第2話 そして勇者どのは乙女


「もう、お姉さまったら。笑ってばかりいらっしゃらないで、ちゃんとお話をしてくださいな」

「だって」

 大きな鏡の前で、わたくしの髪を結い上げてくださるはずのお姉さまは、櫛を手にしたまま、さっきからなにかを思いだしてはくすくすとお笑いになったままです。

「ヘレネ姉さま、無理もないのよ。だってほんとうにおかしかったんですもの」

「ねえ」 

 お姉さまを手伝うために、わたくしがまとう衣装にあわせようといくつもの髪飾りや装身具、香油をそろえながら妹たちもうなずきあいます。周りでは、侍女たちがあちらの帯をお持ちして、この帯はいかがでしょうかと忙しく動き回っています。

 丈高い塔に閉じ込められた、呪われし姫。

 そんな評判はたちましたが、幸いなことに王宮につとめる者たちや民たちは、わたくしの身にふりかかった災難を嘆き、二の姫をおなぐさめしようと陰に日向に支えてくれました。

 その甲斐あって、外つ国から参られた勇者どの――旅の乙女ラクによって、わたくしは晴れて自由の身。待ちわびた日の祝賀を盛大にもよおそうというわけで、数日前から国じゅうが大騒ぎになっていたのです。わたくしもこうして、すっかり舞い上がったお母さまとお姉さまと妹たちと侍女たちによって、大きな鏡の前に座らされ、あの衣装は、この髪型はという騒ぎの渦中にあったのです。

「ずるいわ、わたくしだけがそんな面白いものを見ることができなかったなんて」

「そうね、ヘレネがいたらきっとずっと笑いっぱなしよ」

 ようやく笑いを収めると、お姉さまはわたしの髪をやさしくくしけずってくださいます。ごく幼い頃から、わたくしはこうしてお姉さまに髪を整えてもらうのが何よりのたのしみでした。

「どんな様子だったのか、お話してくださいな」

「そうね、どこからお話しましょうか」

 またそのときのことがよみがえってきたのでしょう、うふふふふと笑いながら、お姉さまはお話をはじめました。

 

 

「まっつつつつつつつつっことに、御無礼をつかまつったッ」

 宮殿の一角、王の一族が賓客をおもてなしする一室に、お父さまの謝罪が響きました。

「いとしき二の姫に降りかかった呪詛、解けた喜びのあまりに勇者どの――あいや、うら若き乙女御であられる国主殿に抱きつく愚を犯すとは我が不徳のいたすところ」

 お母さまによって華麗に決められた関節技のために、あちこちがぐぎりと痛む身を叱咤しつつ謝意をあらわすお父さまを、どうかお顔をあげてくださいませと美しい女人がなだめました。

「謝罪を申し上げねばならぬのはこちらです。よりによって、東の国境で騒ぎを起こすなんて」

 輝く銀の甲冑に身を固めた、波打つ栗色の髪の女人は、そこでとなりに座すひと――頭を押さえいててててと顔をしかめているラクを軽くにらみました。

「従妹どの。両陛下へ申し上げなくてはならぬことがおありですね」

「はーい…」

 従姉姫に促され、ラクはお父さまとお母さまのもとへと歩み寄りました。

「両陛下に拝謁の光栄を賜り、まこと感謝にたえませぬ。わたくしはサイの国主、ラクシェと申します。こたびは国もとにて東の園に住まう竜のはなしを聞き、ひとつ腕試しをと出立した次第にございます」

「まあ、なんて勇気がおありだこと」

 感心するお母さまへ、いえそれがとラクは続けます。

「竜の頭から金のりんごを得て、王宮まで届けたのはよかったのですが。そこでわたくしを探していた家臣たちに見つかり」

 そうなのです。

 お父さまとお兄さまと大臣たちが、ラクを囲んで万歳三唱しているところへやってきた使者が、こちらにラクと名乗る娘御がいらしていないかとたずねたのです。

 あっまずい、と逃げ出しかけたラクでしたが、

「あ、あの陛下。お手を放していただけますと」

「勇者ラクどの。親としての勘が、なぜかあなたを逃がしてはならぬと告げておってな」

「ああっ、そういうとこは父上といっしょ!」

「こりゃラクどの。やはりお国もとへは内緒にして参られたのか」

 ふたりでやいのやいのとやっているところへ、供回りのものたちを連れ靴音も高らかにやってきたふたりの武人。サイ国の将軍にして、ラクの従姉であられるルシエ姫と、丈高く美髯をたくわえたカンウ殿でした。そのおふたりが、ラクへと近づいていき――こつん、ごすん、とそれぞれに脳天へげんこつを落としたのでした。


「サイ国では、十年ほど前に先代の末姫が国主となられたと聞いておりましたが。あなたでしたのね」

「はい。とはいえ、まだ成年ではございませぬゆえ、四人の兄たちが摂政をつとめております」

 わたくしの国から、船で十日ほど東にいったところに、サイという国があります。

 もとはひとつの皇国であったかの地は、十数年前から皇家の力がおおいに弱まり、諸侯による群雄割拠が続いているとか。ラクはそうした諸侯国のひとつであるサイを治める身であったのです。

 いくさ上手かつ子福者で知られた、先代の国主が薨じられたのち、誰がつぎの国主となるか近隣諸国は固唾を呑んで見守ったそうですが――唖然とするおとなたちをよそに、うんとこしょと玉座によじのぼったのは、まだ七つになったばかりの幼い姫君だったのです。

「てっきり、兄君がたのどなたかとばかり思うておりましたが」

「それが兄上がたときたら」

 いずれ劣らぬ英才ぶり、どなたが国主になられても不思議ではないと名高き四人の侯子たちは、どういうわけかその座を固辞し、

「うつろう季節と美酒と音曲、詩歌を愛でる領国での気軽な暮らしを続けたいと、最もめんどうな務めを末妹のわたくしに押しつけたのです」

 ルシエねえさまとカンウ将軍と大臣から聞かされたとき、床に寝転がってあにうえがたのひとでなしと叫びましたとぼやくラクの表情に、お母さまが思わず笑みをこぼしたそうです。おそばで聞いていらしたお姉さまは、吹き出しそうになるのを必死でこらえていらしたとか。

「従妹どのを、玉座まで向かわせるのはたいへんでしたわね、カンウ殿」

 十四の歳で初陣を飾ったルシエ姫は、先王薨去ののちに起きた小競り合いよりも戴冠式のほうに難儀したそうです。

「絶対にいやだと、翡翠の彫像にしがみついて離れず」

「まこと、我が君はきかん気で」

「彫像ごと抱えて連行していった本人がそれを言う!?」

 ラクのことばに、とうとうお姉さまと妹たちがこらえきれずに吹き出しました。これ姫たちや、お客さまの前ですよとたしなめていらしたお母さまも、続くはなしにとうとう忍耐が白旗を掲げることとなったようです。

 必死の抵抗もむなしく、カンウ殿の剛力を実感することとなった幼いラクは、このままでは民に恥ずかしい姿をさらすぱかりと悟ったのでしょう。

 いざ玉座につづく間までくると、みずから彫像をつーっと滑り降り、ふうーと盛大に一息ついてかぶり物や衣装を直し、背筋をただすと、新しい国主として皆の前に出て行ったのだそうです。このはなしに、お母さまとお姉さま、そして妹たちの笑い声がひびき、奥で控えていた侍女たちがなにごとかと思わずのぞきこんできたほどだったとか。

「まあ、申し訳ございません。このような内輪のはなしなど」

「いやいや、じつに楽しきことでありますぞ。我が妻と娘たちはすっかりとりこに」

「ごめんあそばせ、ルシエ姫。どうしても、そのときのラクシェ殿のお姿が目に浮かんで」

「翡翠の彫像は滑り台になるのね。わたくしもやってみたいわおかあさま」

 末の妹の希望に、いやーあれはちょっと滑りすぎかなとラクは応じます。

「いやはや。お国は離れていても、我らはなぜかはじめてお目にかかった気がしませんな」

 東からやってきた、サイ国のゆかいな一行がすっかりお気に召したお父さまは、今宵催される、身内だけの宴をぜひ楽しまれよとにこやかに伝えます。

「祝いの宴へは、我らが長らく救いを待ち望んだ二の姫もまいります。そののちに国を上げての盛大な祝いを。皆さまにはどうかごゆるりと滞在いただき、我が国が誇る

山海の珍味や美酒をたんと味わい、美しい景色をお国もとへのみやげ話にしていただきたい。ささ、早うみなさまを賓客の間へと案内いたせ」

 従者たちを呼ばわるお父さまへ、いやそんな大げさにと戸惑うラクの手を取り、どうかおいでくださいませとお願いしたのはお母さまでした。

「二の姫は長らく塔の中で過ごし、世のことを知らずにまいりましたの」

「女王陛下」

「わたくしたちとは片時も離れることはございませんでしたけれども、さまざまなものを見聞きしたり、どなたかと友誼をむすぶこともできずにまいりました。ラクシェ殿が、旅路で見聞きなさった話などをお聞かせくださいましたらば、姫もきっと心楽しくすごすことができましょう。どうか」

 お母さまのお願いに、しばらく考え込んでいたラクでしたが、

「わかりました。お言葉に甘え、めでたい宴の末席につらねさせていただきます」

 そのことばに、お母さまの表情が輝きました。ではさっそくお支度を、姫たちとお歳が近いのですからはなやいだよそおいをご用意しなくてはと、うきうきとしながら侍女たちを呼ばわります。

「な、なんだかすごいことになったなあ。金のりんごを取ってきただけなのに」

 全力で客人がたをおもてなしせよと、すっかり有頂天なお父さまとお母さまの姿を呆然と見つめるラクに、ルシエ姫が力なく答えました。

「従妹どの。かつて、あまたの勇者がそれを成し遂げようとしてかないませんでしたのよ」

「だってあの竜、別にこっちへ危害を加えてくるわけじゃなかったよ。帰りにちょっと様子見に行くからさって約束したけど」

 どうもラクは、この国では怖れられる竜すらも手懐ける、自分のちからをまるで自覚していないようでした。魔物を殴り倒すくらいは父上もやってたけどなあと首をかしげる姿に、お姉さまはたいへん驚かれたそうです。サイでは、魔物と殴り合うのが淑女のたしなみなのかしらと。

「我が君。貴女はそれゆえに我が君なのですぞ」

 カンウ将軍のことばにも、ラクはどうにも合点がいかぬようすであったといいます。

 このようなてんまつを経て、サイ国の方々は、賓客として我が国へしばし滞在することになったのだそうです。


「というわけで、今宵の宴ではヘレネ、あなたもラクシェさまにお目にかかることができるのよ」

 結い上げた髪へ髪飾りをそっと添えて。さあこれで完成ですよとお姉さまはわたくしの両肩へとやさしく手を置きます。

「ヘレネのおぐしはとてもきれいね。おばあさま譲りの輝くこがねいろ」

 ゆったりと結い上げられたわたくしの髪に輝く、海を模した青い貴石と真珠と金の細工が美しい飾りは、十五の誕生日にお姉さまが贈ってくださったものでした。ヘレネには海のような青がよく似合うからと、みずから意匠を描き、腕利きの細工師に頼んでくださったのです。わたくしが幼い頃、海辺で遊ぶのを何よりも楽しみにしていたことを、誰よりもお姉さまがよくご存じだったからです。

 いつか、これを身につけてわたくしたちと宴にまいりましょうね。

 そんな大切な贈り物を、身につけるのはきょうがはじめてなのです。

「おねえちゃま、緊張してるの?」

 いちばん下の妹が、鳶色の瞳をくるめかせながら聞いてきます。

「え、ええ。わたくし、こうした席ははじめてだから」

 はなやかな宴に楽しい祭りに。皆がこぞって出かけていたとき、わたくしは塔の部屋の露台から、ひとりでそのようすをながめてばかりいましたから。

 お兄さまや年若い侍女たちが、わたくしのためにお祭りのお菓子やちいさな花飾りをそっとおみやげに持ってきてくれたものですが。にぎわいと熱気をとどめた品々

が、それらから隔てられたわたくしのさみしさをかえってかきたて、いっぽうで、お母さまにはないしょよとお姉さまがくださったりんごのお菓子の、えもいわれぬ甘みにそっとなぐさめられたものでした。

「だいじょうぶ。リラがおまじないをしてあげる」

 おばあさまをまねてでしょうか。わたくしの目の前で、末の妹は人差し指をくるくると回します。

「ヘレネおねえちゃまは、ラクシェさまとおともだちになれます。ぜったいにぜったいです」

「リラ、それはとんぼを捕まえるときのものよ」

 すぐ下の妹がたしなめますが、わたくしにとっては心強いものでした。

「ありがとう、リラ。勇気がでたわ」

 妹を抱きしめて、わたくしはお礼をいいました。

「ディオネ姫さま、そろそろお時間でございます」

 侍女のひとりが、そっとお姉さまへと告げました。ではまいりましょうと、お姉さまはわたくしの手を取り立ち上がらせます。

「ヘレネ、今宵はあなたとラクシェさまが主役なのですから。楽しいひとときになりますように」

「お姉さまやミュラやリラもいっしょにいらして。だって」

 わたくし、いまだかつてないほどにどきどきしているのですもの。

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そして、わたしたちの道はつづき 笑川雷蔵 @suudara

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