場からレヴィが消える。


病室の外へ窓から出ていったレヴィは、見覚えのある人間を探していた。

それは3人の男女で、車に乗り込む姿を見つける。


レヴィは吸血鬼だ。

死生観や倫理観など、人間とは違う。


ただ、それだけの話だ。


◆◆◆


その日の深夜。

レヴィはキツツキの病室を訪れていた。


体を起こして座るキツツキは、酷く苦しそうで、昼間よりもその命の灯火が小さくなっているのが見てとれる。


「もう少しで死ぬよ」


「ああ。分かるとも」


「……そういえば家族が死んだらしい。事故で。ナースさんが話してるのを聞いた」


「そうなのか。それは大変だな」


「嘘が下手だね。知らなければもっと心配そうな顔をするでしょ?」


「悲しんでない子に言われるのも困るけどな」


________ぷっ。

2人で顔を見合わせて笑う。


キツツキは壊れていた。

元は再婚した父親の連れ子で、厄介者として弾かれ続けた彼女は病気になって、彼らの家族ではなくなった。体裁のためにやってくる数分のお見舞いは家族で出掛けるための方便でしかない。


そんな壊れた彼女がちゃんとキツツキという1人の人間を見てくれる吸血鬼を愛すのは必然的なことだった。


最初はレヴィに語ったことが本心だった。


だけど今は、キツツキは大好きな吸血鬼に殺されたくてたまらない。


だから少しだけ、ほんの少しだけだけど、先に殺された家族にも嫉妬していたりする。


「ねえ。レヴィ」


「なんだい?」


「どうやって殺してくれるの?」


「さてどうしようか。でもとりあえずこんな窮屈な場所じゃ嫌だろう」


レヴィはおもむろにキツツキに付けられている点滴やベッドサイドにあるモニターから繋がっているものを全て体から取り外す。


不快な音が鳴り響き、ドタドタと足音が近づいてくるのを感じる。


人がやってくる前に、レヴィはキツツキを抱き上げて、姿を黒い膜で覆い隠し、その姿を人間に見えないようにする。


やがてナースたちが到着し、聞こえてくる悲鳴を背にキツツキをお姫様抱っこしたレヴィは悠々と病院を出て行った。


真っ暗な街を、二人一緒に空中を歩く。

キツツキは咳をもらしながらも目を輝かせ、おそらく最後になるであろうその光景を目に焼き付けていた。


レヴィが向かったのは、東京から遠く離れた場所にある海だ。


海には空が反射していて、まるで星の絨毯のようになっている。


キツツキは「わぁ」と声をもらしてレヴィに笑いかけた。


「私、昔から体が悪かったから……初めて、初めて海に来れた」


「海水舐めてみるかい?」


「しょっぱいんだよね?喉が痛いからいいかな」


「そうか」


そこで会話は途切れ、無言の時間が続く。


レヴィの隣に座っていたキツツキの手が動き、レヴィの手に触れる。

レヴィはその手を握り返すと、キツツキは少し驚いた顔をするも直ぐに破顔してレヴィの肩にもたれかかり頭を乗せる。


レヴィは暫し何かを考えているように空を見上げ、意を決したように口を動かした。


「月が……綺麗だな」


レヴィの言葉に、キツツキは驚き、そして言葉の詰まりながらも必死に言葉を紡いだ。


「し、死んでもいい!」


「……ああ、そうか」


キツツキの返答に、やっとレヴィは心臓の痛みの理由が分かった気がした。


「これが、これが愛というんだな」


レヴィに愛を囁く者は過去にいくらでもいた。

だけど自ら囁きたくなったのは初めてで、キツツキの返答に満たされていく心もまた初めての経験だった。


キツツキは嬉しそうにニヤけながら、指先で砂をほじっている。


この場がもっと明るければその赤く染まった頬が見れるはずだ。


もっとも吸血鬼であり、夜目の効くレヴィには関係ないことだが。


「ねぇ、レヴィ」


「なんだ?」


「諦めもあったの。そして楽になりたかった。だけど、そうだね。こうしてレヴィが私を見つけてくれたのにレヴィの隣に居られる時間もないことに今気づいて、そしたら、そしたらね?こういうこと言うの、ダサいしありえないかもしれないんだけど」


キツツキは両手で口元を覆いながら、そっとその言葉を紡いだ。


「……死にたくないなぁって……」


「今更だな」


「本当にね。もっと前からだったらレヴィといちゃいちゃもできたのに」


あーあ、と足を投げ出したキツツキに、レヴィは改めて問いかけた。


「……死にたくないのか?」


レヴィの問いかけに、キツツキは小さく頷いて、そしてレヴィから顔を逸らす。

肩を震わせるキツツキになんて声をかけていいのかも分からないで、時間だけが過ぎていく。


キツツキは死ぬ。放っておいたら今すぐにでも。


だけど死を食い止めているのは処方された薬とそしてキツツキの精神力だ。


だがそれもいつまで保つかわからない。


だからもし、キツツキを死なせない方法があるとするなら、それを試すならきっと今しかない。


「……なあキツツキ。血を吸ってもいいか?」


キツツキが顔をあげる。


レヴィはキツツキの疑問を解消するために、眷属という存在を、分かっている範囲でたどたどしく話し始めた。


「吸血鬼が、人間の血を吸うと眷属にすることができるらしい。彼らは主である吸血鬼とほぼ同じ存在で、吸血鬼に付き従う者だ


わたしも昔、仲良くしていた人間で試したことがある。


結果、その人間は死んでしまった。


もし、眷属になれればお前は死ななくて済むかもしれないという話だけど成功する保証も何もない。


そもそも一度失敗してる……ってなんでそんなハムスターみたいになってるんだ」


レヴィの話に、キツツキは頬を膨らませてそっぽを向いていた。

どういうことか分からないと首を傾げたレヴィに、キツツキはぽしょぽしょと呟く。


「……だって、私以外の人間と仲良くしてたって」


嫉妬。

その2文字が頭に浮かんだ頃には、レヴィは腹を抱えて大笑いしていた。


静かな海に、波の音とレヴィの笑い声が響き、しばらく笑い転げていたレヴィは決心したように立ち上がる。


「決めた。私はお前を眷属にする。できるかできないかじゃなくてする。死んだらその時はその時に考えよう」


「死ぬのは私なんだけどな〜……というかレヴィって本当に吸血鬼だったんだ」


「今までなんだと思ってたんだ」


「死神?」


「死神は酒なんか飲まないだろ」


「確かに……血ってどうやって吸うの?首筋?」


「どこでも。動脈じゃなくて静脈から吸うし」


「それって失敗したら死ぬんだよね……?」


「まあ、そうなるな」


「じゃあ吸う前に一つだけお願い聞いてほしいんだけどいい?」


「叶えられる範囲なら」


キツツキは視線を忙しなく右往左往させながら、手を慌てて恥ずかしそうに呟いた。


「じゃ、じゃあさ……キ、キス……してくれない?」


「キス……?そんなのでいいのか?」


「……うん。してほしいの」


キス。

レヴィにとっては人間が愛情表現のために行う謎の行為だ。


吸血鬼であるレヴィにとってキスなんて今までしたことはない。

だからそれはフィクションの中だけの見よう見まねだ。


レヴィは邪魔な髪をかき上げて、キツツキに口を近づける。。


キツツキは目を閉じてそれを受け入れた。


「ふにゅ」

なんとも気の抜けた声がキツツキの口から漏れ、唾液と唾液を交換する。

あいにくとレヴィにとってキスとは、軽く口づけをするだけじゃなく、映画で行う多少情熱的なモノだ。


口と口が交わり、普段触れることのない舌同士が触れ合う。


やがて口を離すと、そこにはすっかりゆでダコみたいになって文句の一つでも言ってやろうと口を開いたり閉じたりするキツツキがいた。


「満足か?」


「もっと優しくしてほしかったんだけど」


「ダメだったか?」


「んーん、うれしいよ」


そう言って笑うレヴィに、何故だかもう一度したくなったが今は時間がないと首を振る。


「吸っていいか?」


「……いいよ。吸って、ちょっとでも全部でも、レヴィの一部になれるならいい」


キツツキの言葉に、レヴィは顔を首筋に埋めて舐めた。


「んっ」と小さな声がキツツキから漏れる。


「少しチクッとするぞ」


舐めた場所に、レヴィはゆっくりと歯を突き立てる。

吸血鬼の歯から出る液体は麻酔のような役割を果たし、ほとんど痛みは与えず、逆に幸福感をもたらす。昔はその幸福のために血を望んで捧げる人間も多かった。


久々の人間の血。

病人であるキツツキの血は美味しいと言えるものではなかった。だがレヴィはその血を今まで得たなによりも美味しく感じて、思ったより多めに吸ってしまう。


レヴィが顔を離すと、キツツキは「あっ」と名残惜しそうな声をもらした。


「美味しかった……?」


「美味かったよ。また回復したら飲ませてくれ」


「うん。絶対……」


そう言ったキツツキがレヴィにもたれかかろうとして、そのままレヴィの膝の上に頭を乗せる。

その表情は酷く苦しそうで、レヴィの目には、その命の灯火が急激に失われていくのが見えていた。


________失敗か……


レヴィの目に浮かぶのは小さな涙の粒。

袖で、目を擦り、自傷気味に笑う。


「キツツキ」


呼んでも返事は返ってこない。


「キツツキ」


「キツツキ」


「キツツキ、キツツキ……キツツキ……!」


問いかけはやがて慟哭となり、海岸に響き渡たった。


「……愛とはなんだ。これが愛じゃなければなんなんだ……!」


レヴィは叫ぶ。


吸血鬼であった友人の言葉によれば愛があれば眷属にできるというものだった。

レヴィにとってキツツキに向けた感情は紛れもなく愛で、だがそれでも失敗した。

八つ当たりのように叫ぶレヴィに波の音だけが静かに鳴り響く。


レヴィは肩で息をしながらキツツキを見た。


まだ心臓は動いている。

だが呼吸は浅く、汗もひどい。


「レ、レヴィ……」

「ッキツツキ!」


目もほとんど開いていないキツツキが仰向けの状態で、レヴィに手を伸ばす。

レヴィはその手をしっかり取ると、その手の冷たさにレヴィの顔が歪んだ。


「レヴィのそんな顔……初めて見た」


「キツツキ、死ぬな!私と一緒にいろ……!」


祈るように叫ぶレヴィの瞳から大粒の涙がキツツキの頬に落ちる。


「……好きだよ、レヴィ。大好き。だから泣かないで。そんなに泣いちゃうレヴィは解釈違いだよ」


キツツキが笑い、伸ばされた手がレヴィの涙を拭う。


「……私ね。結婚式に憧れてたんだ。白くて可愛いウエディングドレスを着てね。素敵な人と結婚するの。その人は結構寂しがりやで、一線引いてる癖に直ぐに線の中に入ってきちゃったりして、私のために怒って泣いてくれる人」


「ああ、してやる!結婚でもなんでもしてやる!だから……!」


「ふふっ、言質取っちゃった。じゃあ頑張って生きないとね……」


そう言ってキツツキが目を閉じる。

そこから歪められた顔が解れることはなく、キツツキの14年間動き続けた心臓はゆっくりとその役目を終えたように動きを止めた。




________はずだった。


キツツキの心臓が跳ねる。

電気ショックを与えられたかのようにドクンと脈動した心臓は急に一定のリズムを刻むようになる。


キツツキの顔色も次第に良くなり、その顔が穏やかなものになると、急にキツツキがパチリと目を覚ます。


その目は吸血鬼の特徴を持つ真紅の瞳に変わっていた。


目を見開いたレヴィに、キツツキはおっかなびっくりしながらもゆっくりと体を起こすと「えっ……?」と呟いた。


「どこも痛くない……」


「本当か!?」


「えっ、これ死後の世界とかじゃないよね……?」


痛くない、痛くないと立ち上がったキツツキは不思議そうにその場に軽くジャンプする。


「痛くない……!痛くないよレヴィ!」


「……生命エネルギーが溢れている。なんで急に……」


思い当たるのは眷属化の成功。

だが何故急に……首を傾げるレヴィに、キツツキは飛び込んでいった。


「うわっ、急に飛び込んでくるな」


「えへへ、レヴィ、結婚してくれるんだよね……?」


「……式は夜あげることになるけどな」


「それでもいいよ。神父さんなんていない2人だけの式をあげるんだから」


月明かりだけが照らす中、キツツキはレヴィの手を握って、2人立ち上がる。


「病めるときも!」


キツツキの言葉に、レヴィも自然と笑顔になる。


「健やかなるときも」


「喜びのときも!」


「悲しみのときも」


「富めるときも!」


「貧しいときも」


「レヴィを愛し、レヴィを敬い、レヴィを慰め、レヴィを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓います!!!」


元気よく宣言したキツツキは、次はレヴィの番だと視線を向ける。


「はぁ…… キツツキを愛し、キツツキを敬い、キツツキを慰め、キツツキを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓う」


「じゃあ誓いのキス!」


「はいはい」


今度はキツツキから、レヴィへのキス。


情熱的なものではなく、唇が一瞬触れるだけのソフトなもの。


「これでいいのか?」


「うん。これでいいの」


キツツキの表情は晴れやかで、海を眺めている。


「これからどうする?」


「これから?」


「眷属は主の吸血鬼の特徴を受け継ぐ、しかも元々太陽光耐性の高い私と人間のお前が眷属になったんだ。おそらくは太陽は何の障害にもならない。お前は自由の身で、なんでもできる」


「なんでも……」


キツツキはその言葉を噛み締める。


「やってみたいこと、なりたいものとかないのか?」


「うーん……じゃあ、私、教師になりたいかも」


「教師?」


「そう!病室でレヴィが教えてくれたみたいに、みんなに教えるの!」


「私が教えたことを教えるとPTAから苦情がくるぞ」


「だからそのためにちゃんとした知識を身につけたい」


「ちゃんとした知識。大学か。その前に高校だけど」


「うん。だから私、一回病院に帰る。きっとみんな心配してるしね」


「そうだな」


「でもその前に海の水舐めたい!」


「しょっぱいぞ」


「知ってる!」


キツツキが海の水に指をつけて少し舐めて、べっ、と舌を出す。

そんな姿にレヴィは笑みを浮かべる。


この日からキツツキはレヴィの眷属として、共に悠久の時を過ごすことになる。


これは歴史に決して名前を残さない2人の吸血鬼の物語の序章である。


◆◆◆


以下蛇足話。


________神隠し。


病室から不治の病に罹った少女が消えて、帰って来たらすっかり治っていて、その時の記憶はない。


だから神が隠して治療したんだと、騒がれている。


そんな少しばかりテレビを騒がせた事件から約10年の月日が流れた。


レヴィは歴史学者として、大学で教鞭を振るったり振るわなかったりしている。


対してキツツキもまた新米高校教師として元気に悪戦苦闘しているが、彼女の授業は面白くてわかりやすいと評判だ。


教科書に載っていないことを知っているかのように話すもんだから一部の生徒には疑問がられている。

どうしてそんなことを知っているのか、そう聞かれたキツツキは可愛い顔でこう嘯くのだ。


吸血鬼に教えてもらったのだと。


◆◆◆


90分の授業が終わり、小さく伸びをしたレヴィのもとに女子大生が駆け寄っていく。


「どうしたんだ?」


「あ、あの先生。その薬指のって結婚指輪……ですよね?」


「ああ。そうだな。この前、貰ったんだ。なんでも初めての冬のボーナスで買ったらしい」


「わわわ、そ、その先生って旦那さんいるんですか……?」


「旦那はいないぞ。可愛い嫁ならいるがな」


そう言って笑って去っていたレヴィを見て、彼女は略奪愛をテーマにした百合作品に傾倒していくことになる。


◆◆◆


「そういえばなんで私って眷属になれただろう?」


「……多分、涙だ」


「涙?」


「吸血鬼の涙なんて愛してなければでない。きっとそれがトリガーだったんじゃないかと考えている」


________吸血鬼が滅ぶわけだ。

もし吸血鬼と同等の眷属をほいほい作れるならきっと吸血鬼は滅ぼなかっただろう。


レヴィは愛が必要だと言った意地の悪い友人を思い出しながら小さく笑みを浮かべた。


終わり。

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