第一話   『声は檻のかたちをしている』


 愛知の名古屋駅から電車を少し乗り継いで、バスの座席が自分の家の椅子なみに馴染むようになるような場所。観光客と地元の人間の違いがはっきりわかるような、岐阜県の田舎の町。

 通行人でさえも賑やかな声が聞こえるくらい、店の中は喧騒と少量の興奮、大さじ三杯くらいの懐かしさがあった。到底隠し味にはなりきらない量だ。

 

かのう、お前久しぶりやないか! 十年ぶりくらいか? 大学どこ行っとるん?」


 ぐい、とかなりフレンドリーな様子で肩に腕を回された青年――かのう弘人ひろと。背は自販機より拳一つぶん低いくらい。アルコールの回った少し赤らんだ顔で、口元だけで笑みを零した。顔だけ知っているクラスメイトに声をかけられたような顔だった。


「あー、まあ大体そんくらいやな」思い出すように視線をふらりと動かした。「大学は、まあ名大めいだい(名古屋大学)行っとる」

「は!? おま、頭良かったんやな……」


 残念ながら和に絡んでいた男が口に出した大学名は、彼の大学より二つ三つランクを落とした私立大学だった。「でも女子は可愛いんだ」と力説する男に、和は既に十年来の親友であるかのような表情で「なに言ってんだオマエ」と軽口を叩く。


「荒川ぁ、こっちにも来いよ」


 先の男の名前は荒川だったらしい。彼が呼びかけられた方に歩いていった瞬間、和は笑みを消して改めて酒をあおった。

 実際、彼とは十年来の親友――とまではいかないまでも、友人のはずだった。なにせこの場は『同窓会』である。もっとも和は『小学校以来』であれど、他の多くの人間は『高校以来』である。山に囲われた田舎では大抵が小学校のメンツと高校のメンツが変わらない。


 和は残り少なくなった酒を全て飲み干すと、「ちょっとオレ夜風に当たってくるわ」なんて周りに言って熱気から遠ざかるように店の外に出た。足元が少し覚束ない。

 ポケットから煙草を出して火を付けようとした時、先客がそこにいたのに気付いた。驚きにライターを取り落とすところだったのを相手が拾った。


「なにしてんのや、おっちょこちょいか」

「ンだよ、東雲あずもかよ……」


 驚いて損した、とでも言いたげになった顔の和に「なんやその顔」とツッコむ彼も、またこの同窓会に参加している一員だった。

 東雲竜樹たつき。金髪に染めている和と違い、黒髪短髪、背は高くも低くもなく、顔立ちも極めて平均的である。そのくせ『ファイト・クラブ』のブラッド・ピットのようにカッコよくタバコを吸う。大学四回生なのにどうもがある――とは和の談である。


 和が東雲の名を覚えている理由は単純明快で、東雲が和と同じ大学に通っているからだった。そうでなくとも二人は小学校の時に悪友として名を馳せていたので、先程の荒川と違って覚えていたかもしれないが。


 大学にて彼と再会を果たさなければ、和はこの同窓会の存在も知らなかっただろう。和は中学に上がる時に叔父が住む愛知県に両親ともども引っ越していて、それ以来帰省はおろかたったの一度もこちらに帰ってきたことはなかったのだから。

 ちなみに和はこの同窓会の話を当初断ったが、「え? もう行くって返事してもーた」という東雲のファインプレーにより今この状況に至る。人の話を聞け! と和がキレたのは、まあ、仕方がない。


 和がライターの周りを囲い、炎というにはあまりに弱々しく、彼の中からストレスを叩き出すには十分すぎる明かりが灯った。吐き出した煙はベガの卯の花色に紛れて消えた。


「積もる話もあるんやないのか? 十年やぞ、十年。積もり過ぎて山にならんか心配なくらいやわ」

「なにを言っとんのや……、仕方ないやろ、『懐かしいなぁ』なんて言われても顔も名前も覚えとらんのやぞ」

「それはお前が薄情なんが悪い」


 薄情やないし、と自分でもわかるくらい言い訳じみた口調で反論した和。


「なら一番最初にお前に話しかけてくれとった女の子の名前言えるん?」

「…………」


 沈黙は何よりも雄弁である。

 東雲の言うことはもっともで、薄情でないのなら十年も地元に帰ってこないことなど早々ないだろう。和は確かにこの地に帰ってこようとはせず、かつて友人であったはずの彼らに対してさほど感慨も浮かばなかった。もちろん再会は嬉しいし、元気にやってくれているようで何よりだが、それよりも面倒臭さが勝っていた。

 いやはや、これを薄情と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。


「いつ帰るん?」

「決めとらんけど、二日か三日で帰ろかなぁ思てる」

「はっや! もうちょいゆっくりしていかんの?」


 驚いた東雲の声に、和は「こっちですることもないしなぁ」と煙を吐き出しながら答えた。普通の 普通の人は実家に帰省した時に何やってるんだろう、とでも考えているのだろう。――友達と会う、くらいしか思い浮かばねえけど、もう会っちまったしなあ。


「じゃ予定ないんか」

「何にも。一日で帰っても問題ないくらいや」

「ほんなら明日の夜、踊り行こや」


 あー……、と生返事をする。

 この地は少しばかり――具体的には日本三大踊りに加えられるほど盆踊りが有名で、今はちょうどお盆の時期だった(皆が実家に帰省するタイミングと同時に同窓会を開いたのだろう)。明日から徹夜踊りとも呼ばれる踊りが始まる――踊り踊りと連呼しているが、ほとんど祭りのようなもので屋台もたくさん出る。


 和は苦虫でも噛み潰したような表情を浮かべた。小学校の時に何に使うかわからない狐面を買い、友達に自慢していた黒歴史を思い出したような顔だった。


「踊り、言うてもなあ。オレ十年越しやで流石に覚えとらんし……」


 踊りには誰でも参加できて、この時ばかりは観光客も地元の人間も区別がつかなくなる。初めて見る踊りだって何時間も同じことをしていてたら否が応でも覚えてしまうのだ。


「別に踊らんくてもええんやって。ヨシ決まりな! あとで時間連絡するわ」

「出たよ人の話聞かない妖怪……」


 屈託のない笑顔を見せた東雲は、いつの間に煙草を吸い終わったのか店の扉をガラガラと開け、「お前もはよ戻ってこいよ」と残して中に入っていった。店の中の雑駁ざっぱくとした空気が少しだけ外へ逃げて来て、ぴしゃりと閉じられた戸によって霧散した。


「…………」


 煙草を吸う。和の頭の中のストレスが煙と一緒に排出される。『がんばろう 禁煙』と子供の描いたポスターが視界に入る。溜め息か煙かもわからない空気が漏れた。


「余計なお世話や」



 * * 



 ピピピピピンポーン、と連続で押したせいで音が重なるインターホン。音に押されるようにして転がり出た和は、やっと来たか、みたいな顔をしている東雲に「うるせぇ!!」と開口一番怒鳴りつけた。心外、という表情の東雲。

「インターホン連打すなや何してくれ……とん……」段々と尻すぼみになる声。


「……なにその恰好?」


 思わず標準語になってしまった和の視線の先には、灰色の縦模様が入った浴衣を身に纏っている東雲がいる。


「なんで浴衣着とらんの?」

「いや、こっちの台詞やし……、なんで着とるん? 逆に」


 いちおう形だけでも東雲に合わせようと、靴箱の中から下駄を出す。和のものでなく和の父のものだが、まあサイズ的には問題ない。


「祭り行くなら普通浴衣やろがい! 待っとるから着なれ」

「持って帰ってきてすらないわ。そんなんしんでもいいし、行くならはよ行こや」


 玄関の戸を閉め、憤慨した様子で叫ぶ東雲の首根っこを掴む和。数メートルその状態でズンズンと突き進み、締まる、首絞まっとる、と東雲が悲鳴をあげはじめてからようやく手を離す。抵抗していたところに急に手を離されたからか、「ぐわ」と変な声をあげてべしゃりと地面に潰れた。


 一瞥してからずんずんと歩き出す和に、東雲は小走りで駆けてきながら「酷いわぁ」とわざとらしく溜め息をついた。

 祭りのお囃子は既に耳に届いていた。和の家は町の中でも中心地に近いところにあるので、家の中にいても祭りの声が聞こえることがある。


「――――」


 和が片頭痛のように顰め面で頭を振った。

 道の脇を小さな浴衣を着た子供が通り抜けていく。普段は黒つるばみ色に塗りつぶされている小さな路地もほんのりと光っている。橋の上に立つ街灯は電灯よりも弱い光だったが、その分狭い感覚で一列に並んでいた。街灯の端にある誘蛾灯は青白いが、町全体としては淡い琥珀色だ。橋の下には紺青の絹が何重にも折り重なった色が見える。


「なあなあ、あそこに射的あるでやらん?」

「やらん」

「ベビーカステラあるやん! 買わん?」

「買わん」

「……冷たない?」


 和の塩対応に慣れている東雲が思わず漏らすくらいだった。

 同窓会の時に見せていた笑顔の人間とはまるで別人である。大学での和も大体にこやかに笑う王子様キャラだが、彼の素は大体こんなものだった。もっとも――本当に子どもの時からこうであったワケではないし、猫を被るのが苦痛というワケでもない。


 だが少なくとも、和にとっては――そう、少なくとも――東雲に対して見せている一面は、和にとっての本心の一部であることは違いない。冷たい対応が本心と言われても「え~困るわ~」なんて東雲本人は言うだろうが。

 ようやく踊りの末端へと辿り着いた二人(人が多すぎてやかたすら見えない)。知っていたことだがあまりの人の多さに若干眉根が寄った。


 ここの踊りの曲にはいくつか種類があって、現在の曲は盆踊りにしては珍しいアップテンポの曲である。高らかに下駄が地面に打ち付けられる音が、今ここに何百人もいるにも関わらず同じタイミングで響く。それは、凄いと思う。昔からこの光景が好きで、どこか異世界にでもいるみたいにふわふわして、楽しい。


 からろ、からころ。

 下駄の音。


『こっち! こっち、来て』


 揺れる街灯の光。

 手を繋いだ体温。


「ああ、僕はこの曲好きやんなあ」

「…………オマエ、いつもハイテンポの曲ばっか聞いてるからだろ……」

「え? あぁ、確かに。え!? 確かに!?」


 いまさら気付いたような顔をして二度同じことを言った東雲。自分のことなのに知らなかったらしい。

 目の前にいきなり大学院の数学の問題を出されたような表情だった和は、「踊ろや」と手を引っ張る東雲に連れられ輪の中に入らされる。人の話聞かない妖怪だ……。


 隣の人に申し訳なく思いつつ、十年前の記憶を掘り出して周りの人を見ながら踊る和。明らかにワンテンポ遅れて踊っている和を笑う東雲は、さすがと言うべきかしっかりと周りに合わせて踊っている。掛け声のタイミングまでバッチリである。くそ、と毒づく和はちょっとカッコ悪かった。


「ひろくん」

「――――」


 ヒュ、と和の喉が詰まった。目を見開いて声のした方を振り返れば、転んだ子供に「もー、ひろくん走っちゃダメって言ったらでしょ」と言いながら手を貸す母親らしき女性。たまたま和と子供のあだ名が一緒だったらしい。


『ひろくん』


 お囃子。遠ざかるほどに不明瞭になる明かり。

 熱に浮かされた自分の、握った手。


「――――」


 水、

 の、

 音。



 * *



 七五三しめみどり、という女の子がいた。

 オレはその子が好きだった。


 翠と、東雲と、オレ。悪友で、親友で、幼馴染。ゲームがメチャクチャ大切で、給食も同じくらい大切で、それでも二人が一番大切だったあの頃。

 世界は自分中心に回ってて、何かが変わるだなんて考えもしなかったあの頃。

 なにからなにまで喋った。ポケモンの色違いをゲットしたとか、今日の給食は美味しかったとか――そういうことがオレたちにとってはノストラダムスの予言より大切だったのだ。


 バス停で食べた氷菓アイスの味を、駆けた大地の感触を、目に沁みた太陽の眩しさの全てを共有した。

 なにからなにまで喋った。でも一つだけ喋れなかった。


 



「…………気分、悪ぃ。帰る」

「は? ちょ待っ……、は、オイ!」


 ふと急に手を止めた和に、東雲が困惑した表情ながら追いかける。人混みの間をすり抜けるようにしていく和は、人より多少背が高いので見失うことはなさそうだが、それでもこんなに大勢の人に揉まれていてははぐれてしまう可能性もある。


「なん――急にどしたん!?」

「気分悪い言ったやろ。帰る」

「アホの一つ覚えみたいに言うなや。なに、怒っとるん?」


 和はズカズカと早足で前を行き、東雲が眉尻を下げながらそれを追いかける。怒っとらん、と言う和の声色はあまりに不明瞭で真意を読めなかった。


「み――翠のこと」

「――――」


 和が止まった。東雲は消え入りそうな声で――しかし断固として意志を感じる声で――なおも続けた。


「まだ引きずっとるん」

「……うるさい」

「だからずっと帰ってこんかったの? 同窓会だって来ようとしんで」

「…………」


 もう何も言わなかった。和は振り返らなかった。


 東雲も追いかけなかった。

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