エピローグ
前にも言ったかもしれないが、社会人をやっていて最も虚しい瞬間の一つは終電で帰宅することだ。
仕事にこだわりがあるわけでもなければ、思い入れがあるわけでもない。恨みつらみはいくらでもあるけどな。自分で選んだ仕事とはいえ、俺の仕事に対するモチベーションなんてそんなものだ。
だというのに、何が悲しくて終電まで働かなければいけないのか。
だが、それならだけまだマシだ。
なにせ、仕事は平日どころか休日まで奪ってくるのだから。
機器障害? 通信ができない? 今、さっきうちの会社に関係ない機械の不具合が原因って言いませんでした? うち関係あります? ──などと言えたら、どれだけ心が楽になることか。
実際は、うちは関係なくても平謝り。
ついでに休日も返上で、客先でサポート作業もセットだ。
だけど、俺にとってそれと同じくらい虚しいことがある。
それは、誰もいない家に帰ることだ。
女々しいと笑え。
だが、俺の正直な気持ちなのだから仕方ない。
結婚相手もいなければ、同居相手もおらず、付き合っているひともいない。
しかし、周囲は次々と結婚するどころか、子供が生まれている家庭だってある。高校の頃につくられた、形だけ参加しているグループラインにそんな報告が流れてくるたびに、どうしても自分の現実と比較してしまう。
だから、残業を少しだけしかしていない今日みたいな日だとしても、誰も待っていない家に帰るのは時々虚しくなって。
ただ、今日からはそれは違った。
「あっ、堀越さん! 彩ちゃーん、堀越さん帰ってきたよ!」
アパートの前。
俺がくたびれた顔で何とか辿り着くと、隣の部屋から出迎えてくれたのは愛莉だった。
もしかして、ずっとドアスコープから見張っていたのだろうか。
愛莉は玄関の扉を開いたまま、部屋の中へと呼びかける。
「彩ちゃん! 早くほらほら!」
「わかってるって、愛莉もそんなに急がなくてもいいでしょ」
そう言いながら、玄関の向こうから現れたのは水瀬だった。
いつもの白いTシャツに、淡いジーンズというシンプルな格好。
だが、いつもと違うのはエプロンをつけているということだ。
「……君、もっと早く帰るって言ってなかった? いつもこんな遅くまで働いてるの?」
「最近、障害が起きてその対応で残業は避けられなくて……というか、遅くまで働いてるうんぬんを、水瀬が言うか?」
「それもそうね。……じゃ、準備できてるから」
言って、水瀬が家の中に招き入れようとする。
同時に、ふわりと美味しそうなご飯の匂いが漂ってくる。その匂いで、ぐぅと空腹を思い出したかのように腹が情けなく鳴った。
しかし、俺を通さないとばかりにと立ちはだかったのは愛莉だった。
愛莉は水瀬の服の袖を引っ張って腰を下ろさせると、彼女の耳元でぽしょぽしょと小声で言う。
「ほら、彩ちゃん、あれやろうっ!」
「え……ほ、本当にするの? ほ、堀越くんびっくりするわよ」
「だから、いいの! ほら、やろう? 彩ちゃん約束したでしょ?」
「わ、わかったって」
水瀬と愛莉が腰を下ろしたまま、声量を抑えつつも作戦会議をする。
いったい何だろうか。
俺が眉をひそめていると、水瀬と愛莉は立ち上がってこちらを向いた。
水瀬はどこか恥ずかしそうに頬を赤くして。
愛莉は羞恥心のなんかないように元気いっぱいに。
「っ」
俺は彼女たちが何をしようとしているかは事前に知っているわけではない。
だけれど、二人の微笑ましさに、仕事で疲れ切っているにもかかわらず何故か柔らかい笑みが込み上げてきて。
雲ひとつない月夜のもと。
ボロアパートの、部屋から温かい色の家庭の明かりが溢れでる廊下の前で。
水瀬と愛莉は互いの顔を見合わせた後、声を揃えながら笑顔で言う。
「堀越さん!」「堀越くん」
「「せーのっ」」
「「────おかえり!」」
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これで第1部『「おかえり」がある生活』は完結となります。
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
次回作等の話は、あとがきとして近況ノートに書いておりますので、もしよろしければお立ち寄りください。
【第1部完結】高校時代に好きだった元同級生のS級クール美女が隣に引っ越してきた。義娘とともに。 篠宮夕 @ninomiya_asa
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