午前10時25分
なぜ酔っぱらいは等しくこの失敗を繰り返すのか。
ここに来るまでに覚えの無い痣を2つも見つけてしまった。
「あらー!よぉ来たねぇ、えらかったやろう。遠くまでなぁ。」
でかい庭におばさんの声が響いた。相変わらず溌剌とよく通る。今朝一番のわたしには過ぎた刺激だったかもしれないが、幸い頭痛は治まっている。
ほら上がって上がって、と全開の笑顔で促してくれる。まだ残る、記憶のモヤモヤを吹き飛ばす勢い。つられて頬が緩んだ。あたたかい家だ。
「昨日、お墓参りありがとうね。大丈夫やった?雨も降ったから心配してたんよ。」
いや、それがですね。
聞いていただきたいのは山々なのだが、どこから話せば良いものか、そしてどこまで話しても良いものか。言葉が詰まる。
そもそも記憶が曖昧なこと自体伝えることが憚られるな。親にバレたらどうなるか、想像に難くない。
誰とも分からない人と酒を酌み交わした挙げ句に記憶をすっ飛ばす。冷静に考えると、よろしくないな。
「雨はね、降られました。うん。雨宿りしたよ、お花屋さんのとこで。」
しどろもどろ。
そんなに飲んでなかったはずなんです。という無意味な言い訳と違和感が再びモヤっと脳内に着地する。
しかしここまでの道中、わたしは一つの可能性に行き当たった。昨日の「誰か」の声には聞き覚えがある。気がする。
「電車まで時間あるんやろう。昼飯、やまと屋でええか。」
あ、やっぱりこの人だわ。
姿が見えるより先に少ししゃがれた声が聞こえた。下から覗くと、二階からおじさんがのしのしと降りてくる。
「おはようございまーす。おじさん昨日はありがとう。」
「あん?」
この返事は喧嘩腰ではない。今は慣れているが、幼い頃は不機嫌なのかと怖がっていた。ややぶっきらぼう、やや仏頂面なのが一家相伝らしい。
「雨、心配してくれたんでしょ。」
「あぁ、降ったらしいなそういえば。」
「『らしい』?」
「この人ねぇ、昨日は町内会の人と朝から飲んじゃってたんよ。」
「祭りの打ち合わせや。」
おじさんの仏頂の度合いが濃くなるのにも構わずいられるおばさんも強いよな。
「夕方に帰ったかと思ったら、それからもうぐっっすり。若くないんだからやめなさいって。」
今、なんつった。
「え、おじさん寝とったの?」
「…そうや。」
バツが悪そうにこちらを見る。
「夜まで?」
「朝まで!」
すこぶる明るい調子のおばさんに止めを刺された。
「じゃあ、お墓には、来てらっしゃらない、と…」
終わった。
もし予想通り昨日の声がおじさんなら、怒られずに済むかもとか思ったが逃げ道を断たれてしまった。
みるみる光を失うわたしの目をおばさんが覗き込む。
「どうしたん?」
「昨日…お墓で誰かと話したみたいなんだけど、その、あんまり覚えてなくて。
おじさんの声だったかなと思ったから。」
こんなことを言っても戸惑わせるだけだろう。この上さらに変な心配をさせるのも申し訳ない。
切腹覚悟、正直に言うか。
「いやお恥ずかしい話、実は…
って、どしたの二人とも。」
見開いた目も口も向き合わせて二人は固まっている。こわいほどのうろたえっぷりだ。まだ飲み過ぎだったとは言ってないのに。
口元にやっていた手を下ろして、おばさんが呟いた。
「うちの人に、声似てたん?」
え?
「え?うん、そうだった気がするんだけど…違うんでしょ?」
「何、話した?」
「た、ぶん手土産のこととか、大したことは何も、」
はたと、昨日の光景が視界を遮った。
バッグからあれもこれもと買ったものを取り出しながら、わたしは目の前のお墓にそれはまぁ饒舌に話しかけていた。犬に吠えられながら。
目の前の、お墓に、声をかけ続けていた。
『お前、よぉ喋るな。』
『そうやね。』
わたしもそう思うわ、と鼻をすすった。
「よく喋るな、って、確かにすごい、ほとんど一方通行で話してて、で、」
わたしの狼狽っぷりを見たおばさんは、なだめるように肩に手をおいた。
「あのな、父ちゃんから聞いてない?まぁ言わんか…
あんたの父ちゃんもね、ずいぶん前に同じようなこと言っとったの。
こっちのお友達のお祝いの席の帰りにお墓寄って、話したって。」
「…なにを?」
誰と、とはもう聞ける気がしない。
「覚えとらん、て。ちょっと妙なほど覚えとらんかったみたい。あんたの話とか、したらしいんやけどね。」
やめろ酔っぱらい。親子そろってなにをしてるんだ。
おじさんは言葉を探しているようで、「俺の声はよく親父と間違えられたから。」とかフォローになってないフォローを入れてくれた。
「信じられない…」
ぽつりと思わず出てしまった声が震えている。
「心配やったんやないかな、あんた一人だった訳やし、それに、」
「わたしほんっっとに大したこと話してないんだけど!?」
「は?」
おばさんがちゃんとフォローらしいことを言ってくれていた気がするけど、遮ってしまった。いやでも、これは。
「昔の会話した思い出とかほとんど憶えてないのに、久しぶりに話せたとして、それがあれ!?もっとなんかあるでしょ、なんでちゃんと言ってくんないの、『今いるよ』とかさ!」
動揺がわたしの斜め上を越していっていることは分かっている。分かっているが何が起きているのか整理がつかない。
こういう時はあれだ。
「と、」
とりあえず。
「お腹空いた。やまと屋さん、行く。」
「あん?あぁ、分かった。」
切羽詰まった勢いのままにおじさんに詰め寄ってしまった。でもこういうときは、ひとまず食べて満たされないと落ち着けない。
目の前に運ばれてきたしょうが焼きの匂いにつられて、お腹が盛大に鳴った。無心で口に運ぶしばしの間、おじさんもおばさんも心配そうにこちらを見ている。
半分くらい食べたところでやっと少し落ち着いた。落ち着いたら、混ざりあっていた様々な感情が順番にやってきた。
おじさんのコップが空なのに気づいてビールを注ぐ。おじさんもこちらに瓶を差し向けてきた。静かなやりとりの中で呟く。
「じいちゃん、うるさかっただろうな。」
「元気な姿見せられて、良かったねぇ。」
「そうかな。」
ビールに冷やされたコップをぎゅっと握る。
「そうやよ。」
おばちゃんは、安心感で構成された笑顔で言ってくれた。もう、そういうことにしておこうという気になる。今回は。
「次は事前に言ってほしいわ。」
「そうやねぇ。」
「じゃないと、普通に怖い。」
じいちゃんには悪いけど、このちょっとの恐怖感は拭えない。おじさんがまたビールを差し向けてくれる。どれだけ飲んでも忘れられそうにないけど。
話したいことはたくさんある。
あのお酒のおつまみはしっかり卵焼きがいいか半熟がいいか聞いてないし。
急に出てこられても困る。
でもな、幼い日の散歩事件という前科もある。
たぶんそう都合よくはいかないだろう。
墓参れ 夏生 夕 @KNA
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます