現代サラリーマンは週末だけ異世界に逃げて魂の洗濯をすることにした
天宮暁
現代サラリーマンは週末だけ異世界に逃げて魂の洗濯をすることにした
突然だが、人生の最大の敵はなんだろう?
俺は、「退屈」だと思う。
自分のときの就活はそれほど恵まれた時期ではなかったが、大学時代に簿記二級を取ってたおかげで中堅企業に就職できた。
時代を考えれば、普通に恵まれてるほうだと思う。
これで文句を言うのはおかしいと思うが、逆に言えば、文句を言う資格がないともいえる。
ずっと経理畑で同じ仕事の繰り返し、だとか。
独身で彼女がいまだにいない、だとか。
給料が全然上がらない、だとか。
同期の方が出世が早い、だとか。
何もかも政治が悪い、社会のせいだ、そう言えたらどれだけ楽か。
繰り返す日常に俺の感覚は摩耗を続け、最近はマンガを読んでもゲームをやっても映画を見ても感動がない。
ふーん、そう。よくできてるね。
その程度の雑な感想しか出てこない。
いつしか俺の身体は重くなり、会社に向かう足取りは日を追って遅くなっていく。
その日も、ホームの白線の前に並んで、自販機で買ったエナドリを、腰に手を当ててラッパ飲み。
その反り返った姿勢がよくなかったんだろう。
ドン! と横ざまに強い衝撃。
半回転しながら線路側に落ちていく途中で、衝突の反動でホームに転んだ小学生くらいの子どもが見えた。
その背後で母親が蒼白な顔になっている。
さらに視界が半回転すると、今度は俺の眼前に迫る急行電車のフロントパネル。
――思ったよりも苦しまずに死ねた、とだけ言っておこうか。
その後の展開は、ある意味で期待通りというか、常識はずれというか。
俺は宇宙のような何もない空間に浮いていて、目の前にはまるでこれからあなたを異世界転生させますよと言い出しそうな顔の神様がいた。
さすが神様だけあって、見たこともないほどの美女である。
「そこまでわかっているなら話は早いわ」
かなり露出の激しい――というより神がかり的な奇跡によって薄絹が大事なところを隠してるだけのグラマラスな女神様が、俺に向かって言ってくる。
俺はおもわず、
「マジで? こんなベタベタな異世界転生、今どきあるの?」
ついでに言えば、死ぬ前に誰かを助けたとか、そんな善行をしたわけでもない。
「それがね。向こうの世界で急に転生者の枠が空いちゃったとかで。あなたは基本的に善良な人みたいだし、ま、この人でいいかなって」
と、かなりいい加減なことを言い出す女神様。
「たしかに悪事を働いたことはないが、善人ってわけでもないと思うんだが」
会社の同僚が片付かない仕事に困ってても「お疲れさまー」と爽やかに言ってフェードアウトするくらいには悪人だ。
「あなたにはどこか遠くに行ってしまいたいなー、って気持ちがあったでしょ? 悪く言えば、今いるところから逃げ出してしまいたいっていう」
「…………否定はできないな」
だが、逃げたところでどうなるっていうんだ?
今の手堅い職を捨てて転職しても、今以上にいい給料がもらえる保証はない。
叶えたい夢でもあればよかったのかもしれないが、そんな実現性の低いものは小学校を卒業する前には捨てている。
「何か要望があれば可能な範囲で聞けるけど?」
「そうだな……」
俺は降って湧いた異世界転生について考える。
たいていの場合、いきなり持ち込まれた仕事に飛びつくのはよくない結果を招きがちだ。
「転生しないってのはダメなのか?」
「悪いけどそれは無理ね」
「別にチートで無双してハーレムを築きたいとかもないんだよなぁ」
無双気分を味わいたいならゲームでいいし、ハーレムプレイを楽しむのはエロゲーだけで十分だ。
現実でハーレムなんか持ってもとてもじゃないが身体が持たない。
複数の女性を平等に愛すなんていう離れ業ができるような性格もしてないし。
「今の快適な暮らしに文句があるわけじゃないんだ。ただつまらないだけで」
そのつまらないのが問題なのだが。
「じゃあ、こういうのはどうかしら? あなたはこれまで通り、平日は元の世界でサラリーマンをする。そして、金曜の夜に床につくと、土曜の朝には異世界で目覚めるの。もちろん、日曜の夜に異世界で寝れば、月曜の朝には元の世界に戻れるわ」
「俺は電車に轢かれて死んだんじゃなかったのか?」
「死んだわ。だから、それを死んでないことにするのなら、あまり強力なチートはあげられないわね。言葉が通じるようにすることと、異世界では病気にかからないようにするというくらいかしら?」
「それは助かるな」
そこでふと思い出す。
俺にぶつかった子どもとその母親のことだ。
俺がそのまま死んでしまったら、あの親子にとっては確実にトラウマだ。
週末だけ、という条件も悪くはない。
たとえば、異世界で官憲に誤認逮捕され、投獄されるような事態になっても、日曜の夜には脱出できる。
ダンジョン(なんてものがあるとして)の奥底からでもこの世界に戻れるだろう。
「異世界で目覚める場所は選べるのか?」
「そうねえ。どこでもとはいかないけれど、あなたの寝床として認識される場所なら大丈夫よ。自分で作った小屋のベッドでもいいし、宿屋のベッドでもいいし、なんならテントを張ってその中に寝袋を置けばそれでもいいわ」
「複数箇所のブクマも可能ってことか」
それなら、リスポーン場所を危険な相手に知られて「詰む」心配もないだろう。
「……わかった。そういう条件なら」
俺は女神の提案を受け入れることにした。
――かくして俺は、週末だけの約束で、現代日本から異世界に「逃げる」権利を得たのだった。
「ステータスオープン」
俺は脳内に与えられた知識に従い、テンプレ通りの言葉を発した。
Status―――――
レベル 1
HP 100%
MP 100%
STR 8
INT 12
DEX 9
属性値(なし)
【絶対免疫】【自動通訳】
――――――――――
「ほんとにチートはないんだな」
シンプルすぎるステータスに苦笑する。
ちなみに俺が現れた場所は、見晴らしのいい丘の上だ。
女神様からの転生依頼を受けた後、俺は一度元の世界に戻された。
元の世界では、ホームから落ちて電車に轢かれたはずの俺は、奇跡的に無傷だったことになっていた。
……あの状況で無傷で済むとかありえんだろ。
病院で精密検査を受けたあと、ひた謝りに謝る子どもの母親をなんとか宥めた。
会社に電話で事情を話すと、「で、電車に轢かれたんですか!?」と事務の女の子に驚かれ、女性上司からは「無傷とは言え何かがあっては私が管理責任を問われるので、今日は家に帰って休んでください」と、率直にも程があるお言葉を頂戴した。
キャリアアップに邁進する上司のことを尊重はしているが、「お大事に」くらいは言ってほしいもんだよな。
ちょうど事故の日が金曜だったので、異世界行きの最初の睡眠はその日の夜になるはずだった。
実際に寝付く段になってみると、すべては夢だったのではないかとも思えてくる。
電車に轢かれた衝撃で夢でも見てたんじゃないか、とな。
だが、いつも通りパジャマに着替えてベッドに横たわると、睡魔はあっというまにやってきた。
で、気づいたら異世界の丘の上にいたというわけだ――
パジャマ姿でな。
「着替える必要があるなら言ってくれよ!?」
と思ったが、言われなくても当然か。
まさか素っ裸で転生させるわけでもあるまいし。
だが本当の問題はパジャマではなく足だろう。
当たり前だが、寝る時に靴なんて履いてない。
寝つきにくくなるから、俺は靴下も履かない主義だ。
裸足が当然のジャングル奥地の種族ならともかく、現代日本人が裸足で外なんて歩いたら、十分もしないうちに怪我だらけになるだろう。
破傷風には――ならないのか。
【絶対免疫】のおかげで病気はしないで済むらしいからな。
丘の上からは、段々と下っていく先に街が見える。
「冒険者の集まる中規模の地方都市って感じだな」
地球と違い景観を守る条例などないはずだが、明るい煉瓦葺きの屋根がきれいな街だ。
そこで丘の上を振り返ってみると、俺の後ろに小さな小屋があった。
おそらくは旅人が休むためのものだろう。
その小屋に入ってみる。
「これは……」
テーブルの上に、革製のブーツ、簡素な服、剣帯、ショルダーバッグ、鞘付きの短剣、小銭の入った革袋が置かれていた。
そのすぐそばには羽衣のような透明な紙があり、そこには
『こんなものしかあげられなくて悪いけど、自由に使って頂戴 イスフィリア』
と流麗な筆記体で書かれていた。
文字は見たことのないものだが、雰囲気だけはアルファベットに似てる。
この文字が読めるのは【自動通訳】のおかげだろう。
「助かる、神様」
俺がつぶやくと、透明な紙は風に紛れるようにして見えなくなった。
丘から見えた街は、ラグナというらしい。
門衛の兵士が俺から通行税を取る時にご丁寧にも領収書をくれたからな。
ファンタジー感あふれる街を堪能してから、俺は「冒険者ギルド」の中に入る。
「おお、まんまだな」
受付嬢のいるカウンター、壁に張り出された依頼、付属の酒場。
異世界ファンタジーで見たまんまの光景だ。
なら、俺の対応もテンプレ通りでいいだろう。
「あの、冒険者になることはできますか?」
空いている受付嬢に話しかける俺。
亜麻色の髪のかわいらしい女性だ。
「はい。どなたでも冒険者になることはできます。ご希望ですか?」
「ええ。ただ、このあたりの事情に詳しくなく、恐縮ですが一通りの説明をお願いできませんか?」
「もちろんです。ふふっ、ずいぶん腰の低い方ですね」
ちょっとビジネスライクすぎたのか、受付嬢に笑われてしまう。
とはいえ、悪い感触ではなさそうだ。
「では、説明いたしますね――」
受付嬢はとても丁寧に説明してくれたが、正直言って予想を外れる要素はほとんどなかった。
ただ一点だけ予想と違ったのは、
「依頼の達成で能力値にボーナスがもらえるんですか」
「ええ。依頼ごとに、STR、INT、DEXのいずれかにポイントがもらえます。能力値はレベルアップでも増えますが、低レベルのうちは依頼のポイントが特に重要かと」
「へえ……ギルドには冒険者の能力値を上げる方法があるんですか?」
「いえ、まさか。依頼書の原案を神殿に送ると、イスフィリア様のご託宣が降り、依頼達成時の能力値ボーナスが判明するんです。判明するというより、イスフィリア様がおまけをつけてくださるという感じですね」
ああ見えて、あの女神様はそんなマメな仕事をしてるらしい。
この世界全体で見たら相当な件数になると思うけどな。
「能力値ボーナス以外の報酬はどうなんです?」
「もちろん、ギルドからも規定の報酬が支払われます。依頼者がギルド以外である場合には、依頼者が多めの報酬を用意してくださることもありますね。反面、ギルド以外から仕事を受けた場合には、冒険者ご本人に依頼者とのやりとりをしていただくことになります。その際に発生したトラブルに関しましてはギルドでは責任を負いかねますのでご注意を」
「なるほど。依頼料は高くなるけど依頼者とのやりとりの手間が増えるというわけですね」
「たしかにそうですが、そこまで心配することはないと思います。ギルドとしても、問題のある依頼者に関してはブラックリストを作っておりますので。あなたのように人当たりのよい方なら問題ないと思います」
「人当たり、ねえ」
現代日本では人当たりのよさなんて褒められたことがないんだが。
どちらかというと、「いつまでも他人行儀」「何を考えてるかわからない」などと言われることが多かった。
そんな俺が世渡りをしていくために身に着けたのがビジネスマナーという名の仮面である。
「質問がなければ手続きに入りたいと思いますが、お名前をうかがっても?」
「――ああ、はい。
最初は薬草採取の依頼を受けることにした。
最初に出た丘のまわりを探し回って目当ての薬草を見つけ、ギルドへと持ち帰る。
「初依頼の達成、おめでとうございます」
登録の時と同じ受付嬢にそう褒められ、さらには報酬の銅貨10枚とINT+1を手に入れた。
銅貨10枚は安宿に泊まって一食か二食、食えるかどうかという金額らしい。
「そういえば、魔法ってどうやって覚えるんです?」
「魔法はレベルアップ時に覚えます。何を覚えるかは人によってそれぞれですね。魔法以外にもスキルを覚えることもあります。どちらかといえばそちらのほうが多いですね」
「レベルアップにはやっぱりモンスターを倒すんですか? 今の俺で倒せそうなモンスターっています?」
「うーん……ちょっと厳しいですね。しばらくは戦闘は避けたほうがよろしいかと」
俺は受付嬢のアドバイス通り、戦闘のない依頼をいくつか受ける。
鉱石採取の依頼でDEXが上がり、薬草採取でINTが上がる。
ただ、STRが上がるのは戦闘を伴う依頼ばかりなので、今の状態では受けられない。
「地道にDEXを上げるのがいいと思います。お金も全部は使わず貯金して、弓と矢を買うのがおすすめです」
受付嬢の有り難いアドバイスに従い、俺はDEXの上がる依頼を中心に受注、その日のうちに片付ける。
「……ヒラクさんは依頼の達成が早いですね」
「今日できることは今日するようにしてるだけです」
と答えたが、ほんとのところはそうじゃない。
俺は土日のみのパートタイム冒険者なのだ。
土日のうちに片付かない仕事を受けるわけにはいかないのだ。
――結局、異世界で過ごす最初の土日は、ヤマもなければオチもない、ただDEXを上げるだけの作業に潰えたのだった。
「朽木さん、なんか楽しそうにしてません?」
月曜の職場で、書類を持って俺に近づいてきた事務の子が訊いてきた。
「……そうですか?」
事務の若い女の子にタメ口を聞く社員は多いが、俺は基本丁寧語で接してる。
「ですです。あー、もしかして……彼女でもできました?」
「残念ながらそういうことはないですね」
俺に彼女ができるなんて本気で思ってないだろうに。
しかし、俺は彼女から見てもわかるほどに「楽しそう」にしてるのだろうか?
たしかに、週末だけの異世界転生というおもしろい事態にはなってるが、異世界に行ってやってることは、金槌で鉱床を叩いて鉱石をギルドに納めるだけだ。
さいわいなことに、平日の疲れは金曜夜の睡眠で、土日の疲れは日曜夜の睡眠ですっきり取れる。
何か神様的な作用が働いてるのだろうが、詳細まではわからない。
そのおかげでブルーマンデーに土日の疲れを持ち越すことはないのだが、それだけで「楽しそう」には見えないだろう。
ギルドの受付嬢に依頼達成のたびに「お疲れ様です!」と明るい声で言ってもらえるのが嬉しいのか?
それとも、単調な仕事ながら、こなすことで毎回DEXが+1されるのが楽しいのか?
きっと業務上のものに過ぎない前者より、後者のほうがありそうだな。
そこで、いきなり別の声が降ってくる。
「――ありえない話をしてないで、頼んだ仕事を早く片付けてください」
と、いきなり冷水を浴びせてきたのは俺の上司だ。
今日はいやにカリカリしてるな。
「あ、それなら今終わったところです」
「……え、もうですか?」
「単純な入力作業ですからね」
でも、言われてみれば、いつもより時間はかかってない。
といっても倍早いとかいうことはなく、一割、二割早いかなといった程度の差だ。
「今日の朽木さんはテンキーの入力が早くないですか?」
と事務の子。
「そうでしたか?」
「ですですー。ズガガガガって感じでしたよ」
「……キーの音がうるさくならないように気をつけますね」
ドヤ顔でッターン!なんて仕事のしかたはしたくない。
職場では基本、目立ちたくない主義なのだ。
「いえ、そういう話じゃなくてですね……」
「できたのなら回してください。確認しますので」
「了解しました」
空気を読まず必要なことのみ言ってくれる上司に救われながら、俺は仕事に戻るのだった。
「よし、寝る準備はできたぞ」
ベッドからは掛け布団をどけ、神様にもらった冒険者装備一式に着替え、腕には通販で手に入れたアーチェリーの弓と矢、スタンガンを抱えて横たわる。
もちろん、靴を履くのも忘れずに。
眠りを挟んで目覚めると、すっきり爽快。
冒険者の街ラグナの安宿のベッドの上にいた。
ちょっと面倒だったのが、この安宿のベッドの確保だな。
俺は土日しかこの世界にいないから、平日まで宿を確保するのはお金の無駄だ。
だが、一週間後を指定して宿の予約を取る冒険者はいないらしく、宿のお姉さんに話が通じるまでに時間がかかった。
受付嬢のアドバイスでは貯金して弓と矢を買うといいということだった。
でも、戦闘を伴わない初歩的な依頼の報酬では、いつになったら買えることか。
しかし何も、弓と矢をこの世界で調達しなければならないわけじゃない。
元の世界で調べてみると、思ったよりもアーチェリーの弓は安かった。
貯金の増えがちな独身貴族の俺には負担にならない金額だ。
「まあ、あっちの世界の弓がこっちでも通じる保証はないけどな」
こっちの世界の装備品には何かマジカルな力が働いてるという可能性もある。
でも、ダメで元々だ。
依頼として受けると受付嬢に心配されそうなので、俺は依頼は受けずに、ラグナ周辺で最弱と目されるモンスターに挑むことにした。
ラグナ周辺で最弱のモンスターは、丘のふもとで見かけるホーンラビット。
名前の通り、角が生えただけのウサギである。
強力な脚力で繰り出される鋭利な角は危険だが、言ってしまえばそれだけだ。
ただ、地球のウサギ同様繁殖力がすさまじいらしく、定期的に数を減らさないと街道の往来に支障が出たりもするらしい。
「さあ……どうだ」
依頼をこなしたことでDEXは15まで上がってる。
弓の使い方は動画で見て練習もしてきた。
俺の放った矢が、ホーンラビットの胴体に命中する。
かなり深く刺さったみたいだ。
だが、さすがにそれだけでは死なず、怒りに目を赤く光らせ、ホーンラビットが駆け寄ってくる。
ホーンラビットはまっすぐ向かってくるだけだし、距離も十分取ってある。
俺は第二の矢を放ち――ヒット。
片目を貫かれたホーンラビットが動かなくなる。
「やった……のか?」
念のため矢をもう一射。
ずぶりと刺さるも、動きはない。
残された方の目も赤い光を失ってる。
「ホーンラビットの討伐証明部位は角だったな」
俺は最初に神様からもらった短剣の柄で、ホーンラビットの角を根本で折る。
生きているあいだは決して折れないらしいが、死ぬとこのくらいの衝撃でも簡単に折れる。
受付嬢からそれとなく聞き出しておいてよかったな。
「よし、やれるな」
土曜日の夕方近くまで、俺はホーンラビットを弓で狩り続ける。
十体目のホーンラビットを倒した時に、脳内でファンファーレが鳴った。
「ひょっとして……ステータスオープン」
Status―――――
朽木啓
レベル 2
HP 100%
MP 100%
STR 10(+2)
INT 17(+3)
DEX 18(+3)
属性値(なし)
【絶対免疫】【自動通訳】
――――――――――
「お、レベルが上がったな。……でも、魔法やスキルはなしか」
まあ、ネット小説みたいにぽんぽんスキルが手に入ったりはしないわな。
そんな簡単にスキルが手に入るならこの世界の冒険者はインフレし放題になってしまう。
――だが、思った以上に嬉しかった。
こみ上げてくるものがあった。
俺は強くなったのだと。
努力が実を結んで強さになったのだと。
ちょっと調子に乗ってホーンラビット狩りに勤しんでしまい、ギルドに入った時には日が暮れかかっていた。
もう終業してるかとも思ったのだが、
「――ヒラクさん! ご無事だったんですね!」
薄暗いランプのカウンターに、いつもの受付嬢だけが残っていた。
受付嬢はなぜか涙を浮かべてる。
「ど、どうしたんです?」
「どうしたもこうしたもないです! 五日間も顔を出さないから、まさかのことがあったんじゃないかと心配で……」
「…………ああ、そうでした」
俺は申し訳無さでいっぱいになった。
一週間後の宿の予約はちゃんとしたのに、受付嬢に平日(現代日本の)はいないということを説明してなかったのだ。
しかし、「土日だけこの世界に逃げて来てます」なんて説明ができるわけもない。
「ええと……知り合いが弓を譲ってくれるということで、受け取りに行ってたんです」
「というと、メスメルの街まで……?」
メスメルなんて街は知らないが、往復五日間で行ける範囲の街なんだろう。
「ええ。いい弓をもらうことができて、今日はホーンラビットを狩りました」
俺は討伐証明部位の角を見せる。
依頼を受けてない以上、討伐証明部位を持ってきても依頼達成にはならないだろうが、うまくやれてることを証明したくなったのだ。
「わっ、一日でこんなに? ひょっとしてレベルも上がったんじゃないですか?」
「ああ、お陰様でレベル2になったよ」
まさか、ドヤ顔で胸を張り、「レベル2になったよ」などと言う日が来るとはな。
でも、全然悪い気分じゃない。
「初レベルアップ、おめでとうございます! もう、ちゃんと依頼を受けてくれてれば報酬をお渡しできたのに……」
と言いつつも、角の買い取りだけはしてくれた。
根本からぽっきり折るのは簡単な角だが、それ以外はわりと丈夫で、削って矢じりや槍の穂先にしたりもするらしい。
「よろしければ、ご飯を食べに行きませんか? お祝いってことで」
と受付嬢。
はにかむような笑顔で言われ、俺は硬直してしまう。
「だ、ダメ、ですかね?」
「い、いえ。全然問題ないです。まったくもって問題ないです」
「じゃあ、おすすめのお店を紹介しますね! あ、ちょっと待ってください。今閉めちゃいますんで」
その夜は、べつに特別なことがあったわけじゃない。
ギルドの職員として最初のレベルアップをお祝いしてくれただけだ。
最初のレベルアップは冒険者にとって大事な記念日なんだとか。
え? 彼女といい関係になれそうかって?
俺がレベル2のうちは無理だろ、常識で考えて。
そして――一ヶ月後。
平日の職場である。
職場に向かうのが憂鬱じゃないやつのほうが少ないと思うが、以前に比べれば足に力が入るようになった。
前向きな気力も湧いてくる。
やってる仕事はいつもと同じだが、自分でも覇気のようなものを感じるな。
この一ヶ月の間に、一度上司ともめたことがあった。
上司が仕事上の理由から土曜日に俺に電話をかけ――俺は出なかった。
出なかったというか、出られなかったというのが正確だな。
なにせ、土日は俺はあっちにいる。
スマホはこっちに置きっぱなしだし、もし持ってったところで電波が届くはずもない。
ガラスの天井をなくすという上層部の意向と本人の上昇志向によって、俺の上司はかなり熱心に仕事に打ち込んでる。
それは結構なことだが、部下である俺にも結構な量の仕事を振ろうとするのはやめてほしい。
「休日とはいえ電話にくらい出なさい! 仕事に対する責任というものがあるでしょう!」
月曜、出社するなり上司に面罵された俺だったが、その程度でひるむようなSTRはしていない。
……いや、まあ、まだ20を超えたばかりなんだけどな。
しかし、どう答えよう?
電話でほんの数分確認すれば済むだけのことを、休日だからといって頑として拒むのは難しい――
これまではそう思って、渋々ながら電話くらいには出てたのだ。
何か上司が納得できるような言い訳はないか?
一ヶ月前ならとっさにそう考えていただろう。
だが、
「――申し訳ありません。土日は100%自分のために使うと決めましたので」
俺の口から出たのは正反対の言葉だった。
「なっ……」
上司が金魚のように口をぱくつかせる。
悪いな、と思いつつも、こうとでも言い張るしかないのも事実なんだよな。
でも、今口からついて出たのは本音でもある。
一ヶ月経ってもレベルは5。
まだ魔法も覚えてない。
最初に受注してた簡単な依頼はレベルが上がるとボーナスがもらえなくなるので、最近は能力値の伸びも停滞気味だ。
――それでも、前に進んでる。
この世界で伝票をいくら処理しても、数値ではっきりと能力が上がるわけじゃない。
あの女神様の管理する世界はレベルデザインが行き届いていて、俺だけチートでレベルアップ――なんてことはできない仕様になっている。
だが、それでも、努力が報われる世界だ。
たしかに現代日本ほど快適で文明の発達した世界ではないかもしれないが、生きているという確かな手応えが得られるのはあっちのほうだ。
引く様子のない俺を見て、上司はもごもごと何かをつぶやきながら去っていく。
「うひゃあ、すごいもの見ちゃいました!」
いつのまにか寄ってきた事務の子が囃し立てる。
「やっぱり、彼女ができたんじゃないですかー?」
「そういうのじゃないですよ」
苦笑とともに俺は席に着き、今日の仕事の準備に取り掛かる。
「こっち」の退屈さは相変わらずだが、それでも今の俺には「逃げる」先があるからな。
―――――
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現代サラリーマンは週末だけ異世界に逃げて魂の洗濯をすることにした 天宮暁 @akira_amamiya
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