驟雨、夏風、よもすがら

ミヅハノメ

プロローグ 『鮮明な透明』


 うだるような人の喧騒から離れるように駆けていた。

 祭りの騒ぎが少し遠くに聞こえた。夏虫がリリリ、と鳴いていて、土塊つちくれを蹴る音が軽やかに響く。


『ひろくん、こっち! こっち、来て。足元気ぃつけてな』

『こっちのセリフや、危ないで! 速いわおまえ』


 あの子がオレの名前を呼ぶたび、自分がかのう弘人ひろとという名前で良かった、と思う。たぶんオレがどんな名前であってもそんな風に思うんだろうけど、あの子の口から出る自分の名前はハチミツみたいに甘かった。わたあめでできているような声なのだ。


 繋がれた手が自然と離れていってしまうのに怯え、揺れるあの子の髪を必死に追いかけた。まあるいビードロの髪飾りが夜灯りに反射してキラキラ光って、眩しいな、って思った。ゲームの隠し部屋に続く道を走っている気分だった。

 石の階段を降りていく。オレと彼女の下駄の音が高らかに反響する。

 からころ、からころ。


『ほら――あれ! あれ見て!』


 あの子が前の方を指さした。転ばないように足元ばっか見ていたオレは、その声でふっと顔をあげた。

 川沿いにあるゴツゴツしてたり滑らかだったりする岩の上に、百はくだらないローソクがたくさんあって、それがキラキラ夜の川に反射していた。水面に浮かぶ光と実際のローソクの光がゆらゆら揺れて、オレはポカンと口を開けていた。


 ――綺麗や、と感嘆の声が自然と出た。遠くでお囃子と尺八の音が鳴り響いている。

 今まで橋の上から見ていたが、川と同じ目線に立つとこうも違って見えるのかと思った。お月様が二つ、ローソクは百つ、星は億千。


『そやろ? 絶対綺麗やと思うとったん!』


 あの子が、透明な満面の笑みでオレを見た。

 オレはあの子の横顔をじっと見て、目の前の息も忘れるような光景に視線を戻して――もう一度、綺麗や、と言った。

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