ビーストガード ~厭獣禁猟区の管理人~

深山都

第1話 管理人と魔弾の射手

 定時巡回の時間になった。


 私は扉を開けて、森の中に一歩踏み出した。黄金色の夕陽に目を焼かれぬよう、右手で目の上にひさしを作る。


「お嬢、今日もお勤めご苦労様」


 いつの間に現れたのか、扉の影になるところに、黒くて長い男が立っていた。背中にライフルを背負い、ボロボロの外套を着こんで、顔の下半分から首までを厚布が覆っている。


 どこぞの不審者と見まがう怪しい風体だが、これでも彼は私の相棒。つまりは厭獣えんじゅう禁猟区の管理補佐である。

 彼がにやにやしているので、私は早々にうんざりした気持ちになる。……今日もパトロール中は、こいつのおしゃべりが止まらないかもしれない。


「トイフェル……お願いだから、巡回中は精神感応テレパシーで話してね」


「あれっ、いつもだったら『そのヤクザみたいな挨拶をやめろ』って言うのに。ご機嫌斜めかあ、お嬢?」


 トイフェルは赤い目を三日月形にまげて、ニンマリ笑った。


 最初から構いすぎると、調子に乗ってどんどん口数が増える。私はトイフェルの軽口を無視して、今日の予定を告げた。


「今日見回る居住区は、『泥の徘徊』と『天使の肉』のところね。『泥の徘徊』はあんたが近づかなきゃ大丈夫だけど、『天使の肉』の居住区に近づいたら私は耳栓しなきゃいけないから。警戒は任せたよ」


「はいよー」


 舗装され、有刺鉄線に囲われた道を、私を先頭にして二人で歩いていく。あたりは不気味なほど静かだ。


「お嬢、そういや聞いたか? 隣の禁猟区の管理人が替わったらしいぜ。こっちにも余った食糧がいくらか流れてきてるってよ」


 トイフェルはテレパシーではなく、しっかり肉声で話しかけてきた。


 注意しようと思ったけど、どうせ無駄だからもういい。本当に声を出してはいけない時じゃないっていうのもわかりやすいし。


「また? 今度は回覧板を早めに回してくれる人だといいんだけど」


 私はわざと平静を装って言う。


 管理人が替わるということ、すなわち、前の管理人は死んだということだ。死因は大抵の場合、二つに分かれる。一つはもちろん、厭獣の対処を間違えたこと。


「それがさあ、ちょうど肉食の厭獣の禁猟区が固まってるところで死んだらしくて、監査が見つけた時には……」


「管理補佐は何をしていたの?」


 悪趣味な話を聞く趣味はない。とげとげしい声で遮ると、トイフェルは楽しそうに、


「そりゃあ近くで笑って見てたに決まってるだろ! 腸をコートがわりにして、頭でバレーやったらしいぜ。俺も見たかったなあ、なあお嬢?」


「……」


 嫌味のつもりなんだろうか。


 三叉路の真ん中に看板が立っていて、私には読めない文字で何か書いてある。ここには厭獣たちの本当の名前が書いてあるんだけど、それを聞いても


 そして、


 地図は頭に入っているので、『泥の徘徊』の居住区がある方角へ曲がった。


 自然と、顔をしかめてしまう。ひどい悪臭だ。何度嗅いでも慣れない。


「相変わらずのナイスフレーバーだねえ」


 こいつ《トイフェル》は真面目に言ってるのか、それとも皮肉なのか。


 居住区の入口まで来ると、私はトイフェルを振り向いた。


「あんたが来れるのはここまでよ。そこで待ってて」


「あいよ。気ぃつけてな、お嬢」


 ポケットから鍵を出し、居住区に入る。


 一歩入ったとたん、ぬるりとした感触の何かを踏んだ。


 気にしてはいられない。ここはどうせ一面、『それ』だらけだから。


 滑らないように、ゆっくりと中を歩いていく。この居住区には草も木も生えないから、転んだときにすがるものがなくて、すぐには立ち上がれない。


 立ち上がれずにもがいていると、『泥の徘徊』は私をとして認識してしまう。自分より背の高い者には萎縮し、自分より背の低い者は全て喰らう……そういう生態だ。


 私が居住区に入ってきたことで、『泥の徘徊』は巣穴に閉じこもっていた。巣穴といっても、自分のお気に入りの、熊の死体のナカである。犬のように腹ばいになってうずくまり、私に顔を向けている。


じゃなければ可愛いかもしれないんだけどな……大人しいし)


 そんなことを思う私は、もうとっくに終わってるんだと思う。


 ずちゅ、じゅるり。ずちゅ、じゅるり……。


 歩くたびに、『泥の徘徊』の体液が足に吸い付く。私は入口からまっすぐ歩いて、居住区の中心まで来ると、怪しいものがないか確認した。


 いやまあ……怪しいものしかないんだけど。そうじゃなくて、変わったもの。正確に言うと、『泥の徘徊』の餌になる、生き物の部品以外のもの。


 定期的に投げ入れられる獣肉以外のものがあれば、回収しなければならない。それがいつどんな遠隔魔術の媒介になるか、わからないから。


 『泥の徘徊』をナニに使うのか、私には想像もつかないんだけど、世界ってのは広いもので、一部の界隈で『泥の徘徊』の体液は高額で取引されている。つまり本体も希少なわけで、密猟が絶えない。


 『泥の徘徊』の体液は、食べたものによって性質が変わるらしい。今は動物ばかり食べさせているから、人間にとって有害な効果はないけれど、人間を食べると……まあ、いい結果にはならない。


 うん、よし。この間巡回した時と変わりはない。若干片付きすぎているくらいだ。


 私はくるりと回れ右をして、居住区から出ようと歩き出した。


 その時、


 …………くちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃ…………。


 うずくまる『泥の徘徊』の口元から、湿った音がした。


 何が起こってるかは見なくてもわかるから、わざわざ見ない。気分が悪くなるだけだ。


 最初に『泥の徘徊』の居住区を見た時、私は嘔吐することしかできなかった。そのあまりの醜悪さ、そしておぞましい生態に。


 慣れてしまえば、基本的に無害で、大人しく、対処法のわかりやすい厭獣だ。


 ふしゅるるるるるる…………。


 血なまぐさい息が吐き出され、一層濃い臭いが充満する。一刻も早く立ち去りたいけれど、焦って転んだら意味がない。ゆっくりと、歩みを進める。


 『泥の徘徊』の本体は、子供くらいの大きさの「なにか」だ。何なのかは誰もわからない。


 なぜなら、体中の穴という穴から、常に赤黒い、べとべとにねばついた液体が垂れ落ち続けて、『泥の徘徊』の輪郭を隠してしまっているから。立ち上がると、地面から盛り上がったチョコレートフォンデュのような様相になる。


 『泥の徘徊』は常に飢えていて、一部を除き、自分より背の低い生き物は何でも食べてしまう。しかし、食べた先から外に垂れ落ちてしまうから、永遠に飢えが満たされることはない。食べるほど大きくなり、内部から体液が流れ出るほど小さくなっていく。だから、自分が全て流れ落ちてしまう前に、落ちた体液をすすって、流れ落ち、またそれをすすって……という工程を繰り返して延命する。


 そう、まるで地獄に落とされ、責め苦を負わされているような生態……。


 厭獣――それは、神に厭われた獣たちのことを指す。特殊な生態と希少性を持ち、外に放たれれば被害の予想される生き物たち。多くの場合は不条理な性質を背負い、創造主なる者がいたとすれば「なぜかの生き物をこのように設計したのか?」と言わざるを得ないような。


 ずるずるずる…………。


 熊の死体の口から、液状の塊が少しずつはい出てきた。『泥の徘徊』本体だ。


 私はまだ居住区の内部にいるのに、どうして出てきたんだろう。いつもなら、私が外に出ても、なかなか巣穴から出てこないくらいなのに。


[そういやお嬢]


 こういう時に限って、トイフェルが話しかけてくる。


 『泥の徘徊』に存在を気取られるわけにはいかないので、きちんとテレパシーを使っている。


[ここに来る前に、給餌の設定を変えてきたか?]


[……どういうこと?]


 今更そんなこと言わないでほしい。


[いつもは全体の餌の一割をこいつに与えてるよな。でも、しばらくその半分にしといたほうがいいぜ]


 嫌な予感がする。トイフェルも、なんだか嬉しそうだし。


 こいつが楽しそうな時は、ろくなことがない。


[隣の禁猟区が一時閉鎖になって、食料がこっちに流れてきてるから、全体数が増えてるぜ。つまり、どういうことかわかるよな?]


 『泥の徘徊』に与えられている食料が増えているっていうことだ。


 熊の死体から出てきた塊を、私は凝視した。


 液体を垂れ流す塊は、むくりと起き上がる。食べれば食べるほど大きくなる、その全長は……。


 いや、考える意味もない。


 


 『泥の徘徊』は勢いよく倒れ込み、渓流を流れる魚のように、一面自分の体液にまみれた地面を、滑るようにこちらに向かってきた!


 私は銃を取り出し、『泥の徘徊』に向けて発砲した。


 銃声。


 すぐに走り出す。


 びちゃびちゃびちゃっ! と液体の飛び散る音が後ろで聞こえる。


 振り向いてみると、『泥の徘徊』はまだこちらに向かってきていた。


「うわっ!」


 もう一発撃とうとしたところで、足が液体にとられて、私は転びかける。


 しかも、そんな中でも撃った一発を、『泥の徘徊』は……


 な、なにを華麗に避けてくれちゃってんの!?


 私の射撃の腕をあざ笑ってでもいるんだろうか。


 私は攻撃を諦めて、また走り出した。有刺鉄線の向こう側に出てしまえば、厭獣は追ってこられない。


 あと十メートル。


「うわっ!」


 足を掴まれて、両手と膝を地面につく。うわあ、全身に体液が……。


[トイフェルっ!]


 私はテレパシーで呼びかけた。


[なーに? 囮にでもなろうか?]


 ムカつくくらい余裕な声に、命令を叩きつける。


[来なくていい! いいから私を掴んでる厭獣の腕を一発撃って!]


 言うが早いか、大きな銃声。


 私の脚が反動で弾き飛ばされ、『泥の徘徊』の壊れた腕がびちゃちゃちゃっ! と私に降りかかった。


 咳き込みながら、私は居住区の出口に飛びつく。


 ……手がぬるついてなかなか扉が開かない!!


 待って、魔弾まだんのもう一発をこんなところで使いたくない!


「くそ、この、ぽんこつ……ッ!」


 そう言いながら扉をガチャガチャやっていると、そういえば『泥の徘徊』が全然近づいてこないのに気が付いた。


 恐る恐る振り向く。『泥の徘徊』は、慌てた様子で地面に這いつくばり、飛び散った液体をじゅるじゅるとすすっていた。


 そうか。さっき当たった銃撃で、身体の一部が吹き飛んで、一回り身体が小さくなったんだ。


 でも、うかうかしてはいられない。『泥の徘徊』の身体は、むくむくと大きくなり続けている。


 落ち着け。落ち着け……!


 私はやっとのことで扉を開けると、外にまろび出た。


 居住区の入り口では、トイフェルが銃を肩に引っさげて、にやにや笑っていた。


「お嬢ってば、迂闊だったねえ」


「違う! 回覧板がなっかなか回ってこないもんだから、隣の保護区のやつが死んだなんて、さっきあんたに聞いて初めて知ったのよ!」


「そりゃ死んだら回せないから……って聞いてないな」


 どうなってんのよ、ここの報連相ホウレンソウは!!


 あやうく死にかけたじゃないのよ!!


「だからさあ、いつも俺、言ってんじゃん。『泥の徘徊』だけじゃなくて、俺を好物にする奴は多いんだから、囮にして巡回すればいいって」


 トイフェルを同行させないのは、こいつがしょうもないことをするからじゃない。『泥の徘徊』は、が大好物で、自分の居住区に悪魔が入ってきたら、例え自分より大きかったとしても、一目散に狙っていくからだ。


「くだらないことばっかり言わないで。もう、あと一か所回らなきゃいけないのに、べとべとになっちゃったわよ……」


 私は手についた体液を、ぱっぱと振って払い落とす。液体は落ちても、臭いまでは消えない。ううう。


「良い匂いだよ、お嬢。俺好み」


 楽しそうなトイフェル。くそっ、この悪魔!


 ……なんて、悪魔なんて言ったところで、こいつにとっては悪口でも何でもない。トイフェルは私と契約した、正真正銘『悪魔』だ。


 トイフェルが持つのは、撃ったが最後必ず当たる七発の魔弾の出る銃。私は契約で、一回の巡回中、六発までを自分の好きなところに撃たせることが出来る。


 ただし、最後の一発。この行き先を、私は指定することができない。これだけは、悪魔トイフェルの望むところに当たる。


 私はトイフェルを無視して、次の居住区のところへ歩き出した。トイフェルは銃を背中に戻し、鼻歌交じりについてくる。


 厭獣なんてバケモノがうようよした禁猟区……とてもじゃないが、人間一人で管理人なんて務まるわけがない。だから大抵の場合は、何か人を超えた力を持つ者と契約して、力を手に入れる。


 私の場合は、その相手がトイフェルだったのだ。


 死んだっていう、隣の禁猟区の管理人。死因は大抵の場合、二つに分かれる。一つはもちろん、厭獣の対処を間違えたこと。


 もう一つは、管理補佐……自分と契約した人外の力によるものだ。

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